能力に応じた教育

今日は、朝から子どもたちとの戦いごっこという名の「プロレスごっこ」での、体のキレが悪く、4歳男には、噛みつき攻撃をくらってしまいました。

 

そうです。昨日の祝日・・・午後2時から昔の会社仲間5人で、思いっきり飲みました。私も、1年半ぶりに、外で飲みました。それぞれの近況報告と、山ほどある昔話で、気がつくと6時間も先輩のラーメン屋さんで、飲んだくれていました。5人のおやじで、日本酒一升、ワインボトル2本、ビール・酎ハイを数えきれないくらいです。でも、本当に楽しい時間でした。

 

昨年65歳の定年で退職された大先輩・・・年齢的には、昭和の頑固おやじですが、ずっと昔から部下に対して、「みんながやっているように、○○しなさい!」というスタンスではなく、今の教育理論にぴったりの「みんな違ってみんないい」の考え方を持っていました。それもあって、人徳者として多くの人から尊敬されています。

 

SDGsの目標4には「質の高い教育をみんなに」があります。日本はどうでしょうか。確かに、義務教育制度が当たり前にあり、教育の機会均等は保障されてきました。しかし、画一化を図ることを目的として成り立ってきた日本の学校には、平等という考え方が染み付いています。

 

「みんな違ってみんないい」と言いながら「みんなで同じことを同じように」を求めてきました。それは、同調圧力となって子どもたちや教師自身を苦しめてきました。そこからの脱却が、令和に求められる日本の教育です。

 

子どもたち一人一人の能力に応じた教育とは・・・当然「できるできない」を決めることではありませんね。学校には、白黒付けないファジーさがあり、その曖昧さが人を育てる現場の感覚でもありますね。教師に求められる指導力とは、その子にとっての最適な指導法を調整する力かもしれません。みんな同じではないので・・・

 

大先輩と話をしながら、そんな、部下指導法の話をまじめに話していた時間も、少しだけありました。(笑)