自分の得意を究める

今日の寺子屋では、屋上のビートルハウスのカブトムシの幼虫観察をしました。腐葉土の中の幼虫を触ったり、糞の掃除をしました。「園長先生!大変です。カブトムシがいません」と、とぼけたことを言う男子・・・夏に命を終えたカブトムシが卵を産んで、幼虫となり、秋冬春の長い間を土の中で過ごし、夏にサナギから成虫になり、長くても1か月あまりの命の話を学びます。

 

飼育ケースに腐葉土と幼虫を入れて、保育園で飼うことにしました。幼虫が土の中に潜っていく姿を小さい園児も一緒に観察します。こうして、子どもたちにとって、気持ち悪い白いイモムシが、かわいい幼虫という認識になるのです。

 

さて、今日は、さいたま市立栄小学校へ行ってきました。これで、卒園児7名が4月から通う5つの小学校すべての保幼小連絡協議会に出席しました。

 

教務主任と、「10の姿」の話をしていたのですが、一緒の机となった、2つの幼稚園の先生たちも、「10の姿」についての認識が深く、幼稚園も保育園と共通のモノサシが共有できていることを実感します。

 

ただし、私たちは、園児に対して「10の姿」のすべての成長を促すのではなく、それぞれの得意分野を伸ばすように持っていくことが重要です。

 

運動か得意な子・・・芸術的な感性が強い子・・・社会性やコミュニケーション能力が抜群の子・・・勉強が得意な子・・・大人の私たちもそうですが、子どもたちも、全てが得意な子などいませんね。

 

かつて、塾の講師を長年経験し、学校教育にかかわるようになったある人は、講師時代は、志望校合格という目的のために、偏差値教育の中心にいました。そこで、頑張ってきた子どもたちが、10年後、20年後、偏差値に比例して幸せになっているかというと、必ずしもそうではないと断言します。

 

確かに、私も含めて、今の子育て世代は、いい大学に行って有名企業に入社すれば安泰だったかもしれません。しかし、現在の社会で求められるのは、当然学歴だけではありません。自分の得意を究める力が問われます。

 

1つでもいいから、人がマネできないような抜きんでた能力です。もちろん、勉強が得意なら、とことん勉強を究めるということです。

 

今日は、教務主任と話をしながら考えていました。小学校の授業はクラスが同じなら、みな同じ時間割で学習が行われますが、もっと、多種多様な選択ができる教育が、これからは必要になってくるだろう・・・と。

 

小学校の役割は、基礎学力を学ぶ場であることに異論はありませんが、自分が好きな居場所がわかって、これを究めてみたい!という、そんな考えが持てるような環境を整えることだと思っています。抽象的な言い方ですが、自分の好きなことや得意なことを自分で発見できるようなイメージです。

 

子どもたちの学びの姿は、時代と共に、今まさに、変わっているのです。