禁断の惑星

今日の連絡ノートには、「保育参観楽しかった!」のコメントがいっぱいです。雨の中でしたが、こびとを見つけよう!ゲームでさらに火が付いた園児は、すぐに、ママにこびとの本をリクエストしていたようです。「鉄は熱いうちに打て」といいますが、このタイミングでこびとの本を購入した保護者は、賢いお金の使い方をしたようです。子どもが本を読む習慣につながるチャンスですね。

 

さて、教育現場でのChatGPTの使用の是非が議論されています。私のような昭和世代は、ターミネーターのように、機能が高度化することで、人間が制御できない状況が起きるのではないか・・・と、まるでSF映画の世界を想像してしまいます。(笑)

 

今日は、1950年代に制作された、初期SF映画の金字塔といわれ、そのテーマは今でも興味深い「禁断の惑星」について話をします。私が生まれるずっと前の、日本なら、戦後の高度経済成長期の幕開けの時代の作品です。

 

宇宙への移民が一般化した2200年代、過去に行方不明となった移民団を捜索するために、宇宙船を派遣し、ある惑星に着陸します。そこに居たのは、移民の博士とその娘、そして博士が作ったロボットだけでした。

 

事情を聞くと、その惑星には高度な科学文明を築いたクレール人という民族がいましたが、ある日、突然消滅したそうです。さらに他の移住団も、この惑星の正体不明の怪物に襲われて全員が死んだらしいのです。

 

物語の中で、高度な発達を遂げたクレール人は、優れた文明を築き上げた半面、自らの潜在意識を制御することが出来ず、巨大化した『無意識』によって、相互に傷つけ合い死滅したことが分かりました。実は、怪物の正体は、博士の『無意識』(憎しみなどの感情)だったのです。

 

クレール人が作った巨大エネルギーの生成装置を使い、博士自らの能力を飛躍的に高めたことで、心の奥底の闇が怪物となって現れるようになってしまったのです。怪物は、博士をも襲います。そして、瀕死の状態となり、怪物もろとも自爆装置で惑星と共に滅んでいくのです。娘と乗組員は、なんとか宇宙船で脱出し、命を守るのです。

 

この映画の結末のメッセージは、「人は神にはなれない」です。神になろうとする高慢が、いかなる破壊を生むか・・・これは、現代でも独裁者の暴走が引き起こす戦争と似ていますね。

 

ChatGPTが普及すれば、学びの在り方や自分で考える事が欠如する若者が増えてしまうかもしれません。情報通信技術はあくまでも道具であり、それに意味や価値を与えるのが人間であるという、当たり前の考えが、この先も維持できるかどうか・・・

 

ちゃんと考えなくてはいけない時代になってきたようです。