大人が「させる」と子どもが「したい」

今日は、朝から雨が降り、真冬に戻ったような天気です。雨の日は制作・・・昨日の寺子屋から「こいのぼり」作りが始まりました。鯉のうろこにコーヒーフィルターを使った作品です。今年度も、大人が思いつかない子どもたちのひらめきや発想が楽しみですね。

 

さて、今日は保育現場における「大人が『させる』ことを中心とした保育」と「子どもの『したい』を中心とした保育」についての話です。前者ではなく、後者の保育園に変えていかなければならないという、正論の話ではありません。

 

少し歴史を振り返ってみます。昭和23年に、当時の文部省が幼稚園教育要領の前身となる「保育要領」を刊行しました。それから、昭和31年に幼稚園教育要領が編集され、昭和39年に初の改訂が行われました。

 

しかし、それから平成元年まで、幼稚園教育要領も保育所保育指針も改訂されませんでした。昭和40年~60年代は、高度成長によって「一億総中流」といわれるようになった時期で、幼稚園の就園率が上昇した時代です。また、昭和40年代後半は、「団塊ジュニア」と呼ばれる世代が誕生し、子どもが増加しました。

 

幼稚園が増えても追いつかず、1クラス40人以上で保育するのが当たり前となりました。そうなると、「大人が『させる』ことが中心の保育」にならざるを得なかったのです。また、この時代は「子どもは、大人に言われたことをきちんとできることが美徳」という風潮があり、「平成」から「令和」に移行する今でも、それが教育方針として残っている園もありますね。

 

保育園や幼稚園でよく議論される、「一斉保育」と「見守り保育」はどっちがいいか?

また、子育てでも「褒めて伸ばす子育て」「褒めない子育て」のどっちがいいか?

 

永遠と繰り返される議論ですが、二者択一ではなく、子どものタイプによって、バランスを考えて対応するのが、教育現場の大人や親が考えなければならないことなのです。

 

ホワイトきゃんばすでは、子どもの「したい」を見守ることが多いですが、新年度が始まったばかりの今は、新人寺子屋園児に対しては、教えることが多くなり「大人が『させる』保育」のバランスが多くなります。

 

また、運動会やクリスマス発表会の前は、他の園と比較すると、とことん練習をしますので、ほぼ100%「大人が『させる』保育」になります。しかし、子どもたちは、「やらされる」から、次第に仲間と協力して、目標に向かうように変わっていきます。最初から「好きにやってごらん」では、こうなりませんね。

 

子どもたちは、みな違うし、10人いれば10の個性があります。自分ですべてを決められる子もいれば、背中を押さないとなかなか前に進まない子もいます。「子ども中心」の保育をすることには、異論はないですが、その手段は、色々あるということです。

 

1つのマニュアルでは、とうてい難しい話ですね。子育てに悩む親も、脱マニュアル、他人と比較しない・・・で、肩の力を抜いてみましょう。