他人の意見を聴く

今日は、10月19日に保育園の運動会を行う場所である「西文ひろば」グランドで、子どもたちは遊びました。運動会の練習は、9月中旬位からスタートさせますので、今日初めて西文広場に立った、小さい園児は、ここで運動会をすることを分かっているのか、いないのか・・・大喜びで走りまわっています。

 

運動会のラスト競技は、紅白対抗リレーです。今までに、涙抜きでは語れない多くのドラマが生まれました。ここで、差が出ないように園児たちを赤白に分けます。今日は、最初のかけっこをしました。正しい走りかたを身につけ、「負けないぞ!」という気持ちが強い園児が、これからどんどん伸びていきます。楽しみですね。

 

さて、国語の授業でのこと。ある小学校6年生女子の意見を聞いてください。

 

「一人で何回読んでも気にならなかった文章が、今日の授業で友だちと考えを聴き合ってから、すごく気になるようになった。作品から見える世界が広がったような気がする。うれしい」

 

この話を聞いて、皆さんも自分の経験で同じようなことがありませんでしたか?

 

私もサラリーマン時代に、グループ討議で、自分の主張だけでなく、相手の話を聞いて「その方がいいなぁ~」と思ったことは、悔しいけど、山ほどあります。また、ホワイトボードにポストイットで、個々の意見をランダムに貼っていくようなブレーンストーミングで、議論をとことん煮詰め、「これでもか!もっといいアイデアはないのか!」と意見をぶつけ合った時に、自分一人では、とうてい考えられなかった画期的なアイデアが生まれるのです。

 

小学生の学びに話を戻します。

 

友だちの意見を論理的に聞けるようになるには、一人一人が「個」をきちんと確立させるところから始まります。自分が「こう読んだ」がしっかりとあるからこそ「友だちはどう読んだのだろう」と、友だちの意見を聴きたくなってくるのです。

 

「主体的・対話的で深い学び」とは、まさに、こんな学び合いのプロセスがあるような授業から生まれてくるのでしょう。

 

保育園では、他の園児の話をしっかりと聴くことができる園児が、おだやかで冷静である傾向にあります。ヒトの顔には、口が1つしかないのに、耳は2つあることが、あらためて納得できますね。

 

自分の意見をしっかりと言えることは、素晴らしい事ですが、相手の意見を踏まえて、さらに深い考えがそこにあることが大切です。