代替教員の考え方

今日も暑い、そして熱い屋上プールです。子どもたちに人気のパパがボランティアに来てくれたので、それはそれは、水しぶきが凄いことになりました。パパは子どもたちを持ち上げて、プールに投げます。「私もやって!僕もやって!」と大騒ぎです。(笑)

 

さて、戦後の混乱期には、学校の校舎や設備が不足していただけでなく、教員も著しく足りなかったそうです。教員も、赤紙で戦争に駆り出されて、命を落としていたからです。

 

有資格の教員だけでは到底間に合わず、無資格の急ごしらえの教員を大量に雇ってしのいでいたそうです。昭和25年の統計を見ると、公立小学校教員30万4419人のうち、7万7548人(25.5%)が、助教諭という形で、教壇に上がっていたのです。

 

都道府県別にみると、保育園ホワイトきゃんばすのある「埼玉県」は50.2%で、半分が、助教諭という形で、子どもたちに勉強を教えていたそうです。

 

現代の感覚では、にわかに信じ難いですが、勉強ができる若者をつかまえては臨時免許状を付与し、教壇に立たせていたようです。その中には、10代の少年も含まれていたとのことです。

 

現在は、戦後ではありませんが、教員不足が深刻化しています。教員試験の倍率も年々下がるばかりです。こうなると、戦後とは違う形で、臨時免許状を付与して教壇に立ってもらう人材を考えないといけません。

 

道徳や総合の時間に、例えば、サラリーマンのパパやママの「世の中(社会・仕事)の話」・・・地域のおじいちゃん、おばあちゃんの「昔の遊び」「戦争の話など」・・・大学生の教える「楽しいプログラミング」・・・有名スポーツ選手が語る「成功体験ではなくて失敗体験」などなど。

 

まだまだ、考えればたくさんの人材があると思いますが、教育委員会が代替教員研修所のような機関を作って、それらの方々に臨時免許状を交付し、どんどん、小中学校の教壇に立ってもらうのです。

 

多様化の時代・・・教員一筋○○年の先生と、世の中の先生がタッグを組んで、子どもたちに、もっと、「社会の窓」を開いてもらうような取り組みも可能ですね。すでに、「土曜日に学校を開放しての寺子屋教室」といった活動をしている自治体もありますが、正式な授業に、どんどん新たな顔ぶれの先生が教壇に立つような仕組みを考えたいものです。

 

子どもたちに教えたい、一緒に学び合いたい大人や若者は、実はたくさんいるのです。