宇宙のしくみ④ コペルニクス

今から500年ほど前までは、地球が宇宙の中心で、他の天体がそのまわりを回る「天動説」の考えが主流でした。地球のまわりを太陽が回っているという考えです。

 

ポーランドの天文学者「ニコラウス・コペルニクス」は、その宇宙観に疑問を持ち、太陽を中心に、地球や惑星がそのまわりを回る「地動説」を唱えた人物です。

 

コペルニクスは3つの大学で神学、医学、天文学などを学び、聖職者・医者の職につきます。フロムボルグという町では、教会の仕事のほか、財務の監督、侵略者に対する戦闘指揮など、行政官の仕事までこなしつつ、夜間は、聖堂の塔にのぼり、天体観測を行っていたそうです。まさに、マルチな天文学者ですね。

 

コペルニクスは、天体観測から、天動説では説明のつかない惑星の動きに気がついて、地動説の構想をまとめはしたものの、発表は控えていました。「どうだ!これが私の考えだ。凄いだろ・・・」といった性格ではなく、才能はあるけど、控えめな人だったのかもしれませんね。

 

しかし、口コミでコペルニクスの地動説は評判となり、周囲の強い勧めから発表を決意します。1543年、コペルニクスが70歳の時に地動説の論文をまとめまた『天球の回転』を発行したのです。そのできあがった本を手にして、コペルニクスは息を引き取ったともいわれています。

 

コペルニクスは、2000年近く信じられていた価値観を一変させました。後に、ドイツの哲学者カントは、このように、価値観を180度変えてしまうようなことを「コペルニクス的転回」と名付けています。

 

私が中学時代の「倫理・社会」の先生が、やたら、この「コペルニクス的転回」という言葉を使ったので、私も、よく使ったものです。ただし、些細な発見でも「コペルニクス的転回」と言っていたので、困ったものです。(笑)

 

宇宙のしくみの大きな転機となった「地動説」を唱えた人物「ニコラウス・コペルニクス」と「コペルニクス的転回」という言葉・・・覚えておきましょう。