「死」の疑似体験

今日は、小学生と年長園児を連れて、鉄道博物館に行ってきました。鉄道に興味のない小3男子は、初めての「てっぱく」に大興奮です。展示車両に乗り込んで、はしゃいでいますが、「この特急は・・・」と園長が解説を始めると、「園長先生、オレそうゆうのは興味ないから」と一蹴されてしまいました。(笑)

 

さて、「人生最後の大仕事で、人間ならば、誰もが避けられないこと」って、何だと思いますか。実感を伴わない人も多いでしょうが、それは「死」です。関西学院の藤井美和教授は、そんな「死」の疑似体験を20年以上行っています。死生学講義の一環だそうです。

 

21歳の学生ががんで亡くなるまでの架空の闘病日記を読み上げて、その過程を疑似的に経験します。まず受講生は、「形のある大切なもの」「大切な活動」「大切な人」「形のない大切なもの」を3つずつ、12枚の紙に書き出します。藤井教授が闘病日記を朗読しながら、病状もだんだんと悪化していきます。できなくなったことから、12枚の紙を順に破って、手放さなくてはいけません。「死が迫る究極的な状況で、本当に大切なものに気付き、死を含めた生き方を問い直してもらうのが目的」と教授は語ります。

 

家、お金、愛、母・・・。葛藤し、涙を流す人もいます。最後の1枚は「母」「愛」「感謝」などが多いそうです。藤井教授の「さよなら」の言葉で、最後の1枚を破ります。

 

参加した学生からは、「家族や友人との記憶が最も大切とわかった」「大切だと思っていたものが一番大切ではなかった」「当たり前の生活に感謝しながら生きていこうと思った」などの感想が寄せられています。

 

藤井教授は、28歳の時に難病にかかり死に直面したそうです。その時に、死にゆく人のために何か役に立ちたいと考えたそうです。そして、「私たちは丸裸で生まれて、それだけで喜ばれる存在だった。様々なものを手放し、あるがままの自分に戻っていくとき、信頼や感謝など目に見えないものが自分を支えてくれていることがわかります」と語ります。

 

私も、「おやじ」と言われる年齢になって、「死」を意識することも増えてきましたが、まだまだ具体的に、受け止めることはないです。深い内容ですが、時々考えてみないといけませんね。