障害児が分離された教育

今日の子どもたちの会話です。「先生。金曜日は雪が降るみたいだよ。屋上で雪だるまを作りたいなぁ~」・・・そうです。子どもたちは、雪を待ちこがれています。(笑)

 

そして、3歳女の子と屋上のブルーベリーファームで草刈りをしていると、見つけました。「カマキリの卵」です。ブルーベリーの枝に2つ卵がありました。1つは、保育園に持ち帰って、子どもたちと観察します。春に向けて、赤ちゃんカマキリが、うじゃうじゃ生まれる予感です。 

 

さて、昨年9月に、国連の障害者権利委員会が、障害者の権利条約に対する各国の取り組みについての審査結果を公表しました。そこで、「日本は、障害がある子が分離された特別教育が続いている。ふさわしい状況ではない」と勧告を受けました。

 

以前、イエナプランの勉強会で、特別支援学校の先生と議論をしたことがあります。重度の障害をもった子ども以外は、障害児も健常児も同じ環境で学ぶのがいいと、理想論を私は語っていました。「様々な違いをすべての子どもたちが受け入れ、思いやりの心も生まれるだろう。もちろん、保護者の意識改革が進んで、あの子がいると授業にならないという考えがなくなっていくのが前提ですが・・・」などと、言ったところ、支援学校の先生は、「オランダなどのヨーロッパの国と日本は違います。今の日本に、それができると思いますか」と強く言われてしまいました。

 

国連から、「障害児の教育環境を健常児と別にするな!」とクレームが入った日本ですが、やはり、そう簡単にはいきません。逆に、特別支援学校や特別支援学級に対する保護者のニーズは高まっているのが現状で、それを無視して、極端な話ですが、特別支援学級を廃止して、すべて普通学級で統一・・・というわけにはいきませんね。

 

私が、小学生だった昭和ど真中の時代は、特別支援学級などなかったので、同じクラスに「しんちゃん」という名前の男の子がいました。勉強は全く分からなかったですが、クラスのみんなで、しんちゃんと一緒に遊ぶことが当たり前でした。

 

ところが、日本では、障害児への環境が変わっていきました。さいたま市では、10年も前には、すべての公立小学校に特別支援学級ができました。養護教員が障害児一人一人にまで目が届く環境に変わっていったのです。

 

しかし、普通学級の児童の中には、「あいつらは、ちょっと遅れているから」と差別視する子だって出てきます。街中で、障害を持った人へ自然と手を差し伸べることが、壁になってきます。普通学級の保護者も、「教室でうろうろしてしまう子が、我が子のクラスにいれば、勉強が遅れてしまう」と思う親も出てきました。

 

今回の国連からの要請を受けて、文科省は、「まずはどんな場でも健常児と障害児が一緒に学ぶ機会を増やしたい。法的拘束力がなく、だからこそ『高めの球』を放りがちな国連の勧告だけをもって、特別支援学校や特別支援学級を廃止することは考えていません」という見解です。

 

特別支援学校と小・中・高校を同じ敷地におくという方向性が模索されているようです。現に、比較的軽度の知的障害の特別支援学校高等部と定時制高校が同じ敷地内にあり、一人の校長の下で教育を行っている事例があるようです。

 

物理的環境だけでなく、ソフト面での対応として、特別支援教育ができる教員を増やさないといけませんね。そして、保護者を含め、世の中の理解が進むことも必要です。

 

やはり、私は、身体、知的で重度の障害児のために、特別支援学校は必要と考えますが、近い将来、特別委支援学級がない学校が増えてほしいと思っています。今はまだ無理ですが、日本も「違うこと」が当たり前の社会になって、共に助け合う世の中になってほしいですね。