同期3人教育を語る・・・

昨夜は、前の会社の同期が3人集まりました。仙台で10年以上勤務する同期の一人が、50歳を過ぎて、ようやく管理職に昇格したので、そのお祝いです。

 

言わずもがなですが、会社で出世するは、必ずしも人間性や人徳と比例しませんね。(笑)彼は、まじめでまっすぐな性格で、とても信頼の置ける人物ですが、会社の出世とは縁がなかったのです。

 

さて、そんな3人が、ビールの力も借りながら、教育論で熱く語ります。「特別支援教育」というリアルな話題です。

 

オランダやドイツのような、日本と比べると成熟した個人主義のヨーロッパの多くの国は、普通学校の中に特別支援学級はありません。ハンデキャップがあるなしにかかわらず、違いを認める風土が、日本よりも進んでいるからです。個人のライフスタイルやこだわりを尊重するだけでなく、他人のライフスタイルが自分と違っていても、受け入れることができるからです。

 

日本の場合は、現在、普通学校の中に、特別支援学級を作っていこうという流れになっています。普通学級に発達障害などの児童が入ると、現実的には、他の児童の保護者から「○○君が、授業中に大きな声を出したり、うろうろしたりするのでは、うちの子の勉強に支障が出る」というクレームが発生します。

 

また、障害を持つ児童の保護者も「うちの子が、いじめにあうんじゃないかと思うと、心配だ」と特別支援学級という枠にはめたがる場合もあります。

 

先日、話をした特別支援学級の担任は、自分の姉に障害があり、そのせいで、母親がいわれのないバッシングを受けたと言います。

 

100%とは言いませんが、日本の場合は、障害を持つ子どもや一緒に活動するクラスの子どもたちの意見よりも、保護者の「違いを受け入れられない」などの考えが先に立ってしまうようです。

 

では、これからの日本の、普通学校の中の特別支援学級について、どうあるべきか。子どもを取り巻く大人たちの都合をどう考えていくか・・・・

 

50歳を過ぎたおやじたちが議論する内容とは思えない話題で、熱く語りあったわけです。みなさんは、この日本における「特別支援教育」をどう考えますか。

 

2020年の東京オリンピック、パラリンピックのエンブレムは、「組市松紋(くみいちまつもん)」がデザインされ、3種類の異なる四角形を組み合わせています。これは、国や文化、思想の違いがある人々が、オリンピック・パラリンピックで認め合い、一つになろうという意味も込められています。

 

今から4年後は、日本が、今以上に違いを認める風土になっていると、子どもたちにとっても、いい世の中なのですが・・・私たち大人の責任が重大になってきますね。