北の湖敏満

昨年まで保育園に登園していた3歳児男の子が、北の湖関にそっくりなふてぶてしい面構えをしていました。体格もがっしりしているのですが、心優しく、決して自分から他の園児に手を挙げることがない我慢強い男の子でした。見かけと心遣いのギャップが大きいのも北の湖関にそっくりです。私の中では、勝手に「悪役北の湖」のイメージを膨らませていたのですが、男の子のママは、北の湖関の現役時代は知りません。


大相撲九州場所が行われている中、昭和の大横綱、そして相撲協会の理事長でもある北の湖さんが亡くなりました。


横綱白鵬が今場所の取り組み中で使った「ねこだまし」を「横綱がするべき行為ではない」と痛烈に批判していたのは、おそらく彼の相撲人生がそう言わせたのかもしれません。


まだ中学生にもかかわらず、両国中学校に転校して、三保ヶ関部屋に入門します。中学生という義務教育中に幕下まで昇進。そして、21歳2ヶ月という、おそらくこれからも決して破られることのない、最年少での横綱昇進を成し遂げます。


一般人なら大学在学中です。北の湖さんは、中学からずっと、相撲部屋という一般の社会を知らない中で過ごしてきました。それゆえに、横綱とは、社会人として、人として、その模範となるような行為や振る舞いをしなければならないという、強い気持ちがあったのだと思います。


「憎らしいほど強い横綱」これが、彼の現役時代の代名詞です。彼が負けると、お客様が喜びます。彼が勝つと、場内にブーイングの座布団が舞います。土俵の外に投げ飛ばした力士に一切手を貸さなかったのは、「自分が負けた時に相手から手を貸されたら屈辱と思うから、自分も相手に手を貸すことはしない」という彼の信念からくる、勝負師としては当たり前の考えです。


「巨人・大鵬・卵焼き」をもじって、子どもが嫌いなものとして「江川・ピーマン・北の湖」と言われたこともありました。それでも、彼は、信念を曲げず、横綱を全うし、相撲協会の発展に尽くされました。


昭和の時代、いや平成の時代になっても、男らしい男の一人と言えますね。心よりご冥福をお祈りします。