沖縄復帰50年

私の大学の後輩が、沖縄出身で今は、沖縄で建設会社の社長をしてるのですが、大学時代の飲み会で「右側通行だったのが、急に左に変わったときは、それはそれは大変だったです!」と語っていた時は、「そうだったんだ」くらいにしか感じなかった私でした。

 

就職前に、沖縄の西表島に1週間滞在して、ジャングル探険気分で島を縦断し、海の魚たちと戯れ、地元に人しか知らない鍾乳洞を探険し、まさに自然を満喫した時も、沖縄の歴史的背景のことなど、全く考えていませんでした。まさに、沖縄のことを知らない内地の人間の一人だったのです。

 

今日は、アメリカの統治下にあった沖縄が、日本に復帰して50年目の節目です。多くのメディアが、沖縄を取り上げていました。50年前の本土復帰の日は、雨が降っていたそうです。そして、あるカメラが、小学校5年生の授業を撮影していました。

 

「本土復帰にあたって、これからの沖縄はどうなっていくか」のまさにアクティブラーニングです。黒板には、「本土復帰でも、基地はなくならない。何も変わっていない」という文字がありました。そして、教壇に花があったのですが、それは、数日前にアメリカ兵のトラックにはねられて、このクラスの男子児童が死亡したのです。運転していたアメリカ兵には罰則はなかったそうです。

 

沖縄では、「基地撤廃!」のデモ行進の映像をたびたび見る機会がありますが、県民の考えはとても複雑です。冒頭の後輩が、5年ほど前に、就活セミナーで上京した時に飲んだのですが、学生時代には聞けなかった沖縄県民の本音の話になりました。

 

「基地の問題については、その関連で働いて生計を立てている人がたくさんいるのも事実。単純に反対とは言えない」としみじみと語っていました。戦後、アメリカの統治下に長く置かれた沖縄は、米軍基地の負担、本土との経済格差、自然豊かな島の個性の喪失など、多くのことを抱えながら、確実に発展し、若者たちは「沖縄」に誇りを持っています。

 

朝ドラの「ちむどんどん」の意味は、沖縄の言葉で「胸がどきどきする感じ」です。沖縄県民以外の、いわゆる「本土の人間」は、朝ドラでもいいですし、観光がきっかけでもいいです。もっと沖縄を知ることが大切だと、今日沖縄復帰50年の日に思うのです。