「野球の神様」ベーブ・ルース

夏のプールが終わり、9月からは、寺子屋園児は運動会の練習を連日のように続けてきました。1か月が経過して、着実に成長した姿を見ることができます。かけっこが速くなったということもありますが、精神力が鍛えられています。「集合!」の掛け声で、整列したり準備体操をしたりすることが、自由遊びの中では経験しないことです。10月16日の本番まで、今度は、1・2歳児の園児との合同練習もあります。しっかりと、「非認知能力」を高めてもらいます。

 

さて、スポーツの世界では、記録を持っていた選手が、その記録が追い抜かれる時に、最後の注目をあびるものです。大リーグのエンジェルスの大谷翔平選手の活躍で、20世紀初頭に活躍した「野球の神様」と言われた、ベーブ・ルースに光があてられました。

 

私は、小学生の時に、王貞治選手がベーブ・ルースの714本の本塁打記録を抜いた時に、初めて、身長188センチ100キロのブルドッグのような風貌(失礼!)のベーブ・ルースを知りました。その時の私の記憶は、ベーブ・ルースは「ホームラン打者」です。

 

そして、令和になって、ベーブ・ルースは、投打の二刀流でも名を残していたことを知るのです。今日は、そのベーブ・ルースの記録に注目してみます。

 

19歳でメジャーデビューしたルースは、バッターよりも先に投手として名を上げました。1916年に23勝12敗防御率1.75、1917年には24勝の数字を残します。実は、打者として毎日試合に出たかったルースは、本当は投げたくなかったそうです。ルースの孫にあたるスティ―ブンスさんは、ルースの二刀流は、チーム事情によるものだったと伝え聞いています。

 

ヤンキースに移籍後の1920年に、打者として専念できるようになり、54本塁打でメジャー記録を更新するのです。ヤンキース入団時は、身長188センチに対して、体重は80キロで、スリムな体型だったそうです。足も速くて、ホームスチールを10回も決めたそうです。この身体能力の高さは、大谷選手との共通点ですね。

 

ベーブ・ルースの逸話は、外野を指してから放った予告ホームランや、入院する少年に約束した一発など数多く残っています。「ホームランでなくて、ちっぽけな単打でいいなら打率6割ぐらい打っていた」なんてコメントもしていますが、人なつっこい性格で国民を魅了したのです。

 

私たちは、現代の二刀流である大谷選手を応援するのですが、今日は、ベーブ・ルースへのリスペクトを忘れないでおきましょう。