スクラムコーチ

昨日、44日間のワールドカップが終わりました。日本が、ベスト8で敗戦した「南アフリカ」の優勝に、「日本は優勝したチームに負けたんだから・・・しょうがないね」という気持ちになった人が多かったかもしれませんね。

 

ネルソンマンデラ氏は、長期にわたる投獄生活から、南アフリカの大統領として、人種差別と戦ってきました。そこで、ラグビーで南アフリカを世界一にするという目標を立てます。

 

マンデラ氏は、アパルトヘイトの象徴というべき「スプリングボクス」という、チームの愛称やユニホームをあえて、変更しませんでした。南アフリカの国民が一つになるために、対立の図式を払拭したかったのです。

 

そして、オールブラックスのニュージーランドを破り、初の世界一になり、今回で3度目の世界一となったのです。

 

ラグビーを通じて、「ノーサイド」「ワンチーム」など、私たちは多くを学びました。国と地域同士の戦いでありながら、ラグビーは、世界を一つにする力がある・・・そんなスポーツに映りました。

 

今日は、日本躍進の陰の立役者である、長谷川スクラムコーチにスポットを当てます。

 

長谷川コーチは、日本代表の「スクラム番長」として2度のワールドカップに出場します。コーチを始めるに際し、フランスへ渡りました。当時のフランス代表は、最前列の選手が日本人選手と変わらぬ体格。なのにスクラムが強かった。そこに、興味がわいたそうです。

 

しかし、実際にあるのは「それぞれのチームのスクラム」だったのです。長谷川コーチは、ここから、日本のスクラムを確立させようと決心するのです。

 

初めてコーチを務めたヤマハをスクラム王国に育てます。そして、代表チームに加わると、選手たちにこう問いかけます。

 

「自分たちのスクラムは、好きですか」

 

その言葉の意味とビジョンは、こうだそうです。「自分たちのスクラムが好きになるための自分たちのシステムを作ろう。システムができれば努力する。やがて関心を持たれ、期待されれば責任感が芽生え、もっと頑張る。どこの国もそうやって強くなってきた。」と、そんな文化の話を最初にしたそうです。

 

長谷川コーチは、試合ごとに対戦相手の過去のスクラムを「500本は見る」と言います。相手チームだけでなく、レフェリーの癖を含めた膨大なデータを念頭に置き、「相手の組み方をやらせない」よう、練習に落とし込むそうです。

 

そして、ラグビー日本代表のターニングポイントともいうべき、対アイルランド戦。2018年の欧州王者を相手に、6-12と6点差を追う前半35分頃、自陣22メートル線付近で相手ボールのスクラムを与えます。

 

8対8のスクラムが動きます。そして、笛がなります・・・反則を犯したのは、アイルランド代表でした。長谷川コーチは言います。「これが、日本のスクラムの基準になりました。しかも、あの時のフォワード、皆ええ顔をしていたでしょう。こういう時は、強くなる。いい文化ができたと思いました」

 

しかし、このワールドカップで、長谷川コーチのスクラムは終わりません。南アフリカの敗戦に「認めましょう。相手が強かった」と素直に認めます。

 

ワールドカップは終わりましたが、これから日本でも様々なリーグでのラグビーの試合が始まります。・・・私たちの見方が大きく変わりました。ワールドカップでの感動は、しっかりと継続されるのです。