二者択一の多数決

昨日ピアニカを家に持ち帰って練習をした6歳男の子・・・今日の練習では、しっかりと他のメンバーに追いついています。この根性がいいですね。これが、非認知能力にあたります。これからの子どもたちが生きていくうえで、重要なことです。

 

さて、民主主義における選挙は、多数決で勝敗が決まります。たいがい、その結果が少数派の権利を大きく侵害しない限り有効に機能します。

 

ところが、二者択一の選挙で、その結果が僅差で、大接戦となった場合に、「対立の構図」を生んでしまうことが、最近起きていますね。

 

私は、政治評論家ではないので、詳細をスラスラと解説はできませんが、日本では、大阪都構想の住民投票で、反対という結果になったものの、賛成と反対は僅差となりました。そして、残ったのは、何ともスッキリしない感情というか、対立の感情です。

 

そして、アメリカ大統領選挙も大接戦となり、その結果は、むしろ有権者の対立を深めてしまったような気がします。これは、現代のネットやSNS社会がもたらす、負の部分かもしれませんね。知らない第三者の意見に、左右され、喜んだり怒ったりして、自分の意見が見失われているのです。

 

保育園の運動会のような、もっと大きく言えば、スポーツの世界ならば、接戦で勝敗が決まった場合は、選手同士は抱き合って、お互いの健闘を称えるでしょうし、観戦する側の応援団やサポーターも勝者・敗者双方に、大きな拍手を送るのです。

 

こうありたいものですが、二者択一の選挙難しいですね。近代民主主義の父といわれるルソーは、「一般意志」が機能するためには、有権者相互の交流は、むしろ抑制すべきだと言っています。こう考えると、ネット社会における民主主義の弱点が、「僅差が生み出す社会の分断」かもしれませんね。