まなざしが出会う場所へ

以前、ユニセフの会合に参加して、職員の人たちと話をした時の事です。よく、こんな質問を受けるそうです。「ユニセフでは、世界の人々の飢餓や、満足に教育を受けられない子どもたちへの活動を行っているけど、その前に、日本で困っている人を助けるのが、大事なことなんじゃないの?」

 

ユニセフの職員は、もちろん、そんな質問も真摯に受け止めるのですが、こう言うのです。「日本とはレベルが違うんです。世界では紛争や飢餓で毎日多くの人々が亡くなっています。命に優先順位はつけられませんが、日本の子どもたちは幸せだと思います」

 

保育園では、毎日の給食を考えても、「今日は食べるものはありません」とか「おかわりはできません」などはありません。逆に「野菜が苦手だ」と、食べ物を残してしまう子だっています。私たちは、「残さないで食べよう」なんて言いますが、食べ物を残して、廃棄してしまうのが日本です。

 

「まなざしが出会う場所へ」の著者渋谷さんは、世界各国の紛争や飢餓、災害の現場を取材する写真家です。

 

砂漠化が進むスーダンでは、長引く内戦の陰で、飢えと渇きに弱い子どもたちが死んでいきます。アンゴラの難民キャンプでは女性が「いま植えなければ、来年食べるものがない」と言って、子どもを背負ったまま地雷のある地を耕しています、

 

カンボジアでは、病気の両親の借金のかたに男の子が売られ、その子は一度も学校に通ったことがないまま、白人のペドファイル(小児性愛者)のコンドミニアムに囲われています。

 

タイとミャンマーの国境付近にある難民キャンプで、著者が、そこで生まれた子に将来の希望を尋ねると「何もない」と即答されます。その子どもが生きている環境からは、希望も夢も最初からないのかもしれません。

 

保育園の子どもたちは、七夕飾りに「願い事」を書いています。「日本人で良かった」なんて気分にはなれません。かと言って、世界の子どもたちを助けることもできません。ただ、知ることしかできませんね。