新日本プロレス

戦後、力道山が日本にプロレス団体(日本プロレス)を立ち上げ、敗戦後、憎き外人レスラーを次々と、空手チョップでやっつける姿に、当時の街頭テレビの様子を映像で見たことがある人も多いでしょう。

 

力道山亡き後、アントニオ猪木さんが新日本プロレス、ジャイアント馬場さんが全日本プロレスリングを立ち上げました。

 

新日本プロレスは、1972年3月6日に大田区体育館で旗揚げ戦が行われました。アントニオ猪木対カールゴッチです。旗揚げ戦で実は、猪木は負けます。

 

という感じで、語り始めると、ブログが終了しなくなりますので、そろそろ本題に入ります。(笑)

 

「今までのメインのターゲットを捨てて、あらたなターゲットを構築する」という、経営の話です。

 

プロレスは、今から10年くらい前から、様々な格闘技団体の台頭で、経営的には厳しい時代が続きました。そして、今は、またプロレス人気が復活しています。

 

2012年に、新日本プロレスは、トレーディングカードゲームの販売で有名なブシロードグループの子会社となりました。ブシロードがとった戦略は、男性中心の私のようなうんちくをタレルファンをばっさりと切り捨てて、エンターテインメント路線を強調し、今までプロレスとは無縁だった女性層を取り込みます。まず、女性受けする棚橋選手やオカダ選手(もちろん実力はトップクラス)をメインに打ち出し、様々な企画で、プロレス女子を拡散させていったのです。

 

もともと、新日本プロレスは、正統派ストロングスタイルを基本としていた団体なので、個人的には、路線変更は悲しいことですが、こうして、業界で一番大きな団体として、日本のプロレス界を牽引しているのです。時代の流れにあっては、変化することに柔軟でないと生き残っていけないということですね。

 

今日は、新日本プロレスから学ぶ、経営学のお話でした・・・・。

 

大事な結論を言い忘れていました。ホワイトきゃんばすのおやじ園長も、民間企業から脱サラして、保育園業界に乗り込んできました。一般社会の常識が、保育園業界では非常識になることもたくさん経験しました。新日本プロレスのように華々しくはいきませんが、少しづつ、変化をする保育園で、有り続けます。いつも、こんなオチですみません。(笑)