ニワトリと卵と、息子の思春期

ここ数日、屋上で流行っているのが「保育園ごっこ」です。野菜を収穫するコンテナボックスを並べてイスにします。そこに、1・2歳児を座らせて、年長園児が先生になって「朝の会」を行っています。子どもたちは、この手の遊びが大好きですね。

 

さて、今日は「ニワトリと卵と、息子の思春期」という本の話です。30年以上前の映画で「コックと泥棒、その妻と愛人」という、ピーター・グリーナウェイ監督の衝撃的な作品がありました。ストーリーは賛否両論ですが、カメラワークと色彩描写は一級作品です。それに似たタイトルの「ニワトリと卵と、息子の思春期」です。

 

物語は、著者である母親が、小学校6年生の長男に、それまでせがんでいたゲーム機を諦めるかわりに「ニワトリを飼わせてくれ」と告げるところから始まります。

 

なぜニワトリか?それは、ニワトリをペットとしてではなく、家畜として飼い、卵を売ってお金を稼ぎたいという理由です。幼児の頃に、母親との言い争いから、お小遣い制度が撤廃されてしまったからです。

 

長男の計画はどんどん前に進み、親の力技でコントロールしようとする今までのやり方が通用しなくなっていきます。そして、ニワトリが家にやって来ました。

 

養鶏生活が始まると、新鮮な発見が連続で起き、宙を飛ぶニワトリに歓声をあげ、強い脚力で石を蹴り上げて虫をのみ込むダイナミックな姿に深く感じ入り、生まれたての卵の美しさに見惚れるのです。

 

母親の仕事は、狩猟に関する撮影や執筆を手がける写真家です。猟に同行したり、知り合いの猟師から仕入れた猪や鹿肉を自宅の台所で解体するのは日常茶飯事で、「食べ物」と「生き物」はひと続きのものだというセンスの持ち主です。

 

それでも、産卵率が落ちたニワトリを長男とともに絞めて、さばいて食べるというのは初体験です。しかし、この体験によって、山の狩猟界でも里の人間界でも生き物を殺して食べる行為は同じである事を理解していきます。

 

どうですか・・・想像してください。ニワトリという生き物を媒介にして不定形に形を変えていく家族の姿・・・著者の母親は、そもそも「母であること」「保護者であること」を一方的に求めてくる社会の空気に疑問を感じていました。しかし、思春期の長男とニワトリとの関わりの中で、悩みながらも一人の人間としてアップデートしていくのです。

 

よく、母親、父親という保護者の立場になったとたんに、「子育てをする大人」となります。しかし、子育てしながらも、親だってずっと成長を続けていくのです。一年前の自分よりも、子どもへの接し方も、社会の中で生きていくすべも成長しているのです。

 

そんなことを考える作品です。毎日食べる卵は、自分で飼っているニワトリというライフスタイルは憧れますね。ただし、ニワトリを絞めて食べるのは、私にできません。(笑)