ズラータ、16歳の日記

クリスマス発表会で歌う曲を子どもたちはおうちで歌っています。4歳男の子が「にじ」を完璧に歌ったそうです。ママはびっくりです。この曲は、小学生の低学年の教科書で扱う曲です。そんな、保育園児には高いバーの曲でも、練習を毎日続けることで、しっかりと歌えるようになるのです。子どもたちの順応力にあっぱれです。

 

さて、今日はウクライナ人で、現在17歳のズラータ・イヴァシコワさんが書いた「ズラータ、16歳の日記」について話します。

 

ロシアのウクライナ侵攻が始まった時、ズラータさんはウクライナ第4の工業都市・ドニプロで暮らしていました。母親との二人暮らしです。彼女は、「文豪ストレイドッグス」など、日本の漫画の熱烈なファンで、登場する文豪の中でも太宰治に惹かれ、ネットオークションで「人間失格」の初版本を手に入れて読んだほどです。

 

いつかは日本で暮らして漫画家になりたいと思っていたそうです。戦争が始まると、母親は、日本での身元引受人を見つけ、日本への飛行機代16万円を必死で集めます。そして、ウクライナ侵攻から1か月も経たない3月16日に、母の勧めで、ズラータさんは日本への避難を決意するのです。この時16歳です。

 

では、この本に少しだけ触れてみます。

 

「担任の先生が、その日は教壇に立つと、いきなりこんなことを言った。

『明日から戦争になります。もしも実際に爆撃が始まるようだったら、シェルターを見  つけて、そこに食料や必要なものを運ぶように。そして、長期的に避難できるところを今から探して、なるべくそこに行くようにしなさい』

先生にそう言われると、ますます現実のことなのだと、クラスの空気は沈痛なものになった。『シェルター』『食料』『避難』と、昨日までマンガのなかで出てきた単語が自分の生活の一部になるなんて、誰が想像していただろう。

 

日本に行きたい。何とか生き延びて日本を見てみたい。日本を見てからじゃないと死ねない。戦争のなかでも、そればかりを思ってきた。もうこれまでと思うくらい絶望する場面は何度もあった。でも、そのたびにありがたいことに救いの手が差し伸べられて、多くの人が親身になって応援してくださって、立ち上がってこられた。人が苦手だったはずの私が、人に助けを乞わなくては前に進めないことを知って、素直に「助けてください」と頭を下げてこられた。それは、学校や教科書で学ぶことよりも、ある意味大きな、私の人生を根っこからひっくり返すほどの一大転機となった」

 

どうですか・・・平和な私たち日本人からは、想像できない経験でしょう。ズラータさんが母とともに戦火を逃れる中、偶然ポーランドとの国境付近でテレビ朝日の「報道ステーション」の取材班と出会います。以降、ズラータさんの避難の様子は「報道ステーション」他日本のメディアで取り上げられ、話題になったのです。これも、幸運といえる日本との縁ですね。

 

有名な「アンネの日記」は、アンネフランクが15歳の時に書かれた日記です。ズラータさんも、16歳という年齢で、こんな、サバイバルゲームのような人生を経験したのです。

 

彼女は、日本でずっと暮らして、漫画家になりたい夢を持ち続けています。日本の役割は、彼女の経験を通じて、戦争の愚かさを世界に訴えることです。