子どもたちが感じる「東京パラリンピック」

今日の連絡ノートの6歳女の子の発言です。「ママ・・・自分の体のことどう思う?」という子どもの質問に対して、「そうだね。ママは少し太っているからダイエットしないといけないね」と答えるママ。当然「そうだよ。もっと痩せないと!」という反応があるかと思いきや、「いや、上には上があるからねぇ~」と、何とも不可解なフォローコメントがあったそうです。思わず、笑ってしまいました。(笑)

 

さて、本日登園した小学生の卒園児・・・昨日の東京パラリンピックの開会式では、「日本選手が登場するまで起きている」と言ったものの、直前で寝てしまったようです。しかし、開会式を見ていた多くの子どもたちは、オリンピックの開会式とは違う光景を目の当たりにして、逆に目が釘付けになったのではないでしょうか。

 

「どうして、車椅子に乗っているの?」「どうして手がないの?」「どうして、杖を持っているの?」「どうしてサングラスをかけているの?」「どうして、大人なのに背が低いの?」・・・そうです。子どもなりに、「なんか違うぞ・・・」と感じたのです。

 

実は、今から57年前の1964東京オリンピックの時には、すでにパラリンピックも行われていました。現代とは時代背景が違うので、私たち日本人がどのように受け止めていたのかも気になります。まだ「多様性を認める社会」ではなかったことは、間違いないですね。

 

子どもたちの開会式の感想とは違って、私たち大人の意見は、当然まちまちです。オリンピックの時には、「コロナ禍では中止すべきだ!」という意見が出ましたが、パラリンピックでは、中止の声はあまり聞こえてきませんでした。

 

「中止を」と声を上げることで、「この人は、障がい者差別をしているのでは」と見られることを恐れる気持ちが働いたのだ。という意見もあれば、その気持ち自体が、障がい者

を特別視する気持ちにつながっているという意見もあります。

 

違った視点では、「オリンピックとパラリンピックは、同じ期間で行われるべきだ」という意見が出てきました。さまざまな競技が「体重別」「男女別」などのカテゴリーに分かれて行われているのに、健常者と障がい者だけは、大会自体が分かれてしまうのは「その必然性は何だろう?」という意見です。スケートボードや自転車という用具を使うスポーツはオリンピックで、車椅子になるとパラリンピックになるのは不思議だという意見もあります。

 

これらは、今後のパラリンピックが抱える課題ですが、今日は、子どもたちの視点で考えます。

 

東京で開催されたからこそ、開会式をしっかりと見る子どもたちが多かったと思います。そして、各国の選手入場で見た、「違う」という感覚も初めてだったかもしれません。今日から競技がスタートして、パラアスリートの活躍を目の当たりにして、子どもたちがどう感じるのか・・・私たち大人は、見守っていきたいですね。子どもから質問されても、模範的な回答は不要です。「多様性を受け入れようね」なんて言っても、小さい子どもは理解できません。親として、大人として、素直な意見を子どもに伝えればいいのです。あとは、子どもたちが考えればいいのです。