「らしさ」というゾンビ

卒園式が近づいてきました。午後のおやつタイムに、卒園式で使用するBGMをかけていました。「手紙」「贈る言葉」そして「想い出がいっぱい」の曲が流れている途中で、年中の5歳女の子が、泣き始めたのです。「○○ちゃんどうしたの?」と、まわりの園児も大騒ぎです。涙の理由は、年長の先輩達が、もうすぐ卒園してしまうことを考えてしまったそうです。女の子は、卒園式本番でも、美しい涙を流すのでしょう。

 

さて、私が中学生だった遠い昔の話です。入学式か始業式の校長先生や担任の言葉を思い出すと、「中学生らしく過ごしましょう」といったフレーズを何回も聞いた記憶があります。そのたびに、ひねくれ心の私は、「その中学生らしいって、何だよ。髪型とか服装のこと?それとも、先生の言うことをちゃんと聞くこと?それとも、友だちを大切にしよう的なこと?具体的に言わないと、解釈バラバラになるぜ!」と思ったものです。(笑)

 

今でも、具体性がゼロで、超抽象的表現「○○らしい」という言葉は、多く使われます。「中学生らしいって何?」と聞き返すと、多分答えられないでしょう。

 

昔、よくバスの中で泣いたり騒いだりする子に親が「運転手さんに叱られるからやめなさい」なんて言っている場面を見たことがありますが、それと同じにおいを感じますね。自分で説明できないこと、納得解になっていないことを力でごり押しして、人を従わせる。そんなイメージです。

 

学校の職員会議でも、新年度スタートの4月に、「初任者らしく」「臨時教員らしく」「担当外らしく」黙ってやり過ごす人が多くなるようなら問題です。たぶん、そんな教師は、「今はジェンダーフリーの時代だから、『男らしく』とか『女らしく』という言葉は、決して使わないように!」と、「どうして使わないのか」の本質を教えるのではなく、方法論だけ教えるのでしょう。

 

「○○らしく」を語るのであれば、自分が考える「○○らしく」が、きちんと説明できることが必要ですね。