幸せの閾値(いきち)

ある親子のシーンです。

 

ゴーカードが大好きな息子が、ある日曜日に父親の運転で遊園地に向かうものの、渋滞に巻き込まれてしまいます。父親は遊園地に到着する前に疲れ切ってしまいます。そんな父親に息子はこう言います。「ゴーカートに乗るというのに、どうして、そんなつまらない顔をしているの?嬉しくないの?」

 

すると、父親は冷静に、「お父さんはな、ゴーカートよりも早く走れる車で、ここまで運転してきたんだよ。だからもう、運転しなくていいだろ~」と、何ともつまらない返答をするのです。男の子にとっては、何とも夢のない大人なんだろう、と思ったに違いありません。

 

難しい言葉ですが、「閾値(いきち)」という言葉を知っていますか。簡単に言うと、「刺激を感じる境目となる値」です。

 

子どもの頃は、ゴーカートに乗るだけで幸せを感じるのに、大人になると本物の車でなければ幸せを感じなくなる。それは明らかに、幸せの閾値が上がったからです。最初は、どんな車でもワクワクしていたはずなのに、徐々にもっといい車が欲しくなっていくのも、閾値が吊り上がっているからに他なりません。

 

おやじになった私は、あらゆる閾値が低かった子どもの頃の幸せを思い返してみると、今の自分はたくさんの幸せを手に入れてしまったので、これ以上幸せはないと考えるか、まだまだ手に入れられる幸せがたくさん存在しているではないかと考えるか・・・やはり、後者でありたいですね。

 

間違いなく言えるのは、保育園の子どもたちが、ワクワクドキドキしながら、新しい挑戦や、今までできなかったことができるようになった時の「イイ顔」を見ることが、幸せの閾値がまったく変動せず、ほっこりします。

 

子どもを持つ保護者も同じです。我が子の成長を見守ることは、ずっと変わらない幸せな時間ですね。