自分探しの先にあるもの

保育園の職員の娘さんが、無事に高校受験を終えることができたそうです。希望校へ合格です。今年は、コロナ禍で、受験体制も例年通りとはいかなかったようですが、相変わらず、子どもたちにとっては「偏差値」という単一のモノサシが使われます。

 

「○○高校への合格ラインは、偏差値○○」という基準をクリアすべく、埼玉県では「北辰テスト」という学力テストを多くの中学校3年生が受験して、自分の偏差値を知るのです。

 

しかし、本当の価値は、偏差値ではないことは明白なので、偏差値モノサシで他者との競争に明け暮れた反省から、今度は「好きなことをやりなさい教育」や「自分探し」が流行しました。

 

しかし、多くの若者が「本当に自分がやりたいことが何なのか、わからない」と訴えます。これは、当然の話で、価値や意味は人とヒト、人とモノ、人とコトとの関わりの中で生まれます。じっと、一人で思い詰めても、なかなかやりたいことなど浮かばないものです。

 

「自分探し」に代わる基準を若者に提示できないか・・・ということで、最近言われているのが「比較優位の原則」という考え方です。例えば、貿易で各国が自国の得意分野に特化することで全体として大きな利益が得られるという理論です。

 

これを教育に当てはめると、「好きな物ではなく、得意なものは何か?」「他者があまり選ばない分野で、得意なものを探すとよい」という考え方になります。つまり、自分が他者に貢献できるものは何か?と考えて、実際に行動することです。

 

世界では、格差や分断が広がっています。日本も例外ではありませんね。一人一人の人間は多様であり、それぞれに存在意義がある。と考えれば、それらを結び付けることで、世の中の役に立つことはできないか・・・そんな、考えを持った若者が増えれば、世界はもっと良くなると思いませんか。

 

これが、自分探しの先にある、これからの生き方の価値かもしれません。