帰還困難区域 つづき

仙台から常磐自動車道でしばらく走ると、南相馬鹿島サービスエリアがあります。ここは、福島復興の象徴の地として、多くの人で賑わっていました。福島県だけでなく、東日本大震災で大きな被害を受けた、岩手県、宮城県の物産も多く販売されています。駐車場には、福島県以外のナンバーの車を多く見ることができ、みな様々な思いで、買い物をします。

 

そして、南相馬インターを降り、国道6号線を走ります。しばらく走ると、「帰還困難区域」に入ります。最初の町は、有名なテレビ番組のDASH村があった「浪江町」です。DASH村は、国道沿いにはありませんので、今でも立ち入りはできません。そして、信じられない光景がそこにありました。

 

コンビニエンスストア、ガソリンスタンド、個人食堂、全国チェーンのファミリーレストラン、ショッピングセンターしまむらも、6年前に震災で、閉店したままの状態で存在していました。歩行禁止ですので、歩いている人は誰もいません。不適切な言葉かもしれませんが、町は、ゴーストタウンと化していました。

 

町だけではありません。手付かずの田畑には、草が人の背丈ほどに伸びたままです。ここは、まさに荒れ地と化していました。長男が運転する車の中では、しばらく沈黙が続きます。私にとっては、初めて見る景色であり、単に過疎化が進んだ地方の町ではないのです。

 

双葉町、富岡町と、ニュースではよく耳にする町が、続きます。双葉町の多くの被災者は、埼玉県に避難してきました。国道沿いの民家には、バリケードが引かれています。震災後に、この区域で多くの「震災泥棒」による、窃盗、家あらしがあったことは、報道でもありました。ここに住んでいた人たちは、震災翌日には、福島第一原発の被爆から逃れようと、多くの家財を残したままで避難をしました。そのことを考えると、胸が痛みます。

 

途中、左の矢印で、「東京電力福島第一原発」の標識が目に入りました。国道からは、原発は見えませんが、さらに、鉛を飲んだような重い気持ちとなります。東日本大震災という予測不能の大規模な自然災害の後に起きた、多くの人災・・・ここに住んでいた人々は、全国の新たな土地での新しい生活を余儀なくされ、最近では、被災者の子どもたちの小中学校でのいじめが表面化しました。今でも「帰還困難区域」に住んでいたことを伏せて生活する人も多いと聞きます。

 

東京オリンピック、パラリンピックが開催される2020年に、ようやく常磐線の全線開通が見込まれています。しかし、それだけでは、この地域の復興とは言えません。いったいいつになったら、この地域が昔のように元気になれるのか、それを予想する事さえも、私の立場では、不謹慎なのかもしれません。

 

今回、国道6号線を走り、私自身、現実を受け止めることはできましたが、そこまでしかできていません。これから先、何をするかを考えていきたいと思っています。