新鮮な授業

ホワイトきゃんばすの寺子屋の授業は、「廃材などを利用した工作」と「英語」以外は、特に決まった授業ではありません。おやじ園長の授業は、子どもたちが自分で考えて、人前で話ができる園児に育てるのが、大きな目的ですので、よのなかの事、実験、探検、グループ討議などなど、ネタは山ほどあります。

 

さて、特に中学校の教師になれば、担当教科をクラスを変えてずっと行うことになります。英語の先生なら、毎日英語を教え続けているわけです。熱心な先生は、マンネリにならないように、子供たちの興味が継続できるように、意外性のある教材を探し出したり、プリントを自分で作って、常に新鮮な授業を創り出そうと努力していますね。

 

先生が、マンネリに陥って、新鮮味が欠ける授業になれば、子どもたちは、すぐに感じ取って、「この先生の授業はつまらない!」となってしまうでしょう。やはり授業というのは教師が楽しんでいることが、必要ですね。

 

教師が、自分で作った教材でワクワクしながら指導したり、アクティブラーニング的な授業から、シナリオにない、生徒たちが主導の展開になった時などは、先生にとっても、新鮮な授業になりますね。

 

実は、先生にとっては、毎年同じ教科書の繰り返しかもしれませんが、生徒側の立場で考えれば、初めて経験する授業であり、初めて手に入れる知識でもあるのです。子どもたちにとっては、新鮮な授業として受け入れているのかもしれません。

 

子どもが感じるワクワク感や感動を共感的に受け取ることができるのが教師の仕事と考えれば、子どもたちが楽しんで、教師自身も一緒に楽しめる授業が一番ですね。テクニックに走る必要はありません。ありのままの授業が大切なのかもしれません。