歴史上の人物 すごいとやばい③ 勝海舟

勝海舟については、多くの人がその功績を認めていると思います。海舟は徳川幕府の役人です。彼は、蘭学を猛勉強し航海術を学び、37歳の時に幕府からアメリカに派遣されます。帰国後は「神戸海軍操練所」を作り、坂本龍馬はじめ多くの生徒に軍艦の操縦を教えたのです。坂本龍馬は、幕府側の勝海舟を殺そうとしたのですが、彼の話に魅了され、弟子になったのは有名な話ですね。

 

海舟の凄いところは、これからです。幕府の力が衰え「大政奉還」によって、将軍から天皇へ政権が返されます。しかし、徳川家を徹底的にぶっ壊したい薩摩藩率いる新政府軍は江戸城を包囲し、血の雨となるところを救ったのが、勝海舟です。

 

「無駄な戦いで人を死なせるのはバカだ」と、薩摩藩の西郷隆盛を説得、総攻撃を中止させて、江戸の町と将軍の命を守ったのです。

 

しかし、あの「西郷どん」を説得したのか?今でも謎に包まれています。一説には、勝海舟には催眠術を操る能力があり、竜馬も西郷も催眠術にかかったのでは?とも言われています。

 

また、海舟は幕府がアメリカに送る使節の護衛艦「咸臨丸(かんりんまる)」の船長でしたが、実は、物凄い船酔い体質だったようで、出発当日は熱まで上がり、完全にダウン。しかたなく、同乗のアメリカ海軍大尉に指揮権をゆずったそうです。

 

プライド高き海舟は、談話集「氷川清話(ひかわせいわ)」では、船酔いでダウンしたことには一切触れずに、「日本人だけで軍艦の乗ってサンフランシスコまで来たのは、君たちが初めてだ、とアメリカ人たちは褒めた」と、話を盛っています。

 

ちなみに、同じ船に乗っていた福沢諭吉にも「航海中は病人同様、自分の部屋の外に出ることはできなかった」と見事にバラされています。(笑)

 

勝海舟は「すごい」というイメージが強いですが、船酔いと女癖の悪さなど、人間らしいところがあるのですね。