戦後70年を考える~食文化~

8月15日の終戦の日を迎えるにあたって、「戦後70年」という言葉が、あらゆるところで使われています。かつて「戦争を知らない子どもたち」という歌がヒットしましたが、今は、子どもたちではなく70歳未満のすべての年齢の人々が戦争を体験していません。


今日は、戦争や政治問題を語るのではなく、戦後の食文化、それも「魚離れ」について触れることにします。


私は、個人的には魚が大好きです。保育園が終わって買い物をするときは、1F食品フロアーの魚コーナーを丹念に見ます。食べたい魚に値引きシールがあろうものなら、速攻で買い物カゴの中です。(笑)


しかし、日本人の魚離れは止まりません。2006年に肉の消費量が魚のそれに追いつき、2008年には肉の消費量が上回るという逆転現象が起こりました。


「魚離れ」という言葉が初めて登場したのが1976年・・・かなり前ですね。朝日新聞に、若い女性が魚料理が苦手で、魚屋よりスーパーを好む傾向があるという記事だそうです。水産庁は、「このままじゃヤバい!」と、魚離れ対策キャンペーンを開始しましたが、牛肉の自由化など、牛丼がワンコイン以下で食べられるようになり、日本人の食事が、魚より肉を食べる機会が増えていったのです。


世界の食用魚類の国別需要割合では、1977年は、日本が16%と世界一でしたが、2007年には、7%と激減しています。世界では魚の需要が高まるのに、日本では魚離れが進んでいます。


世界地図を広げてみると、日本の総面積は世界で62番目と小さいですが、海岸線の長さは世界6番目と、ロシアやカナダと肩を並べます。そこに、南から黒潮が、北から親潮が流れ込み、豊かな漁場を作っています。この漁場に生息している魚は約450種類、エビ・カニ・タコ・貝や海藻を含めれば500種類にはなるそうです。


面積が小さくても、これだけの海の恵みがあるのです。そんな日本が、自分の力でご飯を食べようとするには、答えは簡単です。「さかな!」となるわけです。


肉は飼育され、食肉として店頭に並ぶまで完全にコントロールできる食材です。生鮮食品ではあるけれど、実際は工場製品に近いですね。一方、日本の魚は種類が多くて時期もサイズもバラバラ、養殖など一部の魚以外は安定的に工場ラインに乗せられないので、旬を楽しむ食材でもありますね。


日本人の食の自給率を考えると、メインの食材に魚を引っ張り上げるのが有効だということが見えてきたようです。魚を食べると米や野菜が食べたくなり、和食が多くなります。もちろん、肉がダメということでなく、野菜を食べているとたまに食べる肉が輝いてきます。


これを呪文にすると「魚、米、野菜、ときどき肉」・・・この呪文をつぶやきながら買い物をすると、日本人の理想的な食生活になっていくのかもしれません。保育園ママの実家が、和牛の牧場を運営していますので、「ときどき肉」は、是非とも国産の肉でありたいものです。(笑)


私が小学生の時に、「ハンバーガー」という「食の黒船」が日本に上陸しました。初めてハンバーガーを食べた衝撃は忘れられず、「ファーストフードばかり食べるんじゃないぞ!」と園児や保護者に偉そうに言う私も、たまには「ハンバーガー」を食べたくなります。戦後70年で、日本が大きく変わったことの一つに「食文化」があり、皮肉にも「和食」の素晴らしさが引き立ったのかもしれませんね。魚が善で肉が悪ということでなく、もう一度、自分が食べる大事な食事を考えることが必要かもしれません。