助けてくれる人はいるか?

春の屋上ファームが、少しずつ活気付いてきました。先日の「絹さやエンドウ」の植付けに続いて、今日の寺子屋では、じゃがいもの種イモを植えました。定番中の定番「男爵いも」です。子どもたちは、種イモを包丁で半分に切り、切り口に灰をつけます。切り口を下にして土に植えます。収穫する男爵いもは、「自分たちが植えて育てた」という付加価値がつくのです。

 

さて、日本人は底力を持っていると思われています。第2次世界大戦の焼け跡から奇跡の復興を遂げ、自然災害に見舞われても、その都度大きな混乱を避けながら復興を遂げています。力を合わせることが得意で、人と人とのつながりが非常に強い国民と、多くの日本人は思っています。

 

しかし、人に助けられるのを良しとせず、生活保護の利用率も世界の中では低いのです。子どもは「人に迷惑をかけるな」と言い聞かされて育っています。そのせいなのか、日本では「助けてくれる人がいない」と思っている生徒(高校生が対象)が、他国と比較して多いというデータが出ています。

 

「つらい時、助けてくれる人がいない」に、男子24%・女子16%が、「そう思っている」そうです。女子よりも男子が高いのは「男なら弱音を吐くな」という圧力が高いためかもしれませんね。

 

コロナ禍での自殺が増えていますが、増加率が高いのは青年層です。悩みや葛藤が押し寄せているというのに、「助けてくれる人がいない、孤独だ」と思い込んでいては、苦悩は増すばかりです。

 

近年の自殺対策では、「つらいときには、いつでも助けを求めていい。逃げたってかまわない」と説くことが多いですね。「頑張れ」と励ましたり、ましてや「お前は男だろ!」的な発言は、無責任で逆効果となってしまいます。

 

ただし、私たち大人が、真摯に寄り添って、じっくりと聞くことが出来なければ、若者はいつになっても「助けてくれる人はいない」と感じてしまうのです。

 

「SOSを出しなさい」だけでなく、そのSOSを受けとめる力量を私たちが持たなければならないということです。