少女に居場所はあったか

今日から9月ですね。保育園では、早くも運動会の練習が始まります。寺子屋園児は、10月15日の運動会まで、練習の日々が続くのです。初日の主な仕事は、草取りです。西文ひろばグランドには、所々に雑草がありました。先生が、クワで草をとり、子どもたちは、ビニール袋に草を集めます。しっかり、一袋分の草が集まりました。

 

30メートル走を走ります。年少園児は初めての挑戦です。意外に距離が長いので、必死になって走ります。今日の結果は、運動会本番では同じにはなりません。練習をどれだけ頑張ったか・・・自分自身との戦いがスタートしました。

 

さて、先日東京渋谷で、母と娘が15歳の少女に刺される事件がありました。逮捕された15歳の少女は「死刑になりたかった」と供述しました。この事件を、簡単に「少女は精神的におかしかったのでは・・・」と片付けるわけにはいきません。

 

少女は刃物を3本用意し、最後まで複数の人を刺すことを目的にした犯行で、少女の『強い意志』を感じたと、少年事件を数多く担当した刑事は語ります。現在も取り調べが続いているので、少しずつ、15歳少女の心の内がわかってくると思いますが、事件の原因や動機は単純ではなく、無数の要素が複雑に絡み合っておきていると考えるのが妥当です。

 

少年犯罪で、精神鑑定の経験がある、ある児童精神科医は、子どもたちの「居場所」の必要性を説きます。

 

「思春期の子どもたちにとって、居場所というのは自分を肯定してくれる人がいる場所です。自分を認めてくれる人がいれば、自分の価値を下げたくないので、自殺や他殺に向かう確率は減っていきます。逆に居場所がなければ、自分を認めてくれる人がいないので、これ以上何をやっても無駄だと思い、自殺や他殺に向かう可能性が高くなります」と言います。

 

この15歳の少女に「居場所」はあったのでしょうか。

 

このような重大な少年少女の事件が発生するたびに「どうしてなんだ?」と思うことが多いですね。こうやったら防げるという1つの答えはありませんが、子どもたちに「居場所があるかどうか?できれば、居場所が多い方がいい」と、自分の子どもに当てはめることはできますね。親以外の大人の存在は、とても大切なのです。