学校は命がけで行く場所ではない

今日はクリスマスパレードを行いました。先日行ったクリスマス発表会で、園児たちがダンスをした衣装で、ショッピングセンター内をくまなく歩きます。クリスマス商戦でにぎやかな店内に、突然「ペンギン」「フラミンゴ」「パウパトロール」「おジャ魔女どれみ」が登場したものですから、お客様は「ちょっと待って、かわいい!」と言いながら、見守ってくれました。子どもたちも、まるでアイドル気分で手を振ります。この衣装を着て、練習を頑張り、本番では素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたので、この「誇らしい気持ち」を大切にしたいですね。

 

さて、小中学校で不登校の児童、生徒が増えていますね。その要因の一つは、「学校は命がけで行く場所ではなく、死ぬほどつらいと思うなら、学校なんて来なくて大丈夫」という、学校や保護者の意識の変化が考えられます。

 

私の長女が中学時代にお世話になった校長先生、後にさいたま市の教育長になられ方ですが、「理屈やうんちくは後回しでいいから・・・とにかく子どもを死なせない」と、現場を回っていた教育委員会のトップでした。

 

現在は、フリースクールなど、多様な学び方ができる学校も増えてきました。どこかでつまずたからといっても、軌道修正は十分可能です。やがて、子どもたちが大人になって、自分の幸せをつかむための、その方法を学ぶ手段の1つとして学校があるに過ぎないという考え方です。

 

社会に出たときには、「学校に行ってた人とそうでない人」という区別はありません。必要なのは、世の中を渡っていく力。知恵や教養、コミュニケーション能力、他人に共感する力、社会の一員として考え行動すること。法や人権や自分と他者の自由を守る人であること・・・学校に行かなくても自分の好きな事や強みを見つけ、社会で生きていけばいい。

 

ここまで読んで・・・あれ!?と思ったあなた。そうです。「学校に行かなくてもいい」とみんなは言うけれど、世の中を渡っていく力は、学校での集団生活で得る「非認知能力」がベースになるんじゃないの。知恵や教養も学校での学びで得られるんじゃないの。

 

う~ん。色々と考えると難しい問題ですね。ただし、子どもたちが自ら死を選ぶことだけは、私たち大人の力で何とかしないといけないし、社会で通用する大人にもなってもらいたいし・・・結局は、子ども一人一人に寄り添える大人であれ・・・ということですね。