どろんこ遊びを哲学する

今日の寺子屋では、冬を越して大きくなった「玉ねぎ」を収穫しました。子どもたちのコブシの大きさほどになっています。大根と違って、引っこ抜くのに強い力は必要ありませんが、3歳男の子は「抜けな~い!」と情けないことを言っています・・・(笑)

 

また、土の中から「ハサミムシ」が出てきて、特に男の子が大騒ぎです。シッポの部分がハサミになっている体長3センチほどの虫です。誰一人触れません・・・「だって、ハサミでチョッキンされたら痛いもん!」と弱気の男子軍団です。

 

さて、最近の屋上遊びで流行っているのは、どろんこ広場での水遊びです。お山のてっぺんから水路を作って水を流します。川というよりも、濁流に興奮する子どもたちです。6月末に行う「どろんこ遊び」を前に、今から子どもたちは、ママの洗濯の苦労も顧みず、服を汚しながら楽しんでいます。

 

どろんこ遊びは、大人でも楽しいですね。まるで、秩序やルールに縛られたがんじがらめの生活から解放されることを求めているかのようです。子どもでも、普段習い事をさせられている子が、夢中になる割合が高いそうです。どろんこ遊びは、まさに混沌の世界に自分を投げ込む行為だと言えるのです。

 

多くの子どもたちは「ぐちゃぐちゃ」「ベトベト」「ドロドロ」を体感した後、安定した表情で、泥ダンゴや泥のチョコレート作りを始めたり、川づくりを始めたりします。これは、混沌から秩序を見いだす営みなのです。

 

つまり、どろんこ遊びは、一度、混沌の世界に没入し、無我夢中となり、そこから秩序を再構成していく経験なのです。

 

はい。以上、哲学的にどろんこ遊びにおける子どもたちの心理を考えました。

 

えっ・・・違いますか・・・