大関 魁傑

大関魁傑(かいけつ)こと、放駒(はなれごま)前理事長が66歳という若さで亡くなりました。

 

私が小学生の頃に、応援していた力士の一人です。当時は、横綱北の湖、輪島に大関貴ノ花(若貴兄弟のお父さん)や、外国人力士高見山など、人気力士も多く、大相撲が輝いていた時代でした。まだ、千代の富士がデビューしていない頃の話です。

 

937回連続出場・・・「休場は試合放棄」という名言で、一度も休場をしなかった力士です。優勝2回の実績がありながら、大関を一度陥落し平幕まで落ちます。平幕から大関復帰を果たした唯一の力士・・・

 

八百長問題の時は、理事長として奔走し、大相撲の歴史に汚点を残す「春場所開催中止」という厳しい選択をしました。八百長のないクリーンな相撲を目指し、年寄株という相撲会の既得権をも破壊しようと、動いた方です。

 

現役の力士時代も、まじめな相撲を貫く大好きな力士でしたが、理事長時代も大相撲の負の部分と戦う勇敢な人でした。

 

テレビの映像で、昨夜は久しぶりに大関魁傑の相撲を見ることができました。いいですね。しばし、見とれていました。

 

心よりご冥福をお祈りします。