昨日は、次女を連れて「もんじゃ焼き」を食べに行きました。はい、今や観光地となっている「月島」のもんじゃストリートです。私の祖父が、月島から歩いて行ける「佃島」に住んでいました。小学生の時から、一人で電車に乗って、おじいちゃんのおうちに、よく遊びに行っていました。この時は、今のようにもんじゃストリートではなく、ただの「西仲商店街」です。かつては、地元の子どもたちが安くておいしい「もんじゃ焼き」を食べていたのですが、昭和が終わり、いつのまにか観光地化し、墨田川沿いには、高層マンションが立ち並びます。私たちが食べていた店に、外国人が入店しました。スマホの翻訳機能で店員さんとやり取りして、チーズがたっぷり入ったもんじゃ焼きを注文します。店員さんが作っていましたが、この体験は、まさに日本の思い出の一つになったことでしょう。「アメージング!」と叫んでいたような~(笑)
さて、今日は子どもの日ですね。昭和の子どもの遊びを思い出してみます。「あやとり」をやったことはありますか。一人でも二人でもどこでもできる遊びですが、私が小学校の頃は、クラスで女子だけでなく男子もやっていました。「東京タワー」「橋」「ほうき」などの定番技で盛り上がります。あやとりには、約3千種類の技があるそうです。でも、あやとりは、今でも、保育園でたまに子どもたちが遊んでいます。
「チャンバラ」は、まさに昭和の男子の、ごっこ遊びの代表的なものでした。私より年上世代では、時代劇のマネが多かったようです。あのスピルバーグ監督の「スターウォーズ」に出てくるライトセーバーは、日本の時代劇の映画に影響を受けたものと言われています。もちろん、保育園の子どもたちも、プラスチックの刀を手に今でも戦っています。
そして、「おままごと」は、女子の定番ごっこ遊びです。「ままごと」は漢字で書くと、「飯事」となります。保育園の子どもたちの多くは、「おままごと」=「料理ごっこ・食べ物屋さんごっこ」と思えるくらい、食べものを作っていることが多いです。漢字の意味などもちろん知らないですが、フライパンを使って、草やファームの野菜を使って料理をしています。
あれ?昭和の子どもたちの遊びは、もっとたくさんありますが、「あやとり」「チャンバラ」「おままごと」は、令和の子どもたちにとっても、遊びの選択肢の一つとして、残っています。
昭和も、令和の今でも、子どもたちは、遊びを作る天才です。それは、時代が流れても変わらないことですね。