忍者はいたの?

今日も朝から雨が降っています。この週末、家族でキャンプをした5歳女の子も、残念ながら雨の中でのテント撤収となっているのでしょう。雨の中でもキャンプを楽しむことはいくらでもできますが、テントの設営と撤収の時だけは、雨は勘弁ですね。(笑)

 

さて、私事ですが、日本の歴史のなかで「女王卑弥呼の邪馬台国はどこにあったか?」「忍者は本当にいたのか?」の2つは、テレビでも本でも何か特集が組まれると、注目してしまいます。

 

今日は、その1つ「忍者」の話です。私の息子が小学生の時に「NARUTO(ナルト)」という忍者のアニメにはまりました。「NARUTO」の登場人物にあわせたコスプレをする人たちが世界中で多く見られるほどの大ヒットアニメです。

 

ここに登場する忍びたちのように、「影分身」などの技は使えなくても、本当に日本には「忍者」がいたのか?興味がありますね。

 

古文書から歴史の真実をあばく切り口で、テレビでもよく出演されている、歴史家の磯田道史さんは、10年前から忍者の存在を実証する研究をしているそうです。

 

磯田さんは、映画にもなったベストセラー「武士の家計簿」の著者でもあるので、「忍者の本を書いて次のベストセラーをお願いします!」という依頼が殺到しているそうです。しかし、忍者の存在を証明する古文書がなかなか発見されません。

 

そこで、甲賀市役所にお願いをして全市に忍者の古文書がないか市民に呼びかけてもらうと、奇跡が起きました。甲賀市の杣中(そまなか)地区の木村姓の家で古文書が見つかったそうです。それは、忍者の頭目と言われていた木村奥之介の「先祖書ならびに勤書」という古文書です。

 

この発見で尾張藩が甲賀忍者を採用した実態の詳細がわかったそうです。甲賀忍者は戦国時代に豊臣秀吉に迫害され甲賀を追い出され浪人になり苦労をしたそうです。そして、運が開けたのは江戸期に入ってからのことです。

 

頭目の奧之介は、尾張の家老から「甲賀に帰って忍びの心がけのある者をあつめよ」との密命を受けます。こうして「甲賀5人」の忍びが生まれました。この忍びたちは、甲賀から毎年二人ずつ交代で参勤し名古屋城下で勤めを果たしたそうです。

 

実際に、甲賀5人は、忍者としてどんな技を使っていたのかは不明ですが、さぞ、高額の手当てをもらっていたのだろうと思っていると、なんと、滞在期間中(たぶん数カ月?)に、今の金額で一人1万円の手当だったそうです。

 

すずめの涙ほどの手当てで、忍者もつらい勤め人だったというのが、古文書から見られる真実のようです。私たちが勝手に妄想をふくらませていた「忍者」像が、崩壊してしまったようですね。

 

でも、ラグビーの五郎丸選手のように手を組んで、気がつくと、木の葉だけを残して消えてしまう「忍者」の存在を私は信じています。(笑)