12年後の景色

昨日のWBCで日本の先発に上がった佐々木投手。3・11のあの日、津波が襲った小学校から必死に高台へ逃げ、命を守りました。佐々木投手は岩手県陸前高田市出身で、東日本大震災で、父と祖父母を亡くしています。彼の口から震災の話は、ほとんど聞いたことがありません。それだけ、少年の心には抱えきれない大きな出来事だったに違いありません。

 

12年後の3月11日。栗山監督は「これから世界の頂点を目指していく投手。そういう日に先発するというのは、野球の神様が朗希に頑張れというメッセージを送っていると僕は思っている」と試合前に語りました。

 

12年という月日は、人によって、長くもあり、短くもあるのでしょうが、佐々木投手のような少年が、心の中に12年前の記憶を残しながら、こうして、世界が注目する場所で輝いているのです。

 

昨日の午後2時46分は、保育園の運動会を行う西文広場のグランドで、小学生と年長園児が、「鬼ごっこ」で走り回っていました。私は、子どもたちを見守りながら、12年前の出来事を自分なりに思い返していました。そして、ここで走っている子どもたちは、全員3・11以降に生まれました。

 

 

子どもたちにとっては、自分が生まれる前の出来事なので、「そうなんだ」で終わってしまいますが、様々な形で語り続けていきたいですね。

 

大宮駅近くにある「さいたま宇宙劇場」では、「震災時 見上げた夜空」というテーマのドキュメンタリー作品「星よりも、遠くへ」が上映されました。11日、震災当日に停電となったために、星が普段よりもくっきりと見えたそうです。

 

仙台市で救助活動に当たった消防士が、星空を見上げて「使命感を新たにした」という当時の思いや、津波で妻を亡くした岩手県陸前高田市の男性が息子に「あの星はママだよ」と語りかけるエピソードなどが、星空の映像と共に紹介されたそうです。これを見た子どもたちの心に、これらのエピソードが刺さりますね。

 

こうして、12年後も、震災を風化させない取り組みが、各地で行われているようです。「あの日の記憶 風化させぬ」という思いは、これからの日本を担う子どもたちのためにもなるのです。