納骨供養

今日は、母親の「納骨供養」です。いよいよ、「〇〇家」の墓ができました。4月15日に母が亡くなり、法事にかかわる、様々な初めての体験で、勉強させてもらいました。そして、一生に一度あるかないかの「墓を建てる」が、いよいよ完了です。

 

この墓に、いずれは自分が入ることになるので、様々な思いがよぎります。黒光りした墓石の前に立つと、鏡のように自分の姿が映ります。今までの人生の中で、色々な人の墓参りをしてきましたが、墓の形状や石の種類など考えることはありませんでした。これからは、「この墓石は・・・?」なんて、墓参りのたびに、ブツブツ独り言をつぶやくことになりそうです。

 

さて、今日ほど、プライベートでの熱中症対策を真剣に行ったことはありません。水分補給はもちろんのこと、85歳の父を車椅子に乗せて、蓄電池を持ち込んで扇風機をまわします。墓石屋さんが大きなパラソルを用意していただいたので、日陰ができたものの、お経を読むお坊さんの額と頭は、玉の汗です。

 

「納骨供養」に、新しい墓に魂を入れる「開眼供養」そして、「百ヶ日供養」の3つを同時に行います。暑さの中で、お坊さんのお経は、ほとんど頭に入らなかったですが(すみません)、痴呆が進んだ父が、きちんと墓前で焼香ができ、自分の妻の墓であることを理解できたようで、ほっとしたのが実感です。とにかく、誰も体調を崩すこともなく、無事に納骨供養が終わりました。

 

少し贅沢な、お昼ごはんを楽しみます。母の位牌と写真にも料理が置かれ、一緒に食べます。母の笑っている写真を見て、「あいつも喜んでいる」と父が何度も話をするので、それで良しです。

 

身内が集まり、食事を楽しみながら、たわいのない話をしている姿を母が見守ってくれたことでしょう。