2024年

4月

26日

給食が不安

今日の体操教室では、プログラムの最後に「チャレンジタイム」がありました。助走して踏み台をジャンプ→目の前のとび箱に手をつかないで、空中で前回りして着地です。どうですか、イメージできましたか。この大技に、年長男子4名が挑戦しました。体操教室の先生からは、「ビッグ4」と呼ばれ、ずば抜けた身体能力があります。そして、この大技を見事クリアーするのです。私もビデオに撮りながら、思わず「スゴイ!」と叫んでいました。

 

さて、今日の話は「給食」です。新年度がスタートし、小学校1年生の児童にとっては、「好き嫌いが多い」「食べるのが遅い」という不安を抱える保護者も多いかと思います。

 

保育園ホワイトきゃんばすでも、今まで多くの園児が、この問題にぶつかってきました。例えば、小食の園児に対しては、最初は少なめに盛りつけて、おかわりを促して完食体験を経験させる。ふりかけごはんにするなど、子どもが好きな食べ方にする。苦手な食材は少なめにしたり、小さく切って、食べられたら大げさに褒める。みそ汁の野菜が苦手な園児は、スープごはんにしてみる。

 

子どもへの対応は、一人一人違うので、今までトライしたやり方は限りないですね。そんな中で、一番効果があったのが、屋上ファームで収穫体験した野菜を「これは、みんなが屋上でとった野菜だよ。新鮮でおいしいからね~」すると、他の園児から「おいしい!おいしい!」の大合唱が起こり、つられて食べられるようになります。今、屋上ファームでは、絹さやエンドウ豆が収穫ラッシュですが、効果があるのは、ファームで自分が収穫した野菜だけで、スーパーで買った絹さやエンドウ豆は効果がないようです。

 

小学生の子どもを持つ親で、我が子の給食に不安がある場合は、具体的に担任とすり合わせしておくのが大事ですね。ただし、「よろしくおねがいします」だけではいけません。①食べるのが遅い理由②家庭での工夫③本人の気持ち④これまでの体験・・・など、具体的に伝えるのがいいですね。

 

「本人は『早くしなさい』と求められるとプレッシャーを感じてしまうので、保育園時代は、『ゆっくりでいいよ』と言われると時間内に完食できていたようです」といった伝え方です。小学校で給食を食べる時間は、だいたい20分です。

 

難しいことではありますが、『給食の時間が苦手』と子どもに思わせないようにしたいものですね。

2024年

4月

25日

石川佳純サンクスツアー

今日は、汗ばむような陽気になりました。屋上遊びの子どもたちは、汗びっしょりです。終わりを迎える「菜の花」を引っこ抜く作業を「力持ち集合!」の掛け声で集まった園児たちの力でやってみました。「ぼくは…わたしは力持ちよ!」と園児がたくさん集まります。自己肯定感の高い子どもたちです。この場所には、ミニトマトの苗を植えます。

 

さて、卓球女子の五輪メダリストで、昨年5月に現役を引退した石川佳純さんが、全国各地を巡回し、子どもたちに卓球を教える「47都道府県サンクスツアー」が、先日、ちょうど折り返し点の24回を終えたそうです。

 

正直、スター性のある石川さんなら、タレント活動で稼ぎまくることもできるでしょうが、彼女は、子どもたちの成長のために、どのようにアスリートが貢献すればいいか、その一つの形を示しています。

 

石川さんのツアーの理念は「スポーツの魅力と、応援してくれたファンへの感謝を伝えること」だそうです。卓球の技術も教えますが、決して競技普及だけにはとらわれません。行く先々で、子どもたちに「卓球じゃなくてもいいから、いろいろなことにチャレンジしてほしい」と強調します。

 

あの大谷翔平選手が、日本全国の小学校にグローブを送ったのは、「このグローブでキャッチボールをしてスポーツを楽しむきっかけになってもらいたい」という考えで、野球以外のスポーツも挑戦して欲しいと願っているそうです。石川さんは、12歳で故郷の山口市を離れ、大阪の中学に進学します。「夢に向かう、人生でも大きな一歩でした。そんな経験を踏まえ、子どもたちには『きっかけ』を見つけてほしい」と願っています。

 

石川さんは、2月に、中学生活の不安を感じる小学6年生を前に、チャレンジ精神の価値を説きます。「新しい生活が始まると、うれしいこと、楽しいこと、もしかしたら苦しいこともあるかもしれない。でも不安を気にせず飛び込んで。好きなことは『なぜこんなにエネルギーが湧くのだろう』という気持ちにさせてくれる。自分が『これだ』と思えるものに出会えるように、どんどん挑戦してほしい」と背中を押します。

 

子どもたちから「やめたくなったことはありますか」と質問されると、「何度もあります」と素直に答えます。「落ち込んだり、頑張っても結果がダメな時も、『昨日より今日』と思って、工夫を重ねてきた。努力は、良い時も悪い時も続けられるから大事なんです」と言います。

 

どうですか、石川さんのメッセージに目を輝かせて聴き入る子どもたちの姿が想像できますね。こういった、現役選手や元アスリートが子どもたちと交流し、スポーツの魅力を伝える機会が、これからもどんどん増えていくとうれしいですね。

2024年

4月

24日

オタフクソースのお好み焼課

今日の連絡ノートには、昨日のピクニックランチのお弁当箱が空っぽで、「ママお弁当作ってくれてありがとう」という我が子のコメントに、涙する母親が4人もいました。やはり、ママへの最高のプレゼントは「空っぽのお弁当箱」でした。

 

今日は、その流れで食べ物の話です。広島の人たちが愛するのは、広島カープだけでなく、お好み焼きとそれに使われる「オタフクソース」です。私は、何人かの広島出身の知り合いがいますが、お好み焼きを語り出すと、「お好み焼きは、○○じゃないといけない」という長いウンチクが始まります。そして、「オタフクソース」が決め手と言います。

 

大阪のお好み焼きは、具材を混ぜて焼きます。もちろん、こちらも私は大好きですが、広島人は、こう言います。「広島のお好み焼きには、サンドイッチの美学がある。上から、生地、キャベツの甘味、香ばしい豚バラ肉、パリッと焼いた麺、一番下に卵のうまみが重なり、ソースをまとっている。層の上から下まで、一口で食べないとダメなんだ。おいしいお好み焼きは、キャベツが甘いんだ」なんて話が止まりません。(笑)

 

そんな、広島のお好み焼きを引き立てる「オタフクソース」は、2022年10月に100周年を迎えた、老舗企業なんです。そして、「お好み焼課」というユニークな部署があるそうです。

 

1998年に発足した「お好み焼課」は、今まで20年以上も、お好み焼きの普及、研究に特化した部署だそうです。店を開業したい人のために焼き方の研修、小学校での出前授業を開く。お好み焼き店を食べ歩いて市場調査やお好み焼きを研究して新しいレシピ作りもしているそうです。まさに、お好み焼きを作り、食べることが仕事なのです。

 

どうですか・・・こんな部署があるからこそ、広島のお好み焼きは、今でも広島人のDNAとして、組み込まれているのかもしれませんね。そして、オタフクソースは、会社の利益を考えれば、いかにオタフクソースが売れるようにするか・・・でしょうが、お好み焼き文化を守り、広げていくことが、社会的役割なのかもしれません。

 

お好み焼課は、今では、新入社員の人気部署ナンバーワンだそうです。そして、世界に向けて、お好み焼きを広げようとしています。外国人相手に、全編英語版の「お好み焼き教室」も行っているようです。新入社員研修では、海外を旅して、その土地の人にお好み焼きを知ってもらう取り組みがあるようです。

 

さぁ~そろそろ、お好み焼きが食べたくなりましたね。今日は、広島風にチャレンジしてみませんか。

2024年

4月

23日

生成AIの利用に挑戦すること

今日は、寺子屋園児は「ピクニックランチ」でした。今年度1回目ですので、年少の寺子屋3番さんにとっては、初めて、屋上にレジャーシートを敷いてのお弁当タイムです。事前に近くの公園で、家族のピクニックを経験し、お弁当箱を開けて、自分で食べる練習をした年少の男の子もいました。年長園児は慣れたもので、「ママお弁当作ってくれてありがとう!」と、ここぞとばかりに、ビデオカメラに向かって話します。ママにとっては、空っぽのお弁当箱が、一番のプレゼントですね。全員完食です。

 

さて、小中学校では、オンラインツールを使っての授業が当たり前になってきました。そこで、生成AIを使っての授業を導入したいと考える先生も多くなっています。でも、「自分の頭で考えない」といった、マイナス面への影響も気になるところです。最近起きたことでは、中学校の理科の授業で誤った情報をコピペして答えた生徒が多数出て、問題になった出来事もありました。

 

そこで、ある人のアドバイスを聞いてもらうことにします。

 

「AIツールを教育に取り入れる際は、批判的思考を育むことが重要です。まず、AIを情報のソースではなく、アイデアの発想や解決策を見つけるための補助ツールとして位置づけ、生徒が自ら考える力を伸ばすよう導くことが大切です。また、生徒がAIを使用した場合には、その情報をどのように得たかを正確に報告させ、情報の出典を批判的に評価する習慣を身につけさせましょう。授業ではAIの機能と限界を理解し、誤情報を見分ける技術やリテラシーを高める内容を取り入れることが望ましいです」

 

どうですか・・・このコメントは、皮肉なことに、生成AIに200字以内で回答してくださいと指示して、出てきた文章です。私は、「しっかり書けた模範回答」と、何の疑いもなく思いました。

 

インターネットとう言葉が、今では当たり前に使われていますが、インターネットを使うようになったのは、私が社会人になってからです。最初は、会議資料も手書きで作り、OHPという道具を使って、投影していました。PHS→携帯電話→スマホの流れも、ここ数十年の短いスパンでの出来事です。

 

生成AIを規制しよう…という流れは、現実的に不可能でしょう。ならば、生成AIを導入して、私たちは、人間として「どう扱うのがいいのか」を考えるしかないですね。生成AIが作成したアドバイスは、的を得ていますが、そんなのイヤと考えるなら、自分で考えるしかありません。

2024年

4月

22日

大人の「学び直し」

今日は、今年度初の階段レースをしました。まずは、階段を使った避難訓練からです。1階から、さらに降りた場所に非常ドアがあることを確認してから、ガチの階段レースです。年少の寺子屋3番園児は、階段を下りるのが少し怖いようで、手すりにつかまって、ゆっくりと降ります。保育園の帰りも、時々階段を利用しながら、慣れるのが一番です。

 

さて、昨日、BSNHKの「舟を編む」というドラマが最終回でした。三浦しをん原作で、2013年には、松田龍平・宮﨑あおい主演で、映画化もされたので、知っている人も多いと思います。主人公が、新しく刊行する辞書『大渡海(だいとかい)』の編集部に迎えられ、個性豊かなメンバーと辞書の世界に没頭していく姿を描いた作品です。「辞書は、言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という意味で、この書名が付いています。

 

私は、中学時代の現代国語教師の影響で、辞書で引いた言葉には、必ず傍線を引いていました。中学高校、そして社会人になっても使い続けています。今でも、辞書を引くと、たまたま傍線が引かれてあって、「いつ調べたんだろう?」と想いを巡らせます。スマホですぐに、言葉の意味が調べられる時代ですが、やっぱり、辞書を使うと、「学んだ」という気持ちになるものですね。私にとっては、辞書は「大人の学び直し」でもあります。

 

みなさんは、「ガクサン」というコミックをご存知ですか。「学習参考書」というニッチなテーマを扱った、教育者の間でも話題になった佐原実波作の作品です。舞台は、学習参考書を取り扱う出版社です。そこへ中途入社した茅野うるしが配属されます。同じ部署には、ありとあらゆる参考書を熟知している参考書オタク福山が、上司として、うるしとかかわります。

 

この作品の神髄は、単に参考書の紹介にとどまらず、福山は、勉強の仕方が分からない中学生に、参考書を使って勉強することの意義を説きます。「体系的に何かを理解していくその方法をものにしろ。そうすりゃ年を食っても勉強以外でも好きなことを何だって身につけられる人間になれる」つまり、勉強することは、学びの方法を身に付けることでもあると言うのです。

 

どの参考書を使うかだけでなく、「どのように」使うかに焦点を当てる本作は、実在する参考書が取り上げられています。

 

中学高校生は、勉強しなければ・・・とあせる中で、勉強のやりかたがわからないことが多いですね。この本では、その方法を具体的に教えてくれます。そして、私たち大人になってからの勉強は、やらされる勉強ではなく、「やりたい勉強」をすることが多いです。そんな時に、この「ガクサン」がパートナーとして役に立つのかもしれません。

2024年

4月

21日

お肉の話

保育園の子どもたちは、よく回転すしのチェーン店の名前を出します。「お寿司大好き」というよりも、サイドメニューや演出を楽しんでいるようです。日本人の魚離れは年々進んでいて、2011年には、魚の消費量が肉に抜かれてしまいました。私は、肉も魚も大好きですが、やはり肉を食べる機会が増えています。

 

今日は、全国食肉事業協同組合連合会が、子ども向けに出している「なるほど!ザ・お肉ブック」で、お肉の勉強です。あくまで、子ども向けです。

 

和牛の場合、約30キロで生まれてきます。すぐに立ち上がり、10か月で体重は約300キロにもなります。2年半かけて、しっかりとおいしい肉になるように育てられて、30か月後に約750キロになって食肉センターに出荷されます。750キロは、ざっと小学6年生18人分です。

 

家畜としては、世界で一番多いのが豚です。豚は、半年で約10匹、1年間で約20匹の子ぶたを生みます。生まれた時の体重は、わずか1.5キロですが、6か月後には約110キロになって、出荷されます。常に何かを食べているというイメージですね。

 

これよりも、もっと短いサイクルで、出荷されるのが、ニワトリです。ニワトリの卵は、約20日間温められて、ひよこになります。そのあと、わずか50日で大人になって、出荷されるのです。和牛や乳牛の「黄色のイヤリング」には、10桁の番号が書かれています。この番号は、牛肉になった時のラベルやプライスカードも書かれていて、牛が生まれたところや育ったところなどがわかるようになっています。安心・安全の取り組みですね。

 

お肉の部位も大事です。牛肉のステーキなら「サーロイン」でローストビーフなら「モモ肉」。豚肉のとんかつなら、ヒレもいいですが、ほど良い脂肪が、コクと甘さを感じる「ロース」が、私は好きですね。鶏肉は、モモ・ムネ・手羽さきなどそれぞれ特徴があります。肉の部位によって、どんな料理があうのか、我が子と楽しむのもいいですね。

 

最後に、「いただきます」と「ごちそうさま」の意味を子どもと一緒に考えてみましょう。「いただきます」には、頭の上に食べものを押し上げて「いただく」と、牛豚鳥などの命を「いただく」ことの両方の意味があります。どちらも、食べものに対して「ありがとう」の気持ちを伝える言葉です。

 

「ごちそうさま」の「ちそう」は、漢字で「馳走」と書きますが、「馳走」には「走りまわる」という意味があります。走りまわって食べ物を用意してくれた人たちに、無事にごはんを食べて命をつなげたことへの「ありがとう」の気持ちを伝える言葉なのです。

 

まだ、小さい子どもには通用する、大切な食育ですね。

2024年

4月

20日

学校は楽しくするところ

本日登園した、小学校1年生の女の子は、ふだんは、寡黙で、ペラペラとおしゃべりをするようなタイプではありませんので、「小学校はどうだい?」と聞いてみると、友だちになった3人の女の子の話をしてくれました。そして、同じ小学校には、5人の卒園児が通っているのですが、他の4人の様子も教えてくれました。みな、元気に頑張っているようです。

 

今日の女の子のように、「楽しい」と思うのはうれしいことですが、そもそも、学校は楽しいところではありません。こう言うと、えっ!?と思いますね。

 

ある教師の話です。「私が教師になって間もない頃のことです。授業がうまくできず、子どもたちとの関係もうまくいかず、学校が楽しくなくなってしまいました。そこで、先輩の先生に相談することにしました。その先輩は、しばらく私の話を黙って聞いてくださったのですが、私が話し終えると、こう言ったのです。『○○先生。学校はたのしいところじゃないんだよ。楽しくするところなんだよ』この言葉を聞いた私は、目から鱗が落ちるような思いがしました」

 

どうやら、この先生は、学校が楽しくない原因を周りに押し付けていたのです。これは、学校に限らず、私たちの職場環境でも当てはまりますね。自分が主体的に動きもしないで、上司、先輩たちや社風のせいにして、「やる気が出ないんだよ!」と言っていることなど、私にも心当たりがあります。

 

ここ数年間は、コロナへの感染防止のために、多くの学校行事が延期や中止になってしまいました。「コロナだから仕方ない」とあきらめて、「楽しくない時間」を過ごした人も多かったと思います。しかし、そんな中でも、楽しくすることができたのかもしれませんね。

 

今日の小1女子は、きっと、自分の力で学校を楽しくする行動を自然と行っているのだと思います。そして、私たち大人は、子どもが「楽しくない」と言ってきた時に、じっくりと話を聞いて、「じゃ、楽しくするにはどうすればいいか・・・考えて見ようよ」と、一緒に知恵を出すのが大切ですね。

2024年

4月

19日

1970年の大阪万博

毎年のことですが、年少園児の体操教室は、バタバタです。体操着に着替えるのが、まずは大きな壁です。うまくいきません。水筒を自分で飲むのもままならない園児もいます。先生と先輩たちの力を借りて、てんやわんやで頑張ります。体操教室本番でも、マットに寝転がって、まるで、ゲームコーナーのボールプールのごとく、はしゃいでしまいます。こうして、ハチャメチャ体操教室が始まるのです。今は、じっと辛抱の時です。(笑)

 

さて、来年2025年に行われる大阪万博は、建設が間に合わないとか、参加国が減少するとか、そもそもやる必要があるの?とか、問題が山積みですが、1970年に行われた大阪万博は、それはそれは、すごい盛り上がりでした。私も、一応、親に連れて行ってもらったのですが、子どもだったので、ほとんど覚えていません。

 

この1970年の大阪万博のコンサートで名曲が発表されました。ジローズの「戦争を知らない子供たち」です。♬戦争が終わって僕らが生まれた~戦争を知らずに僕らは育った~♪という歌ですが、ご存知ですか。

 

現在の日本の大人たちの大半は戦争を知りません。私も同じです。もちろん、子どもたちも戦争を知りません。ところが、世界中には「戦争しか知らない子どもたち」がたくさんいます。

 

奈良・薬師寺の大谷師は、こんな法話を説いています。「朝から雨が降っていると、大半の皆さんは、今日はついていないな、と考えます。しかし、空から雨ではなく弓矢や槍が降ってきたらどうします。ましてや、爆弾やミサイルが落ちてこないのは、とても幸せなことではないですか」

 

まさに、1970年の大阪万博は、日本の高度成長期と重なったことも大ブームの要因でしたが、平和の祭典という意味も大きかったと思います。ならば、2025年大阪万博も、平和を考える機会になれば、意義ある祭典となるのでしょう。

2024年

4月

18日

おじさん1人ディズニー

エンドウ豆を毎日必死になって、収穫する3人きょうだい。葉の色も豆の色も緑なので、まずは見分けることが大事です。次は、どのくらいの大きさなら収穫可能か・・・これも、経験によって、食べ頃サイズを収穫できるようになりました。給食に使用されるので、貢献度が高いのです。(笑) 

 

さて、今日は夢の国の話です。コロナ前、まだ東京ディズニーランドに年間パスポートがあった頃、何人かの「1人ディズニー」を楽しむ人を知っていました。アトラクションに乗ることよりも、パレードを楽しむ人たちで、全員女性でした。ところが、最近では、「おじさん1人ディズニー」というライフスタイルが現れたようです。もともと、他の遊園地と違って、東京ディズニーランドは、カップルやグループ、家族で行くところとう概念は当てはまりませんが、さすがに「おじさん1人」は、???ですね。

 

あるおじさんの場合は、「きっかけは十数年前に娘を初めてディズニーシーに連れて行った時です。その日は、ディズニーシーの人気キャラクター『ダッフィー』のぬいぐるみの発売日でした。並ぶのが大嫌いだったのですが、娘のために2時間半並んで買い与えると、娘はとんでもない素敵な笑顔を見せてくれたのです」これを機に、このおじさんは、シーズンごとに発売されるダッフィーシリーズのグッズを購入するために、ディズニーシーに通うようになり、はまったそうです。「あそこは夢の国というだけあって、僕のようなごりごりのおじさんがダッフィーのぬいぐるみを抱えて1人で歩いていても受け入れてもらえるんです」と語ります。

 

そもそも1人ディズニーは、ショーやパレードを見学する際は、推しのキャラクターやダンサーの近くを陣取りたい。自分の好きなアトラクションだけを楽しみたい。食事の時間や内容もすべて自分の好みで決めたい。こんな人が、一人で行くメリットを感じているのです。おじさん1人客によく見られるのが、ビールとつまみを片手に、水辺の静かなベンチでたたずむ姿だそうです。

 

どうですか・・・「おじさん1人ディズニー」を理解できましたか。誰にも邪魔されずにゆったり落ち着いて、非日常的な空間に身を浸すことができるのが、まさに至福の時間なのでしょう。東京ディズニーランドの楽しみ方は、どんどん広がっているようですね。

2024年

4月

17日

個別指導と集団指導のバランス

今日は、サマーキャンプで利用する「小川げんきプラザ」に行ってきました。5月から7月まで利用する団体が一堂に会して、げんきプラザの職員と日程がかぶる団体同士で、諸々のすり合わせをしていきます。同じテーブルに座った、埼玉県上尾市と鴻巣市の小学校の先生と話をしました。「小学校5年生の林間学校なのに、県内に1泊とは近くて、期間も短かいんじゃないですか?」と疑問を持ったのですが、コロナ禍で、1泊になってしまったそうです。親は、2泊がいい派と、費用が抑えられるので1泊でいい派に分かれるそうです。小5林間学校の1泊2日の行程は、初日は、野外活動→プラネタリウム→キャンプファイヤー。2日目は、山登り→野外炊飯でカレーライスを食べて帰る。といった内容です。う~ん・・・やっぱり、2泊はしたいですね。

 

そんなことで、今日は小学校の先生たちと話をしたので、新任の先生の話をします。新年度、ホワイトきゃんばすの卒園児では、3年と4年で1クラスずつ、大学を卒業したばかりの新任教師が担任となりました。先日、授業参観があったようですが、保護者を前にガチガチだったそうです。そりゃ、そうですね。そんな、新任教師の悩み事第1位は、「40人近い子どもたちの個性やニーズに適切に対応できるか?個々の児童の対応と集団指導のバランスをとるのが難しい」だそうです。解決策は、「木を見て森も見る」です。言うのは簡単ですが、これは、私には絶対にできません。(笑)

 

やり方としては、「個と個の関係から全体を見る」です。実際の森の手入れでは、1本の木よりも、複数の木の枝と枝とがぶつかり合っている箇所に目を配ります。同じように「ひと・モノ・事」が混じり合うような関係にフォーカスすると、一人一人の個性が際立つのです。次は、「全体から個を見る」です。運動会や林間学校といった全員が参加したり、宿泊が伴った行事では、普段目につかない一人一人の特性や人間関係などがあらわになります。

 

最後は、様々な視点から見ることです。森の木を観察しようと思ったら、全体を見渡す「鳥の目」、間近から詳細に見る「虫の目」などです。教師が子どもを見る時も、友だちや保護者の目線になったり、授業中と休み時間と分けて見るなどです。

 

これは、小学校の先生に限らず、ある程度の人数を部下に持つ、民間企業の課長さんや部長さんだって同じです。昭和の昔なら、全員に同じことを言って、同じことをさせて、それで、生産性も上がったのでしょうが、令和では、通用しません。やっぱり、難しいですね。

2024年

4月

16日

あえてよかった

屋上遊びが、アクティブになってきました。虫あみを持って、クマバチとモンシロチョウを追いかける子どもたち。そして、エンドウ豆がどんどん収穫できるので、子どもたちも豆を探して頑張ります。寺子屋の時間は、紙コップに屋上で咲いている花を集めて、ママへプレゼントです。菜の花の黄色・大根の白・ムスカリの紫・・・そして、野草もチョイスされました。素敵な贈り物です。

 

今日は、学童が舞台の小説「あえてよかった」を紹介します。主人公は、妻にガンで先立たれ、自暴自棄になった58歳の男です。私より、少しだけ年下のおじさんです。彼には子どもがなかったのですが、亡き妻から「子どもを育てる」を実践してほしいと頼まれるのです。そこで、働き始めたのが、学童保育所です。子育てをしたことがなかったおじさんが、令和の子どもたちと想定外のやりとりに巻き込まれる物語です。

 

ストーリーは、とても現実的です。親の離婚や発達障害、愛着障害、不登校など、子どもたちのさまざまな悩みや心の傷、ピュアな思いに触れていく中で、主人公のおじさんにも大きな変化があらわれるのです。心に残る一節を紹介します。

 

「僕が感じる今と、この子たちが感じる今とは、全く異質な経験なのだろう」

「子どもたちからは、望むような反応が返ってこない」

「学校教育という名の斧で翼は折られても、子どもたちはこの妙ちくりんな社会と、必死に格闘しながら生き抜こうとする」

「泣いても、わめいても、のたうち回っても、変えられないものってある」

「未完成な子どもたちのために、不完全な僕たち大人たちが、笑いながら、泣きながら一緒に成長していく」

「生きていく理由は、どこにでもあると、彼らの声、彼女たちの笑顔が教えてくれる」

 

どうですか・・・私は同業ですので、これらの言葉が、ビシビシ心に刺さります。

 

作者の「村上しいこ」さんは、童話作家ですが、彼女の人生は、壮絶です。子どもの頃、継母からずっと虐待を受けていました。暴力によるものはもちろん、言葉や嫌がらも。木の棒で殴られて頭に傷を負い、教室にいる時も、頭から赤い汁が流れます。クラスメイトからは気味悪がられ、みんなは逃げ、そしていじめられました。そして、村上さんは、ある日、親に懇願するのです。「殺してくれ」と。しかし、「おまえは家族の奴隷だ。殺すわけにはいかない」と言われるのです。童話作家になり、全国で公演を続ける日々を送る村上さんは、「私は生きていて、死ななくてよかった」と多くの人に語ります。

 

「あえてよかった」の小説の中の子どもたちは、課題を課題と認識することができないでいます。学童保育所の大人たちは、課題と認識しながらも、解決することができないでいます。どの学校の教師たちも、課題解決学習やプロジェクト学習などを通じて、子どもたちと関わっています。そして、子どもと一緒に成長しているのです。

 

最後に、亡くなった主人公の妻が、自分たちの子どもができた時に、読ませるつもりだった絵本が見つかるのです。それが、なんとも素敵なストーリーなのです。

2024年

4月

15日

子どもの我欲

今日の屋上遊びは快適です。クマバチを追いかけ、菜の花のまわりを飛ぶモンシロチョウを捕まえて、ざるいっぱいのエンドウ豆を収穫しました。園長が、クサガメのおうちを掃除していると、子どもたちが集まってきます。ここには、一昨年の夏に生まれた、体長5センチ超の子ガメたちが住んでいます。この冬、初めての「冬眠」を経験しました。12匹をたらいに入れて観察します。2歳女の子が、勇気を出してクサガメをクサガメを持ち上げました。どや顔です。(笑)あたたかくなってきて、カメたちもよくエサを食べています。 

 

さて、子どもの我欲は無邪気で純粋なもので、それ自体が大きなエネルギーになっています。保育園でのチビちゃんたちの「おもちゃの取り合い」トラブルも、「自分が遊びたい!」とう気持ちが大きいからですね。子ども同士の我欲のぶつかり合いは、日常茶飯事ですが、年長になった園児たちについては、「俺が俺が・・」「私が私が・・」という我欲のぶつかり合いを少しコントロールできるように指導しています。

 

戦国時代の上杉謙信の「心に欲なき時は義理を行う」という言葉を引用させてもらいます。「心に欲なき時」とは無欲であること、「義理を行う」とは、正しい道理を守り、実践することです。

 

人は、欲の塊ともいわれます。「あれも欲しい、これも欲しい」「あれもしたい、これもしたい」と、自分の欲求を挙げればきりがありませんね。しかし、この欲求が強すぎると、本当に大切にしなければならないことを見失ってしまうことがあります。

 

保育園での遊びを見ると、ケンカは成長につながる大切な行為ではありますが、普段は仲よく遊びたいものです。子どもたちは、自分の欲求を少しでも抑え、順番を守るとか、相手に譲るとかをしていけば、楽しい遊びになることを学んでいきます。

 

もう一つ、上杉謙信の言葉に「心に堪忍ある時は事を調う」があります。「心に堪忍ある時」とは我慢すること。「事を調う」とは、物事が成就するということです。大人でも、当てはまることですが、何かをうまくやり遂げたいと思ったら、時には我慢も必要だということです。

 

「○○が欲しい」とか「○○したい」とう自分の欲求を持つことは、子どもたちが生きる上で、とても大切なことです。その欲求をうまく調整しながら、友だちとの関係を上手にできれば、成長といえるのです。

 

この力は、まさに、「非認知能力」です。友だちとのかかわりの中で育ちます。異年齢保育だと、年上のお手本がいるので、我欲をコントロールする力は、少しは早く身に付けられるのです。

2024年

4月

14日

きょうはおやすみします

昨日登園した卒園児は、3年生~5年生の4人でしたが、新しいクラスの仲間と担任について、今は、様子見といった感じです。この4人は、今まで、不登校になったことはありませんが、保育園ホワイトきゃんばすの卒園児には、不登校経験者もいます。保護者から相談されることもありましたが、「こうすればいい」という効果的な解決策は、簡単には見つかりません。

 

新1年生の11人は、校内のオリエンテーション中で、まだ授業も始まっておらず、「学校がいやになった」という声は、一人も聞いていません。入学にあたって、「学校は楽しいところだよ!」とさんざん話をしてきましたが、新1年生にとっては、やはり「百聞は一見に如かず」で、自分たちの目で、どのように小学校が映っているか・・・気になるところです。

 

今日は、「きょうはおやすみします」という、小学校低学年向きの絵本を紹介します。

 

主人公はコトブキ小学校のてんこちゃん。緊張したり、不安になったりすると頭の中に「どうしようオバケ」が現れます。ある日、てんこちゃんは熱が出て学校を休みました。でも熱があると分かる前から、学校に行きたくないと思っていました。それから、しばらくたったある朝、また「学校に行きたくない」という気持ちになり、勇気を出して両親に言うと、2人とも学校に行きたくないときがあったよ、と思いがけないことを言われます。ある時、授業でみんなと話をしていると、他の子たちも学校に行きたくない日があるという話になり、自分だけではないことに、てんこちゃんはホッとするのです。

 

てんこちゃんの両親や、友だち、担任が「学校に行きなさい」と強要することなく、寄り添う話です。

 

子どもが不登校になった時に、「何が原因で行きたくないのか」という、明確な理由がないことの方が多いのかもしれません。「なんとなく行きたくない」「体が動かなくなる」のです。

 

この絵本に出てくる「どうしようオバケ」は、てんこちゃんがよりよい展開を求めるための葛藤なのです。だから、ここは、まわりがとやかく答えを押し付けるのではなく、てんこちゃんが、自分で考えて、悩んで答えを出せるように、まわりは、寄り添っていることが正解なのです。

 

小学校生活6年間には、いいことがたくさんあるでしょうが、辛くて苦しいこともあります。学校に行きたくないと思うこともあるでしょう。そんな時に、この本を読むと、心が少しは軽くなるのかもしれませんね。

2024年

4月

13日

集団登校がなくなる?!

屋上に、春の便り「クマバチ」が飛んでいました。黒くて大きくて、ヘリコプターのようにブーンブーンと不気味に羽を振動させます。虫あみを持って、捕まえようとする園児と、怖くて逃げる園児に分かれます。今日は、4匹のクマバチが確保され、飼育ケースで観察です。もちろん、最後は、大空へ逃がします。屋上を飛ぶクマバチは、すべてオスですので、刺されることはありません。クマバチを追いかける子どもたちは、野生児そのものです。(笑)

 

さて、小学校で当たり前に行われている「集団登校」ですが、登校班を決めている人は誰か知っていますか。全国のほとんどの小学校では、3月中に、新1年生も含めて、PTAの地区担当が作っています。学校の先生が作るのではありません。私もPTAをやっていましたが、この作業には、本当に頭が下がります。

 

ところが、登校班では、必ずトラブルが発生します。休みの連絡がなかったり、集合時間に遅れて同じ班の児童に迷惑をかけるなどです。コロナ禍で、集団登校をしなくなった学校で、そのまま個別登校を継続する小学校が増えているそうです。

 

ある小学校で、保護者へアンケートを行ったところ、個別登校の賛成が集団登校を大きく上回る結果となったそうです。その理由は、「子どもや各家庭のペースで登校できる」「家から直接学校に行った方が早い」「個人情報が適切に扱われる」「下校はもともと個別」「個別登校でも問題はない」「一般歩行や自転車の通行を妨げている」「高学年の歩く速度に低学年がついて行けずに、信号歩行が危ない」「見守りする保護者の負担が大きい」「子どもの自分で考える力が育たない」などの理由が指摘されました。

 

しかし、新1年生の保護者からは、集団登校に賛成する意見があがります。「安心感がある」「心強い」「他学年の子と交流が持てる」「不審者対策になる」「遅刻予防になる」などの理由です。

 

私が小学校時代の昭和の頃から、たぶん50年以上は、「集団登校」の習慣が、日本全国で行われてきました。ところが、時代の流れの中で、個別登校を取り入れる小学校が増えているようです。

 

保育園ホワイトきゃんばすの卒園児ママの話を聞くと、事前に班長さんの家に挨拶に行ったりと、交流を持つなどして、「集団登校」は有効に機能しています。本日登園した4人の小学生に聞くと、「やっぱりみんなで登校したい」が2人で、「自由に登校できる方がいい」が2人と、完全に意見は分かれました。

 

う~ん。「集団登校」派も「個別登校」派も、それぞれの言い分はわかりますね。間違いないのは、保護者の生活が昔とは変わり、共働きで忙しいことです。そんな中で、個別登校を望む声が増しているのが現実のようです。集団登校という慣習さえも、「全員一律の扱いのあつれき」が生まれようとは・・・少し悲しい気持ちにはなりますね。

2024年

4月

12日

名物店員がいるスーパーマーケット

今日は、「こいのぼり」を制作しました。今年は、牛乳パックを使用した立体的なこいのぼりを作ります。何回かに分けて、来週末くらいまでに完成させたいですね。寺子屋園児は、毎週水曜日が廃材工作の時間ですので、集中力を見せています。完成作品が楽しみです。

 

さて、あなたが買い物に行くスーパーマーケットには、名物店員がいますか。保育園ホワイトきゃんばすが入る、ショッピングセンターの焼きたてパン売場には、笑顔が素敵な店員さんがいます。いつもニコニコしながら、焼き立てのパンを運んでいます。もう60歳は超えている年齢かと思われますが、その笑顔を見ると、ついつい買いたくなってしまいます。

 

お彼岸を迎えた3月中旬、山梨県北杜市のスーパー「ひまわり市場」では、マイクを持つ店員が、「このおはぎは、どんなに我々がお願いしても、お彼岸以外には作ってくれません。正直言って、1年中食べたくなるおいしさです」と話します。マイクを握るのは社長だそうです。マイクパフォーマンスは、裏話を交えたユニークなおしゃべりへと続きます。「おはぎを作ってもらっている和菓子屋さんに、『一年中売ったら売上が間違いなくアップしますよ』と言ったら、『一年中売ったら、日本の季節感がなくなってしまうよ。ばかなことを言ってるんじゃないよ』って言われてしまいました」何だか、想像するだけで楽しそうですね。

 

最初、このスーパーは、活気が感じられず、お客様へのあいさつ強化からスタートさせます。社長の方針に従わない従業員に代わって、一芸を持つ人たちが新たに入社してきたそうです。ソムリエの資格を持つ従業員や元パティシエが、バイヤーとして活躍するようになり、このスーパーでは、「従業員が店の売り」になっていったのです。

 

佐賀県伊万里市のスーパー「ファインズたけだ」では、緑色のエプロンにサングラスをかけた副社長が、ダンスをしながらアジフライや野菜コロッケをアピールします。これが、SNSにアップされると大きな反響を呼び、全国からお客様が訪れるようになったそうです。「スーパーは『食の安全』を売る場所。売る人の顔が見えれば、信頼につながる」と副社長は効果を語ります。

 

売上アップには、様々な手法がありますね。「笑顔で元気に挨拶する店員」「商品の価格が安い」「いつも新鮮な品揃え」「総菜が抜群においしい」「日替わり、時間別の限定品がある」「いわく・いんねん・こじ・らいれきなどのうんちくがある」「商品の陳列がわかりやすい」・・・もう挙げれば、キリがありませんし、1つの答えがないので、各スーパーマーケットは必死になって、付加価値をあげることに知恵を絞っているのです。

 

言いつくされたことばですが、お客様は「モノ」を買うのですが、「コト」があれば、さらに購買につながります。冒頭のマイクパフォーマンスなどは、となりの店でも「おはぎ」は買えますが、マイクパフォーマンスという「コト」を楽しみに、店に足を運ぶのです。

 

ここ数年、食品の値上げラッシュで、「いかに安く商品を購入するか・・・」がテーマのテレビ報道が増えていますが、価格訴求ではない、楽しい「コト」があるお店で買い物をするのは、幸せな気持ちになりますね。そんな店・・・探してみませんか。

2024年

4月

11日

リモート時代の残念な言葉

今日は、待ちに待った「お花見」です。ここ何年かは、3月中には花見を終えていましたが、今年は、4月半ば近くとなりました。満開から桜吹雪となり、5歳女の子が「桜の雨が降っているよ~」と明言を残してくれました。桜の花びらを集めて、空へ舞い投げる子どもたち。境内でかくれんぼや鬼ごっこを楽しみ、最高のお花見となりました。

 

さて、私のような昭和世代にグッと刺さったドラマ「不適切にもほどがある」の影響もあって、「昭和」「平成」「令和」のいい所を探すような流れになってきました。しかし、昭和と令和の大きな違いは、仕事の多くが、リモートで行われるようになったことです。フェイスtoフェイスでの有効な言葉がけと、リモートでの有効な文字での言葉がけは、どうやら違うようです。対面では、身ぶり手ぶりで「ブワットやって、シュッとやって、バーンとやったらいける」という、長嶋茂雄流の指示で大丈夫ですが、リモートでは、通用しません。

 

リモート時代の残念な言葉をいくつか挙げてみます。NGワードです。

 

「君の気持ちはよくわかるよ」これなど、思わず言いたくなる言葉ですね。そもそも、何もかも違う相手の気持ちなど、簡単にわかるものではありません。さらに、離れた場所でリモートワークをしていることもあるので、それを聞いた部下は、自分がどんなことに悩み、苦しんでいるのか分りもしないくせに「何見て言ってるんですか?」という気持ちになりますね。

 

「君はどうしたいの?」という、「自由にやらせる」タイプの指示出しは、上司の高度なマネジメント能力が問われます。「自分で決めるよりも指示に従った方が楽」と考える部下もいるからです。部下のタイプや価値観の違いを理解して、文字で指示を出すのは、かなり大変です。

 

「それ、前にも言ったよね」これは、保育園の園児に対しても、言ってはいけないNGワードです。前に言われたことを覚えていれば、同じ質問はしないのに、ついつい言ってしまう言葉ですね。園児に対しては、まったく意味がありません。子どもは、すぐに忘れる動物ですので、何度も根気よく、同じ言葉を繰り返さないといけません。

 

私のような、昭和世代は、リモートだけでなく、対面でも、相手への言葉がけには、常に「アップデート」を心がけないといけません。必ずいえることは、人間関係に絶対的に効く「魔法の言葉」は無いことです。相手を想い、相手の強みを引き出せるように、心を響かせる言葉が大事です。これが、なかなか難しいですが。

2024年

4月

10日

企業が模索するコミュニケーション

今日は晴れました。昨日は雨で屋上遊びができなかったので、気合いが入る子どもたちです。菜の花を摘み、エンドウ豆を収穫し、カメにエサをあげます。自転車で暴走する子どもたちに、料理ごっこで創作料理にチャレンジです。ムスカリの花がトッピングされています。そして、モンシロチョウが、小松菜畑を舞っています。近いうちに、はらぺこあおむしが見られそうです。 

 

さて、この4月から、様々な組織で新年度がスタートしましたが、今日は、会社でのコミュニケーションの話です。毎日出社し、直接顔を合わせてミーティング。作業の合間や休憩中にも雑談し、ときには皆と飲みに行く・・・そんな社内コミュニケーションの姿は、コロナ禍をまたいだこの4年間で大きく変容しました。オンラインでの打ち合わせが当たり前になり、今でもリモート体制を継続する企業も少なくありません。「同じ部署の同僚と、ほとんどリアルで顔を合わせたことがない」という話も珍しくないようです。

 

日本生命が昨年10月に、約1万人を対象に行ったアンケートでは、「今年度、職場の方との『飲みニケーション』はありましたか?」の問いに、66%が「なかった」「あまりなかった」と回答しました。コロナ禍前の2019年末の忘年会または、20年初の新年会を実施した企業2760社のうち、1039社が2023年末の忘年会や2024年初の新年会を実施しないと回答しました。4割近い企業が、コロナ禍前には開催していた忘年会・新年会をとりやめたことになります。

 

まじめな担当者は、「恥ずかしい話ですが、忘年会が単に『お酒を飲んで楽しむ場』になっていて、何のためにやるのか、どんな場にするのかを十分に議論できていなかった。コロナによって、不要論を聞くようになりましたが、それは飲み会そのものが悪いというよりも、うちの忘年会が昔からなくても困らない会だったのだと思います」

 

いやいや、クソまじめすぎますね。飲み会なんて、そもそも酒の力を借りて、普段言えないようなことを語り合って、親睦を深めるものだと私は思っています。先日、18年ぶりに復活した、NHKの「新プロジェクトX」の初回放映は「東京スカイツリー」でした。中心の3角形の柱を3社で競合させ、組み立てる取り組みで、最初はいがみ合っていた3社が、「お花見」の飲み会をきっかけに、同じ目標に向かって、協力する関係に変わったのです。まさに、『飲みニケーション』の力がそうさせたのです。20年前の出来事ですが、令和の今でも、十分に通用することだと私は思っています。

 

ある会社のトップの話です。「我が社は、ものづくりの企業として、人と人との対話の中からアイデアを生み出していくことを大切にしてきた。公式、非公式のあらゆる集まりが、タテ・ヨコ・ナナメのコミュニケーションを生み、それが企業文化として生かされてきた。コロナ禍を経て、オンラインを取り入れるなどの変化もあったが、顔を合わせる場は以前と同じように大切にしている」

 

『飲みニケーション』のように、昔から変わらないコミュニケーションの取り方もありますが、コミュニケーションの取り方も多様化しています。飲み会のような場に少し身構える若手社員は、コロナ禍を経て増えたことは間違いありません。しかし、決してコミュニケーションをとること自体が嫌いなわけではなく、それぞれのスタイルがあるのです。

 

コミュニケーションの取り方は、相手があることなので、独りよがりではいけません。相手のことを考えて・・・と、ますます難しくなってきました。でも、コミュニケーションなくして、仕事は成り立ちません。自分のやり方と相手を考える力量が問われますね。

2024年

4月

09日

すぐにやる!

 朝からの雨です。新人寺子屋さんもいるので、ミニ体操教室をおこないました。マットやとび箱を出して、体を動かします。「寺子屋1番集合」「寺子屋2番集合」は、きちんと整列ができますが、「寺子屋3番集合」と言っても、動きません。集合の意味がわからないからです。「3番さん集まってください」で、ようやくもじもじ動き出します。最初は、みなこんなものですが、根気よく教えていきます。 

 

さて、今日は、戦国武将、伊達政宗の言葉から。「時を移さずに行うのが勇将の本望である。早く出立せよ」つまり、まごまごしていると、チャンスを失ってしまう。早く行くぞ!ということです。人は、つい物事を先延ばしにしがちです。「明日やろう」「明後日やろう」と言って、いつまでも終わらなくなってしまいます。

 

昨日から小中学校が始まりましたが、夏休みの宿題を後回しにして、「宿題が終わらない、どうしよう。2学期が始まってしまう」と焦るシーンは、よくあることですね。やるべきことはすぐにやる。やろうと思ったときにすぐに取り掛かる。そうすれば、うまくいくことがたくさんあります。夏休みの宿題も、最初にやってしまえば、残りの時間を有意義に過ごせるのです。伊達政宗は、戦のタイミングを逃さず、すぐに行動することで勝利を収めてきました。早い決断と迅速な行動の結果です。

 

昨日入学式を迎えた11名の卒園児も、「すぐにやる!」が小学校生活で実践できれば、と思うのですが、これが、なかなか難しいのです。大人の私たちも同じですね。「やらないといけないことは分かっているんだけど・・・」なかなか実行に移せません。(笑)

 

「すぐにやる!」には、どうすればいのか。うまくいっている人なら、それぞれ、やり方があるのでしょうが、1つは、「見通しを持って計画的に取り組む」ことです。

 

小学生あるあるですが、問題集を前にして、やる気満々となった時に、1日で何十ページも取り組んでしまいます。そうすると、翌日以降、同じペースで進まないことが多いです。「この問題集1冊を1週間で終わらせる」という計画を立てることができれば、毎日コツコツと取り組むことができます。

 

また、普段から準備を怠らないことも大切です。伊達政宗は、何も考えずに猪突猛進したのではありません。普段から兵馬を整え、訓練し、いつでも勝てる状態を保っていたからこそ、すぐに行動ができ、勝利したのです。

 

新年度スタートにあたり、「すぐにやる!」コツを話しましたが、そんな簡単にできれば苦労はないよ・・・とうママパパたちの声が聞こえてきそうですね。しょうがない、大人の私たちも、自分のことや我が子のことは、自分で考えるしかないようです。(笑)

2024年

4月

08日

入学式

今日は、さいたま市内の公立小中学校の入学式です。保育園ホワイトきゃんばすの卒園児は、中学1年生7人、小学1年生11人が、本日入学式を迎えました。本当に、おめでたいですね。そして、先日卒園式を行ったばかりの小学生11名全員が、今日の夕方、保育園にランドセルを背負って、やってきました。

 

真新しいランドセルが、11個並び、在園児も大興奮です。「○○ちゃ~ん!」「○○く~ん!」と、新小学1年生を囲みます。保護者の皆様も、全員集合です。新1年生は、○組になったよ!」「○○ちゃんと一緒のクラスになった!」「先生の名前は、○○先生で、女の先生だったよ」と話がはずみます。ランドセルをじっくりと見せてもらいました。男の子は黒で、女の子は赤という、二者択一の昭和の時代を考えると、まさにランドセルも多様化の時代です。個性が光ります。

 

今日は、「小学校は楽しいところだった。明日からわくわくする!友だちできたよ!」というプラスの言葉でいっぱいです。でも、辛く苦しいことが必ずやってきます。この時に、保育園は、いつでも頼れる居場所でありたいですね。

 

さて、今日は、入学式とうことで、コロナ前、5年前の東京大学の入学式で、伝説の14分のスピーチと語られる、上野千鶴子さんの祝辞を抜粋して紹介します。

 

上野さんは、社会学者としての問題意識を学生たちに、分かりやすく伝えたのです。

 

「強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください」「強者はずっと強者のままではいられない。強者もかつては弱者だったし、いずれは再び弱者になります。だとしたら、わたしたちがほしい社会は、弱者になった時に『助けて』といえる社会、『助けて』といったときに、助けてもらえる社会です」

 

「イノベーションを起こしてきた人たちは、世間からたたかれ、非難され傷ついて、それでも諦めずにきた経験を持ちます。でも、そうだから『自分も頑張った、あなたも強くなれ』ということではありません。世の中にはがんばろうにもがんばれない人がいる。がんばりすぎて心と体を壊した人がいる。そこを自己責任とか弱さとか言わずに、『助けて』が言える社会をつくってほしい」

 

まだまだ、上野さんのスピーチは続くのですが、学生の一人は「これって、祝辞なの?」とつぶやいたそうです。上野さんは、社会が抱える課題を的確な言葉で論じることを祝辞としたのです。

 

コロナ禍が終わり、新たな日常の中で生活する若者へは、どんなメッセージがふさわしでしょうか。少なくとも、『助けて』と言っていいんだよ。は、変わりませんね。

2024年

4月

07日

海洋散骨

今日は、母の七回忌です。母が亡くなって6年が経ちました。亡くなった日を1年目とカウントするので、七回忌は6年後となります。ちなみに、2年後は三回忌、12年後は十三回忌というわけです。

 

母が亡くなって2年後に、父も亡くなるのですが、二人ともに自宅の布団の上で、家族と医者に見守られ、安らかに眠るように亡くなりました。残された家族は、最期も感謝の気持ちになったものです。

 

さて、そんな父も母も、ごく普通に「お墓」に眠っています。いずれ私もこの墓に入るのですが、最近は供養のスタイルが多様化してきました。父母が眠る墓苑から「樹木葬を始めます。後継者のことなどを考えて、樹木葬を考える予定はありますか?」というアンケートがありました。今日は、供養の多様化の中で、「海洋散骨」の話です。

 

海洋散骨は、故人の遺骨を粉状にして海にまき、自然に返すという考え方です。東京湾で年間150便ほど運航をするハウスボートクラブ船長の髙村さんは、「ご遺族が故人様を十分にしのび、最後は晴れやかな気持ちになってもらえるよう、安全に心を込めて操船することが私の役割です」と語ります。

 

厚生労働省のガイドラインでは、海洋散骨は「海岸から一定の距離以上離れた海域」で散骨する必要があり、羽田空港第2ターミナルの沖合で見送られます。髙村さんはこれまでたくさんの遺族の弔いを見てきたそうですが、「ずっと雨だったのに、散骨の時だけ晴れたり、海の上なのに突然チョウが飛んできたり。不思議だけど、故人の旅立ちに花を添えてくれているかのように感じます」と言います。

 

私も、父の遺体が自宅から運ばれるときに、2羽のチョウが、垂直に天に昇っていく姿を見ました。母が父を伴って天国に向かったと、今でも思っています。

 

髙村さんは、全国各地の漁船事業者などに、海洋散骨への協力を依頼し、現在国内では80を超える場所からの出航が可能になったそうです。

 

故人と残された家族の思いが、今後の供養のスタイルを決めていくのでしょうが、この世界でも多様化が進むのかもしれません。どんな形であれ、「安心して、故人を想う供養ができて良かった」と言われるのが、一番いいですね。

2024年

4月

06日

救急車が「有料」に?

今日の課外授業は、小学生を連れて「お花見」です。さいたま市西区では、たぶん最大の桜が1000本ある、「花の丘公園」に行ってきました。ソメイヨシノは、木によって、7分から満開とばらつきがあります。見ごたえがあったのは、ピンクの花をつけた「しだれ桜」です。子どもたちは、桜よりも、ビオトープのコイやカモに興奮です。金色の錦鯉は、かつでブームとなった「人面魚」でした。

 

さて、突然ですが、あなたは、負傷者として救急車で運ばれたことがありますか。はい。私はあります。まだ20代の頃です。ドライアイスを「これでもか!」というくらい入れて、アイスを運んでいました。冷房をガンガンかけていたので、窓は締め切ったままです。走り始めて、数十分で、私は気を失い、路肩に駐車していた2トン車とタクシーに激突したのです。通行人が、救急車を呼んでくれなければ、私は、ドライアイスの一酸化中毒で、あの世行きです。長女はまだ4か月でした。いまだに、私の命の恩人は、わからないままです。

 

そんな救急車ですが、三重県松坂市内の3病院が6月から、入院不要の救急搬送者に対して、7700円を徴収することになりました。どうですか・・・「ついに救急車が有料に?」という流れになってきました。ご存じの通り、救急車にかかる費用は、私たちの税金でまかなわれています。有料化の理由は、不適切にもほどがある救急車の「コンビニ利用者」を減らすためです。

 

2022年には、救急車による出動回数は過去最高を記録し、全国で700万件を超えました。うち半数は、入院不要の軽症者だったのです。よくテレビなどで報道されるウソのような本当の話として、「顔のほてりを訴えて呼ぶ常習犯」「酩酊して動けなくて呼ぶ人」「搬送希望ではないけど、血圧などを測って欲しくて呼ぶ方」など、挙げればきりがないほど、緊急事態からほど遠い人が、救急車を使用している実態があります。これが理由で、救急車がすぐに出動できず、「助かるはずの命が助からない」という危機に直面することもあります。

 

また、医療従事者の多くは、「搬送だけでなく酸素投与や必要な時には蘇生処置までやってくれる救急車が無料なのはおかしい」と思っています。ここは、日本の救急システムの素晴らしいところですね。

 

今回の有料化への対応は、おおむね、賛成する人が多いのでしょう。しかし、「命」を預かる内容ですので、「救急車を呼ぶのをためらい、重症化につながってしまう」ことが気がかりですね。特に、子どもは「静かに悪くなる」ことが多いです。熱性けいれんで、けいれんが、治まっているように見えても、続いていることも多いです。発熱だけで、救急車を呼ぶ人もあるので、難しいところではありますね。

 

救急車を有料化することと同時に、「どんな状況なら救急車を呼ぶべきか」を啓もうする活動も必要です。松坂市の取り組みが、6月からスタートして、全国にどのような形で広がっていくのか、注目ですね。

2024年

4月

05日

新小学1年生不安ですか?

平日の春休みなので、4月1日の月曜日から今日まで、延べ21人の卒園児の小学生が学童で登園しました。今日は、新1年生を前に、5年から3年までの先輩小学生が、「小学校ではこんな楽しいことがあるよ」をインタビュー形式で話してもらいました。「授業がたくさんあるので、必ず好きなことが見つかるよ」「4年生になるとクラブ活動というのがあって、スポーツのクラブや科学クラブ、マンガクラブもあるんだよ」「休み時間にはドッジボールをしているよ」などなど、新1年生の不安を吹き飛ばしてくれました。

 

いよいよ、4月8日は、小学校の入学式です。初めて我が子が小学生になる家庭にとっては、親も子も、大きな生活の変化に不安になりますね。

 

文具大手「コクヨ」が、2月に、保育園・幼稚園の年中から小学生の子を持つ親260人に「入学で不安なこと・不安だったこと」(複数回答)を聞いた調査では、「安全に登下校できるか」(69%)が最も多く、次いで「友だちができるか」(61%)、「授業についていけるか」(54%)などが多かったそうです。

 

保育園ホワイトきゃんばすから、今まで多くの卒園児が旅立っていきましたが、子どもの不安以上に、親の不安が大きくなります。働くママが当たり前の環境ですので、学童が終わって、18時頃に帰宅して、21時に就寝するまで3時間あります。親は時間的余裕がなくなると、ついつい口うるさくなりがちです。この3時間に食事や入浴が含まれているので、学校での出来事など、親子の会話の時間を大切にしたいものです。

 

ただし、コツがあります。子どもが不安な気持ちを口にしたときは、質問をしたり助言をしたりせずに、聞き役に徹するのがミソです。大人でも同じですが、ネガティブな気持ちは、人に話して共感してもらうと小さくなる傾向があります。「それは大変だったね」など、声をかけながら聞いてあげることが大切です。

 

私が営業マン時代の「クレーム対応」の鉄則は、「お客様の話を最後まで聴くこと」です。途中で言葉を挟むのは、「不愉快な気持ちにさせてしまって申し訳ございません」という謝罪だけです。下手な言い訳は、クレームを拡大させるからです。

 

私は、保護者によく「担任の先生を巻き込むように!」とアドバイスします。保育園では、毎日の送り迎えで、先生と親は顔を合わせることができましたが、小学校では、担任と顔を合わせるのは、授業参観や行事の時だけです。でも、いきなり電話をして「会って話がしたい」とは、なかなか言えないですね。そこで、効果的なのが、連絡帳などに、「先生に○○とほめられてうれしかったと言っていました」「今、苦手な漢字を練習しています」などとコメントを添える。連絡帳がなければ、担任が必ず目を通す宿題や提出物に付箋を貼るなどして、一言書き添えるのもいいですね。もちろん、友だち同士のトラブルなど、重要なことは、個別に時間をとり、対面で話をします。

 

小学校生活6年間で、我が子が、何もトラブルがないことなど、100%ありません。ゆえに、事前にあれこれ心配しても始まりません。トラブルが起きてから手を打てばいいのです。子どもには、「小学校では楽しいことがたくさんあるよ。楽しいことを探してきなさい!帰ったら教えてね!」と、親は、笑顔で元気に見送るのが、一番です。

2024年

4月

04日

暗殺教室

屋上には、ススキがあります。ご存じのように、土の中で根を張って、どんどん増えていきます。そんな、ススキが勢力を増して手が付けられなくなった花壇に、一輪の赤いチューリップが咲いていました。ど根性チューリップと言われるようなたくましさではなく、けなげに咲いているのです。感動のチーリップです。

 

さて、今日は「暗殺教室」の話です。テレビアニメにもなり、実写で映画化もされたので、知っている人も多いかと思います。

 

中学校の3年E組に、月の7割を破壊し、マッハ20で空間を移動することができる謎の危険生物が「担任」としてやってきます。「来年の3月に地球を爆破する」と宣言するこの生命体に対し、E組の生徒たちは防衛省より任務として「暗殺」が依頼されます。「殺(ころ)せんせー」と名付けられたこの生命体の暗殺報酬は100億円です。

 

どうですか・・・学園モノSFサスペンスといった感じですね。しかし、この作品は、多様化する価値観が前提となる社会において、教師としてのあるべき理想像を考える、つまり、「良い教師」とは何かを考えさせられる内容になっているのです。

 

3年E組は、学校の理事長が「合理的な教育」を実現するために、あえて見せしめのように設置した「脱落組」のクラスです。E組の生徒たちは、上位級の生徒たちの優越感を高めるため、ことあるごとにおとしめられます。

 

しかし、「どの川にすんだか」ではなく、「すんだ川でどう泳いだか」を重視する殺せんせーは、与えられた条件の中で何ができるのか、どんな可能性があるのかを生徒たちに考えさせ、主体性を育もうとするのです。こうして、先生と生徒たちは、勉強にも手を抜かず、さまざまな学校行事や事件を乗り越えながら、絆を深めていくのです。

 

「テストは良い。一夜漬けで得た知識など大人になったらほとんど忘れてしまうだろう。それでもいい。同じルールの中で力を磨き脳みそを広げ結果を競う。その結果から得る経験こそ宝物だ」「理不尽な事が世の中にあるのは当たり前。それを恨んだり諦めている暇があったら・・・、楽しんで理不尽と戦おう。「先生が日々成長せずして、生徒に教えることができるでしょうか」「正面から立ち向かわなくていい。避難しても隠れてもいい、反則でなければ奇襲もしていい。常識はずれの武器を使ってもいい」

 

こんな名言で、殺せんせーは、生徒が目標に向かって知恵を絞り努力する楽しさを教えるのです。教師とは、こんなにも魅力的な職業であることを教えてくれる作品です。

 

本編の最終回は、壮絶なSFサスペンスですが、3年E組の生徒たちの未来が描かれています。希望に満ちあふれた結末です。

2024年

4月

03日

変わる高校入試

今日は、屋上遊びが始まって20分・・・天気予報通りに雨が降ってきました。教室に戻って、「イス取りゲーム」で、仕切り直しです。年少園児も初めて参加しましたが、ルールがよくわからずで、早々に敗退です。イス取りゲームでは、子どもの性格が出ます。イスを見つめながら、笛が吹かれたら、すぐに目の前のイスに座ろうというタイプと、音楽に合わせて踊るように歩き回り、楽しむタイプです。もちろん、後者の方がすぐに負けてしまう確率が高いのですが、子どもたちは、それぞれのやり方で、イス取りゲームを楽しんでいます。でも、勝負がつくゲームなので、大いに盛り上がりました。

 

さて、埼玉県では、来年度は、公立の高校受験が変わります。今まで内申書と呼ばれたものが「調査書」となり、5段階の「学力評価」のみとなります。部活・特別活動・英検・漢検などの評価はなくなります。その代わり、「自己評価資料」を提出します。これは、中学時代の自分の体験をもとにした自己PRです。そして、全員、面接試験が行われます。面接では、「自己評価資料」についての確認が主な内容になるようです。筆記試験や内申書の比重が低くなり、自己評価資料でのプレゼンテーション能力が、面接で試されるといった感じですね。

 

東京都では、都立高校の推薦入学に「集団討論」を導入したのが2013年です。例えば「組織・グループの中で活躍できる人になるにはどうすればよいか」のテーマが与えられ、7~8人の班に分かれて、約20分行われます。「自分の意見を持ち、他人の意見も尊重する」「チームメートの能力を引き出す」などの意見がでますが、集団討論に正解はありません。集団討論を指導する学習塾の講師は、「意見は1分で話そう。全員が同じ方向を向いた議論ができれば大成功だ」と言います。

 

2021~23年はコロナ禍で中止されましたが、今年の入試では、復活したようです。難関校として知られる「日比谷高校」では、「将来のリーダーを育てる当校の授業は、生徒同士の対話を通して考えさせる内容が多い。入学後のミスマッチを防ぐためにも討論を見ることが大事だ」と語ります。

 

こうして、全国の自治体では、筆記試験では測れない力を評価する入試が広がってるようです。中学受験や大学受験にも広がっています。

 

筆記試験では測れない力は、まさに「非認知能力」と言われる、協調性や創造力など点数にできない力です。日本の教育界が、今、盛んに「非認知能力を伸ばそう」と言っています。保育園ホワイトきゃんばすでも、異年齢保育の環境が「非認知能力」を伸ばすことにつながっています。それならば、受験の形も変わらなければ・・・という流れです。

 

今までは、テストの成績さえよければ、志望校に合格できた時代でしたが、社会が成熟し、「指示通りに動くことができ、知識のある人が優秀で偉い」という価値観が通用しなくなったということです。社会で通用する力を育てようと、入試のあり方も変わっていくのです。

 

そして、一番大事なのは、「○○高校に合格する」が目的ではなく、「○○高校に合格して、○○を行う」ことですね。夢を持つこと、目標を掲げること、そのための具体的行動を考えることができること。もう、勉強だけの評価とは、さよならですね。

2024年

4月

02日

入社式

屋上のカメさんたちが、冬眠から目を覚まし、カメ池がにぎやかになってきました。今日は、ミドリガメのおうちのいけすからカメを出して散歩をさせました。すぐに、カメのまわりを子どもたちが囲みます。新人の年長男子が、何のためらいもなく、ミドリガメを持ち上げると、勇気ある園児たちが、次々とチャレンジです。ミドリガメは気性が荒いので、噛みつくこともありますが、お腹を両手でしっかりと持っています。すると、いけすの中に、2匹の赤ちゃんカメが泳いでいました。昨年秋に生まれて、土の中で冬を越し、春になって出てきた赤ちゃんカメです。

 

カメ池に住む、ニホンイシガメとクサガメは、ちゃんと産卵場を作って、産んだ卵を取り出して、大切に育てますが、ミドリガメはほったらかしでも、こうして赤ちゃんが生まれます。繁殖力が強いことがよくわかります。

 

さて、昨日は、多くの企業で入社式が行われました。今年は、コロナ前に戻り、イベント形式の入社式が目立ったようです。

 

ソニーグループでは、横浜のKアリーナを会場に、人気バンドが登場。新入社員とコロナ禍が始まった2020年以降に入社した4100人がライブを楽しんだそうです。エンタメに力を入れるソニーは「ソニーがテーマにする『感動』を肌で感じて、今後の意欲につなげてほしい」と企画されたそうです。

 

キューピーは、埼玉県の自社農場で入社式を行い、新入社員46人が、レタスの収穫をし、マヨネーズ作りの体験をしたそうです。これは、テレビニュースでも放映されたので、会社の宣伝にもなりましたね。

 

女性として、初めて社長となった、日本航空の鳥取三津子社長は、1月に起きた航空機の衝突事故に触れ「業務が乗客の命につながっていることを忘れないでほしい」と訴えます。

 

「紅麹」問題を受けた小林製薬は、入社式を中止したそうです。新入社員が内定をもらったのは、昨年ですから、いきなり「紅麹」で大騒ぎになった会社に対して、複雑な思いを抱いていることでしょう。

 

私自身も、入社式で、社長の言葉は忘れてしまいましたが、桜の花が美しかったことを鮮明に覚えています。ただし、時代の流れで、今年度の新入社員の多くは、「この会社で定年まで勤める」と思っている人は、どれだけいるのか。もちろん、仕事をしてみないことには、まったく先のことは分かりませんが、転職や副業が当たり前の環境の中で、若者たちのこれからの時代の「イノベーション」を期待したいですね。

 

私からのアドバスは、「どんな仕事であっても、『ど真ん中』に自分を置いて仕事をしなさい!」です。そうすれば、苦しいこともたくさん出てきますが、最後は、楽しく笑える仕事に必ずなります。頑張ってほしいですね。

2024年

4月

01日

令和6年度がスタートしました

今年は、曜日周りの影響で、一昨日の卒園式から、日曜日を挟んで、4月1日が月曜日です。保育園だけでなく、民間企業も公務員も今日が新年度スタートですね。今日は、近くの養福寺の境内で、「お花見」を予定していたのですが、桜は、ほとんど咲いていません。満開が過ぎて、桜吹雪の頃が、保育園では見ごろになります。子どもたちは、花びらを拾うのが楽しいからです。花見は来週になりそうです。(笑)

 

朝の会では、新年長(寺子屋1番)・新年中(寺子屋2番)・新年少(寺子屋3番)園児たちに、恒例のインタビューです。「今の気持ちは?何をがんばりますか?」に、寺子屋3番さんは、???ですが、まぁ~最初は、こんなもんです。(笑)

 

しばらくは、「寺子屋1番になったんだから」「寺子屋さんになったんだから」と言われ続けるのでしょう。その言葉を励みに、少しずつでいいので、成長を期待します。

 

朝降っていた雨も上がって、新年度は屋上遊びからスタートできました。いきなり、菜の花の黄色がまぶしいです。昨日迄の夏日で、一気に黄色が濃くなりました。菜の花だけではありません。小さいけど、紫色がとっても可愛らしい「ムスカリ」もたくさん咲いていました。そして、大根の花もです。大根は白い花を咲かせますが、よく見ると、うっすらとピンクが混じっています。これに気がついた年長園児は、「きれいだね~」と大根の花を好きになったようです。

 

そして、ついにカメたちが完全に冬眠から目覚めたようです。子どもたちがカメ池を覗くと、いっせいに10匹以上のカメが「エサをくれ!」と寄ってきました。お腹が減っていたのか、バクバクエサを食べます。カメの頭をなでなでする新人園児・・・ミドリガメだけは、噛まれるかもしれないので、急いでやめさせます。でも、たくましい新人園児です。メダカも冬を越して元気に泳ぎまわっていました。

 

子どもたちが、「わっ~!スゴイ、見て!」と大歓声を上げて驚いたのは、全く動じないでじっとしている「ウシガエル」です。ウシガエルも冬眠から目覚めたようです。ここにきて、ようやく春らしくなり、屋上での楽しみが増えてきました。

 

さぁ~寺子屋3番さんの自転車練習も、ボチボチ始めようかなぁ~と思いますね。新年度も、こどもたちのワクワクがいっぱい詰まった、屋上遊びを充実させることにします。ナナツボシてんとう虫も、私の指に止まりました。(笑)

2024年

3月

31日

令和5年度 ありがとうございました

年度末が日曜日となりました。昨日から急に暖かくなって、桜の花が少しずつですが、開いてきました。過去は、入学式に合わせて桜が満開というイメージでしたが、今年は、数十年ぶりに、4月8日の入学式に、桜吹雪が子どもたちを迎えてくれるかもしれませんね。

 

さて、昨日は卒園式でした。保育園ホワイトきゃんばすは、これで、2012年に開園してから61名の卒園児を送り出したことになります。卒園証書第1号の女の子は、4月からは高校生です。今年度は、最多の11名が卒園となりましたが、それでも、他の幼稚園や大型保育園と比べると、人数は少ないので、いつの間にか、卒園後も付き合いが長く続くことが多いです。その、居場所が、保育園ホワイトきゃんばすになります。大宮西小学校の1年生の担任から「ホワイトきゃんばすを卒園した子どもたちは、学年を超えて仲がいいですね」と言ってもらった通り、小学生になっても「タテの関係」が続きます。

 

昨日の11名も、西区内の4つ小学校に分かれて入学しますが、保護者同士の交流も続いているので、長い付き合いになりそうです。うれしいことです。もちろん、園長も卒園した子どもたちの小学校生活を共有します。先日は、小2の卒園児が、あゆみ(成績表)を持ってきてくれました。私は「よく頑張った」としか言いませんが、子どもにとっては、学校の先生と親以外の大人に認められることも、成長につながることだと思っています。

 

今日で3月もおしまいですので、日本中のあらゆる学校の「卒業式」「卒園式」が終わったことになります。子どもたちは、未来に向かって新たなスタートを切ったわけですが、今までの思い出は、現在や未来の土台です。幸せな思い出は将来を幸せにする根拠になり、つらい思い出はそれを乗り越えた証拠となります。

 

人は変化し続けます。変化し続けるからこそ、不安とともに希望があります。卒業という節目は、「これまで培ってきた土台は何か」「何を卒業し、何を始めるか」など、自分の今までやってきたことと、これからどんな道を進むかを探究する機会となります。竹は節目があるから高く成長することができます。人も、卒業という「節目」をもつことで、成長するのかもしれませんね。

 

令和5年度もこの「おやじ園長のブログ」にお付き合いいただきありがとうございました。今日は「節目」をつけて、明日からの新年度に向かいます。明日から、仕事復帰の方や、人事異動で、新しい職場でスタートする保護者が、保育園にもたくさんいます。

 

頑張っていきましょう!

2024年

3月

30日

令和5年度 卒園式

埼玉県の荒川や、その支流の越辺川(おっぺがわ)には、毎年、白鳥が越冬にやってきます。今日は、多くの白鳥たちが、シベリアへの北帰行へ飛び立ったそうです。保育園の年長園児11名も、本日飛び立ちました。子どもたちは、「みにくいアヒルの子」の読み聞かせで、最初はいじめられてしまう、みにくいアヒルの子を悲しいそうな顔で聞いています。そして、白鳥の子であることがわかり、安堵の笑顔に変わるのです。何度も読んでいるのに、何度も、子どもたちの心はハラハラします。保育園生活では、楽しいことがいっぱいありましたが、悲しく、不安になったこともたくさんありました。それを乗り越えて、11名は旅立っていきました。

 

いよいよこの日がやってきました。本日は、令和5年度の卒園式です。

 

入園当時、保育園に行きたくない!と泣き叫ぶ娘を無理やり自転車に乗せて走った辛い日々から、保育園生活の中で、ここまで成長した姿にずっと涙しながら、先生一人一人へあたたかいメッセージをいただき、コロナ禍でも、子どもたちのために、多くの行事を続けてくれた保育園への取り組みの中で、子どもたちが、楽しい保育園生活を過ごせたこと・・・保護者を代表して、ご挨拶いただいたママのスピーチは、卒園式を、涙・涙の空間にしてしまいました。素敵なお話に感謝いっぱいです。

 

卒園児11名が、白いイスに並んで座っているだけで、保護者の涙腺は崩壊寸前です。卒園証書授与では、ママたち全員が泣いていました。我が子の成長をそれぞれ感じていたのだと思っています。かけがえのないタカラモノとして、生まれてきてくれた我が子が、人生の一つの区切りである、卒園式を迎えることができた・・・誕生から、今日までの出来事が、よみがえったに違いありません。我が子を想う、親の心が伝わってきました。

 

卒園児11名の保護者は、パパもママも全員働いています。送り迎えも、ママだけでなく、パパが当たり前に行います。今の時代、働くママは当たり前かもしれませんが、育児休暇が終わり、保育園に預ける時に、ママの葛藤がありました。「本当に、我が子を保育園に残して、働くことがいいの?間違っていない?」しかし、保育園での集団生活の中で、我が子の成長を感じることで、子育ても、仕事も頑張ることができたママたち。今日の卒園式は、子どもたちの成長の確認とともに、ママパパたちの心の葛藤や乗り越えた気持ちまでも感じることができました。

 

私は、民間企業に勤めていましたので、パパママと仕事の話をよくさせていただきます。年齢的にも、中堅もしくは管理職というポジションで活躍されている保護者も多いです。子育てと、仕事の両立を見事にやり遂げたことに、私は敬意を表します。そして、毎日の送り迎え、本当にお疲れさまでした。朝、子どもを預けるとダッシュで仕事に向かうママ、そしてお迎えの時間に間に合わせるために、夕方の仕事効率を上げて頑張ったママ。そして、多くのパパが、当たり前に保育園にかかわっていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

卒園児11名は、一人一人個性が輝き、自分で好きなことを見つけられる素晴らしい子に成長しました。保護者の皆様・・・今日は、そんな我が子を誇らしく思ってください。そして、私も11名の園児が誇らしいです。子どもたちに読み上げた手紙には、「頑張れ!」という言葉を使いました。この11名は、全員頑張ることができます。

 

卒園おめでとう。そして、ありがとう。

2024年

3月

29日

令和5年度 最後の保育

いよいよ、本日は令和5年度の最後の保育となりました。11名の卒園児にとっては、最後の保育となります。連絡ノートには、卒園児11名全員の保護者から、あたたかい感謝のメッセージが綴られていました。もう、涙が出そうです。すべてを紹介したいですが、すごい量になるので、何人かのママパパのメッセージを読まさせていただきます。

 

「昨夜、保育園のノートを見返していました。入園した頃のノートは『いい親でなければならない!』と必死にまじめなフリをして書いていました。(笑)でも、ホワイトきゃんばすで過ごす間に、『良い親』でいることはあきらめ、先生方と一緒に子どもの成長をただただ楽しめるようになってきました。先生方の温かくて大きな愛情にたくさん救われました。このノートは、私の宝物です」

 

「感謝の気持ちを書こうと意気込んだものの、今までのノートを読み始めると止まらなくなってしまいました。11冊・・・1週間かけて読んでいました。私は、日記をつける習慣がないので、この11冊が育児ノートで幼少期の記録です。宝物として大切にします。子どもが大きくなったら一緒に読みたいですね。夜眠る前の絵本代わりに読んでいる『おやじ園長のブログ』も、今後も続けますので、こちらもよろしくお願いいたします」

 

「兄・妹と7年間、長い間子どもたちを導いていただき、本当にありがとうございました。今朝、『3月1日に時間が戻ったらいいなぁ~あと1か月保育園で過ごせるね』という、娘の言葉が、楽しかった園での様子を想像させてくれます」

 

「私は幼稚園でしたが、卒園後に遊びに行ったことはありません。兄と妹と『卒園しても行きたい!』というような居場所を作っていただきありがとうございます。娘に楽しかったことを教えてもらいました。『夏の屋上プール』『屋上遊び』『秘密基地』そして、一番楽しかったのは『友だちと遊んだこと』だそうです。娘は、ケンカもせず、友だちに好かれ、幸せでした」

 

「私の仕事柄、たくさんの方々とお話をします。その中で、ホワイトきゃんばすのお話をさせていただくことが多くあります。そうすると、『どこにあるの?素敵な保育園だね。もっと早く知りたかった。今の時代にそんな素晴らしいとこがあるなんて』。お客様の中で小学校の先生をしている方がいます。その方が、『きっと、その保育園の卒園児の目はキラキラと輝いてて希望に満ちているのでしょうね。小学校生活が楽しみですね』と言っていました。決められたことを出来る児童はたくさんいるけど、自分で考え行動できる児童は少ないそうです」

 

「一番大きく成長したなーと感じたのは、やっぱりサマーキャンプ。不安が、楽しみや希望に変わっていきました。本当に貴重な経験でした。我が子の長所・短所を見抜いてここまで、体も心も大きく成長したのも先生方のおかげです。ありがとうございました」

 

「保育園に娘を預けた初日、私は車で一人泣いたことを今でも思い出します。保育園に子どもを預けて、仕事復帰して良いのか・・・と何度も悩みました。今ではホワイトきゃんばすに預けられて、本当に良かったと思っています。一度も、お迎えの呼び出しががない元気な娘を誇らしく思います」

 

今日は、ケ(日常)の保育園ですが、やはり、子どもたちの心の中は、ハレ(非日常)の、想い出に残る一日になったようです。年中園児も年少園児も、先輩たちに感謝と「小学校でも頑張れ!」の気持ちで、今日一日を過ごしていました。

 

いよいよ、明日は卒園式です。卒園児11名・・・素敵な式になることでしょう。

2024年

3月

28日

リビング学習を効果的に

明日の天気予報が雨なので、今日は、今年度最後の屋上遊びとなります。卒園児にとっては、ホントに最後の屋上遊びです。心を込めて、ジャガイモの植え付けをして、心を込めて、菜の花を摘みました。屋上ファームで、どれだけの野菜を育て収穫し、食べたのかを考えると、子どもたちは、いつも通りですが、私の方が、グッとくるものがありますね。

 

自転車、ストライダーに乗る園児、砂場で遊ぶ園児、ごっこ遊びでカレー屋さんを楽しむ園児たち、ムスカリのかわいい花を根こそぎ摘んでしまう園児、「カメは起きたかなぁ~」と池を覗く園児、秘密基地の補修をする園児・・・そして、最後はドッジボールで締めました。今年度は、年長園児中心にドッジボールブームとなったので、小学生になったら、さらに上達して欲しいですね。

 

さて、ここで質問です。「あなたの子どもは、どこで勉強をしていますか?」

 

まもなく新年度ですね。小学校に入学後は、親の目の届きやすいリビングで勉強をさせる「リビング学習」を取り入れる家庭が多くなっています。ベネッセが2019年に9189人を対象に行った調査(複数回答)によると、学校以外でよく勉強する場所として「家のリビング」を選んだのは、小学1~3年が95%(子ども部屋21%)、同4~6年が87%(同37%)だったそうです。

 

予想通りに、リビング学習の割合が高いですね。夫婦共働きで、子ども部屋で親がゆっくり付き添う時間はないですね。家事をしながら、子どもの様子も見ることができるので、リビング学習は親としても便利です。

 

専門家によると、子どもが部屋に一人こもって勉強をするのは難しい。思春期に入る14歳頃までは、リビング学習が向いていると言います。ただし、ほったらかしはいけません。学習習慣を付けるためには、勉強を始めてからの10分間、親が横についてあげると効果的だと言います。最初だけでも、一緒に宿題に取り組むと、子どものやる気も増すものです。

 

小学校高学年にもなれば、部屋でマンガを読んで息抜きするなどの、一人になれる時間も大切ですね。大人だって、一人の時間がないと、ストレスがたまります。(笑)

 

私は、中学生くらいから、試験勉強をする時は、「静かな環境」でないと、なかなか集中できませんでした。家に帰ると、テレビなどの誘惑が多いので、学校の図書館で放課後勉強してから、遅く家に帰る作戦を取っていました。ところが、私の3人の子どもたちは、テレビをつけていてもリビングで平気で勉強をしていました。「テレビついてるのに、よく集中できるな?」と聞くと、全く気にならないようです。親としては、うらやましい特技だと思っています。

 

リビング学習最高!と思ってしまいますが、問題は、部屋が散らかることです。食事をするテーブルの上が、筆記用具やノートやプリントでいっぱいになります。今は、タブレットもありますね。私も、家で保育園の仕事をする時は、テーブルの上がぐちゃぐちゃになり、かみさんからはブーイングですが、仕事ははかどります。

 

子どもにとって、学習が楽しくなるような仕掛けを考えるのも親の仕事ですね。絶対に効果的なのは、「勉強しなさい!」と決して言わないことです。できますか?

2024年

3月

27日

認知能力も非認知能力も伸ばす「そろばん」

今日は久々の晴天となって、子どもたちの屋上遊びがアクテイブです。4月から年長になる新人園児の男の子。幼稚園からホワイトきゃんばすに転園してきました。屋上の環境や異年齢保育など、ママパパがここを気に入ってくれたのです。うれしいですね。この1年は、密度の濃い想い出をつくってもらいます。今日は、さっそくヘルメットをかぶって、自転車に乗ります。すでに自転車に乗れる彼は、練習なしで自転車免許証交付です。(笑)

 

さて、今日は「非認知能力」の話です。この言葉は、ブログでも何度も取り上げていますが、一般社会にも深く浸透してきましたね。非認知能力は、もともとアメリカから生まれたものです。人工衛星の打ち上げでソ連に遅れを取ったアメリカは、どんどんエリートを輩出しようとします。当時のエリートは、認知能力(学力など点数にできる能力)に長けている人たちです。日本でも影響を受けて、1970年代以降には、詰め込み教育が行われましたが、同時に校内暴力が増え学校が荒れました。そこで、教育の方向性が見直されるようになったのです。

 

そんな経緯の中で、点数では測れない能力である「非認知能力」の重要性が深まっていったのです。OECDが2015年に発表したレポートで、非認知能力の3つの枠組みが示されました。①「自分を高める力」②「自分と向き合う力」③「他者とつながる力」です。よく、みんなと協力する力とか、我慢する力とか具体的な非認知能力を私たちは例として挙げますが、すべて、この3つの枠組みの中に入ります。

 

そこで、非認知能力を伸ばす取り組みの1つとして、注目を浴びているのが「そろばん」です。そろばんは、3つの枠組みの中で「自分と向き合う力」が磨かれます。私の少ない特技の1つがそろばんです。子どもの頃に1級に合格しました。(何度も自慢してすみません)・・・経験上、技術的な向上よりも、自発的に取り組み、継続的な練習がなければ上達しないのがそろばんなので、まさに「自分と向き合う力」と言えます。

 

でも、ちょっと待って!?と思う人が多いかもしれません。そろばんは、計算能力や暗算能力を磨くものなので、「認知能力」に分類されます。しかし、そろばんを上達させるには、我慢強さなどの非認知能力がないと、途中で投げ出してしまうでしょう。

 

そろばんの項目の一つに、「伝票」という計算があるのですが、左手で伝票になっている紙をめくり、右手でそろばんをはじきます。うまく紙がめくれなくて、ついついいらいらしてしまうのですが、こうなると、必ず計算ミスにつながります。いかに、冷静に我慢強く取り組みことができるかで、そろばんのスキルも上がっていくのです。

 

こう考えると、そろばんは、認知能力と非認知能力を一緒に伸ばしていける仕掛けがあるようです。非認知能力を伸ばす取り組みは、スポーツも含めてたくさんありますが、両方伸ばせる「そろばん」は、なかなかやりますね。

 

よくよく考えれば、そろばんは、江戸時代の寺子屋の頃から不変のものとして今日まで受け継がれてきました。長く続くということは、子どもたちの人間性を高め社会に送り出す人育てとしての役割をずっと担ってきたのです。最近になって、「非認知能力」という言葉が当てはめられましたが、ずっと昔から、大事なことだったのです。

 

以上、そろばんびいきの園長の、ほんの少し偏った意見でした。

2024年

3月

26日

47歳の現役力士

今日は、年長園児が「わくわく教室」を行いました。いよいよ、卒園式を前にして、最後のイベント・行事となりました。今回のわくわく教室は、パンとピザを作ります。米は稲穂からですが、パンは小麦を使うので、本物の小麦を観察してからスタートです。小麦粉・砂糖・塩・イーストを混ぜて水を加えてさらに混ぜる。こんな感じで、チーズを挟んだチーズパンと具材を園児自らトッピングしたピザが焼きあがりました。作っている途中から「お腹すいた!」とう子どもたち。あっという間に完食です。

 

講師からのお願いは、「今日の話をおうちの人にしっかりと伝えて下さいね」「おうちでも料理の手伝いや片付けをして下さいね」の2つです。自分で作り、自分で食べて大満足の子どもたちは、最後に一人ずつ感想を求めると、10人全員が、「イーストの力でパンが大きくなったのがすごかった」「ピザのトッピングが楽しかった」「コネコネした時に手にくっついて大変だった」など、自分の意見をしっかりと言えました。正直、ここまでちゃんと言えると思っていなかったので感動です。家庭での食育については、家族全体での取り組みが重要です。年長園児が経験した「わくわく教室」が、おうちで楽しく、体のことを考えた食習慣につながっていくとうれしいですね。

 

さて、今日はどうしても取り上げたい力士の話です。今場所優勝した、史上最速、初土俵から10場所目で達成した尊富士(たけるふじ)ではありません。47歳の現役力士「翔傑(しょうけつ)」です。

 

どうですか・・・びっくりしましたか。尊富士とは対極にある力士ですね。現在、三段目にいる翔傑は、1995年春場所が初土俵です。何と、30年間も現役を続けている計算になります。同じ部屋の力士がコロナ感染での休場以外は、一日も休まずに皆勤を続ける「鉄人力士」なのです。

 

翔傑の稽古を見守る芝田山親方(元横綱・大乃国)は、「いるだけで稽古場が引き締まる」と絶大な信頼を寄せています。「稽古場で相撲取ったら負ける相手はいないんだよ。この年齢になっても部屋の掃除や片付けも率先してやる。誰も彼の領域には入っていけない」と言います。

 

翔傑の最大のチャンスは、2004年初場所に幕下で6連勝し、優勝をかけた全勝対決で、当時「萩原」のしこ名だった、元横綱・稀勢の里でした。残念ながら敗れ優勝を逃します。翔傑の通算成績は、173場所で607勝597敗と、一応勝ち越しはしていますが、関取にはなったことはありません。大相撲で関取は、十両以上ですので、幕下が最高位となります。これを聞いて、私は、逆に「凄い!」と思いました。力士としての地位では、決して日の目を見ることなく、30年も現役を続けられるという精神力に驚きます。

 

「同世代や少し下の世代でも、あっちが痛いこっちが痛いとか、病気の話をよく耳にしますが、自分はそうじゃない。体調が悪いことがあっても糖尿病や内臓疾患もないですし、最年長だからって老いぼれた相撲を取っているとは思っていません。負けがこむことはあっても全敗したことはないんです。まだ勝てる、という気持ちがある限り辞める気にはなりません。あのおっさん、まだ相撲取ってるんだって呆れる人もいるでしょうけど、なかには励みになる、と言ってくれる人もいます。少しでも活力につなげてもらえるならうれしいです」と翔傑は言います。

 

華々しい成績を上げることも大事ですが、1つのことを継続させる事は、より難しいことだと私は思っています。翔傑の相撲は、まさに、継続の美学ですね。相撲中継には、ほとんど出ることはないでしょうが、「翔傑」という力士、覚えてくださいね。

2024年

3月

25日

日本人初のメジャーリーガー

今週は、あまり天気が良くないようです。今日も朝から雨でしたので、今週末の卒園式の練習をしっかりと行いました。「いちねんせいになったら」「さよならぼくたちのほいくえん」「みんなともだち」の3曲を子どもたちは歌いますが、歌詞もよく覚えています。卒園式は、想定外のハプニングも含めて、素敵な式にしたいですね。

 

さて、大谷翔平選手とドジャースの報道が、ここ数日にぎやかになっていますが、憶測はやめて、明日の大谷選手の発言を待つことにします。そんな、メジャーリーグのロサンゼルスドジャースに、入団した野茂英雄投手。多くの人が、メジャーリーグへの扉を開いた最大の功労者が彼だと思っています。確かに、野茂投手のおかげで、現在多くの日本人メジャーが活躍していると言っても過言ではありません。

 

しかし、日本人、いやアジア人初のメジャーリーガーは、村上雅則投手でした。村上さんが、どんな経緯でメジャーリーガーになり、どれだけの成績を残したのかは、あまり知られていませんね。

 

村上さんは、法政二校3年の夏の神奈川県大会では、エースとして準決勝で敗退します。しかし、村上さんの資質を見抜いた、南海ホークスの鶴岡監督が、村上さんの自宅を訪れて、「うちに来ればアメリカに行かせてやるよ」と言ったそうです。大学進学の予定が、その言葉で心が動き、村上さんは、1963年(昭和38年)に南海ホークスに入団し、翌春にサンフランシスコジャイアンツ傘下の1Aで野球留学生として派遣されたのです。マイナーリーグで抑え投手として活躍した村上さんは、シーズン終盤にメジャー昇格を果たすのです。20歳の村上さんは、ここにアジア人初のメジャーリーガーとなったのです。

 

メジャー1年目は、9試合登板し1勝1セーブ、防御率1.80の好成績を収めます。2年目も4勝1敗、防御率3.75の成績です。このままメジャーでプレーを続けられると思った矢先です。南海ホークスが村上さんの保有権を巡り、サンフランシスコ・ジャイアンツと対立します。結果、村上さんは南海に戻ることになり、わずか2シーズンでメジャーを去ることになったのです。

 

どうですか・・・私も、日本人最初のメジャーリーガーは村上投手であったことは聞いていましたが、こんな物語があったのは知らなかったですね。

 

村上さんは、あと5年は、アメリカでやりたかった・・・と言います。彼が、8回裏にリリーフで初登板した時、マウンドに向かう時に「リラックスしないと」と思わずハミングした曲が、当時アメリカでヒットしてた坂本九さんの「スキヤキ」(上を向いて歩こう)だったそうです。

 

もし、映像に残っているのなら、このシーンは正座して見たいですね。そして、私たちは、もう少し、日本人初のメジャーリーガー「村上雅則」をリスペクトするべきです。

2024年

3月

24日

パタンナーという仕事

世の中には、表にはなかなか出てこない仕事がありますね。「縁の下の力持ち」的な仕事です。そんな仕事の一つが「パタンナー」です。どんな仕事かわかりますか。

 

ファッション業界では、まず注目されるのが、ブランドですね。どこのブランドの服か。そして、その服をデザインしたデザイナーに脚光が浴びます。デザイナーの仕事は、自分のデザインを紙に描くことです。でも、それだけでは洋服は完成しません。

 

そこで重要な仕事を担う人が「パタンナー」です。パタンナーは洋服の型紙を作成し、洋服の制作を支える大切な仕事です。パタンナーの腕前1つで洋服の良し悪しが決定されるほどに、パタンナーの役割は洋服づくりにおいて重要なものです。パターンナーはデザイン画を基に正確にデザインを反映しながら、人々に求められる洋服を作る大事な仕事といえます。

 

今日は、マザーハウスのアパレル事業部でパタンナーとして活躍する後藤洋美(ひろみ)さんの活動を紹介します。

 

「平面を立体にする仕事」・・・後藤さんは、高校時代に、パタンナーという職業の説明文を見た時に、「めちゃめちゃかっこいい」と衝撃を受けたそうです。仕事として目指し始めたものの、ワンシーズンで捨てられる衣装を作り続ける日々に疑問を抱きます。いったん離職し、青年海外協力隊で洋服の先生としてタンザニアで活動します。

 

次の仕事先に選んだマザーハウスが、2018年にアパレル事業を立ち上げ、インド東部のコルカタに工房を新設します。パタンナーの仕事は、技術を見せたり、図解を使ったりと、言葉以外の伝達手段が多くあるそうで、後藤さんは、青年海外協力隊で培った語学力で、日本語、英語、ベンガル語をミックスした言葉と身ぶり手ぶり、表情で会話します。

コロナを機に帰国した現在も、日本とインドを行き来しながら、40人ほどの現地スタッフと家族同様の信頼関係を築き、パタンナーの若手育成にも活躍されているそうです。

 

アパレル業界において大切な役割を担うパタンナーですが、AIの登場で、需要が少なくなってきていると言われています。一方で、人にしかできないこととして、デザインしたり、パターンをオリジナルで考えられるパタンナーの需要は逆に高まっているようです。

 

どうですか・・・今あなたが着ている服には、「縁の下の力持ち」パタンナーの仕事がかかわっていることを思ってくださいね。

2024年

3月

23日

全国大会金賞の実力

今日の園長課外授業は、中学校の吹奏楽部のスプリングコンサートです。さいたま市西区にある、「さいたま市立土屋中学校」に行ってきました。はい。私の3人の子どもたちもこの中学校の卒業生です。

 

小3の男子と年長女子2名の3人は、4年後、6年後とまだ先の話ですが、この土屋中学校に入学するので、「よく見ておくんだぞ!」と言って、連れて行きました。土屋中学校は、ごく普通の公立校ですが、吹奏楽部の実績は凄いのです。

 

全国吹奏楽コンクールでは『2年連続全国大会出場!』です。しかも、昨年秋のコンクールでは、全国大会で金賞を受賞したのです。

 

土屋中学校の体育館には、地域の住民や、吹奏楽部のOBなど、用意したイスには座りきれないほど、多くの人が集まりました。立見席まで用意されました。まずは、部員が登場し、ピタゴラスイッチのパフォーマンスからスタートします。たぶん、和やかな雰囲気の中でコンサートをスタートさせようと、部員たちが考えたのでしょう。園児も一緒に踊ります。

 

そして、全国大会での課題曲など、今年度部員たちが力を入れて練習をしてきた曲を披露してくれました。私は、クラシック音楽に精通しているわけではありませんが、「さすが、全国大会の演奏!」です。そして、第一部のラストの演奏は、歌劇「トゥーランドット」よりです。この曲は、トリノオリンピックで荒川静香選手が金メダルを獲得した楽曲です。子どもたちは「なんか聴いたことあるかなぁ~?」といった感想ですが、私は、瞳を閉じると、荒川静香選手が得点にはならない「イナバウアー」のシーンを思い浮かべていました。それだけ、素晴らしい演奏だったのです。演奏が終わると、会場からは「ブラボー!」の歓声が上がりました。顧問の先生の指導と、目標に向かって練習を頑張った生徒たちの姿を私は見ていないにもかかわらず、強く伝わってきました。

 

全国大会への道のりは、まず地区予選を突破し、埼玉県大会へ。そこを勝ち抜いたわずか2校ほどが、西関東大会に出場します。そして、西関東大会で金賞を受賞した上位校が、全国大会への切符を手に入れることができるのです。実は、私の長女と次女は、吹奏楽部だったのですが、西関東大会の「ダメ金」まで頑張りました。ダメ金というのは、同じ金賞でも全国大会に行けない金賞です。私の娘たちは、西関東大会では、上位にランクインした金賞ではなかったのです。しかし、西関東大会金賞は、当時はそれでも「快挙!」と言われ、父親の私も親バカになって浮かれた記憶があります。(笑)

 

私の娘たちも、後輩たちの活躍を素直に喜んでいます。本日鑑賞に来ていた地域の住民たちは、まるで、自分のことのように、誇らしい気持ちで、演奏を見守っていました。こうして、子どもたちは、地域の大人たちに見守られ、育ててもらっているのですね。

 

今日は、本当に心あたたまるコンサートに感動した次第です。

2024年

3月

22日

癖がないから「オッケーブロッコリー」

今日は、今年度最後の体操教室です。年長園児にとっては、3年間続いた取り組みです。まさに、「継続は力なり」です。エアートランポリンで躍動し、とび箱・鉄棒など、様々な体操を経験した子どもたちです。本日は最後ということで、コーチの特別指導がありました。何と「バク転」にトライです。空中でコーチが支えるので、「なんちゃってバク転もどきの後ろまわり・・・」といった感じですが、年長園児は、最後の体操教室で、新しいことに挑戦できたのです。

 

さて、にわかに話題になっているのが、指定野菜に「昇格」した、ブロッコリーです。特に消費量が多い野菜として、キャベツや白菜などの14品目と並び、2026年度から適用されます。

 

生産者には、安定供給&価格が安定するように、国からの補償金が入ります。しかし、すべてのブロッコリー生産者が喜んでいるわけではないようです。実は、「指定産地」にならないといけないのです。むしろ、指定野菜になることで、新規参入が増え、供給過多になるかもしれないからです。

 

そこで、石川県白山市の「安井ファーム」では、SNSの活用で、ブロッコリーの魅力を発信しています。ブロッコリーの魅力は、その「癖のなさ」による、汎用性の高さと言えます。「ブロッコリーにマヨネーズをつけて食べると、ほぼほぼマヨネーズの味ですよね。和食、洋食、中華、スイーツ、離乳食、すべてに『寄せられる』・・・そこがいちばんの魅力です」とのことです。

 

私が子どもの頃は、ブロッコリーではなく、カリフラワーが主流でした。しかし、カリフラワーは、日差しで変色しやすく、栄養価でもブロッコリーが上回っているので、いつの間にか立場が逆転したのです。野菜の中では、比較的手のかからないブロッコリーは、こうして「指定野菜」のポジションを勝ち取ったのです。

 

安井ファームのSNSでは、レシピの紹介が人気だそうです。一番「バズった」のが、「めんつゆ漬け揚げ」です。「加熱済みのブロッコリーをめんつゆに一晩漬けて、片栗粉をつけて中温の油で揚げる・・・」安いファームの伝家の宝刀レシピだそうです。なんだか、想像するだけでも「絶対おいしい!」ですね。

 

保育園の給食でも、ブロッコリーはよく出されます。こうして考えると、ブロッコリーの可能性は無限大。その未来には明るさしかない。と言えるのかもしれませんね。

2024年

3月

21日

戦国武将 山中鹿之助

今日も子どもたちは強風との戦いです。屋上の「クサガメのおうち」の屋根が強風で飛ばされていました。まだ、カメは冬眠中ですが、屋根がないと、カラスに狙われます。そして、卒園式の練習も着々と進んでいます。年長園児が、ピアニカを立ったままで吹く練習が始まりました。11人の年長園児が、トランペットのようにピアニカを吹きます。

 

さて、今日は、織田信長の時代に活躍した戦国武将「山中鹿之助」の話です。諸説ありますが、山中鹿之助の言葉で有名なのは、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と自分が手柄を立てるために、三日月に向かって祈り続けたそうです。

 

「七難八苦」とは、文字通り、困難や苦しみがたくさんあることです。山中鹿之助は、困難や苦しみをたくさんくれと祈っているのです。おかしな話ですね。普通なら、成功や楽しいことがたくさんあることを望みますね。

 

神社などでお祈りする場合は、「家内安全」「合格祈願」など、たいてい幸せが来ることを望みます。人は、できるだけ、困難や苦しみを避けようとするものです。ところが、山中鹿之助はその逆を祈ったのです。

 

でも、少し考えて見てください。つらいからといって、困難や苦しみを避け続けていると人はどうなるでしょうか。「失敗すると嫌だな」という気持ちが強くなり、何もしないようになっていくものです。失敗したくないので、何も挑戦しない人になってしまいます。

 

かつて、保育園の保護者で、「自分の子どもには、保育園生活の中で、自分の思い通りにならないことをたくさん経験してほしい」と言ったママがいました。私は、えらく感心してその話を聞いていたのですが、彼女は、大人になった時の我が子の姿までを見通していたのです。困難や苦しみを乗り越えたときに、初めて力が付き、強く生きていけるようになるからです。

 

山中鹿之助が言う「七難八苦」は、一見、避けたいことに見えるかもしれませんが、実は、とても大切で必要なことなのです。たくさんの挑戦を重ね、失敗もたくさんして、困難や苦しみを乗り越えた上で、自分の力を高め、成功につながるのです。

 

ところで、多くの親は、「自分の子が、困難の壁にぶち当たった方がいいですか?」と聞くと、「もちろん、困難を経験させたいです」と答えます。しかし、私の子育ての経験上、我が子が、問題に直面する前に、手を打って助けてしまうことがあります。親心というのは、そんなもので、口で言うのと実際の行動が違うことが多いですね。

 

ここは、「心を鬼にして」とまでは言いませんが、我が子の困難を見守ってみませんか。そして、このままでは、どうにかなってしまうという状況になる前に、大きな愛情で手を差し伸べる、そんな親でありたいですね。

2024年

3月

20日

おはぎとぼたもち

今日は春分の日です。春のお彼岸に合わせてお墓参りに行く人も多いことかと思います。お供えの定番は、「おはぎ」「ぼたもち」どっち?・・・ここで問題です。

「おはぎとぼたもちの違いは何ですか?」

 

答えは、3つの違いがあります。

 

1つ目の違いは、おはぎとぼたもちのいただく時期です。「ぼたもち」は、春のお彼岸にいただき、「おはぎ」は秋にいただくのが一般的です。諸説ありますが、おはぎもぼたもちも名前の由来はどちらも「花」です。ぼたもちは春の花として知られる「牡丹(ぼたん)」に、おはぎは秋に花を咲かせる「萩(はぎ)」に見立てて作られたことから、この名前で呼ばれるようになったそうです。

 

2つ目の違いは、あんこの種類です。おはぎもぼたもちも、どちらも基本的な材料はもち米とあんこです。まったく同じ材料ですが、おはぎは「粒あん」で、ぼたもちは「こしあん」で作ることが多いようです。これには、あんこの主原料であるあずきが関係しています。あずきの旬は秋です。収穫したばかりのあずきは皮が柔らかいために豆の形を残した粒あんに。それ以外の季節のあずきは固く、口当たりが悪くなることから、こしあんになるまでしっかりと潰して、皮を取り除いたそうです。そんな理由で、秋のおはぎは、つぶあんで、春のぼたもちは、こしあんが使われるようになったと言われています。

 

3つ目は、形の違いです。おはぎとぼたもちは、モチーフとなる花が違うために、形やサイズが少し異なります。おはぎは「萩の花」に見立ててひし形に。ぼたもちは「牡丹の花」のように大きく、丸い形に仕上がっています。

 

こんな感じで、おはぎとぼたもちは、味など基本的には同じものですが、食べる時期やあんこの種類、形の違いなどによって、呼び方が異なるのです。もちろん、地域によって違うこともありますね。

 

どうですか・・・これは「ウンチク」として使えますね。今、スーパーに並んでるいるのは、「ぼたもち」と「おはぎ」が混在していますが、ウンチク通りに考えると「ぼたもち」を選択するのが正解のようです。

 

では、最後に、子ども俳句大賞に輝いた作品を紹介します。何と、小学校1年生の作品です。おはぎともぼたもちとも全く関係ありませんが。

 

くさもきも すずしくなあれ みずでっぽう

 

小1の作者が、夏休みの朝、近所の友だちと水鉄砲で遊んだそうです。ビショビショになったけれど、涼しくて気持ちいいなと思い、公園の草や木に水鉄砲をかけたそうです。こんな、楽しかった夏休みの思い出を俳句にしたのです。

 

なんだか、情景が浮かんでくるような素敵な句ですね。保育園の子どもたちの絵や工作でも、ドキッとする作品ばかりです。

2024年

3月

19日

シンガーソングライター 新沢としひこ

今日は、お別れピクニックです。年長園児11名で近くにある「三橋総合公園」へお弁当を持って出かけました。三橋公園までは、歩いて20分ぐらいですが、「ピクニック楽しみにしてたんだ。お弁当は○○」と、子どもたちの楽しい会話が聞こえてきます。公園に到着すると、まずは水辺の生き物観察です。「エビを捕まえたぞ!なんだ、この生き物は?この小さな貝はタニシ?ヤゴはトンボの幼虫だね」と、生き物には慣れた子どもたちです。6歳男の子は、ミミズも素手で触っていました。

 

「園長先生・・・おなかすいたよ~」で、お弁当タイムです。ニコニコ顔で完食すると、自由遊びタイムです。土手の草の上をゴロゴロと回転して降りる子どもたち。目が回っても楽しくてたまりません。アスレチックや遊具で体を動かして、メタセコイヤの木の実を集めます。防虫効果があるクスノキの葉の香りをかいで、楽しいピクニックとなりました。こどもたちの大切な時間になりました。

 

そんな、卒園児が、卒園式で歌う曲の一つは、「さよならぼくたちのほいくえん」です。全国の多くの保育園や幼稚園の卒園式で、この曲が歌われます。その歌詞に、姿に、親は涙するのです。

 

♪たくさんの毎日を ここですごしてきたね

 なんど笑って なんど泣いて なんどかぜをひいて

(略)さよなら ぼくたちのほいくえん(ようちえん)

 ぼくたちの 遊んだにわ(ホワイトきゃんばすでは「おくじょう」です)

 

この曲を作詞したのは、新沢(しんざわ)としひこさんです。多分知らない人が多いと思います。でも、次の曲は知っていると思います。

 

♪世界中のこどもたちが いちどに笑ったら 空も笑うだろう ラララ 海も笑うだろう

そう、「世界中の子どもたちが」です。知っていますよね。また、一昨年の保育園ホワイトきゃんばすのクリスマス発表会で歌った「虹」も、新沢さんの曲です。コロナ禍になった頃にテレビで毎日のように流れていました。

 

新沢さんは、「子どもの歌は、『詠み人知らず』の雰囲気が強くて、無名性が高いです。保育園に歌いに行くと、目の前に座った子どもたちに『おじさん、どうして僕たちの歌を知っているの?』と言われることがよくあります。子どもの歌は、僕の持ち歌じゃない。みんなが歌うもの。我ながら不思議な仕事だと思います(笑)」と言います。

 

新沢さんは、国際基督教大学(ICU)付属高校が開校した1期生で入学します。新設校だから、生徒会もない、部活もない、上級生もいない、夢のような3年間を過ごします。すべての選択が自由という環境で、新沢さんの感性が研ぎ澄まされていくのです。大学時代には、保育園でアルバイトをします。しかし、現実は甘くなかったようです。天使のような子どもたちが若いお兄さんを大歓迎してくれると思っていたら、目の前に現れたのは、超絶悪ガキ集団で、節分では、紙の棒でバンバンぶたれ、子ども同士のケンカも日常茶飯事です。「びっくりしたけど、すっごく面白かった。子どもだって人間で、大人と何ら変わらない。そのことに気づくことができたのは、大きかった」と振り返ります。

 

シンガーソングライターは、名前を憶えてもらって、ヒット曲を出すことが幸せなのかもしれませんが、新沢さんは、大スターではありません。子どもたちは、新沢さんの名前は知らなくても、全校児童が「虹」を歌い、卒園式で「さよならぼくたちのほいくえん」が大合唱され、式は涙で包まれます。なんだか、これって、すごく幸せで、豊かな人生だと思いませんか。

 

でも、せっかくですので、これを機に、「新沢としひこ」。覚えてくださいね。

2024年

3月

18日

19年破られなかった日本記録

せっかく春らしくなってきたと思ったものの、今日は一転して強風の寒い一日でした。桜の開花が、当初の予定よりも少し遅れるようですね。保育園のお花見は、3月末か、新年度4月になってからか・・・満開から桜の花が散り始めた頃を見はからって行います。

 

さて、ある女性アスリートのコメントです。「これまでの感謝を込めて、夢を追いかける

ことの素晴らしさを伝えていきたい。それと、美味しい酒を飲むためにも走り続けたい」と語る人。誰かわかりますか。現役を引退されているので、美味しい酒も許してください。(笑)

 

そうです。今日は、2004年のアテネ五輪女子マラソンで金メダルを獲得した、野口みずきさんの話です。野口さんは、翌2005年、ベルリンマラソンで2時間19分12秒の日本記録を樹立します。

 

この記録は、なかなか破られませんでした。そして、ついに、今年1月の大阪国際女子マラソンで、前田選手によって、2時間18分59秒のわずか13秒差ですが、日本記録が更新されました。この間、19年間、野口さんの記録は破られなかったのです。前田選手は、途中からペースメーカーを置き去りにする圧巻の走りでした。それを野口さんは、解説者として乗り込んだ中継車の中でワクワクしながら見届けたのです。

 

自分の記録が破られるのに、野口さんはワクワクしていたのです。そして、「日本記録が塗りかえられた、その現場に立ち会えたことが幸せだった」と言うのです。普通なら、自分の日本記録が抜かれてしまうので、残念な気持ちになるのが普通でしょうが、野口さんは、喜ぶのです。

 

実は、野口さんが高校卒業後にずっと指導を受けてきた岩谷産業陸上部の廣瀬監督のもとへ、日本記録を樹立した前田選手の武富監督が出向いて、野口さんの現役時代の練習メニューなどを参考にしていたようです。監督同士がリスペクトしあっていたようです。

 

最近の陸上界では、練習量が多すぎると故障につながるから、質を重視する傾向が強まっているようです。しかし、二人は、やっぱりマラソンには思い切った練習が必要と考える監督同士なのです。野口さんも前田選手も、圧倒的な練習量の中で、日本記録が生まれたのです。

 

野口さんが、陸上を始めたのは中学1年の時です。37歳で引退するまでの25年間の競技人生は、良いことばかりではありませんでした。金メダルを獲得した次の2008年北京五輪を欠場した時には、バッシングを受けます。そして、2016年3月、リオ五輪の選考レースに破れ、引退を決意します。その年に結婚し、「普通の生活」をする中で、異業種の仲間もできたそうです。

 

そして、ついに、自分の日本記録が破られ、「日本記録保持者」という重荷がはずれて、心から、普通に走ることが楽しくなってきたようです。野口さんが、アテネ五輪で獲得した金メダルは、全国各地を一緒に走っていて、日焼けしているようです。(笑)

 

これからも、野口さんは、解説者として活躍をしながら、明日の日本を背負うアスリートたちを育てていくのです。

2024年

3月

17日

宇宙は「宝の山」

昨夜は、保育園が終わって、前の会社仲間と「おやじ3人」で飲んでいました。世代としては、「不適切にもほどがある」のドラマの主人公とかぶる、バリバリの昭和世代です。昨年4月に入社した新入社員への対応は、令和を意識して、プライベートなことへの介入はしないスタンス・・・でも、辞めてしまう若者が多いとのこと。「会社が合わない」という理由よりも、「同じ会社で長く働く気持ちなどさらさらない」という感じのようです。こうなると、採用の段階での人材の見極めと、採用してからの育成ビジョンが課題になります。う~ん・・・難しい世の中ですね。

 

さて、今日は「宇宙」の話です。壮大です。先日、日本の民間企業「スペースワン」の小型ロケット打ち上げが失敗する映像を見たばかりですが、宇宙開発には、失敗が伴うのが常です。失敗原因を分析し、次につなげてもらいたいですね。

 

昨年10月にNASAの新型探査機が打ち上げられました。目的地は、「プシケ」と呼ばれる小惑星です。約36億キロメートルの旅を経て、2029年に到着予定です。まだ、5年もかかりますね。このプシケは、小惑星の中でもひときわ変わった星で、金属だらけだそうです。全体体積の半分以上は、鉄やニッケルなどで占められていて、あくまでも単純計算ですが、このプシケの資源価値は、日本円にして、ゼロが20個並ぶ15垓(がい)円(1兆の15億倍)です。全世界のGDPを優に上回るという天文学的な数字です。

 

宇宙にある小惑星はこれまでに、ざっと130万個見つかっているそうです。日本でも「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」から持ち帰った土は、炭素でできた有機物を含む「C型」と言われるもので、水も豊富に含まれていると見られています。

 

月への移住計画なんて、一昔前なら夢物語だったでしょうが、今では、本気に考えている宇宙開発者が多く出てきました。ただし、ロケットで地球から月に水を運ぶには、水1リットルあたり1億円ほどの費用がかかると言われています。水は日常生活で使うほか、電気分解して水素燃料や酸素を生み出せます。月面開発で、世界各国が水資源の探査を急いでいるのも、水の確保が重要課題の一つだからです。

 

専門家の試算では、リュウグウに含まれる水は、月で1000人が500年暮らせるほど大量にあるそうです。

 

このように、宇宙は「宝の山」ですね。ただし、宇宙資源利用の最大のハードルとなるのが輸送コストです。また、現実的には、その資源をめぐっての争いも起きることは間違いないですね。

 

保育園のサマーキャンプでは、夜に天体観測を行います。かつては、土星の輪を見ることもできました。そんな、夢がたくさんつまった宇宙開発・・・子どもたちの世代が、平和的に進めてもらうことを期待したいですね。

2024年

3月

16日

親は名脇役

昨日は、さいたま市内の公立中学校の卒業式でした。保育園ホワイトきゃんばすの卒園児第一号が、4月から高校生になります。なんだか、うれしい気持ちになってきますね。

 

そして、本日3月16日は、JRの全国ダイヤ改正です。北陸新幹線の金沢ー敦賀間が開業しました。ということで、今日の園長課外授業は、大宮駅で新幹線を見よう!です。小学生と年長園児を連れて、電車で大宮駅に到着。入場券を購入して、賑わっている新幹線ホームへGO!・・・いきなり、はつかり号の細長い先頭車両に子どもたちは大興奮です。小4男子が「あれは、カモノハシからヒントを得て、風の抵抗を受けないようにしたんだよ」と知識を出してきます。こまち号、つばさ号が続々と入線し、いよいよ「敦賀行きのはくたか号」がやってきました。ま新しい「敦賀」の文字が光ります。

 

能登半島地震からの復興に向けて、富山県・石川県・福井県に元気になってもらいたいですね。大宮駅のコンコースには、福井県の象徴でもある「恐竜」がにらみをきかせていました。(笑) 

 

さて、受験シーズンが終わり、4月に向けての入学準備が始まっていますね。ある大学受験の親子のやりとりです。「試験当日、息子は『やらかした』と笑いながら帰宅。夕食を食べながら、息子の笑顔はいつしか引きつり笑いになり、気づけば必死で涙をこらえていた。そんな息子を前に、どう対応しようか悩んだ。息子が自分で失敗を悟り、悔やみきれない渦中にいる。とっさに口をついて出たのは、『大丈夫、これで終わりじゃないから。また次があるよ』後に、息子から『あの言葉で救われた』とお礼を言われた」と母親は、うれしい気持ちで話します。そして、こう言います。「どれだけ不安で頭がいっぱいでも、受験で親ができることは本当に限られている。あの時、ぐっと感情を飲み込んで、息子に『大丈夫』と言えた時が、私にとって受験の最大のハイライトだった」

 

中学受験は、「親の受験」と言われるくらい、親が関わることが多くなりますが、高校受験、大学受験と進んでいくと、主体は、あくまでも子どもです。このように、親のかかわりが上手にいけばいいのですが、受験をする子どもと同じくらい、親も緊張しプレッシャーを感じるのが現実です。

 

昭和のシーンでは、3食栄養バランスのとれた食事を作り、夜食も用意するのが受験生の母親の役割とされてきたのでしょうが、令和では、働く母親が当たり前ですので、こうはいきません。まさに、時代に合わせて変えないといけませんね。

 

そう考えると、令和の支え方は、あえて働く親の姿を子どもに見せることが大事なような気がします。子どもにとって、受験の目的は「○○大学に合格すること」で止まってしまうことが多いですが、実際は、「○○大学に合格し、そこで何をして、どんな将来を作っていくか」まで考えることが大切です。そこで、親の背中とか役割が発生するのです。

 

親子の絆はとても深いですが、親子の価値観は違うものですし、子どもには「子どもの世界がある」ことを心得て、親の仕事は、主役を支える『名脇役』でありたいですね。

2024年

3月

15日

エビフライのしっぽ食べますか?

今年度の夕方の寺子屋時間は、本日で終了です。年長園児にとっては、3年間、「寺子屋なんだから・・・」と言われ続け、夕方の異年齢での学び合いや体操教室の経験。そして、配膳や手洗い、寝かしつけなど、小さな園児の世話までずっと頑張ってきました。子どもたちは、毎日の活動の中で、気がつかないうちに色々なことができるようになったのです。

 

さて、突然ですが、あなたはエビフライのしっぽを食べますか。今日は、「エビフライのしっぽ 食べよう クラブ」という本を紹介します。

 

主人公のともちゃんは、さくさくで香ばしくて、スナック菓子みたいなエビフライのしっぽが大好きです。給食の時間に「エビフライのしっぽが一番おいしい」と言うと、隣の席の子に、「ともちゃんはなぜ、しっぽも食べるの?」と驚かれてしまいます。

 

ともちゃんは、しっぽを食べないなんて信じられない。でも、他の子に聞いても食べないと言われます。そして、仲良しの友だちにも笑われてしまうのです。家で、その出来事をおうちの人に話すと、エビフライのしっぽのおいしさを伝えればいいと言われます。そこで、考えたともちゃんは、「エビフライのしっぽたべようクラブ」をつくり、会員を募ります。

 

こんなストーリーですが、この童話は、「多様性」と「エビフライのしっぽ」を結びつけて、多様性を考える童話です。ともちゃんは、自分が大好きなエビフライのしっぽなんだから、自分が属する2班の仲間もみんな大好きだと思い込んでいたのです。しかし、聞いてみると、「そんなの食べないよ」という人ばかり・・・ともちゃんは、こうして、自分の考えとは違う人が多くいることを知るのです。

 

今の世の中では、会社でも学校でも、あらゆる組織で「多様性」という言葉が、「優先順位ナンバーワン!」のごとく輝いています。昨日、札幌高裁は、同性婚を認めていない現行制度の違憲性が問われた訴訟で、2審として初めて違憲であるとの判断を示しました。原告らは「思いに正面から応えてくれた。待ちに待った判決だ。あとは国会。明日にでも結婚できるようになってほしい」と、涙ながらにコメントする姿をニュースで見ました。

 

また、最近のテレビドラマや映画は、同性の恋愛や結婚に踏み込むストーリーが多いですね。まさに、「多様性を認めよう!」を訴えているかのようです。今は、「多様性キャンペーン」のような世の中になっていますが、あと数年たてば、「多様性」は当たり前で、議論する余地もなくなっているかもしれませんね。

 

本日、年長の女の子同士が抱き合って「○○ちゃんと結婚するんだ!」と言っていました。6歳の子どもたちが、18歳になった時には、たぶん日本でも同性婚が法律で認められる世の中になっているのでしょう。

 

保育園の子どもたちには、「自分の考えと違う人がいるけど、それは悪いことではなくて、世の中には様々な考えがあるんだよ」を分かりやすく伝えていきたいですね。

2024年

3月

14日

農業で未来をひらくプレーヤー育成

今日は、風もなく、ようやく「あったか屋上遊び」ができました。キタアカリという人気品種のジャガイモの植え付けをし、ビートルハウス横の木に、カマキリのたまごを発見しました。チビちゃんたちは、「えっこれがカマキリなの?」という顔をしますが、寺子屋園児になると、このたまごの中から、赤ちゃんカマキリが続々と生まれてくることを知っています。今まで、何度も保育園で観察してきました。

 

さて、今日は広島県立庄原(しょうばら)実業高校の話です。この高校のキャッチフレーズは、「農業で、未来を拓(ひら)くプレーヤーを創出しよう」です。文科省のマイスター・ハイスクールの指定校でもあります。

 

入学すると、最初に「10年後どんな農業を創りたいか」を問い、3年間を通して、フィールドリサーチやプロジェクト課題などに取り組んでいきます。特色的な活動の一つは、先進的な取り組みをしてる人物による授業です。通常の教員以外に「産業実務家客員」として任命し、より専門的な授業を行っているそうです。

 

例えば、「ドローンでの農薬散布」「GPSを活用して田植えを自動化する」「農業でもテレワーク導入」など、かつての「農業=3Kのイメージを払拭させる」ことも、これからの農業の大きなテーマと捉えています。生徒たちに、農業の世界は大きく進歩しており、多様な能力を持った人が集まって成立していることを伝えます。

 

生徒たちは、こうして最先端の技術を学びながらも、伝統的な農業もきちんと体験するそうです。それぞれの長所と短所を知り、視野を広げ、総合的に物事を考えられるようにしています。

 

3年生の生物生産学科の今年度のテーマでは、「牛舎の暑熱対策」「和牛の調教」「ホタルを増やし、人を集め、庄原のことを知ってもらおう」「激辛トウガラシで庄原をアツくする」などがあがりました。ホタルのグループでは、人が増えるとホタルが住みにくくなるという矛盾も経験します。失敗もまた、生徒たちにとっては大きな財産となるのです。

 

庄原実業高校の生徒たちの多くは、このような環境で学ぶことによって「自分の力で未来を創ることができる」と本気で考える生徒が多いそうです。最近は、就農する若者を取り上げるテレビ番組も多くなり、「自分の生き方」として、他の仕事を経験したうえで、就農を選択する人が多くなりました。過疎化という日本が抱える大きな問題も、「農業」を通じて、打開策が見つかるかもしれませんね。

2024年

3月

13日

フェアトレード拡大

卒園式の練習が進んでいます。卒園児の中には、「泣きそうになっちゃうよ」と言う園児もあれば、年中園児の男の子は、お世話になった先輩との別れがカウントダウンになってきたので、気持ちは複雑のようです。

 

さて、「フェアトレード」という言葉をご存じですか。保育園のあるショッピングセンターのコーヒー売場には、フェアトレード商品が並んでいます。先進国の企業や消費者が、発展途上国の生産者に適正な対価を払って商品を購入する仕組みです。かつては、途上国からの買い付け金額を叩いて、労働者を搾取するようなことが多くの国や企業で行われていました。コーヒー豆はその代表的な商品です。

 

日本のフェアトレードの草分け的な店舗は、1998年に開店した「ピープルツリー自由が丘店」です。店内には、バングラデシュの籠や、ボリビアのカカオのチョコレートなど約1000点が並びます。現在は、18か国の145の生産団体と取引しているそうです。

 

「『収益は、子どもの就学支援に使われます』など、1つ1つの商品にストーリーがあるのが、フェアトレード商品の魅力です」と店主の鈴木さんは語ります。私たちは、買い物で「モノ」を買うわけですが、そこに、購買意欲がそそられるような「コト」があると、買い物が楽しくなりますね。理由もなく(コトがなく)安いだけでは、モノは売れません。

 

フェアトレードの歴史は意外と古くて、1946年、アメリカのキリスト教系のNGOが、プエルトリコの貧しい女性が作る刺しゅう製品を購入し、教会で販売したことが始まりと言われています。途上国の生産者と家族が人間らしい生活を送れるように、公正な対価を支払うのが基本です。

 

日本でのフェアトレードの市場規模は、2022年は196億円です。「少ない!」と思った人が多いと思いますが、それでも、前年比124%で、2015年の倍になったようです。SDGs(持続可能な開発目標)や、環境や社会に配慮した商品を選ぶ「エシカル消費」への消費者や企業の関心の高まりが要因です。

 

しかし、国際フェアトレード機構の本部があるドイツの市場規模は日本の17倍です。欧米でフェアトレードが盛んな背景について「植民地にしていた途上国へのしょく罪意識もあるのでは」と言われていますが、まだまだ日本の市場規模は、大きくなることは間違いなさそうです。

 

名古屋市では、毎月5月に、全小学校で、フェアトレード食材を使った給食を提供しているそうです。神奈川県逗子市も5月に、飲食店約30店と協力してフェアトレード食材と地元の野菜や豚肉を使ったランチを出したそうです。

 

意識の高い人が、少しずつ増えているようですね。フェアトレード商品は、安い価格ではないことが多いです。でも、10回に1回の買い物でもいいので、無理のない範囲で、フェアトレード商品を買ってみてほしいと、関係者は語ります。

 

私が買うのは、コーヒー豆ぐらいですが、さらに意識を高めようと思います。

2024年

3月

12日

断食宿泊体験

今日の寺子屋では、卒園児一人一人の「いいところ・すごいところ・かっこいいところ」をみんなで答えてもらいました。年少園児の中にも、積極的に意見できる子がいました。「スポーツが得意で足が速いところ」「いつも優しくて、助けてくれるところ」「電車のことをよく知っているところ」「三つ編みの髪がかわいいところ」「足が長いところ」「こびとのことが一番詳しいところ」「女優さんみたいにかわいいところ」「着ている洋服がいつもカワイイところ」「お片付けをいつもちゃんとしているところ」「イケメンなところ」「お絵描きがとても上手なところ」…などなど、たくさんの意見が出てきました。子どもたちが、他の園児のいいところをちゃんと見ていることに、うれしい気持ちになりました。ステージに立つ卒園児に対して、「フレーフレー!」とエールを送って、素敵な「ほめちぎり」時間となりました。

 

さて、みなさんなら、「旅行」での楽しみは何ですか。多くの人が、その土地の料理と酒と答えるのでしょう。しかし、少し理解に苦しむところではありますが、今、断食を組み込んだ宿泊プランが人気のようです。

 

静岡県伊東市にある「ファスティングホテル海の杜」のオーナー吉田さんは、約20年間市内の断食道場に勤務し、多くの人の体が改善されるのを見て効果を確信し、満を持して2020年にこのホテルを開業しました。「東京から適度に離れ、仕事のストレスを忘れられる。近くに飲食店やコンビニもなく、断食に集中できる」環境だそうです。ファスティングの意味は、一定の固形物をとらずに断食することです。水などの水分はOKという考えだそうです。

 

断食中は、食事の代わりに1日3回、インド原産の植物・モリンガの粉末が入ったリンゴジュース2杯と梅干し、レモンを口にします。モリンガは栄養素を多く含む「スーパーフード」だそうです。意外においしいとのこと。

 

ある会社員は、年に4回ほど、3泊4日滞在するそうです。外で飲むことが好きで、食生活が乱れたらリセットしに来るそうです。「胃が小さくなり、少量で満足できるようになる。空腹になると神経も研ぎ澄まされ、脳が若返る感覚になる」と言います。

 

「イスラム教などの宗教的な断食を除けば、一昔前の断食は、やせるために行うことが多かった。しかし、今はデトックス(体の中の老廃物を出す)したい、ストレスを解消したいなど、心を整える目的で行う人が増えている」と専門家は解説します。「現代人は何を作るか、誰と食べに行こうか考えるなど、1日のうちに食に費やす時間が長い。たまに断食し、余った時間で自分に向き合えば、ビジネス上のひらめきにつながることもある」とも言います。

 

どうですか・・・ちなみに、ファスティングホテルの1泊料金は、1万5000円~とのこと。断食明けには、重湯と具なしみそ汁、大根おろし・梅干しの朝食が出るそうです。

 

私の辞書には、今のところ「断食」の文字はありませんが、体も心も良くなるのであれば、一度やってみようかなぁ~と、思えたらいいですね・・・みなさんはいかがですか。

2024年

3月

11日

イエナプラン学習会

今日は、3・11です。2011年3月11日に東日本大震災が発生し、13年が過ぎました。いまだに故郷に帰れず、県外含めて避難生活を送ってる人も多くいます。元日の能登半島地震を受けての交流も見られますね。

 

朝の会では、子どもたちに「2011・3・11 14:46」というタイトルのスライドショーを見せました。ただ数字が並んでいるだけなのに、3月11日がわかった園児が何人かいました。続けて、津波・被災した街や家・レスキュー隊での救助シーン・避難所生活・コンビニの棚が空っぽ・駅で電車を待つ会社員・復興シーン・・・などの画像を観ながら、子どもたちとのやり取りが続きます。子どもたちには、「お家に帰ったら、ママパパに、3・11の時は、何をしていたか聞いてごらん」と話します。戦争と違って、すべてのママパパが経験した3・11です。それぞれの家庭で、親子の会話をすることが大切ですね。

 

さて、昨日は、コロナ禍でずっとできていなかった、イエナプラン学習会に参加し、約4年ぶりに、学習会のメンバーと会うことができました。イエナプランとは、オランダで行われている「学習スタイル」の一つです。このブログで何度も話をしていますので、詳細は、ネットで調べてください。

 

日本イエナプラン教育協会さいたま学習会の取りまとめ役が、何と、長野県にある日本初のイエナプラン校の「大日向(おおひなた)小中学校」で、教員として勤務しているとのこと。男の子3人のママですが、大宮から新幹線通勤でがんばっているそうです。彼女のオランダでのイエナプラン校の視察ビデオを観ながら、「あーだこーだ」語り合います。

 

オランダのイエナプラン校は、日本の学校とは全く違うイメージで、学校内のいたるところに「アート作品」があり、いつでも子どもたちが話し合える、ソファーがたくさんあります。日本の保育園や幼稚園にあたる、幼児クラスの教室は、まるでテーマパークのように、遊べる環境が整っています。日本との大きな違いは、「すべて、子どもたち本人に選択をさせる」という環境です。

 

幼児クラスのには、ボードがあり、自分の名前をそれぞれの遊びのところにセットします。「今日私は、○○で遊ぶ」と、自分で選択するのです。小学生になれば、1週間の時間割は、自分で決めることになります。もちろん、日本の学校で行っていることでいいこともたくさんありますが、オランダでの「自分で決める」という習慣は、小さなころからの積み重ねですので、社会に出て大いに役立つことになります。

 

今回は、小学校教員、高校教員、そして世田谷区の区議会議員が新たに参加されました。議員さんは、教育改革の柱に「イエナプラン」を考えているようです。結局は、教育委員会のトップである教育長のやる気次第のようなので、いかに、教育長に「イエス!」と言わせるプランが出せるかですね。広島県や愛知県では、公立のイエナプラン校がありますので、上手に、他県を参考にすればいいのでしょう。

 

子どもをど真ん中にした話し合いができ、有意義な時間を昨日は過ごすことができました。

2024年

3月

10日

福井県坂井市

いよいよ、3月16日に北陸新幹線が「金沢ー敦賀間」開業となります。能登半島地震で、石川県を中心に復興もままならない地域が多いですが、少しでも明るい方向へ進んで欲しいですね。

 

今日は、そんな福井県にある「坂井市」の話です。福井市のとなり、東尋坊があるところです。人口では、福井市に次いで、福井県第2の都市です。そこには、小玉さんというスーパー公務員がいます。

 

坂井市も「人口減」に直面する地方自治体です。全国の多くの自治体は人口減を食い止めようと、移住者の募集に注力するところが多いですね。住宅や雇用に対する支援を積極的にアピールし、地方への移住を後押しするといったイメージです。

 

しかし、小玉さんは、「地域に定住してもらえる施策を打ち出すのも行政の仕事だ」として、自分たちが暮らす地域の魅力を認識することで、地域への愛着を持ってもらうプロジェクトを提案し、進めています。今年度は、福井県坂井市の魅力を言語化するブランディング推進事業を手がけています。市内に暮らす高校生や大学生など計40人で、地元の魅力についてワークショップ形式で語り合うことから始めます。初回は、一人20個の坂井市の魅力をリストアップすることです。

 

40人×20個で、合計800個の魅力から、もっと深掘りしたい「ヒト」や「モノ」を選び出します。例えば、「竹田地区のキャンプ場の管理人さんが面白いから会いに行ってみよう!」といった具合に、地元の人でも知らないことばかりが出てきます。

 

市民の投票も経て、ブランドメッセージは「らしさ、かがやく。」に決まりました。小玉さんは、坂井市には、自分らしさを大切にして、生き生きと暮らしている人が多い。そんな思いが、この言葉に込められていると言います。そして、ブランドメッセージから派生したロゴマークや公式キャラクター(名探偵をめざす探偵犬のかわいいイラスト)もできあがりました。

 

玉井さんは、入庁4年目でふるさと納税の担当になり、特産品を製造する企業を取材するうちに、地元の魅力を肌で感じるようになったそうです。「坂井市には何もないという人もいるが、それは違う。何でもある。ただ、価値が言語化されていないだけだと気づいたんです。若者が集まり、地元のことを知る機会をどんどん作っていきたい。少なくとも魅力を知らないまま都会に出ていく若者は減らせるはずです」

 

どうですか・・・こんな「まちおこし」もありですね。私たちは、自分が住んでいる町の良さをもっと深掘りできるかもしれません。そして、人口減の最大要因の「若者が都市に出ていく」を食い止めることにつながるのです。

2024年

3月

09日

四国アイランドリーグ

笑わないで聞いてください。卒園児の中には、小学校で「トイレの花子さん」が出るんじゃないかと、心配する園児が数名います。本日登園した小学3年生の卒園児は、何と「3階にある3年3組」です。女子トイレの入口から3番目のトイレに、花子さんが出るというのが物語のストーリーです。卒園児が、「何度も3番目のトイレを使っているけど、今まで一度も花子さんには会ったことがないよ」と言うと、年長園児に笑顔が広がりました。「何だ!トイレの花子さんなんかいないじゃないか!」となったのです。月曜日に、本日登園した年長園児が、伝言ゲームで伝えてくれるでしょう。(笑)

 

さて、連日報道される野球の話題といったら、大谷翔平選手ですが、日本野球機構(NPB)にも属さず、独立リーグという形で、四国4県で4チームが所属するのが、「四国アイランドリーグ」です。3月30日の開幕で、20年目を迎えます。このリーグは、元西武ライオンズの「ミスターレオ」こと石毛宏典さんが主導して発足したので、覚えている人も多いと思います。

 

四国アイランドリーグからは、昨年秋のドラフト会議で、過去最多の9名が指名されました。プロ野球のドラフト会議は、高卒・大卒・社会人という枠がメインでしたが、最近では、育成枠で獲得する制度ができたことにより、四国アイランドリーグに限らず、各地域の独立リーグからドラフトにかかることが多くなったのです。千葉ロッテマリーンズで首位打者になった角中外野手や読売巨人軍の増田内野手も四国アイランドリーグの出身です。

 

しかし、四国アイランドリーグの選手が食べていくには、厳しい現実が待っています。月給は約10万円でオフシーズンは無給です。選手は、大半は2年で入れ替わる厳しさだそうです。それでも、NPBのプロを目指して努力を続けるのです。

 

地域の支えあっての四国アイランドリーグですが、2023年の1試合平均の来場者数は314人です。当然、入場料を柱としての経営は成り立たず、スポンサー費が球団収入の多くを占めることになります。選手は、野球教室やイベントに参加し、オフには飲食店や農家などのアルバイトで人手不足の解消に一役買っているようです。この地道な営業や地域密着で、各球団のスポンサー数は、数百にもなるそうです。

 

高知の選手に寮を提供する高知県佐川町の片岡町長は、「年に40人ほどしか子どもが誕生しない町に、30人の若い選手がおり、大いに活気をもらっている」といいます。また、「応援が生きがいになっている」とう町民も多いそうです。まさに、地域に健全な娯楽として、「野球」が根付いていることがわかりますね。

 

しかし、コロナ禍で、解散せざるを得ないリーグもあり、独立リーグを維持していくことは、資金面では、かなり苦しい環境にあることは間違いありません。それでも、2021年には「九州アジアリーグ」が4チームで開幕し、2022年には北海道フロンティアリーグも設立されました。3チームでのスタートですが、地域に賑わいと与えているそうです。

 

私が小学校6年の時の担任だった星野先生は、大の広島カープファンでした。広島出身ではありません。星野先生はいつも、「いいか。日本のプロ野球球団は、必ずチーム名の最初に会社の名前が付くだろ。でも、広島カープだけは、球団名が『広島』から始まるんだよ。広島の人たちがみんなでカープを応援するのがわかるだろう」と言っていました。

 

どうですか・・・たまには、大リーグのドジャースの話題ではなく、日本のプロ野球でもなく、独立リーグに目を向けてみませんか。きっと、人間臭い、感動の物語があるはずです。

2024年

3月

08日

女性と社会の変化 つづき

今日は天気予報通り、深夜から雪が降りました。火曜日の雪は「聞いてないよ!?」でしたが、今日は「予報通りだな」ですね。1週間で2回も雪が降り、春のような気候だった2月と違って、3月に入ると、春がなかなか来ませんね。

 

さて、昨日の「女性と社会の変化」のつづきです。

 

2003年に、酒井順子さんの著書「負け犬の遠吠え」がベストセラーになりました。「30代以上・未婚・子ナシ」の女性の生き方が肯定的に書かれた本です。一方、少しずつですが、大手企業を中心に、産休・育休制度が充実し、時短勤務の導入も始まってきました。そんな世の中の環境の変化で、女性が働き続けることのハードルは下がり、ワーキングママが多数派になってきました。2015年には、女性活躍推進法が成立し、政府もメディアも待機児童問題、ワンオペ育児問題など「子どもを産んだ女性をどう支えるか」ばかりを取り扱うようになります。

 

保育園ホワイトきゃんばすは、2012年に開園しましたが、まさに、待機児童問題がこれから大きくなっていくというタイミングでした。私は、「子どもに関わる仕事で社会貢献をしていきたい」という気持ちで、保育園ホワイトきゃんばすを立ち上げましたが、現実的なモノサシでは、需要が見込めるという判断がありました。

 

「仕事と子育てを両立させる女性を守る!」に報道が偏ると、その結果、独身や子どものいない女性たちが居場所を失います。「働くママはそんなに偉いですか?」「子なしハラスメント」「子ども=幸せの図式が息苦しい」という意見も出てきました。

 

もうこうなると、産んだ女性も産んでいない女性も、独身も既婚も、すべての女性たちが苦しむような感じになっていたのかもしれません。ただし、この段階では、男性側の意識は、ほとんど変わっていなかったのです。

 

そんな中、2015年に「資生堂ショック」と言われる事件が起きます。女性が働く理想の会社と言われた資生堂が、育児中の女性にも夜間や土日の出勤を促すよう方針転換したことをNHKが報じたことで大きな話題となりました。

 

実は、資生堂はキャリア支援の意義があると考えたのです。「過剰な配慮よりも、働きに対する評価が欲しい」と考える女性が多かったからです。潜在的に、働きながらキャリアを積みたいと考えていた女性たちの支持を得るのです。

 

そして、ようやく、家事育児に男性が主体的に参画すれば、女性はもっと自由に働くことも生きることもできるという、当たり前のことに気づく契機となったのです。保育園ホワイトきゃんばすでは、ここ2年で出産した家庭のパパの多くは、長期育児休暇を取得しています。「子どもが生まれたから、父親も休むのが当然」という意識からです。

 

多様化の時代と簡単に言ってしまえばそれまでですが、女性といってもひとくくりではありません。子育てする人も、シングルを選ぶ人も、働く人も、いまはプライベートを重視したいという人も、いろいろな『自分らしい』選択が柔軟にできるようになれる社会。そして、それは、男性を含めたすべての人が働きやすく、生きやすい社会であるのです。

 

「そんなの理想だよ」と笑うなかれです。私たちは、時代の流れの中で、良い社会を作り続けることが必ずできるのです。

2024年

3月

07日

女性と社会の変化

屋上遊びでは、ドッジボールブームが続いていますが、小学生になっても休み時間には、よく遊ぶスポーツですので、園長は、熱く指導しています。といっても、保育園児のドッジボールですので、逃げ回っている子がほとんどです。きちんとボールをキャッチできる園児は、年長男子の一部だけです。しかし、今日は女子が初めて、男子が投げるボールをキャッチすることができました。試合を中断して、皆で「拍手!」です。こうして、自信を持って、さらに上達していくのです。

 

さて、明日3月8日は「国際女性デー」ですので、ここ、ざっと30年の、女性と社会の変化について、考えたいと思います。かなり深いテーマです。そして、男性である私の話ですので、女性が読むと「ちょっと違う」があるかもしれませんが、おつきあいください。

 

1996年に「インスタントラーメン離婚」が話題になったのを知っていますか。午後10時過ぎに、残業を終えて帰宅した会社員の女性(29歳)は、先に帰宅していた夫から「ラーメン作れ!」と言われ、口を一文字に結んだまま、買い置きのインスタントラーメンを一人分作って、どん、とテーブルの上に置いたのです。そして、「こんなことぐらい、やってくれて当然だ」と思っていた夫に、離婚届が付きつけられるのです。今の時代なら、「モラハラ夫」として、バッシングを浴びるのでしょうが、約30年前では、「インスタントラーメン離婚」という名前まで付くような事件となったのです。そして、この話題以降、「女性の生き方」が語られるようになったのです。今までは、働く女性は少数派で、結婚・出産で寿退社という路線が当たり前の選択肢だったからです。

 

そして、2000年代に入ると、女性の未婚率が上がり始めます。同時に、共働き世帯数が、専業主婦世帯数を上回り、その差がますます広がり、女性が働くことが当たり前になっていきます。

 

そうなると、「働く女性の出産」「働く女性の子育て」「専業主婦VS働くママ」といった、出産や子育てが、仕事をする女性に与える影響が大きく取り上げられます。まだ、保育園の数も今のように多くなかったので、仕事は続けたいけど、会社を辞めざるを得ない女性が出てきます。その後、「35歳以上の出産」など、働く女性に対して、「キャリアか子どもか」という二者択一が迫られるようなるのです。

 

今では、女性の第一子の平均出産年齢は30歳を超えていますが、つい、20年前までは、キャリアのために子どもを諦めるとか、育休が認められないとか、高齢出産で参観日におばあちゃんと間違えられることに怯えるといった、ウソのような本当の話もありました。働く女性の多くが、周囲の心無い言葉や対応に傷ついていました。

 

私が、新入社員研修を受けた時の話です。本社人事部に女性の課長がいました。独身だったので、「○○課長はオールドミスだ!」なんて、私は心無い発言をしていました。私は、1987年入社ですが、この時は、誰一人「おまえ!なんてこと言うんだ!言葉を慎め!」と私を説教する人がいませんでした。私の心ない発言で、女性課長の心に大きな傷を負わせてしまったのです。「白石課長・・・本当に申し訳ございませんでした」

 

ここまで、まだ2000年に入ったばかりです。この後も女性と社会はどんどん変化していきます。つづきは、「国際女性デー」のあした・・・

2024年

3月

06日

頼る者と頼られる者

「えっ!?雪が降るって言ってたっけ?」と、今朝は多くの人が思ったことでしょう。私も、起床して新聞を取りに行こうとすると、外がやけに明るく、玄関を開けると驚きの銀世界です。

 

こうなったら、保育園では、屋上で雪遊びだ!としたのですが、雨が降り続いて、雪はほとんど解けてしまいました。それでも、子どもたちは、畑や草むらから、雪を集めます。感動したのは、こんな天気の中で、菜の花がつぼみを広げて、まさに咲こうとしているではありませんか。植物の生きる力に魅せられました。

 

さて、私はそれなりに人生経験を積んでいますので、リーダー論にも持論があります。「リーダーシップ=影響力」が私の考えです。声が大きくて「俺についてこい!」タイプがリーダーとは限りませんね。リーダーは、周りの人にどれだけ影響力を与えることができるか・・・という考えです。もちろん、どんな行動が影響力につながるかは、その人なりに違いがあるものです。

 

人は、職場などの組織の中で、経験年数を重ねたからといって、すべての人がリーダーになれるというものではありません。どうしても、リーダーに向く人と向かない人がいます。では、その分岐点は何なのか。それは、いざという時に、人に頼るか、人から頼られるかの違いという考えがあります。あくまでも、リーダー論の一つと思ってください。

 

ある企業での中堅社員Aさんは、人の考えをよく聞いた上で、自分の考えをしっかり持って相手に伝えます。常に自分の考えを相手に分かりやすく伝える姿勢は、謙虚ながらも、頼りがいがある人として見られていました。おのずと、仕事やプライベートでも、彼はしばしば相談されたり、考えを聞かれたりしています。

 

それとは反対に、何か問題にぶつかると、その解決のために努力することなく、人に頼る人もいますね。どう考えても、このタイプは、いくら経験を重ねてもリーダーには不向きと言わざるを得ません。

 

どうですか・・・リーダーになることが、組織での存在価値を高めることに、直接つながるわけではありませんが、他人に頼ってばかりの人になるよりも、他人から頼られる人になりたいものですね。

 

このリーダー論・・・なかなか、的を得ていると思っています。保育園の子どもたちを見ていると、頼られる園児は、他人のことやチーム全体のことを見ることができる子です。この春、小学生になる年長園児たちには、「小学生になったら、人から頼られる人」になってもらうように、残り少ない時間を過ごしていきます。

2024年

3月

05日

さよならチェルシー

新年度の6月に予定している、1回目の社会科見学が決まりました。ロッテ「お菓子の学校」です。武蔵浦和にあるロッテの工場見学です。「お菓子の学校」は、とても人気があって、学校などの団体は、3月1日14:00から、令和6年度分の年間予定の受付となっていました。ネットではなく電話受付です。私も電話をかけまくったのですが、「ただいま電話が大変込み合っています。時間を置いてかけなおしてください」が続きます。でも、ようやく予約が取れました。年長と年中園児を連れて、お菓子工場見学です。今から楽しみですね。

 

さて、お菓子といえば、明治製菓から、チェルシーの販売を3月末で出荷終了するという発表がありました。昭和世代にとっては、懐かしいお菓子がまた消えてしまうと、悲しい気持ちになりますね。

 

「チェルシー」は、英スコットランドの伝統的なキャンディをヒントに、1971年にバタースカッチ味とヨーグルト味で発売されました。黒地に花柄の包装も親しまれましたね。そして、何といっても、小林亜星さんが作曲したCMソング「♬ホラ、チェルシー もひとつチェルシー♪」「あなたにも チェルシーあげたい」のフレーズは、広く世の中に浸透し、私も自然と口ずさんでいました。

 

しかし、販売が低迷します。データでは、売上のピークは2002年度の約25億円。しかし、2022年度は約5億円まで落ち込んだそうです。明治製菓は、これでキャンディ事業から撤退となります。時代の流れで、キャンディに代わって、現在売上を伸ばしているのが「グミ」だそうです。あと数年で、市場規模でもグミがキャンディを追い抜く見込みだそうです。

 

昨年6月に、明治製菓の坂戸工場へ工場見学に行ってきました。ここでは、主にアポロチョコレートなどのチョコレート菓子を製造していますが、つい数年前までは、あの「カール」を製造していたのです。坂戸工場には、まだ「カールおじさん」のオブジェが記念撮影用に残されています。

 

カールは、東日本エリアで販売が休止となりました。「何であのカールが!?」と思った人が多いと思いますが、カールもまた同様に売上低迷商品だったのです。1968年に発売が開始されたカールの売上の最盛期は1990年代で、年間190億円も売っていました。ところが、2017年には約60億円と、1/3以下になってしまったのです。特に、東日本エリアは、人口が少ない九州エリアよりも売上額が少なく、工場を四国の1か所に絞ることで、生産性と物流コストを下げ、西日本のみの販売としたそうです。

 

カールの売上低迷の一番の原因は何だと思いますか。

 

カールはトウモロコシから出来ていますが、ジャガイモから作る「ポテトチップス」に大きくシェアを取られてしまったのです。スーパーの棚には、ポテトチップスの種類が、数えきれないほどありますね。

 

菓子業界にとって、発売以来「ずっと愛され売上も落ちていない」商品は、ごくわずかです。ましてや、洋菓子は「ブーム」となって話題に上がることも多いですが、すぐに飽きられてしまうリスクが伴います。

 

ともあれ、昭和の懐かしいお菓子がなくなるのは、寂しいですね。カールは、まだ西日本やネットで購入できますが、チェルシーは、本当に「さよなら」です。私は、今日買って帰ることにします。(笑)

2024年

3月

04日

こどもの本総選挙

今日はあったか屋上でした。園長は久々にノックバットを振ります。外野からの返球を内野へ中継プレーができるようになってきました。ボールを後ろにそらし、返球も暴投ですが、夢中の子どもたちです。まだまだ、野球とは言えないレベルですが、昭和の野球部監督のように「ケツバット」はしません。(笑)

 

さて、先月「こどもの本総選挙」の発表がありました。NPO法人こどもの本総選挙事務局が主催し、全国14万人の小学生が選んだ本です。絵本も含むすべてのジャンルが対象です。見事、1位に輝いたのは、ヨシタケシンスケ作の絵本「りんごかもしれない」です。知っていますか。

 

ある日、男の子が学校から帰ってくると、テーブルのうえにリンゴが置いてありました。

しかし、そのりんごを見て、とある疑問を抱いてしまった男の子。

「もしかしたらこれは、りんごじゃないのかもしれない」

りんごがりんごであることを疑う男の子の想像は、とどまるところを知らずにどんどん大きくなっていきます。

これはりんご型のメカかもしれない!?機能満載、リンゴメカの解剖図!

らんご、るんご、れんご、ろんご!?奇妙キテレツな形のりんご兄弟たち!

ほんとはオシャレがしたかった!?いろんな髪形、りんごのファッションショー!

はたしてこれは本当にりんごなのか??

男の子が思い切って、ひとくちかじってみると……

 

たった一つのりんごなのに、男の子の発想が広がっていって、読んでいる子どもが、どんどん引き込まれていくような内容です。これは、作者のヨシタケシンスケさんが10年前に発表したデビュー作です。

 

ヨシタケさんが、「りんごかもしれない」の完成エピソードを語ります。「最初は、りんごをいろんな国の言葉で言いかえてみたり、だれがいつりんごを食べ始めたのか歴史をさかのぼってみたり、教科書みたいな絵本を考えていたんです。でも、それじゃ全然面白くなかった。で、思いついたんです。『りんごに見えているけど、そうじゃないかもしれない』っていろいろ考える話にすれば、面白いなぁ~って。頭のなかで想像するのは、自由ですからね」

 

私たちは、大人になればなるほど過去の先入観にとらわれて、決め込んだり、思い込んだりすることが多くなります。その点、子どもの発想は自由で、大人の想像を超えて、「はッ!」とさせられることが多いですね。

 

小学生14万人の総選挙で、見事に1位になった「りんごかもしれない」を、一度読んでみたらいかがですか。

2024年

3月

03日

お寺プロレス

今日は朝からいい天気です。何より風がないのがうれしいです。この1週間は、強風との戦いを子どもたちは強いられました。今年は暖冬でしたが、冬らしい寒さを今になって感じますね。

 

さて、寺の境内でプロレスラーが宙を舞い、激しい技を繰り出す「お寺プロレス」が、昨日、埼玉県越谷市の「安国寺」で開かれたそうです。主催は、安国寺の副住職で現役女子プロレスラーでもある「雫 有希(しずく あき)」さんです。

 

雫さんは、ある時は仏様の前で念仏を唱える僧侶。そしてある時は実力派の女子プロレスラーです。まるで、キューティーハニーのようですね。(笑)

 

実力派と言ったのは、彼女が大学時代に、全日本レスリング選手権大会67キロ級で銀メダルを獲得するという結果を残し、女子プロレスラーへの道を歩み出したからです。中学生の時にプロレス観戦をし、その魅力にはまり、母親に「プロレスラーになりたい」と訴えると、まずは「アマチュアレスリングに挑戦しなさい」と言われます。母親は、厳しい練習に音を上げて、プロレスへの道を断念すると考えたそうですが、結果は、実力派女子レスラーが誕生したのです。現在は、伝説の女子レスラー、長与千種さんの「マーベラス」に所属しています。

 

そして、もう一つの雫さんの顔は僧侶です。親の実家である安国寺はもともと親戚が継いでいたようですが、その方に子どもがなく、雫さんの父が住職を引き継ぐことに。それによって雫さんが18歳の時に寺の後継者となったのです。「仏教のことも知らないし、すごく反発しました。でも好きでもないお坊さんと結婚して継がされるくらいなら自分が僧侶になった方がいいと思って、僧侶の資格を取ったんです」と言います。月に1回行う「念仏会」や法要など、僧侶の務めにも力を注いでいます。

 

お寺プロレスは、チャリティーで行われ、集まった募金は、「きらきら太陽プロジェクト」という事業団体を通じて、乳児院に寄付されています。この慈善事業団体の主宰も雫さんが務めています。3足のわらじを履いているのです。

 

雫さんは、静と動という対極にも思える僧侶とプロレスラーには共通点があると言います。「僧侶は人の悩みや苦しみを受け止めて導くのが役割。プロレスは相手の技を受け止める中で勝機を見出すスポーツ。他者を受け入れるという姿勢は同じなので、私の中では

2つの仕事に違いは感じません」

 

一度、レスラー雫有希のラリアットを境内で観戦したいですね。

2024年

3月

02日

「うさぎや」のどら焼き

今日の昼時間、運動会を行う西文ひろばで、小学生と年長園児で「鬼ごっこ」などをして遊んでいました。すると、昨日卒業式だった高校3年生のサッカー女子が、一人で練習にやってきました。小学校4年の男の子が、中学生になったらサッカー部に入りたいというぐらいサッカーにハマっているので、指導してもらったのです。彼女に色々と話を聞いていくと、凄い選手であることが分かりました。さいたま市西区の宮前小学校の卒業です。新潟のサッカー強豪校で、高2の時に全国大会にスタメンで出場します。大学はサッカー推薦で、全国を狙う強豪大学に入学が決まったそうです。彼女のポジションは、センターバックです。全体の動きが良く見えるので、司令塔の役割を担っているようです。

 

将来は、指導者の道に進みたいというビジョンを持っていました。言葉遣いもとても礼儀正しく、将来設計もきちんとあって、とても感心しました。小4の男の子は、「ボールの回転がいつも同じで、まっすぐパスを返してくれる・・・凄い」と言っていました。大学でも、大いに活躍してもらいたいですね。

 

さて、今日は「どら焼き」の話です。私は、洋菓子も和菓子も大好きですが、どら焼きと言えば、すぐに思い浮かべるのが、「うさぎや」のどら焼きです。創業100年以上の上野にある和菓子屋さんです。看板商品のどら焼きを求めて、朝から行列ができるお店です。

 

うさぎやには、伝統の味を守る、餡一筋30年の橋本さんという職人がいます。どら焼きは、一日に7千~1万個を作るので、朝6時から4台の釜をフル稼働させ、前日から水に浸しておいた小豆を煮始めます。そこから3時間半、釜から目を離すことはないそうです。火加減、水加減、甘味を調整しながら、木べらから伝わる感覚だけで、ほど良い練り具合へと仕上げていきます。

 

橋本さんは、「すし職人が手袋をつけて、すしを握らないのと同じで、和菓子の味を決めるのは手」と言って、素手で蒸したての饅頭を触るそうです。「煮る時は、支度を万全にする。必要な道具を事前に用意していなければ、取りに行く間に煮詰まってしまう。作る目的を明確にしておかないと、正しい段取りで作れない。どのように煮たかで、正直に結果が出る」とも言います。

 

実は、15年ほど前に、誰でも作れるようにレシピを作ったそうです。しかし、完璧と思われたレシピは意味をなさず、味が変わってしまったそうです。「うさぎや」のどら焼きは、職人による手作業が、伝統の味を守っているのです。

 

1個240円・・・私は、決して高いとは思いません。どうですか・・・「うさぎゃ」のどら焼き、食べたくなりましたか。

2024年

3月

01日

血液型を知らない子

大谷選手の結婚報道で、世界中が大騒ぎですが、2月29日が入籍日なら、結婚記念日は4年に一度ということになりますね。はい、誰も話題にしませんね。(笑)

 

今年は、3月3日のひな祭りが日曜日なので、保育園のおやつの時間は「ひな祭りスイーッ」を楽しみました。ひし餅にちなんで、3層のババロアの上に、生クリームとイチゴをトッピングします。お昼の勉強タイムに、年長園児がパティシエになって、園児全員分のトッピングを行いました。おいしいだけでなく、「自分で作った」ことが、さらに強い思い出につながったようです。

 

さて、「あなたの血液型は何ですか?」に、答えられない子どもが多いのを知っていますか。保育園の入園手続きの際に、母子手帳の血液型の欄が空白の園児が多いです。かつて、病院が行っていた出生時の血液検査を現在は行っていないからです。私の次女も、しばらくは血液型が不明でした。献血をした時に、A型であることが判明し、私と同じということに、意味なくうれしかった記憶があります。(笑)

 

血液型を知らなくても、手術などが必要になった時には医療機関がちゃんと調べるので問題ないのだそうです。

 

ところで、私のような昭和世代は、血液型で性格が決まるとか、血液型占いなどが大好きです。A型は几帳面で、B型はズボラだけど天才肌。AB型は変人が多いと、初対面の人に血液型を聞いて、その話題で盛り上がることも多かったですね。元会社の先輩のSさんは、相手の血液型を当てるのが得意でした。並んだ順番に、次々とA型・B型・O型と当てていくのです。正解率は99%くらいで、ビックリするくらい凄かったです。

 

例えば、アナウンサー教育では、「血液型で性格が決まるという、いわゆる血液型占いには、科学的根拠がないにもかかわらず、広く信じられている。わかままとかおおらかとか血液型で性格を決めつけてかかったり、仲間はずれにすることもある。放送で誤った情報を拡散しないように」と教育されています。学校の先生なども、子ども同士で血液型の話になったら、耳を傾けないといけませんね。

 

それでも、血液型と性格は関連性があると信じる人は少なくないような気がしますね。こればっかりは、時代の流れの中で、今の子どもたちが大人になる頃には、「ねぇ、何型?」なんて言う会話は、死語になっていくのでしょう。

 

でも、やっぱり血液型が気になる、昭和世代の私です。(笑)

2024年

2月

29日

昭和がうらやましい

3日続いた台風並みの強風が落ち着いて、今日は思いっきり屋上で遊びました。畑仕事にも子どもたちは参加します。長ネギを植えました。「ネギ大好き!」という園児は、皆無ですが、6月ごろに、この長ネギが収穫となり、子どもたちへのお土産になると、おうちでバクバク食べてしまうのです。収穫体験などが、子どもの「食べたい」につながることは、ホワイトきゃんばすでは、日常茶飯事です。(笑) 

 

さて、「不適切にもほどがある!」のドラマの影響もあって、にわかに「昭和」にスポットが当たっているようです。体罰やセクハラを経験した人は、「昭和なんて嫌だ!」と思うかもしれませんが、いいところがたくさんあって、「懐かしく」思えてきたという人が増えています。私もその一人です。

 

困った時には助け合い、徹夜もいとわず仕事に打ち込む人がそこら中にいたあの頃の「昭和」・・・令和の現在は、コンプラコンプラと言うわりには、「勝ち負け」がすべて。格差も拡大し、ネットの世界では「自分がやられて嫌なことは人にはしない」という最低限のルールさえ守られない。

 

こう考えると、当時は少し窮屈と思った昭和社会の雰囲気も「むしろよかったかも」と感じるのは、私だけではないようです。

 

昭和と令和の違いが顕著なのが「大阪万博」に対する国民の反応です。来年2025年(令和7年)に予定されている大阪万博は、「パビリオンの建設が間に合わない」「インフレと円安で経費が膨れた」「アンバサダーの松本人志が活動休止」など悪い話ばかりで、国民の反応も鈍いままです。一方、1970年(昭和45年)の万博は違いました。日本国民の大勢が、万博に行きたいと夢を見ました。私も、記憶にないですが、新幹線に乗って大阪万博に行ったそうです。岡本太郎さんの「太陽の塔」が象徴的な存在で、政治家だけでなく、あらゆる職種の人が懸命に協力し合ったのです。

 

時代が流れ、当然、人にとって「良かれ」と思う方向に進んでいるはずですが、どうも、昭和は「困った人がいたら助ける」と心の底から多くの人が思っていたのに、令和では「人の役に立つ仕事に就きたい」と言っておきながら、どこまで本心なのか?と思ってしまいますね。

 

もう一度、昭和のいいところを探してみませんか。

2024年

2月

28日

保健室

3日連続で、屋上は強風です。しかし、多くの園児が「子どもは風の子」になって、風を切って走っている姿に、なんだか、うれしくなりますね。

 

先日、小学校1年生の授業参観に出席し、卒園児の男の子のクラスに行ってみると、「○○君は、給食の時に具合が悪くなって、保健室にいるよ」とクラスの子が教えてくれた。保健室を訪れると、男の子は、ベッドで静かに寝ていました。保健室には、3つベッドがあり、ソファでは、子どもの話を聞いている養護教諭の姿がありました。

 

学校の中で、保健室は子どもたちにとって、欠かせない「居場所」ですが、今日は、東京都足立区にある小台橋(おだいばし)高校の保健室の話です。保健室の役割は、心身の不調で駆け込む生徒の訴えに耳を傾け、校内で共有。教員らと一緒に、生徒の成長を話し合う場ともなっているようです。

 

小台橋高校の保健室には、毎月延べ約100人の生徒がやってきて、二人の養護教諭が対応します。「他の高校と比べて、人数は多くない。けれど、対応に時間が必要な生徒が多い」と言います。

 

「教室に入れなくて、話を聞いてもらえますか」と一人の生徒がソファにぐったり座り、小さな声で切り出します。「朝、どうしていいかわからなくなって。また朝からやっちゃった」・・・手首に、刃物で傷つけた痕があります。二人の養護教員は傷を確認し、包帯を巻きながら「それで、落ち着いたの?」と尋ねます。家族や友人との関係、将来への不安、など生徒の話を丁寧に聞いてから言葉をつなぎます。「しんどいのは分かるけど、下手すると取り返しがつかなくなることもあるからね。そのことだけは、わかってほしいな」と、否定せずに諭すように語ります。生徒は落ち着いて30分ほどで保健室を後にしました。

 

もはや、養護教諭の役割は、傷の手当にとどまらず、心理カウンセラーでもありますね。二人の教員は、「私たちの対応は、先回り過ぎでは」「面倒を見るだけでは学校として不十分ではないか」と生徒たちへの接し方を意識します。「少し休んでいく?」と生徒に提案するのではなく、「あなたはどうしたいの?」と聞いて、生徒が自分の考えをまとめて言葉にし、自発的に動くのを辛抱強く待つようにしているそうです。

 

保健室には、生徒だけでなく教員も相談にやってくるそうです。ある教員は、「何でもやってあげて『優しい先生』と思われたい気持ちはある。でも、そのまま社会に送り出すのは、教員として無責任かもしれない。だから生徒が成長できるよう、背中を押したい」と言います。

 

心に傷を負ってしまった生徒の対応は、とても難しいですね。一人一人、かける言葉も違います。しかし、最後は、「自分で考えて自分で答えを出す」ことにつながるような対応ができれば、生徒の前に立ちはだかる壁が、1枚かもしれませんが開かれたことになります。保健室の先生の役割は大きいですね。

2024年

2月

27日

火災報知器点検の仕事

昨日の寺子屋は書道だったのですが、年長園児の課題は「そつえん」です。保育園の壁面に、子どもたちの「そつえん」の作品が並ぶと、いよいよだなぁ~と思ってしまいます。特に、卒園児の保護者にとっては、卒園式迄の日々は、感慨深いものになると思います。

 

さて、保育園の教室内には、ちょうどキッチンの上の天井部分に、火災報知機が設置されています。幸い、保育園が開園してから、この火災報知機が反応して、天井にある複数のスプリンクラーから放水されたことはありません。保育園の火災報知機は、年に2回ほど、長い棒のような機器で定期点検が行われます。皆さまも、オフィスなどで見たことがある人も多いのかと思います。

 

火災報知機がきちんと作動するかどうかの定期点検は、消防法で義務付けられています。そして、定期点検ができるのは「消防設備士」の資格がある人です。私は、誰でもできると思っていましたが、資格がないといけないそうです。消防設備士は、建物の管理者の依頼を受けて、火災報知機だけでなく消火器などの設備もチェックします。マンションやオフィスのほか、劇場やごみ焼却施設なども対象だそうです。

 

保育園ホワイトきゃんばすが入る、ショッピングセンターのような施設は、当然、グループ内の関連業者できちんと行われていますが、その他の施設では、「火の気がないから大丈夫」と点検をしないところも多いそうです。少し古いデータですが、2010年度の全国の点検報告率は、わずか40%だったそうです。6割が定期点検を怠っていたのです。

 

実は、この消防設備の定期点検をする業界は、もともと、大手デベロッパーや管理会社の下請けとして点検をする、多重下請け構造だったのです。6割も定期点検されていないというのは、大手デベロッパーに属していないビルや企業が、定期点検をどこに頼めばいいのか、わからなかったのです。

 

これをビジネスチャンスにしたのが、テックビルケア社長の茶橋(ちゃばし)さんです。もともと父の経営する会社は、ビルクリーニングでしたが、メイン事業を防災インフラ事業に変えたのです。

 

業界のからくりと、どこに需要が眠っているのかが分かれば、行動は見えてきます。まずは、自社のホームページを充実させると、全国の法人や建物オーナーから依頼が舞い込みます。下請けではないので、中間マージンなどがカットできて適正価格を設定でいるようになります。そして、10年で利益を10倍にしたそうです。

 

2023年の全国点検報告率が、55%にアップしたのもテックビルケアの受注が増えたからです。でも、45%が定期点検をしていないので、まだまだ需要がありそうですね。

 

もし、あなたが「起業」を考えているのでしたら、一番は「やりたいこと」を追求すべきでしょうが、こうして、業界のすき間を調べるのもありですね。そう簡単ではありませんが、ふと身近なところにチャンスが転がっているかもしれません。

2024年

2月

26日

セルフレジ使っていますか?

今日は、昨日よりも間違いなく気温が上がっているはずですが、北風が強く、屋上遊びは、「寒~い」中で行われました。それでも、北風に向かって自転車を走らせる寺子屋園児やファームに咲いているホトケノザの花を摘むチビちゃんたち・・・本当に、子どもは風の子ですね。そして、今日は連休明けでしたが、体調を崩して欠席する園児は、一人もいませんでした。

 

さて、スーパーやコンビニ、100円ショップなどで導入が進むセルフレジですが、みなさんは、どのようにかかわっていますか。

 

私などは、昭和の古い人間ですので、「店が人員削減のために、客に作業をさせるのだから、値引きやポイントアップもなくて、有人レジと同じだなんて、納得いかないよ」と、セルフレジが登場した頃には、こんな風に思っていました。

 

しかし、人間はすぐに慣れてしまう生き物ですね。そして、2023年のスーパーマーケット統計調査によると、回答があった283社のうち、セルフレジを設置している店舗があると回答した企業は31.1%だそうです。私の感覚では、もっと多いような気がしますが、年々セルフレジが増加傾向にあるのは事実です。また、「スーパーでふだん使うレジの形式は?」の問いに、「セルフレジ」と答えた人が66%もあったそうです。

 

「並ばずに支払いが早くできて便利。導入はうれしいですね」「レジには近所の知り合いパートで入っていることも多い。買った商品を見られたくない気持ちもあるので、セルフレジはありがたいです」というのが、賛成派の意見です。

 

ある100円ショップでは、従業員4人でまわしていましたが、有人だとレジに3人とられてしまうそうです。忙しすぎて、品出しが追いつかず、倉庫に品物があるにもかかわらず、棚がスカスカでお客様にお叱りを受けることも。しかし、セルフレジ導入で、お客様の買いたいものが売り場にないという状況がなくなったといいます。

 

こう考えると、セルフレジ投入は、人件費削減や人員不足対応という、企業側の利点だけでなく、サービスアップに、少しはつながっているようです。

 

セルフサービス化に追いついていかないお客様は、高齢者だけでなく、それぞれの年代で一定数存在すると言います。苦手な人にとっては、買い物するのに、「努力」を求められるということになるのです。さっさと買い物を済ませたい人もいれば、ゆっくりしたい人もいます。どちらにしろ、買い物とは楽しくあるものだと思うのは、私だけではないでしょう。そう考えると、「複数の速度」に寛容な場所が理想なのでしょう。でも、そうすると、企業側の論理では、セルフ化のメリットがないということにもなるし・・・

 

セルフレジ問題・・・あなたならどう考えますか。

2024年

2月

25日

災害で消えるローカル線③

只見線の「下」部分、線路や駅舎の維持管理費の負担が、福島県や沿線自治体の負担になるのであれば、「上中下分離方式」がいいのではないかという専門家の意見があります。「上」はJRなどの鉄道事業者が行うのは変わりありませんが、「下」を二つに分け、「中」として車両の保有を地元の自治体が担い、「下」の線路や駅舎などの施設を国が引き受けるという考えです。

 

国に費用を押し付ければいいのか。と思われるかもしれませんが、鉄道は道路と同じで交通インフラと考えると、国に関与してもらおうという考えです。例えば、バス会社であれば、バス会社が買うのはバスだけで、道路をつくるお金を払うわけでも、信号機の維持費を払うわけでもありません。鉄道会社は、現状すべてを負担する構造なので、赤字、廃線に追い込まれることが多いのです。

 

2011年の東日本大震災で、燃料不足になった東北にガソリンや灯油などを運んだのは鉄道です。鉄道の優位性は、少ない人数で大量の輸送ができることです。貨物列車は最大26両編成で10トントラック65台分の貨物を運べます。トラックなら65人の運転手が必要のところ、鉄道なら運転手1人です。

 

2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた「三陸鉄道」は、NHKの連続ドラマ「あまちゃん」のモデルになったことで全国的に有名なローカル線です。しかし、あまちゃん効果がなくなってくると、再び危機に陥ります。「こたつ列車」「お座敷列車」そして、「震災学習列車」などを走らせ、何とか打開策を考えます。2021年からそのガイドを務めるのが2019年入社の若い社員千代田さんです。

 

彼女は、今月1月に、初めて企画から当日の運行までを手がけた「女子が楽しむ日本酒列車」を成功させます。三陸鉄道には、「三陸鉄道で仕事がしたい」という「若い力」が、毎年入社しているそうです。現在、三陸鉄道の「自慢」は、沿線で農作業中の人や歩いている人たちが、走る列車に向かって自然と手を振ってくれる日常の光景だそうです。なんだか、いいですね。

 

日本のローカル線は、これから、ますます高齢化や過疎化で苦境に追い込まれます。鉄道の在り方をどう考えるか?を見直さないと、経営困難という理由で、時刻表から鉄道路線がなくなっていきます。

 

国鉄が、民営化してまもなく40年を迎えようとしています。私が高校時代に使っていた「JTB国鉄時刻表」には、まるでクモの巣のように鉄道路線が日本中にありました。特に私がハマった北海道には、魅力ある路線がたくさんありました。でも、それは旅人にとっての魅力で、地域の人たちにとっては、どうだったのか・・・この問題は、私の頭の中でぐるぐるまわって、すっきりしません。三陸鉄道のように、若い力に頼るしかありません。

 

結局は、納得できるような結論は出ませんが、3日間ローカル線の話にお付き合いいただきありがとうございました。

2024年

2月

24日

災害で消えるローカル線②

今日のお昼の課外授業は、「演劇鑑賞」です。第18回東大宮演劇祭に子どもたちを連れて行きました。劇団レインボウ城!や演劇ワークショップの演劇2本を観ました。普段は、公務員・会社員などの仕事をしているメンバーが、大好きな演劇を通じて、「もうひ一人の私」を演じ、楽しんでいます。テレビドラマや映画に出演するような劇団ではありません。しかし、子どもたちにとっては、インパクトが大きかったようです。コメディ作品を2本観たのですが、子どもたちはストーリーは、なかなか理解できないものの、役者のセリフやリアクションが面白ければ、大笑いです。客席で、役者のセリフを真似して大声でオウム返しするので会場がどっと笑いに包まれました。いい経験になったようです。

 

さて、昨日の「災害で消えるローカル線」の続きです。只見線は、2011年の集中豪雨で、会津川口ー只見間でバス代行となったのですが、2022年、約11年ぶりに鉄道が再開したのです。俳優の六角精児さんはじめ、只見線を愛する全国の人たちのエールもありましたが、再生の切り札が、「上下分離方式」です。車両の運行を「上」、線路や駅舎などの施設管理を「下」とし、「上」はJRなどの鉄道会社が行い、「下」は自治体が引き受ける方式です。線路や鉄道施設などの維持管理がなくなる分、鉄道会社の経営負担が軽くなるという仕組みです。JR東日本は、この「上下分離方式」でなければ、只見線の廃線区間は、永遠にバス代行か廃線にしたことでしょう。ただし、福島県と沿線自治体が存続を主張し、「上下分離方式」が採用されたのです。

 

私は、バス代行区間も乗りましたが、今年1月の「おやじ旅」で、開通後の雪の只見線に乗車しました。只見ー会津川口間では、台風で流れた3つの橋を渡り、橋が流れた原因となった、ダム放流を行った本名(ほんな)ダムを通過しました。ダムの放流をしなかったなら、橋は流されずにすんだかもしれませんが、ダムが崩壊しもっと大きな被害につながっていたかもしれません。複雑な気持ちで、車窓を眺めていました。

 

この「上下分離方式」は、JR只見線の他にも、茨城県ひたちなか市を走る第三セクター「ひたちなか海浜鉄道」が導入して、経営を立て直しています。しかし、只見線の場合は、毎年3億円とされる「下」の施設維持管理費は、福島県と会津17市町村が負担することになります。鉄道ファンは、「只見線を残して!」と簡単に言えますが、地元住民はこれだけの負担が強いられるので、「只見線を復活させて良かった!」という存在意義が必要になるのです。

 

う~ん・・・なかなか難しいですね。何か、他にいい方法がないものか。つづきは明日です。

2024年

2月

23日

災害で消えるローカル線①

3連休初日は、冷たい雨が降っていますね。さて、元日の夕方、能登半島を襲った最大震度7の地震が、金沢と能登地域を結ぶ「JR七尾線」(金沢ー和倉温泉、全長約60キロ)を襲いました。列車や乗客は無事でしたが、線路や駅が大きな被害を受けました。しかし、ここは観光拠点でもあり、復旧作業が進み、2月15日には全線開通となりました。また、和倉温泉の先、穴水までの「のと鉄道」も4月中旬までには、全線開通する見通しだそうです。私が高校の時に、父が能登半島の工場長として単身赴任していて、夏休みに遊びに行った時に、フグの刺身をたらふく食べた記憶があり(フグ調理の免許を持っていない人が作ったので命がけでしたが・・・)、「良かった!」と素直に思っています。しかし、現在、台風や地震などの災害で不通となっている鉄道区間は、9か所もあります。太宰治で有名な「津軽鉄道」の一部やSLで有名な「大井川鉄道」の一部などです。

 

あの伝説のテレビドラマ「北の国から」を思い出してください。ドラマの初回で、東京から富良野に移住してきた黒板五郎と、兄の純・妹の蛍の3人を草太兄ちゃんが出迎えるシーンの駅が、「布部(ぬのべ)」駅です。富良野駅の隣の無人駅です。

 

私が高校の時に「北の国から」にはまり、この布部駅から黒板五郎さんが移住した「麓郷(ろくごう)」という集落まで歩き出しました。3月でしたので、まだ雪が多く、雪に慣れていない私が歩いていると、地元の人が麓郷村まで車で乗せてくれたのです。そして、五郎さんたちが最初に住んだ廃屋に行くと、たまたま北海道新聞の取材で来ていた、田中邦衛さんと純と蛍がいたのです。私は思わず「ほたる!」と、当時小学生だった中嶋朋子さんを抱きしめていました。(笑)

 

その「布部」駅がある、JR北海道・根室線の富良野ー新得(しんとく)の82キロが、この3月末に廃線となってしまいバスに転換します。ここも、東鹿越(ひがししかごえ)ー新得間の42キロが、2016年の台風で被災し、ずっと不通になっていました。結局、この路線は復旧することなく廃線となってしまうのです。

 

被災した鉄道がそのまま廃線への道をたどってしまうのは、ずばり、金と時間がかかるからです。状況によっては新設と変わらない時間と費用がかかり、利用客も見込めないことから、バス代行となるのです。

 

なんだか、話が重くなってしまいましたが、ここで、鉄道再生の「切り札」として、登場したのが「上下分離方式」です。福島県と新潟県を結び、秘境路線として知られるJR只見線は、2011年の集中豪雨で会津川口ー只見間の約28キロで、3か所の橋が流れてしまったのです。それが、2022年10月に11年ぶりに開通したのです。全国区のテレビニュースでも大きく取り上げられましたね。

 

つづきは、あした・・・

2024年

2月

22日

予習で見通し・安心感

今週は雨続きで、なかなか屋上で遊べません。今日は、マットやトランポリン、とび箱を使って、寺子屋以外の小さい園児も参加した、プチ体操教室を行いました。2歳児、1歳児にとっては、初めてのとび箱体験です。恐怖と勇気と心が揺れ動きます。「大丈夫・・思いきって飛ぶんだ!」が、勇気につながる園児もいれば、不安になってしまう園児もいます。あらためて、子どもたち一人一人の違いを感じました。逆立ち選手権は、別名「負けず嫌い」選手権です。体力よりも気持ちが強い方が勝利します。保護者の中でも、「やるからには勝ちにこだわって欲しい」と考える親もあれば、「楽しくできればそれでよし」の親もあります。もちろん、どちらかが正解ではありません。

 

さて、もう20年以上前の話ですが、私がサラリーマン時代に「ミドルマネジメント研修」に参加させてもらったことがあります。社内ではなく外部研修でした。「住友商事」「日本IBM」など、一流企業で管理職になったばかりのメンバーと一緒でした。

 

この研修は、過去に日産自動車でマーケティングを担当していたなど、実戦経験を持つ講師が、毎回のテーマに合わせて担当します。1コマ2時間の講義内容ですが、事前の予習を行わないと、まったくついていけないスキルの高さでした。講義内容は、グループ討議やテストなどがあり、講師は参加したメンバーの評価を行い、参加企業にフィードバックされました。私の評価は、下から数えた方が早かったようです。落ちこぼれでした。(笑)

 

このように、「予習」は、私たち大人の世界だったり、中学生以上ならば、見通しが立てられるし、何といっても安心して授業に打ち込めることができますね。予習をすることで理解度も高まります。

 

これを小学校で取り入れている先生がいます。たぶん「小学生で予習だなんて、考えられないよ!」と思う先生が多いかもしれません。しかし、この先生は、私たちが認識している予習(学習に先立って行う予備的な学習)だけでなく、答え(結論)も先に与えるそうです。どういうことかと言うと、明日の授業で展開する教科書のページの「まとめ」をノートに書き写させます。その内容を子どもたちは、事前に予習して頭に入れるのです。まずは、算数と理科から取り入れたそうです。

 

私も「小学生で予習なんて早いんじゃないの?」と思ったのですが、冷静に考えると、社会科見学などの校外学習では、見学する施設について事前に調べさせ、予備知識を持たせますね。目的は、見学を充実させるためです。

 

実際に予習を導入した先生たちからは、「子どもの反応がすごくよかった」「答えがわかっているところからスタートする授業っていいね」との意見が出たそうです。

 

もう少し深く考えて見ると、小学校の授業では、一斉授業かつ学力差がある子どもたちが集まっています。授業の入り口で、児童が思考停止してしまうリスクを少なくするには、一人でも多くの児童の「分かる」を保障しなければいけません。

 

予習で、保護者も我が子の授業に関わるかもしれません。そして、何より安心感を持って翌日の授業に入ることができるのです。「はい。教科書の○○ページを開けて!」で、思考停止してしまう児童が減ることは、間違いありませんね。

 

保育園ホワイトきゃんばすでは、年間最低2回は社会化見学を行っています。工場見学や、先月行ったのは造幣局です。今まで、事前の予習はやったことがなかったのですが、この話を聞いて、保育園の園児も「予習」の効果が期待できることを確信しました。

 

皆さんは、様々な立場でお仕事をされているでしょうが、「予習」を意識してみませんか。

2024年

2月

21日

サンリオ時間

今日の寺子屋園児は、久々に「階段レース」を楽しみました。ショッピングセンター3Fにある保育園ホワイトきゃんばすは、地震や火災などの災害に備えて、階段を利用して避難する訓練をするのですが、これをゲーム化したのが階段レースです。単純に、階段のぼりの競争です。不思議なもので、足が速い園児が必ずしも階段レースでも勝利するわけではありません。今日は、一段とばしにもチャレンジしました。子どもたちの体力強化にもつながったようです。

 

さて、今日は「サンリオ」の話です。保育園の子どもたちからは、ハローキティやマイメロディなどのメジャーなキャラクターはもちろんですが、クロミやこぎみゅんなど、私の知らないキャラクターの名前も出てきます。そんなサンリオですが、ディズニーのように、創業以来ずっと右肩上がりで成長してきたと思われるでしょうが、実は、山あり谷ありの経営を繰り返す会社でした。

 

1960年に創業し、ハローキティという最強キャラクターで、大きく成長しました。しかし、2003年には株式運用が失敗し、193億円もの赤字を出してしまったのです。私が、駆け出しの営業マンだった頃に、銀座松屋百貨店の隣に、サンリオのテーマパーク的なビルが建ったのですが、大赤字の経営で、すぐに撤退したのを覚えています。

 

創業者の息子が、副社長となり、経営を立て直しました。キャラクター販売が中心の売上構成を、「ロイヤリティ」ビジネスに変えていったのです。ハローキティのキャラクターを使ったグッズを作ってもいいけど、売上の〇〇%をロイヤリティとして徴収する仕組みです。私が働いていた洋菓子メーカーでも、ハローキティのチーズケーキを百貨店のサンリオイベントのタイアップで販売したことがありました。通常1000円のチーズケーキが、ハローキティのデザインでデコレーションされると、1200円になります。つまり、200円をロイヤリティとして、サンリオに支払うのです。こうして、サンリオは、自ら販売して売上を作らなくても、効率よくロイヤリティが徴収でき、直接営業利益につながったのです。

 

しかし、2013年に副社長が急死してしまうと、父親である創業社長は、ライセンスビジネスから再び販売重視の会社に戻すと宣言するのです。またまた、サンリオの迷走が続きます。そして、亡くなった副社長の息子(社長の孫)が、2020年に社長となったのです。当時32歳という若社長です。

 

創業者の孫に何ができるのか?という評判の中でのスタートでしたが、前社長の祖父との対話を続ける中で、強行ではなく、理解してもらいながら、改革を進めていったのです。キャラクターの開発には、ファンを巻き込みます。ファン投票でキャラクターのデビューを決める「ネクストカワイイプロジェクト」などを始めます。2022年に営業利益を黒字に転換させ、2023年も増収増益、2024年3月期では268億円の営業利益を見込んでいます。

 

今は、利益だけでなく「サンリオ時間」を増やそうという取り組みを行っているそうです。もちろん、非財務指標ですが、多くの人がサンリオに関わる時間を増やそうという目標です。

 

今まで、サンリオが開発したキャラクターは450種類になるそうです。保育園の子どもたちも大好きなキャラクターが多いので、サンリオが歩む道は、注目していきたいですね。

2024年

2月

20日

マインドセット

今日は、本当に暖かくて、屋上のカメ池を覗くと、何とクサガメが5匹も日向ぼっこをしていました。とても気持ちがよさそうです。ところが、また明日から寒くなる予報です。このまま春になることはないとは思っているものの、こうも寒暖差が大きいと、子どもたちの体調管理が大変です。

 

さて、私たち大人は子どもたちに対してこう言います。「これから君たちが生きる時代は、多様化、グローバル化、電子化、情報化が進み、非連続的で予測困難な世の中です。より良い自分になるために、今、何をしたらよいのかを思考し、道を選び、現状の自分に変化を起こしていく。それを繰り返して、人は成長していきます」

 

すると、賢い子どもがこう言うでしょう。「先生は、そう言うけど、先生だって、パパやママだって、大人たちだって、同じじゃないの?」

 

どうですか。図星ですね。私たち大人だって、固定化された概念や自分の信念に固執して新しいものを受け入れられないなら、これからの世の中を生きていくのは、しんどいかも知れませんね。

 

皆さんは「マインドセット」という言葉を知っていますか。その人の行動のベースとなる、物事の考え方、思い込みや先入観、思考パターンや価値観のようなものを表す言葉です。マインドセットには、ポジティブなものとネガティブなものがあります。よく、ビジネスの世界で使われることが多く、課題に直面した時に、解決策を模索し、即座に行動に移すような前向きなマインドセットを持った人であれば、未知の業務にも積極的に取り組むことができます。一方、新しいことに不安を持ち、失敗を恐れるようなマインドセットを持っている場合には、消極的な取り組みに留まってしまう可能性があるのです。

 

こう考えると、「失敗を恐れずに、どんどんチャレンジしていこう!」と相手を励ましたところで、相手が、ネガティブなマインドセットを持っているなら、効果が期待できないかもしれません。企業の採用では、「人のマインドセットはそう簡単に変えられない」と考え、ポジティブなマインドセットを持っている人を採用することを意識する会社もあるようです。

 

じゃ・・・ネガティブシンキングの人は、ダメなの?

 

とんでもありません。人生は、どう転んでも常に「選択と挑戦の連続」です。自分が、ネガティブなマインドセットであると思ったなら、ここは、自分を変えるチャンスと考えるのはいかがでしょうか。人間ですから、180度違うポジティブ人間に変わることはできません。少しだけでもいいのです。

2024年

2月

19日

日韓教育交流

今日は朝から雨でしたので、久しぶりに教室内で大ゲーム大会です。チームに分かれて、雑巾がけレースや玉入れなどで盛り上がりました。2歳児以上は、全員参加できました。1歳児園児は、今まではベビールームでおもちゃで遊んでいたのですが、今日は「やりたい園児」は参加させます。なんと2人が参加しました。ルールを覚えるのが難しいですが、先輩たちを見て頑張りました。

 

さて、先月、日韓の経済団体による共同事業として、「教育交流」が行われました。韓国の高校教師50人を日本に招き、日本の教師や生徒と交流を深めるプログラムが行われたそうです。韓国での参加希望者は定員の4倍の200人だったそうです。観光で日本に来たことがある先生も「日本の学校現場を見たい」と多くの希望があったようです。

 

韓国の先生たちは、都内の中学校や高校を訪問。授業を見学し、韓国でも加速する少子化などをテーマに生徒の討論に参加したり、教師や生徒と昼食を共にし交流を深めたそうです。

 

韓国のある教師は、「保護者への対応が難しいこともあり、教師の志望者が減っている。日本の先生たちと日頃抱える悩みを語り、どのように問題を克服したかを共有したい」と言います。そう、日本と韓国か抱える課題には、共通点が多いのです。

 

韓国では、受験時間に間に合うように、パトカーや白バイで、受験生が会場入りするシーンをよくテレビで見ますね。教育熱心な親が多く、高学歴志向も強い韓国では、学級担任になると受け持った生徒全員を大学へ合格させなければならないという大きな重圧がかかります。ただし、日本以上に、出欠管理や教科指導でデジタル化が進んでおり、授業では、それぞれの教科と社会のつながりを説明するので、「なんでこの授業が大事なのか」を理解して生徒は授業を受けてると言います。日本の教員が学ぶことも多いですね。

 

そして、日韓交流で、避けられないのが「歴史問題」の認識です。もう20年くらい前の話ですが、私は韓国からの留学生と話をしたことがあります。歴史問題については、「日韓のこれからのことを考えることが必要」と未来志向の考え方でした。

 

韓国の若者は、日本のアニメ文化に憧れ、韓国音楽界のレベルの高さに、素直にファンになる日本の若者も多く、文化面では、とっくにお互いをリスペクトする関係になっていますね。韓国の歴史教師は「日韓の歴史認識の差は、双方の努力が不足していたためだと思う。韓国の生徒が日本について正確に理解する機会は少なく、帰国したら、未来志向の日韓関係をあなた方が、日本の若者とつくるんだよ、と呼びかけたい」と言います。

 

一方で、日本の若者だって、日本史の授業は、せいぜい明治維新ぐらいまでで終わってしまい、近現代史を学ぶ機会が少ないのが実態です。

 

8月には、日本の教員が韓国へ訪問して教育交流を図るそうです。こういった、1つ1つの積み重ねで、隣の国同士、理解を深めることができればうれしいですね。

2024年

2月

18日

仲間と課題へ挑む

昨日登園した小学4年男子の母親から、7月に2泊3日で行われる林間学校の説明会の話を聞きました。さいたま市西区の小学校では、5年の林間学校に「舘岩(たていわ)少年自然の家」で宿泊体験を行います。福島県の山奥で、自然以外には何にもないと言っていいくらいの場所です。ここは、さいたま市の教育委員会が管轄しているので、人事異動では、教員が2年限定とかで赴任するのです。小学5年の林間学校と中学2年のスキー教室で、児童生徒を指導するのがメインの仕事になります。

 

全国には、このように教育委員会が管轄する「○○青少年自然の家」のような施設がありますが、今日は岐阜県高山市にある「乗鞍青少年交流の家」に赴任した教員の話です。先生は、愛知県内で20年間保健体育教員をしていました。「生徒の様子は、この20年間で大きく変わってきている。インターネットで欲しい情報を簡単に手に入れることができる一方で、実体験を通した学びの機会が減っているように感じる」と語ります。

 

先生は、ここで多くの体験活動を通じての子どもたちの成長を見てきたそうです。小学校5・6年のアドベンチャーキャンプで、滝つぼに飛び込む活動を実施したところ、はじめは、なかなか飛び込めない子が多かったようです。すると、友だち同士で話し合い、慣れるために低い岩場から飛び込んでいき、徐々に高い岩場から飛び込む工夫で、最後には全員が目標の高さから飛び込むことができたのです。「頑張れ!」と声を出し合いながら、目を輝かせて楽しんでいた姿に感動したそうです。

 

この話を聞いて、保育園ホワイトきゃんばすでのサマーキャンプのあるシーンが蘇ってきました。嵐山渓谷の岩の上から、川へ飛び下りるミッションが、3年位前から定着しているのですが、ここでは、まわりの園児たちが、挑戦する園児に「大丈夫・・・ライフジャケット来ているから、浮き上がってくるよ。俺にもできたから○○君も大丈夫」といったエールが飛び交います。そして、成功すると賞賛の拍手が待っています。水の中から顔を出した園児の達成感に満ちた笑顔は、本当に最高です。

 

土曜日に登園する小学生は、サマーキャンプのことは鮮明に覚えていて、これからサマーキャンプを経験する後輩たちに、目を輝かして体験談を話しています。岩の上から川への大ジャンプは、「怖かったけど・・・1回成功すれば、面白くなるよ」と。

 

自然を通した体験活動で、仲間と協力し、意見を出し合い、挑戦する経験は子どもたちの成長にかけがえのないものを残してくれます。大人になるまでに、積極的に挑戦する心や、仲間と協力して問題解決をしていくような人になっていくのです。

 

保育園でも、さらに体験活動を充実させて、子どもたちが自分で、豊かな未来を切り開いていけるような、そんな力になりたいですね。

2024年

2月

17日

電動キックスケーターは必要?

今日の昼時間は、川越美術館に行ってきました。市内の小中学生の作品展が開催されていたのですが、なんだか、見入ってしまいますね。ちぎり絵で、川越のシンボル「時の鐘」を描いた作品は、本当に素晴らしかったです。

 

さて、保育園の屋上には、電動ではありませんが、キックスケーターがあります。自転車に乗り飽きた園児が、スイスイ走らせたくなるようです。最近では、電動キックスケーターをよく街中でみるようになりました。日本では、昨年7月の改正道路交通法施行で、今までは、「原付バイク」に分類されていたのが、運転免許なしでの走行が可能になり、ますます身近な移動手段になっています。現在国内での保有台数は1万5400台で、2035年には43万台が見込まれているそうです。

 

実は、電動キックスケーターは、ヨーロッパで先駆けて普及しました。ドイツの首都ベルリンでは、欧州で電動キックスケーターの利用が最も多い都市です。2019年にシェアリングサービスが導入されると、瞬く間に普及しました。利用料金は、10分の利用で3.5ユーロ(約560円)で、同じ10分ならタクシー料金の1/4程度だそうです。また、地球温暖化対策にも優れていて、電気が動力なので、温室効果ガスの排出量は自動車の約40分の1とする試算もあるようです。利用者の多くは、20~25歳の若者ですが、今後利用年齢層は、どんどん高くなることが予想されています。

 

しかし、同じヨーロッパでも、フランスの首都パリでは、昨年9月にシェアリングサービスが廃止されました。4月の住民投票で、9割が禁止を支持したのです。理由は、交通マナーの悪さが引き起こす事故です。死亡事故が多発し、社会問題に発展したのです。

 

反対派は、急速な拡大にマナーが追いついていなかったとして、規制強化の必要性を訴えます。反対を訴えるほとんどは中高年で、賛否をめぐる論争は「新しい技術に対する世代間の論争」になっているようです。私も、自動キックスケーターに乗っている人を見ると、「かっこいい!」とは、これっぽっちも思いませんね。「危ないなぁ~」と感じてしまいます。

 

あなたは、電動キックスケーターをどう思いますか。少ない環境負荷で、短い距離では新たな交通手段となることが、メリットですが、交通マナーを守らない若者が多く、事故につながるというデメリットもあります。現実的には、今後増えていくのでしょうから、安全な乗り物にしていかないといけませんね。

 

そう言えば、今日の川越美術館での作品展で中学1年生が、「50年後の川越のまち」を描いていて、蔵の街並みの上空に、空飛ぶ車が描かれていました。電動キックスケーターどころではありません。空中で自動車が衝突したら・・・危険度はさらにアップですね。

 

夢を追いかけるには、安全が保障されないといけません。まさに、私たちの人生と同じで、アクセルを踏みながら、同時にブレーキを踏むことをやらないといけないようです。

2024年

2月

16日

知育玩具を選ぶ

昨日、例年よりも早い「春一番」を観測しましたが、その後夜になって、北風の暴風となりました。私も、夜中に風の音で起こされましたが、「風が凄くて、怖い夢を見たと思って起きちゃった」と言う園児もいました。

 

さて、将棋の藤井聡太さんが、幼少期に遊んだ知的玩具が話題になったことがありました。スイス製の「キュボロ」という木製の玩具です。玉の通る溝のついた5cm四方の立方体のパーツを積み上げて塔を作り、上から落とした玉が下まで落ちてくる道を工夫して作る玩具です。外からは見えない塔の内側に玉の道をつなぐことがキュボロの特徴で、遊びの中で3次元の考え方が自然と身につくということで、世界の多くの国に普及した玩具です。環境に配慮し、計画的に植林された高品質のスイス産ブナ材を使用するところは、スイスらしいですね。セットについている玉は、日本製のビー玉だそうです。

 

値段は、結構高くて39600円もします。それでも、この玩具で遊ばせたら、「藤井聡太のようになれるかも?」と親は、我が子に夢を託すのです。

 

おもちゃ売り場には、キャラクターなどのたくさんのおもちゃがありますが、知的発達を促すとされるものを、いつの間にか「知育玩具」と呼ぶようになりました。もちろん、明確な定義はありませんが、思考力や判断力、問題解決能力などを高めることを目的に開発されているものが多いですね。

 

あるある・・・なのは、親が我が子の知的発達のためによかれと買い与えたのに、子どもがすぐに飽きてしまって、おうちには使わなくなったおもちゃが増えていく。実際に確かめないで、ネットで買うとこうなることが多いですね。また、与えっぱなしにするのではなく、まずは大人が最初に遊び方を楽しそうに見せることが大事だと言われます。そうすれば、子どもに、自分でやってみようという気持ちが芽生えるのです。

 

専門家によると、親は子どもが上手にできたら「褒めないといけない」と思いがちですが、過剰にほめると遊び方がそれに限定されてしまう。「できたね」と認めるだけで十分だそうです。そうすれば、子どもの遊び方が広がり、自由に遊びようになるといいます。

 

これは、通常の子育てと全く同じですね。ただし、褒めると叱る(アメとムチ)のバランスは、子どもによって違ってくるので、親が考えないといけません。

 

おもちゃは、子どもが成長するうえで、欠かせないツールであることは間違いないです。ただし、大事なのは、おもちゃを介しての親子のやりとりだと思います。ゆえに、おもちゃ選びは、親も実際に使ってみることが大切ですね。

2024年

2月

15日

学校まるごと図書館

インフルエンザB型が広がっています。合計7名の感染となってしまいました。早く、元気になって登園できることを祈るばかりです。一方、屋上遊びでは、ドッジボールで汗だくになって盛り上がっています。ルールを覚えていくと、年長リーダー男子は円陣を組んで「作戦会議だよ」なんて言っています。いい感じです。

 

さて、全国の様々な小学校で、「どうすれば、子どもが本好きになるか」を実践しています。今日は、広島県府中町の府中小学校の取り組みを紹介します。全校児童871人のマンモス校です。

 

2時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ると、20分の休み時間に入ります。すると、児童たちが勢いよく教室から駆け出し、玄関前の図書コーナーに集まります。このコーナーには約6000冊の本が並び、設置されたソファやベンチ、畳の上など好きな場所で読書を楽しんでいます。ここは図書室ではありません。

 

府中小学校では、2018年から図書室とは別に、校舎内の計7か所に図書コーナーを整備したそうです。低学年向けには絵本を中心に用意し、高学年向けには伝記や小説、学習本をそろえるなど、子どもの読む力に合わせて本を配置しています。保護者や地域住民でつくる「図書ボランティア」が壁の装飾やブックカバーの取り付けなどで協力しています。学校予算で購入した図書に加え、保護者の協力を得て、これまでに約4000冊を購入したそうです。

 

校長は、「本に囲まれ、ページをめくりながら丁寧に思考を深める経験は、集中力や考える力を養える。スマートフォンやタブレット端末が普及する現代こそ、子どものうちに本を読む経験を積むべきだ」と話します。

 

週2回の「朝読書」や、児童同士で好きな本を紹介しあう取り組みなどを進めた結果、校内アンケートでは、1か月に3冊以上読む児童の割合が、19年度の59.6%から21年度は99.9%まで向上したそうです。児童一人当たりの平均読書冊数も月9.9冊になったそうです。

 

買い物では、目的購買の他に、ブラブラしているだけで、とんだ掘り出し物に出くわすことががありますが、校舎内にたくさん本があることで、思わぬ出会いが生まれ、読書習慣につながっていくのです。

 

本を読むことは、集中力・粘り強さ・積極性などの「非認知能力」を鍛えることにつながります。他の園児に、自分が読んだ本を紹介することは、まさにプレゼンテーションの練習にもなります。

 

この「学校まるごと図書館」作戦・・・他の小学校でもマネできますね。

2024年

2月

14日

富士山登山鉄道!?

今日は、久々にドッジボールで汗を流しました。あったかくて風もないので、子どもたちも汗だくです。そんな屋上からは、雪景色の美しい富士山を見ることができます。今日は、そんな富士山の話です。

 

富士山が2013年に世界遺産に登録されてから、10年が経ちました。コロナ前の2019年の来訪者数は、世界遺産登録前の2倍以上に増えています。テレビでは、大渋滞の登山道や、半そでなどの軽装で弾丸登山をする外国人の姿が、たまに放映されていますね。

 

「いま、富士山は悲鳴を上げています!」と、地元関係者は警鐘をならします。世界遺産登録のユネスコからの宿題は、①ひとが多すぎるのを何とかしなさい!②観光大型バスの排気ガス&ごみだらけで、環境負荷が大きすぎる!③信仰の場である富士山の景観が損なわれている!の3つですが、10年たって、解決どころか悪化しています。

 

世界の宝「富士山」を未来に引き継ぐために、「富士山登山鉄道」の構想が動き出しています。「えっ!電車なんか走らせたら、さらに環境破壊につながるんじゃないの?」と思ったあなた。イメージは、ヨーロッパのアルプス登山鉄道です。山梨県が中心になって進めています。

 

新たに鉄道を引く工事をするのではなく、現在、5合目まで、自家用車や大型バスが通行している、富士スバルラインを車両通行止めにして、次世代型路面電車(LRT)を走らせる構想です。宇都宮市内に開通した超モダンな路面電車のイメージです。登山鉄道なら、乗客数や運行本数を決められるので、来訪者数を確実にコントロールできます。冬場についても、悪天候でなければ運行ができ、現在は夏場のみに集中する来訪者を1年通して、魅力的な観光地にできるというわけです。もちろん、5合目から先は、徒歩になります。

 

世界の登山家たちが「いろんな山を登った中で、富士山が一番汚かった」と話すようになってから、富士山は、その美しい姿と裏腹に、「汚い山」の代名詞になっています。登山鉄道を走らせることで、電気と上下水道のライフラインも整えます。現在5合目には、電気と上下水道が整備されておらず、発電機用の重油やトイレの水は、麓(ふもと)からタンクローリーで運んでいるそうです。実現すれば、タンクローリーが不要になるだけでなく、処理が追いつかず不衛生になりがちだったトイレも気持ちよく使えるようになります。

 

山梨県は、昨年11月から富士山周辺の住民説明会を始めたそうです。この構想を進めるにあたっては、予算の問題だけでなく、現在商売などで、生計を成り立たせている人への対応など、クリアすべきことが山ほどあるでしょう。

 

どんな形にしろ、この美しい「富士山」を未来に残していくには、現状のやり方ではいけないことは明白です。屋上遊びの合間に見える富士山を愛でながら、日本人の一人として

考えないといけませんね。

2024年

2月

13日

修学旅行で企業訪問

連休中はバレンタインデーのチョコレート作りをしたという子どもたちが多かったですね。手作りチョコレートは、チョコレートメーカーが作るチョコレートに比べて、とびきりおいしいわけではありません、チョコレートを湯煎してからの温度管理や、トッピングする材料など、素人の域は出ませんね。しかし、「心がこもっている」ので、もらった方は、格段においしく感じるのです。(笑)

 

連休明けの火曜日ですが、体調不良の園児が増えてしまいました。インフルエンザB型に感染する園児もあり、保育園では、子どもたちの体調管理に十分注意しなければなりません。

 

さて、最近は、修学旅行に企業訪問を組み入れる中学校、高校が増えているそうです。都内のベンチャー企業のスパイスファクトリーでは、「企業が教育に参画することで社会全体で子どもを見守る新たな構造を作りたい」と考えます。この会社は、今まで約300人の生徒を受け入れたそうです。「働くとは何か」を生徒に語り、生徒からは「この仕事をやってよかったことは」「今まで一番大変だった仕事は」といった質問が相次ぎます。IT企業への就職を目指すという生徒からは、「高校生のうちにやっておくべきことは」などの具体的な質問もあったようです。

 

スパイスファクトリーは「子どもたちの働くことへのイメージを好転させたい。当社のありのままの姿を公開すれば、大変ながらも楽しくやりがいを持って働けることを伝えられる」と語ります。子どものキャリア形成につては、「今すぐ夢を決める必要はない。働きながら徐々に形づくる楽しさも伝えたい」と話します。企業訪問後のアンケートでは、「将来について明るい見通しを持ってるか」の質問に対し、「明るい・どちらかといえば明るい」と回答した生徒は、企業訪問の前後で44%から96%に上昇したそうです。

 

しかし、学校が直接企業と連携するには教員の業務負担が増えます。実際には、学校と企業をつなぐ、教育系事業を行う企業が間に入ることが多いようです。例えば、3泊4日の行程のうち半日をキャリア研修に充て、「IT・貿易・投資・環境・映像・精密機器・宇宙開発」など多岐にわたる企業との橋渡しが可能になります。

 

学校の先生の中で、民間企業で働いた経験を持つ人はわずかです。先生自身も企業訪問を通じて、子どもたちのキャリア教育に今まで以上に深くかかわることができますね。学校教育の中に、このように、社会を体験できる具体的な取り組みが加わることで、子どもたちの未来が開けることでしょう。

 

修学旅行の形も、時代と共に、多様化しているのです。

2024年

2月

12日

三崎のマグロ

突然ですが、まぐろのことを「マグロ」とカタカナで書くことが多いのはどうしてだか分かりますか。まるで、正解のないクイズのようですね。青森県大間のマグロが、初セリで正月の話題になりますが、実は、日本人が食べているほとんどマグロは、日本の近海で獲れたマグロではありません。地中海やオーストラリアで水揚げされて、冷凍されて日本の漁港に入ってきます。そんな外国から来る「MAGURO」ゆえに、いつの間にかマグロとカタカナ表記されるようになったとか。もちろん、これは、諸説ある中の一つです。

 

そんな、冷凍マグロが日本で最初にやってきた漁港が、神奈川県の三崎港です。「三崎のマグロ」で超有名ですが、三崎港は、マグロの水揚げ量が日本一ではありません。でも、冷凍マグロの扱い量は日本一です。三崎港には、世界中のマグロが集まるのです。

 

ウンチクはこれくらいにしまして・・・昨日は、「三崎のマグロ」を食べに行ってきました。かみさんのリクエストに応えてです。(笑)

 

アルコールは飲まない!として、車で三崎港へ向かったのですが、京急三崎口駅からずっと渋滞です。連休でもあり、コロナ禍の反動で、外国人も多く、とにかく大勢の人で、三崎港は賑わっていました。冬ということもあり、三崎港の海は澄んでいて、魚が泳ぐ姿にずっと見入ってします。生き物を見ていると、それだけで私は何時間でも大丈夫です。

 

人気店には、行列ができていましたが、路地裏の店に入り、マグロを堪能しました。赤身やトロも美味しくいただきましたが、三浦でしか食べられないような、希少部位を堪能しました。マグロの皮はコリコリしていて、たぶんコラーゲンもたっぷりのような気がしました。マグロの卵は、味はほとんどタラコですが、初めて食べました。ほお肉やカマの部位など、マグロは捨てるところがない魚ですね。

 

三崎港がある神奈川県三浦市は、「三浦大根」でも有名ですね。独特の形をした大根ですが、荷崩れしにくいので、煮物でおいしくいただけます。三浦市は、日本の市町村で全国1位の大根収穫量を誇ります。ただし、三浦大根は栽培が難しいので、全体の数パーセントしか作られていません。ゆえに、幻の大根といわれるのです。

 

道沿いに、農家直営の販売店があり、三浦大根・キャベツ・そして、赤大根を買いました。赤大根は、外の皮も中身も真っ赤な種類で、大根おろしにすると辛みがなくほんのり甘いのです。おうちで、真っ赤なからみ餅を食べました。そして、キャベツは獲れたてですので、そのまま食べます。ほのかな甘みが最高です。

 

三浦を走っていると、一面に「キャベツ畑」と「大根畑」が広がっています。キャベツは、収穫時期をずらしながら、この先5月くらいまで収穫されます。その後は、三浦で有名な「スイカ」にシフトするのです。

 

そんな、三崎のマグロと三浦市のキャベツ畑と大根畑に感動した、素敵な1日となったのです。

2024年

2月

11日

おにぎりの可能性

保育園の給食で食べている、地元の農家さんからの米を、昨日小学生と年長園児を連れて、精米しに行きました。30キロ袋には玄米が入っています。子どもたちは、精米を見るのが初めてだったようで、「わ~すごい。お米が白くなっている」と驚きます。給食で食べるコメは、完全白米ではなく7分で精米しているので、栄養を少し残しています。

 

そんなお米ですが、総務省の家計調査によると、2人以上の世帯が1年間に米にかけた金額の平均は、2000年は4万256円だったそうですが、2023年は2万397円とほぼ半減しているそうです。我が家の朝食も、長男以外は全員パン派です。米びつの米がなかなか減らない家庭が多くなっています。

 

ラーメンやパスタ・うどん・そばに目がない「麺派」が増え、ダイエットで炭水化物を取らない人も増えています。「日本人の主食はお米」であると、私たちは認識していますが、すでに平成22年には、パンの購入費がお米を上回っています。日本人のお米離れが加速するということは、日本の食糧自給率の低下や農業の衰退にも拍車がかかっていくことが明白です。農作放棄地も増えていきます。日本の未来にとっては、好ましい状況ではありませんね。

 

そんな「お米」が危機的な状況の中で、救世主が現れました。それは「おにぎり」です。近年、国内外でおにぎり専門店が一大ブームとなっています。保育園の近くにできた「おむすび屋」は大盛況ですし、駅構内には必ずパン屋さんがあるように、おにぎり専門店も欠かせない存在です。昔ながらの「しゃけ・うめぼし・たらこ」といったシンプルな具もおいしいですが、おにぎり専門店ブームのキーワードは「ごちそうおにぎり」です。ある家計調査では、「おにぎり」にかけた金額は2023年は5909円で増加傾向にあるようです。

 

私のサラリーマン時代の話です。新潟出張の夜は、古町(ふるまち)という、昔からある繁華街で飲んだ後に、必ず最後の締めで立ち寄るのが、ラーメンでなく、「おにぎり専門店」でした。米どころ新潟ですので、とにかく米がおいしかったですね。

 

保育園では、朝食が食べられなかった園児が、ママが握ったおにぎり持参で登園し、おいしそうに食べる姿がたまにあります。おにぎりにすると、なぜか食が進むのが不思議ですね。

 

農産物の中で、ほぼ100%の自給率を誇る「米」は、「組み合わせと味付けでの無限大の可能性」を持つ「おにぎり」で、復権をめざします。どんな具を入れるか?どんな味付けのごはんにするか?家族で、「今日の夕食はおにぎりパーティーにしよう!」という日がやってくるような予感です。

2024年

2月

10日

「普通の人」でいること

まだ先日の雪が、屋上に残っていました。砂場側の最後の雪を子どもたちは集めています。さいたまの子どもたちは、年に数回しか雪に触れることがないので、名残り惜しむように、最後まで雪遊びを楽しんでいますが、冬場、常に雪がある地域での子どもたちは、雪をどう思っているのだろうかぁ~なんて思ってしまいます。

 

さて、先日、定年退職を迎えた私の仲間の話をしましたが、彼は、61歳になったからといって、「若いやつらとは話が合わん」などと言って、一人でいることなどありません。常に、彼の周りには、様々な年齢の人たちが集まってきます。その理由は、彼が「普通の人」だからだと私は思っています。何のことだかわかりませんね。(笑)

 

定年間際のある男性の悩みを聞いてください。「あと3年で定年ですが、職場が嫌でたまりません。周囲は30~40代中心で興味のない話題で盛り上がっていて、入る気もしません。向こうもそんな私に距離を置いている感じです。散々身を粉にして働いてきて、バブル期も知っていますし、早く引退したいです。しかし、母の介護もあり、まだ頑張るしかありません。どうしたら平穏に暮らせるでしょうか」

 

どうですか・・・これに似たような経験をしたことはありませんか。相手の対応があまりにもクールで不愛想の時に、こちらから折れればいいものの、「そっちがそんな態度をとるんだったら、絶対にこっちからは話しかけないぞ!」的な感情です。なんだかのボタンの掛け違いから、「あいつとは分かり合えない!」と勝手に決めつけて、ギスギスしたままにすることは、よくあることかもしれません。私もしかりです。

 

こんな時には、「普通の人」でいることが大事だと思っています。普通とは、わからないことがあれば、年下だろうが素直に聞く。相手が困っていたら「どうされたんですか」と聞く。そんな、当たり前のことを普通にするように意識してみると、案外うまくいくのかもしれませんんね。

 

人間には、欲があるので「もっと感謝してほしい」とか「自分が苦労してきたことに気がついてほしい」という気持ちが出てしまうものです。あと3年で定年の男性も、そんな気持ちがあるので、素直になれないのです。

 

「普通の人になる」「普通のことをする」をもっと大事にしたいですね。

2024年

2月

09日

小学生になること

本日、さいたま市立指扇小学校の保幼小連絡協議会があり、これで、年長園児11名が通うすべての小学校への訪問が終了しました。

 

コロナが落ち着いたので、今年は、1年生の授業参観にも出席させてもらいました。保育園ホワイトきゃんばすを卒園した児童が、頑張っている姿を見るのも楽しみですし、授業内容そのものに興味がありますね。

 

コロナの前に、すでに児童一人1台のパソコン端末が与えられており、コロナ禍でのリモート授業でも活躍したのですが、今回の授業参観では、タブレットを活用した授業が目立ちました。あるクラスの授業は、「ワンワン・ニャンニャンなど、2回続く言葉と、それを絵に描いて」という課題が先生から与えられます。子どもたちは、タブレットを簡単に操って、色をつけたり、消しゴムを使ったりして完成させます。それを提出ボックスにドロップアウトすると、黒板横の大きなテレビ画面に30名分に分割された作品が映し出されるのです。子どもたちのタブレットからも、他の児童の作品を見ることができます。

 

ホワイトきゃんばす卒園児の女の子は、キラキラの文字と黄色で星の絵を描いていました。そして、先生から「今から3分間・・・他の友だちの作品を見て」と指示があると、子どもたちは、自分のタブレットで他の子の作品を見ています。

 

なんだか、授業スタイルも時代の流れで変わってきたなぁ~なんて思いながら、教頭先生に、「先生のパソコンスキルの違いで、授業スタイルには差が出てしまうものですか?」と聞きます。「いやいや・・・たいがいさいたま市の共通プログラムを使っているので、どんな先生でもできますよ」とのことでした。

 

また、1年生も3学期になれば、深い学びができるようになっており、「隣の席の子と答え合わせをして」とか「今からグループで話し合って、代表者を決めて発表して」などの、いわゆるアクティブラーニング形式の授業も行われていました。 先生たちは、様々な工夫をしながら、自分の授業スタイルを確立しているようです。 

 

そして、同時並行で、保護者出席の入学説明会が行われています。連絡ノートでの保護者のコメントでは、初めて我が子が就学することに、心配の種はつきません。しかし、昨年のクリスマス発表会で、小学校1年生の担任をしている保護者から話をしてもらったことで、安心して話を聞けたとあります。我が子に「目覚まし時計」を買って、自分で目覚ましをセットして起きる習慣ができた男の子もありました。今までは、ママが叩き起こしてもなかなか起きなかったのに、自分でやるようになるとできるのです。そんな感じで、保護者も我が子への生活習慣をアップデートしているようです。

 

小学校入学まで、あと少し・・・私たちの役割は、「小学生になるのが楽しみだね」と言って、背中を押すことです。小学生になってから起きた問題は、その都度解決すればいいのであって、今は、あらぬ心配をしてはいけませんね。

2024年

2月

08日

いまを生きるアイヌ文化

昨日、社会科見学で行った「造幣局さいたま支局」の話が、連絡ノートにびっしりと書かれていました。子どもなりに、貨幣工場見学の様子を親に伝えることができたようです。電車やバスに、友だちと乗ったことも大きな思い出ですね。

 

さて、今、アイヌ民族とその文化に対する関心が高まっているようです。映画化された「ゴールデンカムイ」が上映中ということもあります。映画は、明治時代の北海道を舞台に、元陸軍兵士とアイヌ民族の少女が金塊をめぐって争奪戦を繰り広げる壮大なストーリーです。映画では、どうしても俳優に注目が集まりますが、アイヌの民具や衣装、宗教儀礼に用いる道具などが、模様ひとつをとっても、かなりリアリティーをもって描かれていることで話題になっています。

 

アイヌという言葉は知っていても、アイヌ民族ってどんなものなの?今でもアイヌ民族は堂々と生活しているの?と、漠然と思っている人が多いと思います。2020年には、北海道白老町に国立アイヌ文化発信拠点「民族共生象徴空間(愛称:ウポポイ)」がオープンしました。

 

ウポポイとは、アイヌ語で「おおぜいで歌うこと」だそうです。国立アイヌ民族博物館や国立民族共生公園などからなり、歌や舞踊など、アイヌの伝統文化や宗教儀式、日常の食べ物等を体験することができるそうです。コロナがあったものの、入場者は延べ100万人を超えました。

 

日本は、様々な国籍の民族が共生する国ではないので、民族差別という実感は、少ないですが、アイヌに対する差別や偏見は今でもあります。「あ、犬(アイヌ)」と呼ばれるのが典型的な侮蔑語です。バスの中で、相手がアイヌだと知っている場合に「あ~犬が座っている~」と歌いながら通り過ぎたり、逆に「アイヌなんていまはもういない」と断言されることも、差別の1つです。

 

アイヌへの差別をやめよう!なんて、簡単には言えません。民族的にマイノリティーであるアイヌは、自分の属性を伏せてる人も多いのです。アイヌ文化への注目が集まる中で工芸や舞踊の分野でメディアに登場する人も増えています。でも、そういう人と、自分との距離を感じ、自身のアイデンティティーに自信を持てず「自分のことをアイヌと言ってもいいのだろうか」と感じる人も、現実的には多いのだそうです。

 

単純に少数民族への差別問題だけでなく、アイヌ民族同士でも「もやもや」を抱える裏の実態があるなんて、私は考えたことがありませんでした。

 

高校生の頃に、「北の国から」で北海道にハマり、アイヌのことも、にわか知識で学びながら、知床半島にある「カムイワッカの滝」の滝つぼにわく温泉につかりながら、「カムイとは神を意味するんだ。俺は今、神の滝につかっているのだ!」とあまりにも軽いセリフを吐いていました。

 

アイヌを語るには、まだまだ知識不足です。日本での少数民族は、アイヌ民族・琉球民族しか私は浮かびませんが、いまを生きている彼らの葛藤は、理解したいですね。

2024年

2月

07日

造幣局に行ってきました

今日は、年長・年中園児19名を連れて、社会科見学に行ってきました。さいたま新都心にある、「造幣局さいたま支局」です。前日まで休んでいた園児も、今日は19名全員元気に登園しました。イベントになると、元気になる子どもたちです。(笑)

 

保育園から西大宮駅まで、ざっと20分歩き、電車に乗ります。大宮駅で乗り換えて、さいたま新都心駅から徒歩10分で造幣局に到着です。今回、初めて電車に乗る子がいましたが、車窓からの景色を楽しむことができたようです。

 

造幣局では、お金を製造しているのですが、紙幣は作っていません。1円から500円までの貨幣と勲章、記念硬貨などを作っています。同じお金でも、紙幣には「日本銀行券」と印刷されており、下の方に小さく「国立印刷局製造」の文字が入っています。日本で発行されるすべてのお札は、用紙製造、印刷ともに国立印刷局が行っています。日本銀行は、国立印刷所から新しい銀行券受け取って、これを本店や地方の支店から世の中に払い出しているのです。

 

しかし、硬貨については、日本に3か所ある造幣局で作られています。「桜の通り抜け」で有名な、大阪の本局と広島支局、そして、今回訪問したさいたま支局です。地震などの天災の被害に遭っても、日本にある3か所のどこかが稼働できるように、東日本と西日本に配置されているそうです。さいたま支局では、通常の硬貨製造の他に、コレクターが集める「ブルーフ貨幣」と勲章の製造を中心に行っています。

 

説明はこれくらいにして、まずは、工場見学からスタートです。最初にビデオを見たのですが、「ニセモノを出さないようにする」というテロップが流れたものの、何がニセモノなのか?につながらないストーリーだったので、5歳男の子が「ビデオの途中で、ニセモノというセリフがあったけど、それがよくわからなかった」という質問をしました。鋭い洞察力にビックリです。

 

工場では、実際に職人さんたちが、ブルーフ硬貨を作っているシーンを見学します。初めて、お金を作っているところを見た子どもたちは、じっと見入っていました。また、勲章を作成する職人のところでは、ほぼ手作業なので、「こんなの作っちゃうんだ」と、思ったことを口に出す子どもたちです。

 

博物館では、子どもたちの興味をそそる展示がたくさんありました。ゲゲゲの鬼太郎やアンパンマン、ドラえもんなどの記念硬貨に目が釘付けになり、都道府県別の記念硬貨では、お正月に遊びに行った、おじいちゃんおばあちゃんの住む、新潟・山形・青森・宮城など、カラフルで美しい硬貨を発見します。

 

一番人気は「体験コーナー」です。千両箱は、子どもたちの力では上がりません。また、1円から500円までの硬貨がいっぱいに詰まった袋は、なかなか持ち上がりませんが、なんだか、大金持ちになった気分になるようです。

 

造幣局見学は、通常は小学生の社会科見学として行われる内容ですが、ガイドの方に、就学前の園児でも分かり易いように解説していただき、楽しく学ぶことができました。子どもたちの感想は「お金のことが勉強できてよかった」です。

 

今回の社会科見学のもう一つの狙いは、公共交通機関を使っての移動です。先回、プラネタリウム見学で、年長園児は経験しましたが、やんちゃ男子が揃う年中園児が、団体行動をきちんととれるか心配でした。しかし、問題なく、電車・乗り換え・バスと安全に行動ができました。年長園児の声がけも頼もしかったです。

 

お弁当は、青空の下、造幣局前の公園で食べました。弟の出産で里帰り中のママに代わって、パパがお弁当作りを頑張った5歳女の子は、パパの愛情を感じながら嬉しそうに完食です。園児たちが、丸くなって会話が弾んだ楽しい時間となりました。

 

来年度の「社会科見学」も子どもたちのワクワクドキドキ・・・好奇心をしっかりと引き出す企画を考えたいですね。今日は大成功です。

2024年

2月

06日

叱れない社会

今日は思う存分屋上で雪遊びをしました。昨夜は東京23区内でも大雪警報が出るくらいに降ったのですが、朝から雨まじりで、屋上は「ぐちゃぐちゃ白銀」です。それでも、雪だるまを作り、雪合戦で熱くなり、ソリも楽しみました。小さい園児は、ただただ雪の上を歩くだけでもテンションアップです。昨シーズンは、積もるほどの雪がなかったので、久々の雪遊びは、子どもたちのいい思い出になったようです。 

 

さて、宮藤官九郎脚本のドラマ「不適切にもほどがある」では、主演の阿部サダヲ演じる中学の野球部顧問が、ノックでしごき、ミスがあれば「連帯責任!」といって「ケツバット」が連発されます。笑ってしまうシーンですが、昭和の野球部では結構あるあるです。監督は「叱って、しごくからこそ、お前たちは競争を勝ち抜ける」と本気で思っていました。

 

令和の今、夏の甲子園で優勝した慶應高校の森林監督は、かなり違います。練習メニューを説明後に、当時の主将が「この練習は必要ないと思います」と言い、監督と対等に会話を交わします。森林監督は、選手の意見を一通り聞くと「試合でこの状況になる確率が低いなら、この練習はやめて、他のことをして構わない」と言うのです。「私はたまたま、慶應の先輩ということで野球の指導をしているだけです。生徒たちも野球に一生懸命ですから、しっかり話を聞くことは大前提です。あそこで、私が話を聞かなかったら、もう主将は提案してくることはないでしょうね」と語ります。

 

ここまで読んで、「やっぱり、令和のやり方が正しいじゃん!」と思いましたか。しかし、昭和の場合も令和のやり方もうまくいく時もあれば、失敗する事もあります。

 

子育てについても、親の悩みは尽きませんね。3歳児男児を育てるママ。外で棒を振り回す息子に穏やかに言い聞かせます。「目に入ると危ないからやめようね」しかし、息子にはまったく気持ちが届かないようで、やめません。コップを倒してママの服がずぶぬれになった時は、本人は楽しそうに笑っています。「床もびしょびしょになって、ママ悲しいなぁ~」と言ってみても伝わりません。外食先で子どもが騒いだ時には「ここはアリさんの声ね」と言っても騒いだままです。

 

子育てマニュアル本には、「頭ごなしにダメと叱っても、怖いという感情だけが残って効果がない」と書いています。しかし、ネットには「叱らない系の人たちが、遊戯施設で子どもを放置」という書き込みもあり、周りの視線が気になります。「放置しているわけじゃなくて、危険がない限りは自由に遊ばせたい。他の保護者と価値観の違いはあると思う」と、そのママは考えるのです。

 

まだ就学前の子ども3人を持つパパは、「叱らない子育てという理想はわかるけど、家事も仕事も育児も忙しい毎日。3人いると叱らないわけにはいかない。でも、感情的になってしまい、なかなか上手に叱れない」と言います。子育てママパパなら、誰もが経験することですね。

 

よく、「命の危険につながるような危険な行為に対しては、しっかりと叱り、そうでないときはできる限り見守るのがいい」と言われますね。多くの子育てマニュアルにも書かれている内容です。でも、子どもといる時間で、命の危険にかかわらない「悪さ」は、山ほどあります。そんな時に、ママパパは困ってしまうのです。現代社会は、子育てはもちろんのこと、学校や会社においても「叱りづらい風潮」が蔓延しています。「虐待」「パワハラ」と簡単に言われる世の中です。

 

このブログでは、マニュアルのように「○○したらいい」とう結論は出せません。叱られる側の性格や叱る側との信頼関係・・・様々な要素を考えると、一人一人違うからです。ただし、これだけは言えます。「相手に本気や必死さをどう伝えるかを実践する」が大切です。鬼のような形相で、大きな声で叱ることが必要な時もあるでしょうし、説得する叱り方だって、すべて、相手に本気が伝われば正解です。

 

そして、叱った時に、「相手が自分で考えられるようになるかどうか」も大切なことですね。「叱られちゃった!次は、叱られないようにしよう」で終わったら、次も同じことをするでしょう。「どうして叱られたのか?では、次はこうしよう」と思ってもらえるような叱り方を実践したいものです。

 

「叱らない子育て」という言い方は、今風で、カッコイイ響きがあるかもしれませんが、

「どうやって叱るかが大事」だと思っています。子どもに限らず、社会人の若者含めて、一人一人違うから難しいのです。

2024年

2月

05日

小さなまちの奇跡の図書館

天気予報通りに、お昼から雪が降り出しました。今日の寺子屋は、屋上で雪遊びです。まだ雪は、多くは積もっていませんが、子どもたちは、雪に触れて、その感触を味わっています。明日のことを考えると、大人たちは「積もらないでくれ!」ですが、子どもたちは「明日は大きな雪だるまを作ろうね!」となります。(笑)

 

さて、地方の小さな自治体で、駅前はさびれているように見えても、図書館に足を踏み入れたら、大人も子どももたくさんいて、それぞれが、読んだり書いたり、調べ物をしたり勉強している姿を見ることがります。今日は、そんな図書館の一つである、鹿児島県指宿(いぶすき)市立図書館の話です。保育園に指宿出身のママがいます。私も、指宿名物砂風呂に入り(砂をかけられて、地熱であたたまる)、「開聞(かいもん)岳」という美しい山に登り、イっシーという恐竜の目撃情報がある「池田湖」にも訪れました。とてもいいところですが、この指宿市立図書館は、数年前までは、すっかりさびれた危機的状況だったそうです。

 

そこで、NPO法人「そらまめの会」が指定管理者として名のりをあげます。そらまめの会が実践したことは、「図書館は、ただ本がある場所ではない。本や情報を介して、人と人をつなぎ、その人生を豊かにすること」でした。

 

図書館で様々なイベントを開催して、地元の小中学生の居場所になっていきます。ジェンダーギャップや地球環境問題など、子どもたちが自主的に学ぶような場所にもなっていきました。クラウドファンディングにより、移動図書館「ブックカフェ号」が誕生します。そんな、小さな取り組みの積み重ねから、大きな改革まで、熱い情熱で進めていくのです。そして、2021年のライブラリー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのです。

 

本来の公共図書館は、行政が運営するのが当たり前と考える人も多いでしょうが、こうして、外部委託することで、活性化される事業は多くあります。ここはどちらがいいという話ではありませんね。

 

4月からの新年度を前に、保幼小連絡協議会で、近隣の小学校を訪問することが多いのですが、学校の図書室も、図書館司書による熱い思いが伝わってきますね。「図書室は本がある場所」から、「本を通じて子どもたちの可能性を広げる場所」と考えれば、今以上に、魅力的な図書室に変えることもできますね。図書館や図書室が子どもたちの大好きな場所であって欲しいものです。

2024年

2月

04日

定年お疲れさまでした

私の元会社の仲間が、1月末を持って61歳の定年を迎えました。しばらくは、嘱託社員として仕事を続けるとのことですが、定年はサラリーマン人生の1つの区切りです。世の中の流れとしては、65歳もしくは70歳まで仕事は継続する時代となりましたが、学卒で定年まで1つの会社を全うすることは、本当に凄いことだと思っています。

 

私のまわりの同年代で、定年まで仕事を続けた人は、たった2人しかいません。今の若者が、定年まで1つの会社で務めることはほとんどないのかもしれませんね。生き方の多様性の中に、「仕事を選ぶ」という要素は大きいです。

 

定年を迎えた彼の話をします。保育園ホワイトきゃんばすにも何度も足を運んでくれ、酒を飲みかわす朋友です。(笑)

 

1986年4月に入社した彼は、配属先が神戸の本社となります。当時は、福利厚生が整っておらず、埼玉在住の彼は、会社都合の辞令にもかかわらず、引っ越し費用も家賃も自費となります。家賃38,000円のボロアパートでの生活がスタートしました。そして、初任給でSONYの当時の最上級のビデオデッキを購入します。しかし、ひと月後に空き巣に入られ、ビデオデッキを盗まれてしまいます。その後、阪神淡路大震災があったのですが、このボロアパートは跡形もなく残っていなかったようです。

 

入社4年後の1990年に東京支店配属となった彼は、ずっと事務職として勤務します。会社の制度として、管理職になるには、管理職試験に合格しなければなりません。40歳の時に、彼は管理職試験に合格します。しかし、当時管理部門には、管理職のポストが埋まっていて、「お前は管理職試験に合格したから事務職に置いておくわけにはいかねえんだ」と当時の支店長から、現場経験なしの営業職に異動させられます。

 

私は、ずっと営業の仕事をしていたのですが、この人事に「どうして?管理部門を仕切る人事にしないの?」と、社員の育成よりも、組織の都合による人事に、彼の仕事人生は180度変わってしまいます。次第に彼は、メンタル的に追い込まれてしまいます。

 

約3週間仕事を休むことになります。そして、4月に仕事を復帰した際に、会社が利益確保のためにショッピングセンター専任の営業部門を作りました。そこを私が任され、彼と同じチームとして働くことになったのです。

 

彼と同じ部署で仕事をするのは初めてだったのですが、すぐに自分の営業スタイルを作り上げていきました。彼が担当するグループの売上が、右肩上がりに増えていき、得意先の信頼を大きなものにしていったのです。百貨店と量販店の需要の違いもあり、同じものを販売していては、会社のブランド力も低下してしまうので、目玉になる新商品を作ったのですが、そのネーミング「ハッピーパーティー」は、彼が考えました。いまでも、量販店のロングセラー商品です。

 

そして、営業部門に異動してから14年後、事務職に復帰し、定年間近の昨年4月から再び営業部門に異動します。組織ですので、会社都合での人事異動はやむないところですが、彼の会社人生は、そんな会社都合人事に翻弄された38年間だったのです。

 

でも、仕事をしながら、彼は世界中を旅する趣味を実践してきました。人生を大いに楽しんできたのです。定年退職の日には、入社時の社員証の「若い自分」を眺めながら、ひとりウイスキーを傾けたそうです。

 

バレンタイン・ホワイトデーと今は、忙しい時期ですので、落ち着いたら、彼とじっくり酒を呑みかわします。「おもいで」を語ることは、人生の幸福の一つです。今は、心から、「お疲れさまでした。あなたは、立派な仕事をしてきました」と言いたいですね。

2024年

2月

03日

バレンタインは「自分へ」需要

お昼の園長の課外授業は、川越にある「埼玉県初のクラフトジン蒸留所」のマツザキに行ってきました。「お酒を造っている場所に行ってみるかい?」と誘ってみると、「行きた~い!」と言うのです。パパやママがお酒を飲むので、子どもなりに興味があるようです。マツザキは、もともと酒販店ですが、令和元年にクラフトジンの蒸留所が完成し、ジンを製造販売しています。ジンは、ストレートでもおいしいですが「ジントニック」「マティーニ」「シンガポールスリング」「ピンクレディ」「ブルームーン」など、誰もが耳にしたことがあるカクテルのベースのお酒です。メニューにはないけど「ジンバック」を注文すると、かっこよくて粋だと言われます。 マツザキのジンは、棘玉(とげだま)というブランド名で売られています。子どもたちには悪いですが、今日の晩食で、ストレートからのソーダ割りで楽しむことにします。もちろん、恵方巻がおつまみです。(笑) 

 

さて、今日はバレンタイン商戦の話です。かつては、女性から男性への「愛の告白」という、今の時代では、なんとも恥ずかしいキャッチフレーズが、まさにメインの需要でした。世の男性は、もらったチョコレート数を競い・・・男性自身も「お返しが大変だよ~」なんて言いながら、本音では、チョコレートをもらって大喜びだったのです。

 

今では、日本中に世界のチョコレートが集まるお祭りとなった、バレンタイン商戦ですが、実は、私が勤務していた会社が、このバレンタインデーを仕掛けたのです。戦前の昭和11年に、「バレンタインデーに、チョコレートを」日本で最初に新聞広告に出したのが始まりです。実際に百貨店などのイベントが広がっていったのは、昭和30年代です。

 

今年のバレンタイン商戦の大きな環境変化は、「新型コロナウイルスの5類移行」「円安による海外ブランドの縮小」です。そして、「需要」という点では、「自分へ」の需要が大きく増えているようです。

 

ある百貨店の調査によると、チョコレートを実店舗で購入する人の平均予算は、1万4157円だそうです。昨年よりも1361円も上回っています。実は、旦那さんや恋人へプレゼントするチョコレートの金額よりも自分への金額の方が上回っているとのことです。

 

バレンタインの楽しみ方も多様化の時代です。本命チョコ・義理チョコ・気配りチョコ・友チョコ・逆チョコ・・・そして、右肩上がりで売上が伸びているのが「自分チョコ」です。新たな需要が見つかれば、日本のバレンタイン商戦は、永遠に続くのでしょう。

2024年

2月

02日

「獣医病理学者」って?

明日の節分は土曜日ですので、本日屋上で豆まきを行いました。園児は、紙のボウルとカラーペーパーで作った1本角の鬼の帽子をかぶります。もちろん、手作りですので、色もテイストも微妙に違ってきます。そこに、先生が扮するリアル赤鬼が登場です。チビちゃんたちは号泣するものの、大きい園児は、「○○先生でしょ」とすぐにばれてしまいましたが、楽しい豆まきになりました。豆まきに参加したのは、子どもたちだけではありません。ハトやカラスも参戦です。(笑)

 

さて、獣医病理学者というのをご存じですか。獣医である動物のお医者さんであることが多いですが、それだけではありません。獣医病理学者とは、動物の遺体を預かって、解剖や顕微鏡検査を行い死因を突き止めるのが仕事です。

 

ある朝、ペットとして飼われていた10歳の犬の遺体が持ち込まれました。まずは、飼い主から事情を聞きます。「一年前から疲れることが多く、咳を繰り返していた。やがて散歩にも行きたがらくなった。もう年のせいだろうと思っていた。そして、昨日突然倒れて呼吸困難に陥り死亡した」

 

獣医病理学者が解剖による検査を行います。胸部と腹部を開き内臓を見ると、肺の半分が侵されていた。心臓には「そうめん」状の生物がひしめいていたのです。これはフィラリアです。飼い主には、ちゃんとフィラリアの予防をして、動物病院に連れて行ってさえいれば、苦しまずにもっと延命できたかもしれないことが伝えられます。

 

獣医病理学者は、動物だって、早期発見・早期対応が必要であること。飼い主にも問題があったことを伝える義務があると考えています。「年だからしかたがない」で終わってしまうのはむなしいと言います。生物の死を無駄にせず、そこから学ぶべき教訓を引き出し、同じ過ちが繰り返されないようにすることが獣医病理学者の使命なのです。

 

今度は、小学生から「みんなで有精卵から育てていた鶏が急死したので死因を調べてほしい」との依頼がありました。依頼を受けた、獣医病理学者は、出張解剖を行い、その様子を小学生に見せたそうです。すると、小腸にぎっしり小松菜が詰まっていたそうです。どうやら餌が偏っていて低栄養に陥っていたようでした。子どもたちは、真剣な眼差しで一部始終を見守ったそうです。

 

私たち大人は、子どもたちに、生き物の死をできるだけ感じさせないように、遠ざけることが多いですね。しかし、生があるかぎり死があり、死があるから生の意味がある。死から目をそむけてはいけないのです。

 

保育園では、犬や猫は飼っていませんが、カメをはじめ、多くの生き物を飼っています。今まで、子どもたちは、何度も生き物の死を見てきました。まだ「死があるから生がある」とう意味はわからないですが、生き物には必ず死があることは、ずっと教えていきたいですね。

2024年

2月

01日

藤井聡太の鉄道愛

今日の昼時間。年長園児と小学校についておしゃべりをしている中で、給食の話になりました。小2の兄をもつ女の子が、「園長先生知ってる?給食当番の給食は、自分で配膳すると思う?」と、細かいシチュエーションの問題です。「答えはね・・・当番でない、他の友だちが配膳するんだよ」だそうです。おうちでは、こんな、誰もが気にとめないような話をしているのですね。

 

さて、前人未到の将棋の「八冠」を達成した藤井聡太さんは、大の鉄道好きでも知られています。昨年11月に「ことでん」琴平駅を訪れ、制服に着替えて車掌体験をします。いつも、冷静で物静かなイメージのある藤井聡太さんですが、鉄道のことになると、目をキラキラさせて饒舌になるようです。

 

「ことでんは、レトロな車両が結構多く活躍してるので、最近の車両とは違う雰囲気があって、とても面白かったです」と語ります。「ことでん」とは、香川県内を走る地方鉄道「高松琴平電気鉄道」の愛称です。「お待たせしました。本日はことでんをご利用いただきありがとうございます・・・」と車内アナウンスまで行ったそうです。

 

昨年5月は、岩手県の三陸鉄道宮古駅で一日駅長に就任しました。宮古市で開催された対局に臨んだ際です。昨年12月には、竜王の防衛を祝う会に出席するために秋田県を訪れ、JR大曲駅で、白い駅長制服に着替えて「こまち」の出発合図を出したそうです。

 

藤井聡太さんの鉄道好きは有名で、自他ともに認める「乗り鉄」で、子どものころの夢は「電車の運転手」だそうです。棋士にならなければ鉄道の運転手になりたかったとあちこちで公言しています。5歳で将棋を覚える前から鉄道好きで、近所の踏切で電車を1時間見ていても飽きず、電車に乗れば先頭車両の最前部に立ち、運転士の気分になっていたそうです。小学校高学年になると、東海道新幹線や名古屋近辺の私鉄の時刻表をほとんど暗記していたそうです。高校生になると、友人と「青春18きっぷ」で旅に出ます。地元の愛知県から在来線を乗り継ぎ、中央線の小淵沢に向かいます。そこから小海線に乗るのです。八ヶ岳や南アルプスの雄大な峰々やのどかな高原の景色を車窓から眺めて楽しんだそうです。

 

将棋のタイトル戦では、わざわざ遠回りしてでも、乗りたい列車で会場入りすることもあるようです。こうして、藤井聡太さんが鉄道を楽しむ様子がメディアを通して紹介されることで、地方鉄道も盛り上がるというわけです。

 

藤井聡太さんは、若くして、自分は将棋界の『顔』という自覚を持っています。しかも、八冠という立場になれば、色々なところでファンサービスをするのは自分の義務で、それが将棋の普及につながるとも考えているのでしょう。

 

そして、「乗り鉄」を名乗り、岐路に立つ各地の地方鉄道が盛り上がるために、自分も力になれれば・・・と思っているに違いありませんね。藤井聡太さんは、将棋界の救世主であると同時に、地方鉄道の救世主になることを期待したいですね。

2024年

1月

31日

プロレス新時代へ

ここにきて、体調を崩す園児が多くなってきました。近隣の小学校では、インフルエンザやコロナの感染拡大で、学級閉鎖も目立ってきました。保育園では閉鎖はありません。しかし、集団生活ですので、感染リスクはどうしても高くなってしまいます。職員も含めて、感染対策をしっかりと行っていきます。

 

さて、今日はプロレスの話です。また私の趣味の世界ですみません。戦後、街頭テレビで、日本中が外国人レスラーを空手チョップでやっつけた「力道山」に夢中になりました。この時代は、私はよく知りません。その後、日本のプロレス団体と言えば、アントニオ猪木が旗揚げした「新日本プロレス」と、ジャイアント馬場の「全日本プロレス」の両団体が、長くライバル関係にありました。この時代は、両団体が歩み寄って、「プロレス界を盛り上げよう」なんて思う人はなく、外国人レスラーの引き抜き合戦を繰り広げていました。新日のタイガージェットシンが全日に、全日のアブドラザブッチャーが新日に。スタンハンセンとブルーザーブロディの大物外国人レスラーの引き抜きもありました。

 

新日本プロレスに、初代タイガーマスク(佐山聡)が登場した時は、プロレスブームとなりましたが、プロレス業界が盛り上がったのではなく、「新日本プロレスブーム」が実態でした。その後、総合格闘技に押され、プロレスはテレビのゴールデンタイムを外れます。この苦しい時代に、新日本プロレスを支えた一人が、昨年12月26日に社長に就任した、棚橋弘至(たなはしひろし)です。

 

そんな中、プロレス界では興味深い発表が行われました。新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノア、東京女子プロレスなど主要9団体が参加して、業界団体「日本プロレスリング連盟」が設立されたのです。初代会長には、新日本プロレス相談役の坂口征二が就任しました。

 

この団体が設立されたことにより、業界が抱える課題の解決に向けた意見や情報交換の場ができたのです。かつて、バチバチに対立していた新日本VS全日本のような図式は、時代とともになくなりました。

 

新日本プロレスの棚橋社長は、日本プロレスリング連盟の意義や役割について、こう答えます。「今はプロレス団体がたくさんありますが、ファンのためにはなるべく開催地が集中せず、全国の人が見られる方がいいですよね。また興行日程が重なるのもファンのためにはならないので、そういった部分も話し合っていきたいですね」と、お客様目線です。

 

各団体がそれぞれの個性を出し合って健全な競争を展開することは必要です。しかし、人々の娯楽に対する価値観も多様化しています。プロレス文化を継承していくために、業界全体で取り組むべき課題は山ほどあります。これからのプロレス界は、新たな時代をむかえようとしているのです。

 

まだまだ、言いたいことは山ほどありますが・・・コアな話は、これくらいにして、みなさんも趣味を深掘りする生活を大事にしましょう。(笑)

2024年

1月

30日

週1回・1日丸ごと「探究の日」

今日は、屋上で「何でも30メートル走」を行いました。別名を「多様性レース」です。参加は自由で、自転車・ストライダー・キックスケーター・三輪車・かけっこなど、何で参加してもかまいません。優勝は、どの乗り物だったでしょうか?

 

はい。かけっこです。30メートルの距離だと、自転車が加速する前に、かけっこはゴールです。園長は、自転車で一緒に走りましたが、本気でペダルをこがないと、かけっこには勝てません。(笑)

 

さて、今日は東京都中野区にある「新渡戸(にとべ)文化高校」の話です。そうです、1984年~2007年まで5千札になった、新渡戸稲造が初代校長だった学校です。この学校は、教員の事をデザイナーと呼び、教員は多様な経験がある方が生徒に還元できるものが大きいとの考えから、副業を認めています。教員の約半数が、他の肩書をもっているそうです。

 

注目すべきは、毎週水曜日に「1日まるごと探究の日」を設定しています。生徒の自律的な活動を目指しています。自ら考え、判断し、行動する学習者を育てるために、5年前にカリキュラムを一新し、他の学校では、なかなかできない革命的な取り組みを続けています。

 

これは、学年や教科と言った枠を取り払って、生徒自らが学ぶ内容を選択する時間となっています。現在、「空き家の再生」や「古着を利用した卒業証書制作」など、年間で100を超えるプロジェクトが同時進行しているようです。いずれも、生徒自らが立ち上げた内容です。

 

このプロジェクトで、学校が重視していることの一つに「100人の大人につながる」というコンセプトがあります。生徒がさまざまな現場の大人と出会うことを重視し、学校が意図的に機会を創出します。例えば、全国20か所から自分で行き先を選択する「スタディツアー」では、山村地域での森林管理や地方病院でのインターンを体験させ、現地の大人との交流を通じて、探究テーマを生徒が見つけます。

 

これも、教員畑一筋ではない、民間企業出身や副業を行う教員たちの多彩なバックグランドが生かされます。生徒の興味に応じて、外部の大人を直接紹介することもあるようです。そして、従来の期末テストに代わって、プレゼンテーション・小論文・動画作成などで、学んだ成果を発表するそうです。

 

どうですか・・・期末テストで高い点数を取ることよりも、社会に出るための実践的な学びが行われていると思いませんか。そして、何より、自分で決めたことなので、楽しい学びであることは想像できますね。

 

こんな学びが、ますます増えていけば、日本の学校が「社会に出る」ための、本質的な学びの場所になっていくことでしょう。

2024年

1月

29日

半世紀ぶりにブロッコリーが・・・

先週金曜日、5歳女の子に妹が誕生しました。まだママは病院にいるので、少しの間、パパと娘の二人きり生活を送っています。パパは育休をとっているので、楽しい娘との生活になっているようです。パパが育休を取って、姉とおうちで留守番する。今でこそ、保育園パパが育休を取得するのは普通になりましたが、これも時代の流れですね。

 

さて、今から14種類の野菜を挙げます。「キャベツ」「キュウリ」「サトイモ」「ダイコン」「タマネギ」「トマト」「ナス」「ニンジン」「ネギ」「ハクサイ」「ジャガイモ」「ピーマン」「ホウレンソウ」「レタス」・・・どれも、日常私たちがよく口にする野菜ばかりですね。これらの野菜を「指定野菜」と言います。指定野菜とは、農林水産省が、特に消費量の多い野菜として定めたもので、品目ごとに一定規模の産地を「指定産地」とし、価格が下落した場合に国が生産者に補給金を出して生産量を確保します。このたび、1974年のジャガイモ以来、約半世紀ぶりに、15品目目として「ブロッコリー」が国民生活に欠かせない野菜として「指定野菜」に追加されたのです。2026年度から適用されます。

 

指定野菜を作る農家は、国から守られる形になるので、参入農家も増えて、結果的には、市場に多く出回るようになり、消費者には安く提供されるようになります。

 

皆さんの「ブロッコリー」のイメージはどうですか。保育園の給食でも頻繁に登場します。日本の人口は、減少に転じているので、野菜の生産量もじわじわと右肩下がりになっています。しかし、ブロッコリーは、過去10年で3割も出荷量が増えているそうです。ちなみに、都道府県別生産量ベスト3は、1位北海道で、2位には、我らが埼玉県で、3位には愛知県と続きます。埼玉産のブロッコリーが全国に出荷されているようです。

 

私が小学生くらいの頃に、野菜では「ブロッコリー」、果物では「キウイフルーツ」が、珍しい野菜&果物として、登場した印象があります。母親からは、カリフラワーよりもブロッコリーのほうが、栄養があるので、どんどん食べなさいと、よく言われていましたね。カリフラワーのポジションは、ブロッコリーに取って代わったのです。

 

ブロッコリーは、茹でてマヨネーズで食べるだけでもおいしいですね。高タンパクで、低脂質・そして豊富な栄養素がいっぱいで、野菜の王様と言われています。みなさんは、どんなレシピでブロッコリーを食べていますが。我が家で飼っているネコも、ブロッコリーが大好きです。ダッシュで食べにきます。(笑)

2024年

1月

28日

不適切にもほどがある

宮藤官九郎脚本・阿部サダヲ主演で、史上最低の視聴率とうたわれた大河ドラマ「いだてん」と比較されて、今年の大河ドラマ「光る君へ」は、それに迫る勢いと揶揄されていますが、令和の時代に20%を超えるような高視聴率を求めること自体、無理な話ですね。モノサシが全く違います。まさに、現代は多様性の時代ですので、テレビを観ない若者が多くなりました。1人暮らしをしている私の次女の家にもテレビはありません。YouTubeなどオンラインの配信があれば十分なのです。

 

でも、私を含め、昭和バリバリ世代は、やっぱりテレビを観ます。新番組のドラマ「不適切にもほどがある」では、昭和の迷場面がたくさん出てくるようだったので、楽しみに初回の放送を観ました。100%娯楽作品として笑いに浸ろうと思っていたのですが、とんでもありません。令和の今を考える深い番組だったのです。

 

クドカン&阿部サダヲのコンビが、最も得意とするシチュエーションですね。

 

ファーストシーンから「おい!起きろブス!盛りのついたメスゴリラ」「うるっせいなあ!クソじじい!」「うるせいよ、クソチビ!」と、父と娘の不適切なセリフの応酬です。公共交通機関や学校の応接室で、プカプカとたばこを吸い、野球部のシーンでは、「ウサギ跳び1周」「水を飲むとバテル」「連帯責任のケツバット」と、今の科学的なトレーニング方法とは真逆のシーンに、私は「懐かしい!」と思ってしまいます。昭和のやり方からでも多くのプロ野球選手は生まれましたが、大リーグへの道を切り開いた野茂英雄や、世界の大谷翔平にはあり得ない光景です。

 

設定は1986年です。私は、大学生として就職活動をしていました。学生時代に、先輩に意味なく「個人面談」と呼び出され、意味なく「ケツバットだ!」とバットでケツを強打された恨みを、夏合宿最終日の夜の宴会で酔ったふりをして、その先輩をサソリ固めでやっつけたことは言うまでもありません。長州力の必殺技です。(笑)

 

喫煙については、今では「全車禁煙」が当たり前ですが、当時の電車は、禁煙車両が一両あったくらいです。タバコを吸わない人がカッコイイと言われるのは、まだまだ先の事でした。

 

こんな感じで、笑いながらドラマを見ていたのですが、最後の方で、考えさせるシーンが現れます。阿部サダヲのセリフですが、「頑張れって言われて、会社休んじゃう部下が同情されてさ、頑張れって言った彼が責められるって、何か間違ってないかい?だったら彼は、何て言えばよかったの?」「何だよ寄り添うって、ムツゴロウかよ。そんなんだから時給あがんねーし、景気悪いんじゃねーの?挙句の果てにロボットに仕事取られてさ」「こんな未来のために、こんな時代にするために俺たち頑張って働いてるわけじゃねぇよ!期待して、期待に応えてさ、叱られて励まされて頑張って、そうやって関わり合って強くなるんじゃねの?」

 

時代の流れというのは、過去をすべて否定して、新しいものを作り上げるのではありませんね。過去のいいところを残しながら、新たに変えなくてはいけない部分を作っていくような気がします。そう考えると、このドラマは、ざっと9割くらいは笑って楽しむのですが、1割は、昭和のいいところを令和でも引き継いでいかねば・・・を探す楽しみもありますね。

 

保育園ホワイトきゃんばすの園長は民間企業で働いていましたので保育園畑出身ではありません。でも、過去から続く保育園で決してなくしてはいけないことを保育園畑を経験した先生たちから学びます。でも、「これって本当に必要?」を変える決断をしやすいのは、保育園畑出身でないからです。

 

この「不適切にもほどがある」のドラマ・・・昭和って、本当に変だなぁ?と大いに笑いながら、「昭和から学ぶこともあるんじゃないの」という視点で観てみませんか。

2024年

1月

27日

ケンカは、子どもの成長のチャンス

今日の屋上は、強風です。小学生は、迷わず凧あげをチョイスします。走ることなく、簡単に大空を舞ったのはいいのですが、風が強すぎて、凧が崩壊してしまいました。(笑)

 

さて、2022年の国民生活基礎調査で、初めて全世帯に占める児童(18歳未満の未婚)のいる世帯の割合が20%を割り込み、18.3%となったそうです。今から38年前の、1986年には、児童のいる世帯の割合が、ほぼ半数だったことを考えると、少子化だけでなく、家族の在り方も大きく変わったと言えますね。

 

さらに、きょうだいのいる世帯も大きく減少しています。20年前の2004年までは、一人っ子より2人兄弟の世帯の方が多かったですが、現在は、2人、3人きょうだいを合わせても、一人っ子のいる世帯とほぼ同数の割合だそうです。ホワイトきゃんばすの場合は、一人っ子世帯の割合は44%です。

 

保育園、幼稚園、小学校では、生活空間や時間の共有により、葛藤や軋轢(あつれき)が多く、それがケンカへと発展していきます。同時にそれらの密な関係性の中で、仲直りや解決の方法が作られたり、ルール化されたりしていきます。ケンカをしながら対人関係や人との距離感、そしてケンカしなくても済む方法などが磨かれていくのです。AIなら、最初に「ケンカをしないためには」という結論を出してくれるでしょうが、人なら、まずはケンカを経験してから学んでいくのです。

 

保育園では、それらは承知の上ですので、子どもたちのケンカが始まると、「成長につながるだろう」と安心したりもします。ただし、0~2歳児と寺子屋園児では、ケンカの質が異なります。乳幼児は、おもちゃを取られたり、自分がいた場所に他の人がいたりした時に、自身の欲求や思いが満たされず、手が出るのです。

 

それが、年長クラスになると、自己の思いと相手の思いのズレや違いに対する対立や、正義を貫く戦いです。双方にそれなりの正義が存在することが多いですね。それを、当事者同士で折り合いが着けられるようになると、うれしいですね。保育園では、なかなかこのレベルにはたどり着きませんが、まずは、相手に「イヤ」と伝えることが大事です。

 

「自分が嫌と思ったら、イヤ!やめて!と言うんだよ」とよく子どもたちに言いますが、先日は、ちょっと前までは赤ちゃんだった1歳の女の子が、「やめて!」と叫んだときはビックリしました。

 

大人のケンカは、一歩間違えると取り返しのつかないことになりますが、子どものケンカは「成長のチャンス」と、私たち大人は、肯定的な視点を持つことも必要ですね。

2024年

1月

26日

秘密基地「らぼる」

昨日参加した、「小学校は楽しいよ の会」について、保護者からの反響が大きかったですね。「家に帰るまで、ずっと、小学校での話をしていた」「楽しかったと嬉しそうに話してくれた」「このような企画を考えてくださった宮前小学校に感謝したい」などなど、小学生になる年長園児と同じくらい、保護者も「小学校生活大丈夫かな?」と不安に思っているので、あらためて、有意義な時間となったようです。

 

さて、人間には、偏差値やテストの点数のように数値化できる力だけでなく、協調性やリーダーシップなど数値化しにくい力も備わっています。これらは、「非認知能力」と呼ばれ、他人と関わり合いながら生きていく上で大切な力とされています。

 

最近は、「非認知能力」という言葉が、ずいぶんと浸透されてきました。このブログでも、何度も話をしてきました。そんな非認知能力を伸ばそうと、独自の授業を行っている専修大付属高校の話です。

 

この高校では、非認知能力を高める選択科目があり、その科目の名前は「秘密基地『らぼる』」です。経験したことがないことを実験するという意味を込め、実験室を意味する「ラボラトリー」から名付けられたそうです。ある授業のテーマは「やりたいことを実現させるためには」です。

 

非認知能力の育成に関する著書がある岡山大の中山教授によると、非認知能力とは客観的数値では測定できない能力総称で、向上心や共感性、忍耐力などが含まれる。AI(人工知能)と人間が関わる社会では「人間だから求められる能力」として、幼児教育や学校教育などで関心が高まっていると言います。非認知能力は、AIでは対応できませんね。

 

専修大付属高校で、「らぼる」が始まったきっかけは、卒業生の言葉だったそうです。「高校で学んだことが大学で役に立たない」つまり、高校までは生徒は受け身でも通用するけど、大学生活やアルバイト、就職活動などでは、主体性やコミュニケーション力が求められる。「従順でまじめな『いい子』ほど、卒業後につまずくことが多い」のです。

 

「らぼる」の授業で大切にしてるのは、気兼ねなく意見を言い合える雰囲気だと言います。それがなければ、生徒は批判を恐れて発言しづらくなり、自発的に取り組む意欲がそふがれるのです。そして、その雰囲気作りに大きな役割を果たすのが、卒業生のサポートだそうです。大学生や社会人が参加し、生徒の議論の輪に加わります。教師と生徒は、どうしても上下関係が生じますが、年齢が近い卒業生とは、『斜めの関係』が築けて、発言しやすい雰囲気につながっているようです。

 

この「らぼる」を受けた生徒は、受けなかった生徒と比較して、「考えの違う人とうまく付き合う力」や「トラブル処理力」などで、差が出たという研究結果もあるようです。

 

「らぼる」の話は、高校生の話ですが、非認知能力を身に付けるためには、幼児教育からが大事になってきます。友だち同士でケンカをし、自分の思い通りにならないことをたくさん経験し、また、一緒に遊んで、考えて、協力して、励まし合う経験が大事になってきます。

 

保育園ホワイトきゃんばすでは、子どもたちに「自分で考えて自分で答えを出せる人」になって欲しいと願っていますが、それには「非認知能力」は欠かせません。そして、社会に出ても自分らしさを発揮し、他者の魅力も引き出せるような人を育てたいですね。

2024年

1月

25日

「小学校は楽しいよ」の会

年長園児が、朝からわくわくしています。「小学校ではどんなことをするんだろう!?」という気持ちでいっぱいです。今日は、さいたま市立宮前(みやまえ)小学校で、年長園児がお招きいただき、「小学校はたのしいよ の会」を開いてくれました。

 

保育園ホワイトきゃんばすを含む近隣の幼稚園、保育園6園の年長園児が集まりました。小学校の生活や学習について、現役の小学校1年生に教えてもらいながら、楽しい時間を過ごすという内容です。

 

ホワイトきゃんばすから宮前小学校までは、園児の足で20分くらいです。散歩にはもってこいの距離です。宮前小学校に到着すると、校庭にある「つきやま」というタイヤを使った遊び場や、ウサギ小屋を見ながら過ごします。すると、休み時間になった1年生が、校庭に出てきました。その中に、ホワイトきゃんばすの卒園児の男の子がいて、園児たちは、いきなり大盛り上がりです。

 

そして、いよいよ1年4組の教室に向かいます。1年生が使用している机に座って、その横には、机の持ち主である1年生が付いてくれました。マンツーマンでのフォローです。まずは、手作りのメダルが首にかけられました。ひまわりのデザインですが、「ひまわりの花びらの数をかぞえてみよう」となります。ここは算数です。そして、「小学校は楽しいよ の会」がスタートしました。

 

「はじめのあいさつ」は、1年生が掛け合いで年長園児たちの緊張をほどいてくれます。司会2名の自己紹介が終わり、「ランドセルを背負ってみよう!」「ランドセルの中の教科書を机の中にしまってみよう!」「体操着をたたんでみよう!」を実際にやってみます。隣の1年生にやり方を教えてもらいながら、園児たちは、とても楽しそうです。

 

1年生から、歌のプレゼントがありました。宮前小学校の校歌と「さいたま市のうた」です。市歌は、さいたま市在住の「タケカワユキヒデ」さんが作曲した曲です。

 

そして、1年生の感想がありました。「体操着をたたむのもしっかりできていて凄かったです」「小学校は楽しい所だから、待ってるね」・・・今度は、年長園児に感想を聞いてみます。何人かの園児が手を挙げます。4人ぐらい連続で「楽しかった!」という感想が続いたのですが、ホワイトきゃんばすの女の子が、「今日は、1年生に色々なことを教えてもらいました。ありがとうございました」と感謝の意を伝えたのです。素晴らしい発言に、私は、心の中でガッツポーズです。(笑)

 

この企画は、宮前小学校の1年生の担任の先生の発案で、昨年末に、わざわざ保育園ホワイトきゃんばすにお越しいただき、案内を承りました。素晴らしい企画に、即決で「是非とも参加させていただきます」となったのです。

 

保育園、幼稚園から小学校入学については、大きな環境の変化に、戸惑う子どもたちが毎年多く発生します。不安いっぱいの年長園児が、「小学校って楽しい所だね」と思うだけでも、今回の取り組みは大きな意義があります。この企画を校長先生にプレゼンした○○先生には、感謝ですね。

 

本日参加した、11名の年長園児たちは、おうちに帰って、マシンガントークのごとく、ママやパパに今日の出来事を話すことでしょう。小学生になる自覚が、ますます大きくなっているようです。

2024年

1月

24日

卵の力

屋上では「やった!○○ちゃんよく頑張った!」「凄いぞ!」「ずっと乗ってる・・・ビックリしたよ」「おめでとう!・・・」などの言葉が飛び交い、大きな拍手が起こりました。3歳の女の子が、自転車に乗れるようになったのです。これで、3・4・5歳児の寺子屋園児25名全員が自転車に乗れるようになりました。今年度末まで、あと2か月を残して、今年度も寺子屋園児全員が、自転車免許証交付という快挙です。今日は、園児全員、麦茶で乾杯です。(笑)

 

保育園ホワイトきゃんばすでは、異年齢でのかかわりの中で、年少でも自転車に乗れるようになるのが当たり前になっていますが、冷静に考えると、補助なし自転車に乗れるようになる平均は、小学校1年生ですので、いかに凄いことかおわかりいただけると思います。はい。これは、子ども同士の影響力による偉業です。

 

さて、今日の話は、私が子どもの頃から親しんだキューピー人形の、3分間クッキングは今でも続く長寿番組。そうです・・・キユーピーについて語ります。1925年に日本初のマヨネーズを作ったのがキユーピーです。マヨネーズで知られるキユーピーは、年間約42億個の卵を使って様々な商品を販売しています。でも、子どもたちにとって、卵アレルギーは避けられない問題ですね。保育園でも、今まで何人かの園児へ、卵を除去した給食を提供してきました。キユーピーは2013年にアレルギー低減卵の研究を始めたそうです。

 

ここまで読んで何か気がつきましたか。キユーピーのユの字が小文字ではないですね。知る人ぞ知るですが、正式名称は、キューピーではなく「キユーピー」です。デザイン上の理由だそうです。崎陽軒のしゅうまいを「シウマイ」と呼ぶのと似ていますね。

 

私たちの食卓に当たり前にある「卵」ですが、料理をする時に、たいがい殻は捨ててしまいますね。しかし、卵は捨てるところが一つもなく、キユーピーでは100パーセント有効活用しているそうです。黄身はマヨネーズに、卵白はお菓子やかまぼこ、膜は化粧品やサプリメントに使用し、年間2万8千トンも出る殻は、肥料やタイヤの滑り止め、壁などの建築資材に使われます。殻には多くのカルシウムが含まれているので、お米に混ぜて一緒に炊く商品も販売しています。卵の研究を追求するキユーピーでも、卵に含まれる未知なる素材の研究は、まだまだ続くようです。

 

昔、鶏は木の上で生活をしていて、巣から卵が落ちないように、あえて、あの卵形に産んでいると言います。どうですか・・・何だか、今まで以上に、卵を丁寧に扱わないと!と思いましたか。

 

物価安定の優等生として、よく卵が取り上げられますが、昨年は、鳥インフルエンザ問題で卵の値段が高騰しましたね。ここにきて、少し落ち着きましたが、私たちの食生活に欠かせないのが卵です。

 

私がかつて勤務していた菓子メーカーの看板商品の一つが、「カスタードプリン」です。原料は「卵・牛乳・砂糖」だけです。プリンが固まるのは卵の力です。日持ちをさせたり、原価を抑えるために、原材料表示に色々なものが入っているプリンはスーパーなどでは多く見られますね。

 

このシンプルな原料で、抜群においしいカスタードプリンは、全国津々浦々、かなりの数量に及びますので、工場ではライン化していますし、卵の殻を1つ1つ割って作っていません。パックに入ったキユーピーの卵黄を使用しています。この卵がおいしさの秘密でもあります。

 

今日の買い物では、「卵」を意識してくださいね。

2024年

1月

23日

進化するレトルトカレー

今日の年長お昼タイムは、お掃除の練習です。紙のちりくずを床にまいて、実際にほうきとちりとりを持って、ゴミを集めます。小学生になって、ほうきでゴミを散乱させないように、しっかり練習です。

 

さて、みなさんの昨日の夕食は何でしたか?我が家はカレーライスでした。たいがい鍋にいっぱい作るので、今日は2日目のおいしいカレーを食べることになりそうです。もちろん、スパイスにこだわって・・・ではなくて、市販のルーを使います「○○〇バーモンドカレー」ですが、とてもおいしいですよ。

 

お正月のお節料理に飽きたころに、無性に食べたくなるのがカレーライスですね。「おせちもいいけどカレーもね」と昭和の時代に西城秀樹さんがカレーCMで叫んでいました。そんなカレーですが、今ではレトルトカレーがかなり進化しているようです。

 

世界初の市販用レトルト食品、大塚食品の「ボンカレー」が誕生したのが1968年です。もう50年以上前になります。1972年に「3分待つのだぞ」という笑福亭仁鶴さんのCMで一気に食卓に広がりました。最近まで、レトルトカレーと言えば「なんだよ・・・レトルトかよ!」なんて思っていた人が多いかもしれませんが、今では、スーパーや食料品店の棚には、有名店とのコラボ、ご当地カレー、高級食材を使ったもの、エスニック風のものから、近年人気のスパイスカレーまでさまざまな種類のレトルトカレーが並んでいます。こうなると、これまでは保存食、非常食的存在だったレトルトカレーが、今は日常食になっている感覚です。ものによっては、高級カレーです。最近では500円を超えて1000円前後の物が人気で、「あのお店のカレーがレトルトに!?すごい!」という時代になっています。

 

我が家もそうですが、家族で食べるカレーは、鍋でたくさん作ったものをみんなで食べるものでした。それが、2017年にレトルトカレーの購入額とカレールーの購入額が逆転したのです。これは、ルーの需要が減ったのではなく、レトルトの購入額が増えたということです。カレーの孤食化もも進むのですが、家族がそれぞれ好きなカレーを選んでシェアしたり、最近流行のあいがけにしたり、新しい楽しみ方が出てきているようです。

 

やはり、日本人の多くが「カレー大好き」人間なので、これからも、さらにレトルト含めて、カレーの魅力が広がっていくような気がしますね。

2024年

1月

22日

「かるた」は遊んで学べる芸術品

保育園には、「こびとかるた」と「妖怪かるた」があって。子どもたちが自由に使っています。読み手も園児がやるので、読み手も含めて、楽しみながら、ひらがなを覚える、絶好のツールとなっています。

 

今日は、お昼の年長勉強タイムに、新たに「恐竜かるた」をデビューさせて、楽しみました。読み聞かせの絵本にも恐竜はたくさん登場するので、子どもたちは、恐竜の種類をよく知っています。白熱の戦いとなりました。見事優勝した年長女子に「どうしたら、かるたで勝てるようになれますか?」と質問すると、「少し離れたところから、全体をよく見ていれば、取れるようになる」とのことです。大人になると、ヤマを張らないと、すばやく手が動きませんが、子どもの反射神経は大したものです。

 

ある小学校の教員は、かるたが大好きで、気がついたら800種類も集めたそうです。集めたかるたは、小学校の授業などに取り入れ、百人一首以外にも昆虫や食育などの多様なテーマのかるたを教え子に触れさせています。「短くリズムの良い文章で、美しい日本語の響きや、さまざまな知識を楽しく吸収できる」と言います。例えば、歴史を学ぶときは、太平洋戦争中に作られたかるたを使い、戦時下の社会の様子を伝えます。「愛国いろはかるた」の「い」の読み札には、「イセノカミカゼ テキコク コウフク(伊勢の神風 敵国 降伏)」と戦意高揚の言葉が並びます。また、戦時下のかるたは紙質が悪く、厚みもないことも、子どもたちに気付いてほしいそうです。

 

日本のかるた文化は、平安時代からの上流階級の遊び「貝覆(かいおおい)」と、16世紀後半にポルトガルから伝来したトランプに近い「カルタ」が融合して生まれたと言われています。「貝覆」とは、二枚貝を別々に分けて、和歌の「上の句」と「下の句」や挿絵などを書き、ペアを探し出すという遊びです。平安時代末期から鎌倉時代頃に遊びとして始まり、後に「貝合わせ」と呼ばれるようになったそうです。

 

戦後は、復興を目指し、地元の文化などを学べる郷土カルタがブームとなりました。1947年に制作された「上毛かるた」はその代表例です。群馬県の人たちは、老若男女問わず、上毛かるたを暗記しています。

あ 浅間のいたづら・・・とくれば、下の句の「鬼の押し出し」がすぐに出てきます。

い 伊香保温泉・・・なら、下の句「日本の名湯」です。

こんな感じで、群馬県民は、郷土愛が強い県民となったのかもしれません。

 

保育園ホワイトきゃんばすでは、今後も「遊んで学べる芸術品」である「かるた」をしっかりと学びの手段として活用していきます。

2024年

1月

21日

さいたまヨーロッパ野菜研究会

自分が住んでいる街のいい所を見つけるのは、なかなかいいものですね。埼玉県は、一番ではないけど、讃岐うどんの香川県に次いで、全国2位のうどん県でもあります。そして、私が住んでいるさいたま市は、これまた一番ではないですが、パスタ・チーズ・ワインの一世帯あたりの購入量は、全国平均を大きく上回り、外食での洋食比率も高いのです。

 

そんなさいたま市の自慢の一つに、「さいたまヨーロッパ野菜研究会」があります。さいたま市内で、現在13軒の農家が、年間約70種類のヨーロッパ野菜を生産、出荷しています。さいたま市内のイタリアン・フレンチをはじめとする洋食レストランから「新鮮なヨーロッパ野菜が欲しい!」という声に応え、若手農家グループ、地元シェフ・トキタ種苗(株)、食料品卸会社などが協力して、ヨーロッパ野菜の地産地消を実現しています。2013年に発足したので、かれこれ10年になります。

 

ヨーロッパ野菜は思い浮かびますか。ビーツ・ズッキーニ・ケールなどは、一般のスーパーでも見ることができますね。やけに平らで大きい「平さやいんげん」やカリフラワーをステック状にした「カリフローレ」はよく見ますね。茎の部分はアスパラガスみたいな味がします。「白なす」は、ホワイトきゃんばすファームでもこの夏トライしました。猛暑で、5本ぐらいしか収穫できませんでしたが、『トロナス』と言われるように、とてもおいしかったです。

 

さいたまヨーロッパ野菜研究会の取り組みは、行政も巻き込んでいます。さいたま市内の小中学校では、ヨーロッパ野菜を使った給食が人気だそうです。ミネストローネが出ると完食です。学校菜園でもヨーロッパ野菜を栽培し、給食で食べる小学校もあるようです。また、小学校の社会科副読本にも「ヨーロッパ野菜」が登場します。毎月1月には「さいたま市長杯さいたまヨーロッパ野菜料理コンテスト」が開催され、県内の若手シェフたちの登竜門となっています。今年は、本日最終審査が行われるようです。

 

先日、岩月の人形会館に行った時に、同じ敷地内に「ヨロ研カフェ」というおしゃれなショップでランチを食べたのですが、そこで初めて「さいたまヨーロッパ野菜研究会」の存在を知りました。ヨーロッパ野菜研究会を「ヨロ研」と略すそうです。

 

みなさんが住んでいる街には、まだまだ知らない「自慢できるモノやコト」があるかもしれませんね。

2024年

1月

20日

だでうめぇ!!北のハンバーグ

本日登園した4歳&2歳の姉妹園児のママは、教員で小学校1年生の担任です。今日は、学校公開で授業参観があったそうです。子どもたちの発表会ということで、何と80人の保護者が集まり、教室は大人でギューギューです。土曜日ということで、両親そろってやおじいちゃんおばあちゃんまでも孫の姿を見に来ました。子どもたちの発表に、うるうるする保護者の姿もあったそうで、4月には「小学校生活は大丈夫かな?」で始まった我が子が、大勢の前で発表できるところまで成長した姿を見たのです。

 

私の経験上、1年生の授業参観が、もっともギャラリーが多くて、6年生になるとチラホラにまで数が減っていきます。是非とも、親には、我が子の6年間の成長を見守って欲しいと思いますね。

 

さて、商業高校の生徒らが、地域の特産品を使って企業と開発した商品の全国一を競う「商業高校フードグランプリ」で、昨年見事に最高賞の文部科学大臣賞に選ばれたのは、北海道函館商業高校の商品でした。「だてうめぇ!!北のハンバーグ」です。

 

第10回大会は、全国23校からの応募があったそうです。最高賞を受賞した函館商業高校は、幅広い世代に人気のハンバーグで商品開発を行いました。ジャガイモでボリュームを持たせ、柔らかい食感にするために豆腐を混ぜるなど、独自の工夫があったようです。

 

本選のプレゼンで、綿密な市場調査の結果を発表し、開発経緯を説明します。消費者のコストパフォーマンス重視の傾向などを踏まえて、価格を設定します。廃棄率の削減やフードロスの解消に向け、賞味期限を21日間にしたようです。

 

実は、この北のハンバーグは、先輩たちの代から3年かけて開発した商品で、すでに、1年間で3万7千パックを出荷したそうです。1パック270円です。パッケージはとてもインパクトがあり、写真はステーキのようなイメージです。「函商生コラボ」と明記されているので、何だか応援したくなるような気になりますね。

 

今回23校の商業高校がフードグランプリに参加したわけですが、商品開発には、民間企業の力を借りないといけません。マーケティング含め、高校生にとっては、1つの商品が発売されるまで、多くのことを学んだに違いありません。社会出て、すぐに役に立つスキルですね。

2024年

1月

19日

キャッチボール

今年もいただいた年賀状の「お年玉くじ」の当選番号があるかどうかを確認しました。いただいた年賀状は、お正月に一度読んで、お年玉くじの時にもう一回目を通します。そして、12月の年末に翌年の年賀状を書くときに、もう一度読むので、少なくとも3回年賀状には目を通すことになります。「年賀状じまい」は、今年は2通ありました。年賀状にある一言メッセージが、ずっと会っていない相手との言葉のキャッチボールです。「元気にしているようだな・・」と安心する時間です。

 

さて、昨年末から大谷翔平選手のグローブが届き始めました。3月末までには、全国の小学校に左利き用1個を含めて3個のグローブが届きます。合計約2万個です。各小学校では、この3つのグローブをどう使うかで、話し合いも始まったようです。この話し合いは、まさに言葉のキャッチボールになりますね。

 

大谷選手は、このグローブで「キャッチボールしようぜ!野球しようぜ!」のメッセージを送りますが、子どもたちの中には、初めてグローブをはめた子もいるかもしれません。キャッチボールが続くためには、ボールを相手の取りやすい所に投げることが必要です。とんでもない所に飛んだときは「ごめん」の言葉があると、うれしいですね。

 

昨日、保幼小の会議で訪問した小学校の「ボールクラブ」の顧問と話をしました。ホワイトきゃんばすの卒園児で、小4の男子が「先生・・・ドッジボールで、6年生の顔にボールを当てちゃったんだけど、謝っておいた方がいいかなぁ~」との話があったそうです。「もちろん、○○君の口でちゃんと謝った方がいいなぁ~」と答え、彼はきちんと「ごめんなさい」を伝えることができました。素敵な言葉のキャッチボールができたようです。

 

保育園の年長園児は、お昼の勉強タイム(勉強以外のことをやっている事が多いですが)に、耳を傾けると、様々な言葉のキャッチボールが行われています。勉強を教える声であったり、好きなキャラクターの話だったり、それは色々ですが、子どもたち同士で考えを深め、友だちとの考え方の違いも知ることになります。やがて、この子たちが大人に成長する過程で、SNSがどんな進化になっているかわかりませんが、誹謗中傷がなくなることはないでしょう。相手の顔を見ながら言葉のキャッチボールをする力を育てることが、必要だなぁ~とつくづく思う次第です。

 

子どもたちの会話に耳を傾けながら、その会話に介入しすぎないように、できるだけ子どもたち同士で話し合いを完結させるように見守りたいですね。大谷選手の豪快なプレゼントは、野球のキャッチボールだけでなく、「言葉のキャッチボールもたくさんやって!」というメッセージとして受け止めたいですね。

2024年

1月

18日

キャッシュレス募金

昨日、石川県輪島市の中学生258人が白山市内の県内施設に集団避難しました。また、21日には、珠洲市、能登町の中学生で、保護者が同意した生徒144人が、金沢市内の施設に集団避難するそうです。教員や職員が、施設内で授業を行います。予定は約2か月です。突然、今まで通っていた中学校に行けなくなり、大変な状況ですが、この経験をきっとプラスに活かせるよう、願うばかりです。

 

そして、保育園では、本日から保幼小連絡会議がスタートしました。4月に小学生になる年長園児が通う小学校に行き、1年生の授業参観に出席しました。あるクラスは「せいかつ」の時間で、「もうすぐ2年生になるけど、4月からやってくる新1年生にどうすれば喜んでもらえるか?」の授業でした。「パソコンを教えてあげる」「折り紙でパックンちょを作ってあげる」「学校探検をしてあげる」「一緒にお絵かきをする」「何かプレゼントをする」などの意見がありました。昨年4月に入学した1年生は立派に成長しています。

 

さて、「赤い羽根共同募金」をしたことがありますか。私のイメージでは、子どもたちが箱をもって街頭で募金活動をするイメージです。ところが、神奈川県共同募金会は、スイカなどの交通系ICカードで募金ができるそうです。

 

もともと、寄付金額については、日本と欧米との差は大きくて、2021年寄付白書によると、2020年のアメリカでの個人寄付は約34兆6000億円で、日本の1兆2126億円と比べると28倍です。人口数の違いを考えても、日本の個人寄付額は少ないのが現状です。

 

欧米では、キリスト教によるチャリティー活動が盛んで、幼少期から日常生活における寄付活動が根付いています。また、アメリカでは日本とは異なり、個人所得を個人の責任で確定申告する義務があり、そのための寄付控除制度も浸透しています。

 

日本人は、「寄付金がちゃんと使われているのか?」と疑っている人が多く、寄付が広がらない要因にもなっています。そこで、クラウドファンディングなど、寄付の「見える化」が、寄付金額の増加に効果を発揮しているようです。

 

今回の能登半島地震には、多くの芸能人やスポーツ選手からの寄付がありましたが、一般の人々もデジタル化によって寄付先の活動を手軽に確認できるようになってきたのです。

 

近年、個人寄付の後押しとなったのが、自治体に寄付をする「ふるさと納税」です。私の長女も長男もふるさと納税を活用しているので、「なんかカニが届いたぞ!」と私が大騒ぎすると、返礼品だったりします。現状は、返礼品目当てのふるさと納税が主流ですが、返礼品目当てではない寄付に積極的に取り組む自治体が現れているようです。

 

長野県では、原則として返礼品を送らない直営サイト「ガチなが」を開設したそうです。サイトには、山岳避難防止やライチョウの保護など、長野らしい事業が並び、開始から9か月半で約9000万円を集めたそうです。

 

どちらにしろ・・・時代はキャッシュレス募金にシフトしており、日本人の個人寄付活動も活発になっていくようですね。

2024年

4月

26日

給食が不安

今日の体操教室では、プログラムの最後に「チャレンジタイム」がありました。助走して踏み台をジャンプ→目の前のとび箱に手をつかないで、空中で前回りして着地です。どうですか、イメージできましたか。この大技に、年長男子4名が挑戦しました。体操教室の先生からは、「ビッグ4」と呼ばれ、ずば抜けた身体能力があります。そして、この大技を見事クリアーするのです。私もビデオに撮りながら、思わず「スゴイ!」と叫んでいました。

 

さて、今日の話は「給食」です。新年度がスタートし、小学校1年生の児童にとっては、「好き嫌いが多い」「食べるのが遅い」という不安を抱える保護者も多いかと思います。

 

保育園ホワイトきゃんばすでも、今まで多くの園児が、この問題にぶつかってきました。例えば、小食の園児に対しては、最初は少なめに盛りつけて、おかわりを促して完食体験を経験させる。ふりかけごはんにするなど、子どもが好きな食べ方にする。苦手な食材は少なめにしたり、小さく切って、食べられたら大げさに褒める。みそ汁の野菜が苦手な園児は、スープごはんにしてみる。

 

子どもへの対応は、一人一人違うので、今までトライしたやり方は限りないですね。そんな中で、一番効果があったのが、屋上ファームで収穫体験した野菜を「これは、みんなが屋上でとった野菜だよ。新鮮でおいしいからね~」すると、他の園児から「おいしい!おいしい!」の大合唱が起こり、つられて食べられるようになります。今、屋上ファームでは、絹さやエンドウ豆が収穫ラッシュですが、効果があるのは、ファームで自分が収穫した野菜だけで、スーパーで買った絹さやエンドウ豆は効果がないようです。

 

小学生の子どもを持つ親で、我が子の給食に不安がある場合は、具体的に担任とすり合わせしておくのが大事ですね。ただし、「よろしくおねがいします」だけではいけません。①食べるのが遅い理由②家庭での工夫③本人の気持ち④これまでの体験・・・など、具体的に伝えるのがいいですね。

 

「本人は『早くしなさい』と求められるとプレッシャーを感じてしまうので、保育園時代は、『ゆっくりでいいよ』と言われると時間内に完食できていたようです」といった伝え方です。小学校で給食を食べる時間は、だいたい20分です。

 

難しいことではありますが、『給食の時間が苦手』と子どもに思わせないようにしたいものですね。

2024年

4月

25日

石川佳純サンクスツアー

今日は、汗ばむような陽気になりました。屋上遊びの子どもたちは、汗びっしょりです。終わりを迎える「菜の花」を引っこ抜く作業を「力持ち集合!」の掛け声で集まった園児たちの力でやってみました。「ぼくは…わたしは力持ちよ!」と園児がたくさん集まります。自己肯定感の高い子どもたちです。この場所には、ミニトマトの苗を植えます。

 

さて、卓球女子の五輪メダリストで、昨年5月に現役を引退した石川佳純さんが、全国各地を巡回し、子どもたちに卓球を教える「47都道府県サンクスツアー」が、先日、ちょうど折り返し点の24回を終えたそうです。

 

正直、スター性のある石川さんなら、タレント活動で稼ぎまくることもできるでしょうが、彼女は、子どもたちの成長のために、どのようにアスリートが貢献すればいいか、その一つの形を示しています。

 

石川さんのツアーの理念は「スポーツの魅力と、応援してくれたファンへの感謝を伝えること」だそうです。卓球の技術も教えますが、決して競技普及だけにはとらわれません。行く先々で、子どもたちに「卓球じゃなくてもいいから、いろいろなことにチャレンジしてほしい」と強調します。

 

あの大谷翔平選手が、日本全国の小学校にグローブを送ったのは、「このグローブでキャッチボールをしてスポーツを楽しむきっかけになってもらいたい」という考えで、野球以外のスポーツも挑戦して欲しいと願っているそうです。石川さんは、12歳で故郷の山口市を離れ、大阪の中学に進学します。「夢に向かう、人生でも大きな一歩でした。そんな経験を踏まえ、子どもたちには『きっかけ』を見つけてほしい」と願っています。

 

石川さんは、2月に、中学生活の不安を感じる小学6年生を前に、チャレンジ精神の価値を説きます。「新しい生活が始まると、うれしいこと、楽しいこと、もしかしたら苦しいこともあるかもしれない。でも不安を気にせず飛び込んで。好きなことは『なぜこんなにエネルギーが湧くのだろう』という気持ちにさせてくれる。自分が『これだ』と思えるものに出会えるように、どんどん挑戦してほしい」と背中を押します。

 

子どもたちから「やめたくなったことはありますか」と質問されると、「何度もあります」と素直に答えます。「落ち込んだり、頑張っても結果がダメな時も、『昨日より今日』と思って、工夫を重ねてきた。努力は、良い時も悪い時も続けられるから大事なんです」と言います。

 

どうですか、石川さんのメッセージに目を輝かせて聴き入る子どもたちの姿が想像できますね。こういった、現役選手や元アスリートが子どもたちと交流し、スポーツの魅力を伝える機会が、これからもどんどん増えていくとうれしいですね。

2024年

4月

24日

オタフクソースのお好み焼課

今日の連絡ノートには、昨日のピクニックランチのお弁当箱が空っぽで、「ママお弁当作ってくれてありがとう」という我が子のコメントに、涙する母親が4人もいました。やはり、ママへの最高のプレゼントは「空っぽのお弁当箱」でした。

 

今日は、その流れで食べ物の話です。広島の人たちが愛するのは、広島カープだけでなく、お好み焼きとそれに使われる「オタフクソース」です。私は、何人かの広島出身の知り合いがいますが、お好み焼きを語り出すと、「お好み焼きは、○○じゃないといけない」という長いウンチクが始まります。そして、「オタフクソース」が決め手と言います。

 

大阪のお好み焼きは、具材を混ぜて焼きます。もちろん、こちらも私は大好きですが、広島人は、こう言います。「広島のお好み焼きには、サンドイッチの美学がある。上から、生地、キャベツの甘味、香ばしい豚バラ肉、パリッと焼いた麺、一番下に卵のうまみが重なり、ソースをまとっている。層の上から下まで、一口で食べないとダメなんだ。おいしいお好み焼きは、キャベツが甘いんだ」なんて話が止まりません。(笑)

 

そんな、広島のお好み焼きを引き立てる「オタフクソース」は、2022年10月に100周年を迎えた、老舗企業なんです。そして、「お好み焼課」というユニークな部署があるそうです。

 

1998年に発足した「お好み焼課」は、今まで20年以上も、お好み焼きの普及、研究に特化した部署だそうです。店を開業したい人のために焼き方の研修、小学校での出前授業を開く。お好み焼き店を食べ歩いて市場調査やお好み焼きを研究して新しいレシピ作りもしているそうです。まさに、お好み焼きを作り、食べることが仕事なのです。

 

どうですか・・・こんな部署があるからこそ、広島のお好み焼きは、今でも広島人のDNAとして、組み込まれているのかもしれませんね。そして、オタフクソースは、会社の利益を考えれば、いかにオタフクソースが売れるようにするか・・・でしょうが、お好み焼き文化を守り、広げていくことが、社会的役割なのかもしれません。

 

お好み焼課は、今では、新入社員の人気部署ナンバーワンだそうです。そして、世界に向けて、お好み焼きを広げようとしています。外国人相手に、全編英語版の「お好み焼き教室」も行っているようです。新入社員研修では、海外を旅して、その土地の人にお好み焼きを知ってもらう取り組みがあるようです。

 

さぁ~そろそろ、お好み焼きが食べたくなりましたね。今日は、広島風にチャレンジしてみませんか。

2024年

4月

23日

生成AIの利用に挑戦すること

今日は、寺子屋園児は「ピクニックランチ」でした。今年度1回目ですので、年少の寺子屋3番さんにとっては、初めて、屋上にレジャーシートを敷いてのお弁当タイムです。事前に近くの公園で、家族のピクニックを経験し、お弁当箱を開けて、自分で食べる練習をした年少の男の子もいました。年長園児は慣れたもので、「ママお弁当作ってくれてありがとう!」と、ここぞとばかりに、ビデオカメラに向かって話します。ママにとっては、空っぽのお弁当箱が、一番のプレゼントですね。全員完食です。

 

さて、小中学校では、オンラインツールを使っての授業が当たり前になってきました。そこで、生成AIを使っての授業を導入したいと考える先生も多くなっています。でも、「自分の頭で考えない」といった、マイナス面への影響も気になるところです。最近起きたことでは、中学校の理科の授業で誤った情報をコピペして答えた生徒が多数出て、問題になった出来事もありました。

 

そこで、ある人のアドバイスを聞いてもらうことにします。

 

「AIツールを教育に取り入れる際は、批判的思考を育むことが重要です。まず、AIを情報のソースではなく、アイデアの発想や解決策を見つけるための補助ツールとして位置づけ、生徒が自ら考える力を伸ばすよう導くことが大切です。また、生徒がAIを使用した場合には、その情報をどのように得たかを正確に報告させ、情報の出典を批判的に評価する習慣を身につけさせましょう。授業ではAIの機能と限界を理解し、誤情報を見分ける技術やリテラシーを高める内容を取り入れることが望ましいです」

 

どうですか・・・このコメントは、皮肉なことに、生成AIに200字以内で回答してくださいと指示して、出てきた文章です。私は、「しっかり書けた模範回答」と、何の疑いもなく思いました。

 

インターネットとう言葉が、今では当たり前に使われていますが、インターネットを使うようになったのは、私が社会人になってからです。最初は、会議資料も手書きで作り、OHPという道具を使って、投影していました。PHS→携帯電話→スマホの流れも、ここ数十年の短いスパンでの出来事です。

 

生成AIを規制しよう…という流れは、現実的に不可能でしょう。ならば、生成AIを導入して、私たちは、人間として「どう扱うのがいいのか」を考えるしかないですね。生成AIが作成したアドバイスは、的を得ていますが、そんなのイヤと考えるなら、自分で考えるしかありません。

2024年

4月

22日

大人の「学び直し」

今日は、今年度初の階段レースをしました。まずは、階段を使った避難訓練からです。1階から、さらに降りた場所に非常ドアがあることを確認してから、ガチの階段レースです。年少の寺子屋3番園児は、階段を下りるのが少し怖いようで、手すりにつかまって、ゆっくりと降ります。保育園の帰りも、時々階段を利用しながら、慣れるのが一番です。

 

さて、昨日、BSNHKの「舟を編む」というドラマが最終回でした。三浦しをん原作で、2013年には、松田龍平・宮﨑あおい主演で、映画化もされたので、知っている人も多いと思います。主人公が、新しく刊行する辞書『大渡海(だいとかい)』の編集部に迎えられ、個性豊かなメンバーと辞書の世界に没頭していく姿を描いた作品です。「辞書は、言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という意味で、この書名が付いています。

 

私は、中学時代の現代国語教師の影響で、辞書で引いた言葉には、必ず傍線を引いていました。中学高校、そして社会人になっても使い続けています。今でも、辞書を引くと、たまたま傍線が引かれてあって、「いつ調べたんだろう?」と想いを巡らせます。スマホですぐに、言葉の意味が調べられる時代ですが、やっぱり、辞書を使うと、「学んだ」という気持ちになるものですね。私にとっては、辞書は「大人の学び直し」でもあります。

 

みなさんは、「ガクサン」というコミックをご存知ですか。「学習参考書」というニッチなテーマを扱った、教育者の間でも話題になった佐原実波作の作品です。舞台は、学習参考書を取り扱う出版社です。そこへ中途入社した茅野うるしが配属されます。同じ部署には、ありとあらゆる参考書を熟知している参考書オタク福山が、上司として、うるしとかかわります。

 

この作品の神髄は、単に参考書の紹介にとどまらず、福山は、勉強の仕方が分からない中学生に、参考書を使って勉強することの意義を説きます。「体系的に何かを理解していくその方法をものにしろ。そうすりゃ年を食っても勉強以外でも好きなことを何だって身につけられる人間になれる」つまり、勉強することは、学びの方法を身に付けることでもあると言うのです。

 

どの参考書を使うかだけでなく、「どのように」使うかに焦点を当てる本作は、実在する参考書が取り上げられています。

 

中学高校生は、勉強しなければ・・・とあせる中で、勉強のやりかたがわからないことが多いですね。この本では、その方法を具体的に教えてくれます。そして、私たち大人になってからの勉強は、やらされる勉強ではなく、「やりたい勉強」をすることが多いです。そんな時に、この「ガクサン」がパートナーとして役に立つのかもしれません。

2024年

4月

21日

お肉の話

保育園の子どもたちは、よく回転すしのチェーン店の名前を出します。「お寿司大好き」というよりも、サイドメニューや演出を楽しんでいるようです。日本人の魚離れは年々進んでいて、2011年には、魚の消費量が肉に抜かれてしまいました。私は、肉も魚も大好きですが、やはり肉を食べる機会が増えています。

 

今日は、全国食肉事業協同組合連合会が、子ども向けに出している「なるほど!ザ・お肉ブック」で、お肉の勉強です。あくまで、子ども向けです。

 

和牛の場合、約30キロで生まれてきます。すぐに立ち上がり、10か月で体重は約300キロにもなります。2年半かけて、しっかりとおいしい肉になるように育てられて、30か月後に約750キロになって食肉センターに出荷されます。750キロは、ざっと小学6年生18人分です。

 

家畜としては、世界で一番多いのが豚です。豚は、半年で約10匹、1年間で約20匹の子ぶたを生みます。生まれた時の体重は、わずか1.5キロですが、6か月後には約110キロになって、出荷されます。常に何かを食べているというイメージですね。

 

これよりも、もっと短いサイクルで、出荷されるのが、ニワトリです。ニワトリの卵は、約20日間温められて、ひよこになります。そのあと、わずか50日で大人になって、出荷されるのです。和牛や乳牛の「黄色のイヤリング」には、10桁の番号が書かれています。この番号は、牛肉になった時のラベルやプライスカードも書かれていて、牛が生まれたところや育ったところなどがわかるようになっています。安心・安全の取り組みですね。

 

お肉の部位も大事です。牛肉のステーキなら「サーロイン」でローストビーフなら「モモ肉」。豚肉のとんかつなら、ヒレもいいですが、ほど良い脂肪が、コクと甘さを感じる「ロース」が、私は好きですね。鶏肉は、モモ・ムネ・手羽さきなどそれぞれ特徴があります。肉の部位によって、どんな料理があうのか、我が子と楽しむのもいいですね。

 

最後に、「いただきます」と「ごちそうさま」の意味を子どもと一緒に考えてみましょう。「いただきます」には、頭の上に食べものを押し上げて「いただく」と、牛豚鳥などの命を「いただく」ことの両方の意味があります。どちらも、食べものに対して「ありがとう」の気持ちを伝える言葉です。

 

「ごちそうさま」の「ちそう」は、漢字で「馳走」と書きますが、「馳走」には「走りまわる」という意味があります。走りまわって食べ物を用意してくれた人たちに、無事にごはんを食べて命をつなげたことへの「ありがとう」の気持ちを伝える言葉なのです。

 

まだ、小さい子どもには通用する、大切な食育ですね。

2024年

4月

20日

学校は楽しくするところ

本日登園した、小学校1年生の女の子は、ふだんは、寡黙で、ペラペラとおしゃべりをするようなタイプではありませんので、「小学校はどうだい?」と聞いてみると、友だちになった3人の女の子の話をしてくれました。そして、同じ小学校には、5人の卒園児が通っているのですが、他の4人の様子も教えてくれました。みな、元気に頑張っているようです。

 

今日の女の子のように、「楽しい」と思うのはうれしいことですが、そもそも、学校は楽しいところではありません。こう言うと、えっ!?と思いますね。

 

ある教師の話です。「私が教師になって間もない頃のことです。授業がうまくできず、子どもたちとの関係もうまくいかず、学校が楽しくなくなってしまいました。そこで、先輩の先生に相談することにしました。その先輩は、しばらく私の話を黙って聞いてくださったのですが、私が話し終えると、こう言ったのです。『○○先生。学校はたのしいところじゃないんだよ。楽しくするところなんだよ』この言葉を聞いた私は、目から鱗が落ちるような思いがしました」

 

どうやら、この先生は、学校が楽しくない原因を周りに押し付けていたのです。これは、学校に限らず、私たちの職場環境でも当てはまりますね。自分が主体的に動きもしないで、上司、先輩たちや社風のせいにして、「やる気が出ないんだよ!」と言っていることなど、私にも心当たりがあります。

 

ここ数年間は、コロナへの感染防止のために、多くの学校行事が延期や中止になってしまいました。「コロナだから仕方ない」とあきらめて、「楽しくない時間」を過ごした人も多かったと思います。しかし、そんな中でも、楽しくすることができたのかもしれませんね。

 

今日の小1女子は、きっと、自分の力で学校を楽しくする行動を自然と行っているのだと思います。そして、私たち大人は、子どもが「楽しくない」と言ってきた時に、じっくりと話を聞いて、「じゃ、楽しくするにはどうすればいいか・・・考えて見ようよ」と、一緒に知恵を出すのが大切ですね。

2024年

4月

19日

1970年の大阪万博

毎年のことですが、年少園児の体操教室は、バタバタです。体操着に着替えるのが、まずは大きな壁です。うまくいきません。水筒を自分で飲むのもままならない園児もいます。先生と先輩たちの力を借りて、てんやわんやで頑張ります。体操教室本番でも、マットに寝転がって、まるで、ゲームコーナーのボールプールのごとく、はしゃいでしまいます。こうして、ハチャメチャ体操教室が始まるのです。今は、じっと辛抱の時です。(笑)

 

さて、来年2025年に行われる大阪万博は、建設が間に合わないとか、参加国が減少するとか、そもそもやる必要があるの?とか、問題が山積みですが、1970年に行われた大阪万博は、それはそれは、すごい盛り上がりでした。私も、一応、親に連れて行ってもらったのですが、子どもだったので、ほとんど覚えていません。

 

この1970年の大阪万博のコンサートで名曲が発表されました。ジローズの「戦争を知らない子供たち」です。♬戦争が終わって僕らが生まれた~戦争を知らずに僕らは育った~♪という歌ですが、ご存知ですか。

 

現在の日本の大人たちの大半は戦争を知りません。私も同じです。もちろん、子どもたちも戦争を知りません。ところが、世界中には「戦争しか知らない子どもたち」がたくさんいます。

 

奈良・薬師寺の大谷師は、こんな法話を説いています。「朝から雨が降っていると、大半の皆さんは、今日はついていないな、と考えます。しかし、空から雨ではなく弓矢や槍が降ってきたらどうします。ましてや、爆弾やミサイルが落ちてこないのは、とても幸せなことではないですか」

 

まさに、1970年の大阪万博は、日本の高度成長期と重なったことも大ブームの要因でしたが、平和の祭典という意味も大きかったと思います。ならば、2025年大阪万博も、平和を考える機会になれば、意義ある祭典となるのでしょう。

2024年

4月

18日

おじさん1人ディズニー

エンドウ豆を毎日必死になって、収穫する3人きょうだい。葉の色も豆の色も緑なので、まずは見分けることが大事です。次は、どのくらいの大きさなら収穫可能か・・・これも、経験によって、食べ頃サイズを収穫できるようになりました。給食に使用されるので、貢献度が高いのです。(笑) 

 

さて、今日は夢の国の話です。コロナ前、まだ東京ディズニーランドに年間パスポートがあった頃、何人かの「1人ディズニー」を楽しむ人を知っていました。アトラクションに乗ることよりも、パレードを楽しむ人たちで、全員女性でした。ところが、最近では、「おじさん1人ディズニー」というライフスタイルが現れたようです。もともと、他の遊園地と違って、東京ディズニーランドは、カップルやグループ、家族で行くところとう概念は当てはまりませんが、さすがに「おじさん1人」は、???ですね。

 

あるおじさんの場合は、「きっかけは十数年前に娘を初めてディズニーシーに連れて行った時です。その日は、ディズニーシーの人気キャラクター『ダッフィー』のぬいぐるみの発売日でした。並ぶのが大嫌いだったのですが、娘のために2時間半並んで買い与えると、娘はとんでもない素敵な笑顔を見せてくれたのです」これを機に、このおじさんは、シーズンごとに発売されるダッフィーシリーズのグッズを購入するために、ディズニーシーに通うようになり、はまったそうです。「あそこは夢の国というだけあって、僕のようなごりごりのおじさんがダッフィーのぬいぐるみを抱えて1人で歩いていても受け入れてもらえるんです」と語ります。

 

そもそも1人ディズニーは、ショーやパレードを見学する際は、推しのキャラクターやダンサーの近くを陣取りたい。自分の好きなアトラクションだけを楽しみたい。食事の時間や内容もすべて自分の好みで決めたい。こんな人が、一人で行くメリットを感じているのです。おじさん1人客によく見られるのが、ビールとつまみを片手に、水辺の静かなベンチでたたずむ姿だそうです。

 

どうですか・・・「おじさん1人ディズニー」を理解できましたか。誰にも邪魔されずにゆったり落ち着いて、非日常的な空間に身を浸すことができるのが、まさに至福の時間なのでしょう。東京ディズニーランドの楽しみ方は、どんどん広がっているようですね。

2024年

4月

17日

個別指導と集団指導のバランス

今日は、サマーキャンプで利用する「小川げんきプラザ」に行ってきました。5月から7月まで利用する団体が一堂に会して、げんきプラザの職員と日程がかぶる団体同士で、諸々のすり合わせをしていきます。同じテーブルに座った、埼玉県上尾市と鴻巣市の小学校の先生と話をしました。「小学校5年生の林間学校なのに、県内に1泊とは近くて、期間も短かいんじゃないですか?」と疑問を持ったのですが、コロナ禍で、1泊になってしまったそうです。親は、2泊がいい派と、費用が抑えられるので1泊でいい派に分かれるそうです。小5林間学校の1泊2日の行程は、初日は、野外活動→プラネタリウム→キャンプファイヤー。2日目は、山登り→野外炊飯でカレーライスを食べて帰る。といった内容です。う~ん・・・やっぱり、2泊はしたいですね。

 

そんなことで、今日は小学校の先生たちと話をしたので、新任の先生の話をします。新年度、ホワイトきゃんばすの卒園児では、3年と4年で1クラスずつ、大学を卒業したばかりの新任教師が担任となりました。先日、授業参観があったようですが、保護者を前にガチガチだったそうです。そりゃ、そうですね。そんな、新任教師の悩み事第1位は、「40人近い子どもたちの個性やニーズに適切に対応できるか?個々の児童の対応と集団指導のバランスをとるのが難しい」だそうです。解決策は、「木を見て森も見る」です。言うのは簡単ですが、これは、私には絶対にできません。(笑)

 

やり方としては、「個と個の関係から全体を見る」です。実際の森の手入れでは、1本の木よりも、複数の木の枝と枝とがぶつかり合っている箇所に目を配ります。同じように「ひと・モノ・事」が混じり合うような関係にフォーカスすると、一人一人の個性が際立つのです。次は、「全体から個を見る」です。運動会や林間学校といった全員が参加したり、宿泊が伴った行事では、普段目につかない一人一人の特性や人間関係などがあらわになります。

 

最後は、様々な視点から見ることです。森の木を観察しようと思ったら、全体を見渡す「鳥の目」、間近から詳細に見る「虫の目」などです。教師が子どもを見る時も、友だちや保護者の目線になったり、授業中と休み時間と分けて見るなどです。

 

これは、小学校の先生に限らず、ある程度の人数を部下に持つ、民間企業の課長さんや部長さんだって同じです。昭和の昔なら、全員に同じことを言って、同じことをさせて、それで、生産性も上がったのでしょうが、令和では、通用しません。やっぱり、難しいですね。

2024年

4月

16日

あえてよかった

屋上遊びが、アクティブになってきました。虫あみを持って、クマバチとモンシロチョウを追いかける子どもたち。そして、エンドウ豆がどんどん収穫できるので、子どもたちも豆を探して頑張ります。寺子屋の時間は、紙コップに屋上で咲いている花を集めて、ママへプレゼントです。菜の花の黄色・大根の白・ムスカリの紫・・・そして、野草もチョイスされました。素敵な贈り物です。

 

今日は、学童が舞台の小説「あえてよかった」を紹介します。主人公は、妻にガンで先立たれ、自暴自棄になった58歳の男です。私より、少しだけ年下のおじさんです。彼には子どもがなかったのですが、亡き妻から「子どもを育てる」を実践してほしいと頼まれるのです。そこで、働き始めたのが、学童保育所です。子育てをしたことがなかったおじさんが、令和の子どもたちと想定外のやりとりに巻き込まれる物語です。

 

ストーリーは、とても現実的です。親の離婚や発達障害、愛着障害、不登校など、子どもたちのさまざまな悩みや心の傷、ピュアな思いに触れていく中で、主人公のおじさんにも大きな変化があらわれるのです。心に残る一節を紹介します。

 

「僕が感じる今と、この子たちが感じる今とは、全く異質な経験なのだろう」

「子どもたちからは、望むような反応が返ってこない」

「学校教育という名の斧で翼は折られても、子どもたちはこの妙ちくりんな社会と、必死に格闘しながら生き抜こうとする」

「泣いても、わめいても、のたうち回っても、変えられないものってある」

「未完成な子どもたちのために、不完全な僕たち大人たちが、笑いながら、泣きながら一緒に成長していく」

「生きていく理由は、どこにでもあると、彼らの声、彼女たちの笑顔が教えてくれる」

 

どうですか・・・私は同業ですので、これらの言葉が、ビシビシ心に刺さります。

 

作者の「村上しいこ」さんは、童話作家ですが、彼女の人生は、壮絶です。子どもの頃、継母からずっと虐待を受けていました。暴力によるものはもちろん、言葉や嫌がらも。木の棒で殴られて頭に傷を負い、教室にいる時も、頭から赤い汁が流れます。クラスメイトからは気味悪がられ、みんなは逃げ、そしていじめられました。そして、村上さんは、ある日、親に懇願するのです。「殺してくれ」と。しかし、「おまえは家族の奴隷だ。殺すわけにはいかない」と言われるのです。童話作家になり、全国で公演を続ける日々を送る村上さんは、「私は生きていて、死ななくてよかった」と多くの人に語ります。

 

「あえてよかった」の小説の中の子どもたちは、課題を課題と認識することができないでいます。学童保育所の大人たちは、課題と認識しながらも、解決することができないでいます。どの学校の教師たちも、課題解決学習やプロジェクト学習などを通じて、子どもたちと関わっています。そして、子どもと一緒に成長しているのです。

 

最後に、亡くなった主人公の妻が、自分たちの子どもができた時に、読ませるつもりだった絵本が見つかるのです。それが、なんとも素敵なストーリーなのです。

2024年

4月

15日

子どもの我欲

今日の屋上遊びは快適です。クマバチを追いかけ、菜の花のまわりを飛ぶモンシロチョウを捕まえて、ざるいっぱいのエンドウ豆を収穫しました。園長が、クサガメのおうちを掃除していると、子どもたちが集まってきます。ここには、一昨年の夏に生まれた、体長5センチ超の子ガメたちが住んでいます。この冬、初めての「冬眠」を経験しました。12匹をたらいに入れて観察します。2歳女の子が、勇気を出してクサガメをクサガメを持ち上げました。どや顔です。(笑)あたたかくなってきて、カメたちもよくエサを食べています。 

 

さて、子どもの我欲は無邪気で純粋なもので、それ自体が大きなエネルギーになっています。保育園でのチビちゃんたちの「おもちゃの取り合い」トラブルも、「自分が遊びたい!」とう気持ちが大きいからですね。子ども同士の我欲のぶつかり合いは、日常茶飯事ですが、年長になった園児たちについては、「俺が俺が・・」「私が私が・・」という我欲のぶつかり合いを少しコントロールできるように指導しています。

 

戦国時代の上杉謙信の「心に欲なき時は義理を行う」という言葉を引用させてもらいます。「心に欲なき時」とは無欲であること、「義理を行う」とは、正しい道理を守り、実践することです。

 

人は、欲の塊ともいわれます。「あれも欲しい、これも欲しい」「あれもしたい、これもしたい」と、自分の欲求を挙げればきりがありませんね。しかし、この欲求が強すぎると、本当に大切にしなければならないことを見失ってしまうことがあります。

 

保育園での遊びを見ると、ケンカは成長につながる大切な行為ではありますが、普段は仲よく遊びたいものです。子どもたちは、自分の欲求を少しでも抑え、順番を守るとか、相手に譲るとかをしていけば、楽しい遊びになることを学んでいきます。

 

もう一つ、上杉謙信の言葉に「心に堪忍ある時は事を調う」があります。「心に堪忍ある時」とは我慢すること。「事を調う」とは、物事が成就するということです。大人でも、当てはまることですが、何かをうまくやり遂げたいと思ったら、時には我慢も必要だということです。

 

「○○が欲しい」とか「○○したい」とう自分の欲求を持つことは、子どもたちが生きる上で、とても大切なことです。その欲求をうまく調整しながら、友だちとの関係を上手にできれば、成長といえるのです。

 

この力は、まさに、「非認知能力」です。友だちとのかかわりの中で育ちます。異年齢保育だと、年上のお手本がいるので、我欲をコントロールする力は、少しは早く身に付けられるのです。

2024年

4月

14日

きょうはおやすみします

昨日登園した卒園児は、3年生~5年生の4人でしたが、新しいクラスの仲間と担任について、今は、様子見といった感じです。この4人は、今まで、不登校になったことはありませんが、保育園ホワイトきゃんばすの卒園児には、不登校経験者もいます。保護者から相談されることもありましたが、「こうすればいい」という効果的な解決策は、簡単には見つかりません。

 

新1年生の11人は、校内のオリエンテーション中で、まだ授業も始まっておらず、「学校がいやになった」という声は、一人も聞いていません。入学にあたって、「学校は楽しいところだよ!」とさんざん話をしてきましたが、新1年生にとっては、やはり「百聞は一見に如かず」で、自分たちの目で、どのように小学校が映っているか・・・気になるところです。

 

今日は、「きょうはおやすみします」という、小学校低学年向きの絵本を紹介します。

 

主人公はコトブキ小学校のてんこちゃん。緊張したり、不安になったりすると頭の中に「どうしようオバケ」が現れます。ある日、てんこちゃんは熱が出て学校を休みました。でも熱があると分かる前から、学校に行きたくないと思っていました。それから、しばらくたったある朝、また「学校に行きたくない」という気持ちになり、勇気を出して両親に言うと、2人とも学校に行きたくないときがあったよ、と思いがけないことを言われます。ある時、授業でみんなと話をしていると、他の子たちも学校に行きたくない日があるという話になり、自分だけではないことに、てんこちゃんはホッとするのです。

 

てんこちゃんの両親や、友だち、担任が「学校に行きなさい」と強要することなく、寄り添う話です。

 

子どもが不登校になった時に、「何が原因で行きたくないのか」という、明確な理由がないことの方が多いのかもしれません。「なんとなく行きたくない」「体が動かなくなる」のです。

 

この絵本に出てくる「どうしようオバケ」は、てんこちゃんがよりよい展開を求めるための葛藤なのです。だから、ここは、まわりがとやかく答えを押し付けるのではなく、てんこちゃんが、自分で考えて、悩んで答えを出せるように、まわりは、寄り添っていることが正解なのです。

 

小学校生活6年間には、いいことがたくさんあるでしょうが、辛くて苦しいこともあります。学校に行きたくないと思うこともあるでしょう。そんな時に、この本を読むと、心が少しは軽くなるのかもしれませんね。

2024年

4月

13日

集団登校がなくなる?!

屋上に、春の便り「クマバチ」が飛んでいました。黒くて大きくて、ヘリコプターのようにブーンブーンと不気味に羽を振動させます。虫あみを持って、捕まえようとする園児と、怖くて逃げる園児に分かれます。今日は、4匹のクマバチが確保され、飼育ケースで観察です。もちろん、最後は、大空へ逃がします。屋上を飛ぶクマバチは、すべてオスですので、刺されることはありません。クマバチを追いかける子どもたちは、野生児そのものです。(笑)

 

さて、小学校で当たり前に行われている「集団登校」ですが、登校班を決めている人は誰か知っていますか。全国のほとんどの小学校では、3月中に、新1年生も含めて、PTAの地区担当が作っています。学校の先生が作るのではありません。私もPTAをやっていましたが、この作業には、本当に頭が下がります。

 

ところが、登校班では、必ずトラブルが発生します。休みの連絡がなかったり、集合時間に遅れて同じ班の児童に迷惑をかけるなどです。コロナ禍で、集団登校をしなくなった学校で、そのまま個別登校を継続する小学校が増えているそうです。

 

ある小学校で、保護者へアンケートを行ったところ、個別登校の賛成が集団登校を大きく上回る結果となったそうです。その理由は、「子どもや各家庭のペースで登校できる」「家から直接学校に行った方が早い」「個人情報が適切に扱われる」「下校はもともと個別」「個別登校でも問題はない」「一般歩行や自転車の通行を妨げている」「高学年の歩く速度に低学年がついて行けずに、信号歩行が危ない」「見守りする保護者の負担が大きい」「子どもの自分で考える力が育たない」などの理由が指摘されました。

 

しかし、新1年生の保護者からは、集団登校に賛成する意見があがります。「安心感がある」「心強い」「他学年の子と交流が持てる」「不審者対策になる」「遅刻予防になる」などの理由です。

 

私が小学校時代の昭和の頃から、たぶん50年以上は、「集団登校」の習慣が、日本全国で行われてきました。ところが、時代の流れの中で、個別登校を取り入れる小学校が増えているようです。

 

保育園ホワイトきゃんばすの卒園児ママの話を聞くと、事前に班長さんの家に挨拶に行ったりと、交流を持つなどして、「集団登校」は有効に機能しています。本日登園した4人の小学生に聞くと、「やっぱりみんなで登校したい」が2人で、「自由に登校できる方がいい」が2人と、完全に意見は分かれました。

 

う~ん。「集団登校」派も「個別登校」派も、それぞれの言い分はわかりますね。間違いないのは、保護者の生活が昔とは変わり、共働きで忙しいことです。そんな中で、個別登校を望む声が増しているのが現実のようです。集団登校という慣習さえも、「全員一律の扱いのあつれき」が生まれようとは・・・少し悲しい気持ちにはなりますね。

2024年

4月

12日

名物店員がいるスーパーマーケット

今日は、「こいのぼり」を制作しました。今年は、牛乳パックを使用した立体的なこいのぼりを作ります。何回かに分けて、来週末くらいまでに完成させたいですね。寺子屋園児は、毎週水曜日が廃材工作の時間ですので、集中力を見せています。完成作品が楽しみです。

 

さて、あなたが買い物に行くスーパーマーケットには、名物店員がいますか。保育園ホワイトきゃんばすが入る、ショッピングセンターの焼きたてパン売場には、笑顔が素敵な店員さんがいます。いつもニコニコしながら、焼き立てのパンを運んでいます。もう60歳は超えている年齢かと思われますが、その笑顔を見ると、ついつい買いたくなってしまいます。

 

お彼岸を迎えた3月中旬、山梨県北杜市のスーパー「ひまわり市場」では、マイクを持つ店員が、「このおはぎは、どんなに我々がお願いしても、お彼岸以外には作ってくれません。正直言って、1年中食べたくなるおいしさです」と話します。マイクを握るのは社長だそうです。マイクパフォーマンスは、裏話を交えたユニークなおしゃべりへと続きます。「おはぎを作ってもらっている和菓子屋さんに、『一年中売ったら売上が間違いなくアップしますよ』と言ったら、『一年中売ったら、日本の季節感がなくなってしまうよ。ばかなことを言ってるんじゃないよ』って言われてしまいました」何だか、想像するだけで楽しそうですね。

 

最初、このスーパーは、活気が感じられず、お客様へのあいさつ強化からスタートさせます。社長の方針に従わない従業員に代わって、一芸を持つ人たちが新たに入社してきたそうです。ソムリエの資格を持つ従業員や元パティシエが、バイヤーとして活躍するようになり、このスーパーでは、「従業員が店の売り」になっていったのです。

 

佐賀県伊万里市のスーパー「ファインズたけだ」では、緑色のエプロンにサングラスをかけた副社長が、ダンスをしながらアジフライや野菜コロッケをアピールします。これが、SNSにアップされると大きな反響を呼び、全国からお客様が訪れるようになったそうです。「スーパーは『食の安全』を売る場所。売る人の顔が見えれば、信頼につながる」と副社長は効果を語ります。

 

売上アップには、様々な手法がありますね。「笑顔で元気に挨拶する店員」「商品の価格が安い」「いつも新鮮な品揃え」「総菜が抜群においしい」「日替わり、時間別の限定品がある」「いわく・いんねん・こじ・らいれきなどのうんちくがある」「商品の陳列がわかりやすい」・・・もう挙げれば、キリがありませんし、1つの答えがないので、各スーパーマーケットは必死になって、付加価値をあげることに知恵を絞っているのです。

 

言いつくされたことばですが、お客様は「モノ」を買うのですが、「コト」があれば、さらに購買につながります。冒頭のマイクパフォーマンスなどは、となりの店でも「おはぎ」は買えますが、マイクパフォーマンスという「コト」を楽しみに、店に足を運ぶのです。

 

ここ数年、食品の値上げラッシュで、「いかに安く商品を購入するか・・・」がテーマのテレビ報道が増えていますが、価格訴求ではない、楽しい「コト」があるお店で買い物をするのは、幸せな気持ちになりますね。そんな店・・・探してみませんか。

2024年

4月

11日

リモート時代の残念な言葉

今日は、待ちに待った「お花見」です。ここ何年かは、3月中には花見を終えていましたが、今年は、4月半ば近くとなりました。満開から桜吹雪となり、5歳女の子が「桜の雨が降っているよ~」と明言を残してくれました。桜の花びらを集めて、空へ舞い投げる子どもたち。境内でかくれんぼや鬼ごっこを楽しみ、最高のお花見となりました。

 

さて、私のような昭和世代にグッと刺さったドラマ「不適切にもほどがある」の影響もあって、「昭和」「平成」「令和」のいい所を探すような流れになってきました。しかし、昭和と令和の大きな違いは、仕事の多くが、リモートで行われるようになったことです。フェイスtoフェイスでの有効な言葉がけと、リモートでの有効な文字での言葉がけは、どうやら違うようです。対面では、身ぶり手ぶりで「ブワットやって、シュッとやって、バーンとやったらいける」という、長嶋茂雄流の指示で大丈夫ですが、リモートでは、通用しません。

 

リモート時代の残念な言葉をいくつか挙げてみます。NGワードです。

 

「君の気持ちはよくわかるよ」これなど、思わず言いたくなる言葉ですね。そもそも、何もかも違う相手の気持ちなど、簡単にわかるものではありません。さらに、離れた場所でリモートワークをしていることもあるので、それを聞いた部下は、自分がどんなことに悩み、苦しんでいるのか分りもしないくせに「何見て言ってるんですか?」という気持ちになりますね。

 

「君はどうしたいの?」という、「自由にやらせる」タイプの指示出しは、上司の高度なマネジメント能力が問われます。「自分で決めるよりも指示に従った方が楽」と考える部下もいるからです。部下のタイプや価値観の違いを理解して、文字で指示を出すのは、かなり大変です。

 

「それ、前にも言ったよね」これは、保育園の園児に対しても、言ってはいけないNGワードです。前に言われたことを覚えていれば、同じ質問はしないのに、ついつい言ってしまう言葉ですね。園児に対しては、まったく意味がありません。子どもは、すぐに忘れる動物ですので、何度も根気よく、同じ言葉を繰り返さないといけません。

 

私のような、昭和世代は、リモートだけでなく、対面でも、相手への言葉がけには、常に「アップデート」を心がけないといけません。必ずいえることは、人間関係に絶対的に効く「魔法の言葉」は無いことです。相手を想い、相手の強みを引き出せるように、心を響かせる言葉が大事です。これが、なかなか難しいですが。

2024年

4月

10日

企業が模索するコミュニケーション

今日は晴れました。昨日は雨で屋上遊びができなかったので、気合いが入る子どもたちです。菜の花を摘み、エンドウ豆を収穫し、カメにエサをあげます。自転車で暴走する子どもたちに、料理ごっこで創作料理にチャレンジです。ムスカリの花がトッピングされています。そして、モンシロチョウが、小松菜畑を舞っています。近いうちに、はらぺこあおむしが見られそうです。 

 

さて、この4月から、様々な組織で新年度がスタートしましたが、今日は、会社でのコミュニケーションの話です。毎日出社し、直接顔を合わせてミーティング。作業の合間や休憩中にも雑談し、ときには皆と飲みに行く・・・そんな社内コミュニケーションの姿は、コロナ禍をまたいだこの4年間で大きく変容しました。オンラインでの打ち合わせが当たり前になり、今でもリモート体制を継続する企業も少なくありません。「同じ部署の同僚と、ほとんどリアルで顔を合わせたことがない」という話も珍しくないようです。

 

日本生命が昨年10月に、約1万人を対象に行ったアンケートでは、「今年度、職場の方との『飲みニケーション』はありましたか?」の問いに、66%が「なかった」「あまりなかった」と回答しました。コロナ禍前の2019年末の忘年会または、20年初の新年会を実施した企業2760社のうち、1039社が2023年末の忘年会や2024年初の新年会を実施しないと回答しました。4割近い企業が、コロナ禍前には開催していた忘年会・新年会をとりやめたことになります。

 

まじめな担当者は、「恥ずかしい話ですが、忘年会が単に『お酒を飲んで楽しむ場』になっていて、何のためにやるのか、どんな場にするのかを十分に議論できていなかった。コロナによって、不要論を聞くようになりましたが、それは飲み会そのものが悪いというよりも、うちの忘年会が昔からなくても困らない会だったのだと思います」

 

いやいや、クソまじめすぎますね。飲み会なんて、そもそも酒の力を借りて、普段言えないようなことを語り合って、親睦を深めるものだと私は思っています。先日、18年ぶりに復活した、NHKの「新プロジェクトX」の初回放映は「東京スカイツリー」でした。中心の3角形の柱を3社で競合させ、組み立てる取り組みで、最初はいがみ合っていた3社が、「お花見」の飲み会をきっかけに、同じ目標に向かって、協力する関係に変わったのです。まさに、『飲みニケーション』の力がそうさせたのです。20年前の出来事ですが、令和の今でも、十分に通用することだと私は思っています。

 

ある会社のトップの話です。「我が社は、ものづくりの企業として、人と人との対話の中からアイデアを生み出していくことを大切にしてきた。公式、非公式のあらゆる集まりが、タテ・ヨコ・ナナメのコミュニケーションを生み、それが企業文化として生かされてきた。コロナ禍を経て、オンラインを取り入れるなどの変化もあったが、顔を合わせる場は以前と同じように大切にしている」

 

『飲みニケーション』のように、昔から変わらないコミュニケーションの取り方もありますが、コミュニケーションの取り方も多様化しています。飲み会のような場に少し身構える若手社員は、コロナ禍を経て増えたことは間違いありません。しかし、決してコミュニケーションをとること自体が嫌いなわけではなく、それぞれのスタイルがあるのです。

 

コミュニケーションの取り方は、相手があることなので、独りよがりではいけません。相手のことを考えて・・・と、ますます難しくなってきました。でも、コミュニケーションなくして、仕事は成り立ちません。自分のやり方と相手を考える力量が問われますね。

2024年

4月

09日

すぐにやる!

 朝からの雨です。新人寺子屋さんもいるので、ミニ体操教室をおこないました。マットやとび箱を出して、体を動かします。「寺子屋1番集合」「寺子屋2番集合」は、きちんと整列ができますが、「寺子屋3番集合」と言っても、動きません。集合の意味がわからないからです。「3番さん集まってください」で、ようやくもじもじ動き出します。最初は、みなこんなものですが、根気よく教えていきます。 

 

さて、今日は、戦国武将、伊達政宗の言葉から。「時を移さずに行うのが勇将の本望である。早く出立せよ」つまり、まごまごしていると、チャンスを失ってしまう。早く行くぞ!ということです。人は、つい物事を先延ばしにしがちです。「明日やろう」「明後日やろう」と言って、いつまでも終わらなくなってしまいます。

 

昨日から小中学校が始まりましたが、夏休みの宿題を後回しにして、「宿題が終わらない、どうしよう。2学期が始まってしまう」と焦るシーンは、よくあることですね。やるべきことはすぐにやる。やろうと思ったときにすぐに取り掛かる。そうすれば、うまくいくことがたくさんあります。夏休みの宿題も、最初にやってしまえば、残りの時間を有意義に過ごせるのです。伊達政宗は、戦のタイミングを逃さず、すぐに行動することで勝利を収めてきました。早い決断と迅速な行動の結果です。

 

昨日入学式を迎えた11名の卒園児も、「すぐにやる!」が小学校生活で実践できれば、と思うのですが、これが、なかなか難しいのです。大人の私たちも同じですね。「やらないといけないことは分かっているんだけど・・・」なかなか実行に移せません。(笑)

 

「すぐにやる!」には、どうすればいのか。うまくいっている人なら、それぞれ、やり方があるのでしょうが、1つは、「見通しを持って計画的に取り組む」ことです。

 

小学生あるあるですが、問題集を前にして、やる気満々となった時に、1日で何十ページも取り組んでしまいます。そうすると、翌日以降、同じペースで進まないことが多いです。「この問題集1冊を1週間で終わらせる」という計画を立てることができれば、毎日コツコツと取り組むことができます。

 

また、普段から準備を怠らないことも大切です。伊達政宗は、何も考えずに猪突猛進したのではありません。普段から兵馬を整え、訓練し、いつでも勝てる状態を保っていたからこそ、すぐに行動ができ、勝利したのです。

 

新年度スタートにあたり、「すぐにやる!」コツを話しましたが、そんな簡単にできれば苦労はないよ・・・とうママパパたちの声が聞こえてきそうですね。しょうがない、大人の私たちも、自分のことや我が子のことは、自分で考えるしかないようです。(笑)

2024年

4月

08日

入学式

今日は、さいたま市内の公立小中学校の入学式です。保育園ホワイトきゃんばすの卒園児は、中学1年生7人、小学1年生11人が、本日入学式を迎えました。本当に、おめでたいですね。そして、先日卒園式を行ったばかりの小学生11名全員が、今日の夕方、保育園にランドセルを背負って、やってきました。

 

真新しいランドセルが、11個並び、在園児も大興奮です。「○○ちゃ~ん!」「○○く~ん!」と、新小学1年生を囲みます。保護者の皆様も、全員集合です。新1年生は、○組になったよ!」「○○ちゃんと一緒のクラスになった!」「先生の名前は、○○先生で、女の先生だったよ」と話がはずみます。ランドセルをじっくりと見せてもらいました。男の子は黒で、女の子は赤という、二者択一の昭和の時代を考えると、まさにランドセルも多様化の時代です。個性が光ります。

 

今日は、「小学校は楽しいところだった。明日からわくわくする!友だちできたよ!」というプラスの言葉でいっぱいです。でも、辛く苦しいことが必ずやってきます。この時に、保育園は、いつでも頼れる居場所でありたいですね。

 

さて、今日は、入学式とうことで、コロナ前、5年前の東京大学の入学式で、伝説の14分のスピーチと語られる、上野千鶴子さんの祝辞を抜粋して紹介します。

 

上野さんは、社会学者としての問題意識を学生たちに、分かりやすく伝えたのです。

 

「強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください」「強者はずっと強者のままではいられない。強者もかつては弱者だったし、いずれは再び弱者になります。だとしたら、わたしたちがほしい社会は、弱者になった時に『助けて』といえる社会、『助けて』といったときに、助けてもらえる社会です」

 

「イノベーションを起こしてきた人たちは、世間からたたかれ、非難され傷ついて、それでも諦めずにきた経験を持ちます。でも、そうだから『自分も頑張った、あなたも強くなれ』ということではありません。世の中にはがんばろうにもがんばれない人がいる。がんばりすぎて心と体を壊した人がいる。そこを自己責任とか弱さとか言わずに、『助けて』が言える社会をつくってほしい」

 

まだまだ、上野さんのスピーチは続くのですが、学生の一人は「これって、祝辞なの?」とつぶやいたそうです。上野さんは、社会が抱える課題を的確な言葉で論じることを祝辞としたのです。

 

コロナ禍が終わり、新たな日常の中で生活する若者へは、どんなメッセージがふさわしでしょうか。少なくとも、『助けて』と言っていいんだよ。は、変わりませんね。

2024年

4月

07日

海洋散骨

今日は、母の七回忌です。母が亡くなって6年が経ちました。亡くなった日を1年目とカウントするので、七回忌は6年後となります。ちなみに、2年後は三回忌、12年後は十三回忌というわけです。

 

母が亡くなって2年後に、父も亡くなるのですが、二人ともに自宅の布団の上で、家族と医者に見守られ、安らかに眠るように亡くなりました。残された家族は、最期も感謝の気持ちになったものです。

 

さて、そんな父も母も、ごく普通に「お墓」に眠っています。いずれ私もこの墓に入るのですが、最近は供養のスタイルが多様化してきました。父母が眠る墓苑から「樹木葬を始めます。後継者のことなどを考えて、樹木葬を考える予定はありますか?」というアンケートがありました。今日は、供養の多様化の中で、「海洋散骨」の話です。

 

海洋散骨は、故人の遺骨を粉状にして海にまき、自然に返すという考え方です。東京湾で年間150便ほど運航をするハウスボートクラブ船長の髙村さんは、「ご遺族が故人様を十分にしのび、最後は晴れやかな気持ちになってもらえるよう、安全に心を込めて操船することが私の役割です」と語ります。

 

厚生労働省のガイドラインでは、海洋散骨は「海岸から一定の距離以上離れた海域」で散骨する必要があり、羽田空港第2ターミナルの沖合で見送られます。髙村さんはこれまでたくさんの遺族の弔いを見てきたそうですが、「ずっと雨だったのに、散骨の時だけ晴れたり、海の上なのに突然チョウが飛んできたり。不思議だけど、故人の旅立ちに花を添えてくれているかのように感じます」と言います。

 

私も、父の遺体が自宅から運ばれるときに、2羽のチョウが、垂直に天に昇っていく姿を見ました。母が父を伴って天国に向かったと、今でも思っています。

 

髙村さんは、全国各地の漁船事業者などに、海洋散骨への協力を依頼し、現在国内では80を超える場所からの出航が可能になったそうです。

 

故人と残された家族の思いが、今後の供養のスタイルを決めていくのでしょうが、この世界でも多様化が進むのかもしれません。どんな形であれ、「安心して、故人を想う供養ができて良かった」と言われるのが、一番いいですね。

2024年

4月

06日

救急車が「有料」に?

今日の課外授業は、小学生を連れて「お花見」です。さいたま市西区では、たぶん最大の桜が1000本ある、「花の丘公園」に行ってきました。ソメイヨシノは、木によって、7分から満開とばらつきがあります。見ごたえがあったのは、ピンクの花をつけた「しだれ桜」です。子どもたちは、桜よりも、ビオトープのコイやカモに興奮です。金色の錦鯉は、かつでブームとなった「人面魚」でした。

 

さて、突然ですが、あなたは、負傷者として救急車で運ばれたことがありますか。はい。私はあります。まだ20代の頃です。ドライアイスを「これでもか!」というくらい入れて、アイスを運んでいました。冷房をガンガンかけていたので、窓は締め切ったままです。走り始めて、数十分で、私は気を失い、路肩に駐車していた2トン車とタクシーに激突したのです。通行人が、救急車を呼んでくれなければ、私は、ドライアイスの一酸化中毒で、あの世行きです。長女はまだ4か月でした。いまだに、私の命の恩人は、わからないままです。

 

そんな救急車ですが、三重県松坂市内の3病院が6月から、入院不要の救急搬送者に対して、7700円を徴収することになりました。どうですか・・・「ついに救急車が有料に?」という流れになってきました。ご存じの通り、救急車にかかる費用は、私たちの税金でまかなわれています。有料化の理由は、不適切にもほどがある救急車の「コンビニ利用者」を減らすためです。

 

2022年には、救急車による出動回数は過去最高を記録し、全国で700万件を超えました。うち半数は、入院不要の軽症者だったのです。よくテレビなどで報道されるウソのような本当の話として、「顔のほてりを訴えて呼ぶ常習犯」「酩酊して動けなくて呼ぶ人」「搬送希望ではないけど、血圧などを測って欲しくて呼ぶ方」など、挙げればきりがないほど、緊急事態からほど遠い人が、救急車を使用している実態があります。これが理由で、救急車がすぐに出動できず、「助かるはずの命が助からない」という危機に直面することもあります。

 

また、医療従事者の多くは、「搬送だけでなく酸素投与や必要な時には蘇生処置までやってくれる救急車が無料なのはおかしい」と思っています。ここは、日本の救急システムの素晴らしいところですね。

 

今回の有料化への対応は、おおむね、賛成する人が多いのでしょう。しかし、「命」を預かる内容ですので、「救急車を呼ぶのをためらい、重症化につながってしまう」ことが気がかりですね。特に、子どもは「静かに悪くなる」ことが多いです。熱性けいれんで、けいれんが、治まっているように見えても、続いていることも多いです。発熱だけで、救急車を呼ぶ人もあるので、難しいところではありますね。

 

救急車を有料化することと同時に、「どんな状況なら救急車を呼ぶべきか」を啓もうする活動も必要です。松坂市の取り組みが、6月からスタートして、全国にどのような形で広がっていくのか、注目ですね。

2024年

4月

05日

新小学1年生不安ですか?

平日の春休みなので、4月1日の月曜日から今日まで、延べ21人の卒園児の小学生が学童で登園しました。今日は、新1年生を前に、5年から3年までの先輩小学生が、「小学校ではこんな楽しいことがあるよ」をインタビュー形式で話してもらいました。「授業がたくさんあるので、必ず好きなことが見つかるよ」「4年生になるとクラブ活動というのがあって、スポーツのクラブや科学クラブ、マンガクラブもあるんだよ」「休み時間にはドッジボールをしているよ」などなど、新1年生の不安を吹き飛ばしてくれました。

 

いよいよ、4月8日は、小学校の入学式です。初めて我が子が小学生になる家庭にとっては、親も子も、大きな生活の変化に不安になりますね。

 

文具大手「コクヨ」が、2月に、保育園・幼稚園の年中から小学生の子を持つ親260人に「入学で不安なこと・不安だったこと」(複数回答)を聞いた調査では、「安全に登下校できるか」(69%)が最も多く、次いで「友だちができるか」(61%)、「授業についていけるか」(54%)などが多かったそうです。

 

保育園ホワイトきゃんばすから、今まで多くの卒園児が旅立っていきましたが、子どもの不安以上に、親の不安が大きくなります。働くママが当たり前の環境ですので、学童が終わって、18時頃に帰宅して、21時に就寝するまで3時間あります。親は時間的余裕がなくなると、ついつい口うるさくなりがちです。この3時間に食事や入浴が含まれているので、学校での出来事など、親子の会話の時間を大切にしたいものです。

 

ただし、コツがあります。子どもが不安な気持ちを口にしたときは、質問をしたり助言をしたりせずに、聞き役に徹するのがミソです。大人でも同じですが、ネガティブな気持ちは、人に話して共感してもらうと小さくなる傾向があります。「それは大変だったね」など、声をかけながら聞いてあげることが大切です。

 

私が営業マン時代の「クレーム対応」の鉄則は、「お客様の話を最後まで聴くこと」です。途中で言葉を挟むのは、「不愉快な気持ちにさせてしまって申し訳ございません」という謝罪だけです。下手な言い訳は、クレームを拡大させるからです。

 

私は、保護者によく「担任の先生を巻き込むように!」とアドバイスします。保育園では、毎日の送り迎えで、先生と親は顔を合わせることができましたが、小学校では、担任と顔を合わせるのは、授業参観や行事の時だけです。でも、いきなり電話をして「会って話がしたい」とは、なかなか言えないですね。そこで、効果的なのが、連絡帳などに、「先生に○○とほめられてうれしかったと言っていました」「今、苦手な漢字を練習しています」などとコメントを添える。連絡帳がなければ、担任が必ず目を通す宿題や提出物に付箋を貼るなどして、一言書き添えるのもいいですね。もちろん、友だち同士のトラブルなど、重要なことは、個別に時間をとり、対面で話をします。

 

小学校生活6年間で、我が子が、何もトラブルがないことなど、100%ありません。ゆえに、事前にあれこれ心配しても始まりません。トラブルが起きてから手を打てばいいのです。子どもには、「小学校では楽しいことがたくさんあるよ。楽しいことを探してきなさい!帰ったら教えてね!」と、親は、笑顔で元気に見送るのが、一番です。

2024年

4月

04日

暗殺教室

屋上には、ススキがあります。ご存じのように、土の中で根を張って、どんどん増えていきます。そんな、ススキが勢力を増して手が付けられなくなった花壇に、一輪の赤いチューリップが咲いていました。ど根性チューリップと言われるようなたくましさではなく、けなげに咲いているのです。感動のチーリップです。

 

さて、今日は「暗殺教室」の話です。テレビアニメにもなり、実写で映画化もされたので、知っている人も多いかと思います。

 

中学校の3年E組に、月の7割を破壊し、マッハ20で空間を移動することができる謎の危険生物が「担任」としてやってきます。「来年の3月に地球を爆破する」と宣言するこの生命体に対し、E組の生徒たちは防衛省より任務として「暗殺」が依頼されます。「殺(ころ)せんせー」と名付けられたこの生命体の暗殺報酬は100億円です。

 

どうですか・・・学園モノSFサスペンスといった感じですね。しかし、この作品は、多様化する価値観が前提となる社会において、教師としてのあるべき理想像を考える、つまり、「良い教師」とは何かを考えさせられる内容になっているのです。

 

3年E組は、学校の理事長が「合理的な教育」を実現するために、あえて見せしめのように設置した「脱落組」のクラスです。E組の生徒たちは、上位級の生徒たちの優越感を高めるため、ことあるごとにおとしめられます。

 

しかし、「どの川にすんだか」ではなく、「すんだ川でどう泳いだか」を重視する殺せんせーは、与えられた条件の中で何ができるのか、どんな可能性があるのかを生徒たちに考えさせ、主体性を育もうとするのです。こうして、先生と生徒たちは、勉強にも手を抜かず、さまざまな学校行事や事件を乗り越えながら、絆を深めていくのです。

 

「テストは良い。一夜漬けで得た知識など大人になったらほとんど忘れてしまうだろう。それでもいい。同じルールの中で力を磨き脳みそを広げ結果を競う。その結果から得る経験こそ宝物だ」「理不尽な事が世の中にあるのは当たり前。それを恨んだり諦めている暇があったら・・・、楽しんで理不尽と戦おう。「先生が日々成長せずして、生徒に教えることができるでしょうか」「正面から立ち向かわなくていい。避難しても隠れてもいい、反則でなければ奇襲もしていい。常識はずれの武器を使ってもいい」

 

こんな名言で、殺せんせーは、生徒が目標に向かって知恵を絞り努力する楽しさを教えるのです。教師とは、こんなにも魅力的な職業であることを教えてくれる作品です。

 

本編の最終回は、壮絶なSFサスペンスですが、3年E組の生徒たちの未来が描かれています。希望に満ちあふれた結末です。

2024年

4月

03日

変わる高校入試

今日は、屋上遊びが始まって20分・・・天気予報通りに雨が降ってきました。教室に戻って、「イス取りゲーム」で、仕切り直しです。年少園児も初めて参加しましたが、ルールがよくわからずで、早々に敗退です。イス取りゲームでは、子どもの性格が出ます。イスを見つめながら、笛が吹かれたら、すぐに目の前のイスに座ろうというタイプと、音楽に合わせて踊るように歩き回り、楽しむタイプです。もちろん、後者の方がすぐに負けてしまう確率が高いのですが、子どもたちは、それぞれのやり方で、イス取りゲームを楽しんでいます。でも、勝負がつくゲームなので、大いに盛り上がりました。

 

さて、埼玉県では、来年度は、公立の高校受験が変わります。今まで内申書と呼ばれたものが「調査書」となり、5段階の「学力評価」のみとなります。部活・特別活動・英検・漢検などの評価はなくなります。その代わり、「自己評価資料」を提出します。これは、中学時代の自分の体験をもとにした自己PRです。そして、全員、面接試験が行われます。面接では、「自己評価資料」についての確認が主な内容になるようです。筆記試験や内申書の比重が低くなり、自己評価資料でのプレゼンテーション能力が、面接で試されるといった感じですね。

 

東京都では、都立高校の推薦入学に「集団討論」を導入したのが2013年です。例えば「組織・グループの中で活躍できる人になるにはどうすればよいか」のテーマが与えられ、7~8人の班に分かれて、約20分行われます。「自分の意見を持ち、他人の意見も尊重する」「チームメートの能力を引き出す」などの意見がでますが、集団討論に正解はありません。集団討論を指導する学習塾の講師は、「意見は1分で話そう。全員が同じ方向を向いた議論ができれば大成功だ」と言います。

 

2021~23年はコロナ禍で中止されましたが、今年の入試では、復活したようです。難関校として知られる「日比谷高校」では、「将来のリーダーを育てる当校の授業は、生徒同士の対話を通して考えさせる内容が多い。入学後のミスマッチを防ぐためにも討論を見ることが大事だ」と語ります。

 

こうして、全国の自治体では、筆記試験では測れない力を評価する入試が広がってるようです。中学受験や大学受験にも広がっています。

 

筆記試験では測れない力は、まさに「非認知能力」と言われる、協調性や創造力など点数にできない力です。日本の教育界が、今、盛んに「非認知能力を伸ばそう」と言っています。保育園ホワイトきゃんばすでも、異年齢保育の環境が「非認知能力」を伸ばすことにつながっています。それならば、受験の形も変わらなければ・・・という流れです。

 

今までは、テストの成績さえよければ、志望校に合格できた時代でしたが、社会が成熟し、「指示通りに動くことができ、知識のある人が優秀で偉い」という価値観が通用しなくなったということです。社会で通用する力を育てようと、入試のあり方も変わっていくのです。

 

そして、一番大事なのは、「○○高校に合格する」が目的ではなく、「○○高校に合格して、○○を行う」ことですね。夢を持つこと、目標を掲げること、そのための具体的行動を考えることができること。もう、勉強だけの評価とは、さよならですね。

2024年

4月

02日

入社式

屋上のカメさんたちが、冬眠から目を覚まし、カメ池がにぎやかになってきました。今日は、ミドリガメのおうちのいけすからカメを出して散歩をさせました。すぐに、カメのまわりを子どもたちが囲みます。新人の年長男子が、何のためらいもなく、ミドリガメを持ち上げると、勇気ある園児たちが、次々とチャレンジです。ミドリガメは気性が荒いので、噛みつくこともありますが、お腹を両手でしっかりと持っています。すると、いけすの中に、2匹の赤ちゃんカメが泳いでいました。昨年秋に生まれて、土の中で冬を越し、春になって出てきた赤ちゃんカメです。

 

カメ池に住む、ニホンイシガメとクサガメは、ちゃんと産卵場を作って、産んだ卵を取り出して、大切に育てますが、ミドリガメはほったらかしでも、こうして赤ちゃんが生まれます。繁殖力が強いことがよくわかります。

 

さて、昨日は、多くの企業で入社式が行われました。今年は、コロナ前に戻り、イベント形式の入社式が目立ったようです。

 

ソニーグループでは、横浜のKアリーナを会場に、人気バンドが登場。新入社員とコロナ禍が始まった2020年以降に入社した4100人がライブを楽しんだそうです。エンタメに力を入れるソニーは「ソニーがテーマにする『感動』を肌で感じて、今後の意欲につなげてほしい」と企画されたそうです。

 

キューピーは、埼玉県の自社農場で入社式を行い、新入社員46人が、レタスの収穫をし、マヨネーズ作りの体験をしたそうです。これは、テレビニュースでも放映されたので、会社の宣伝にもなりましたね。

 

女性として、初めて社長となった、日本航空の鳥取三津子社長は、1月に起きた航空機の衝突事故に触れ「業務が乗客の命につながっていることを忘れないでほしい」と訴えます。

 

「紅麹」問題を受けた小林製薬は、入社式を中止したそうです。新入社員が内定をもらったのは、昨年ですから、いきなり「紅麹」で大騒ぎになった会社に対して、複雑な思いを抱いていることでしょう。

 

私自身も、入社式で、社長の言葉は忘れてしまいましたが、桜の花が美しかったことを鮮明に覚えています。ただし、時代の流れで、今年度の新入社員の多くは、「この会社で定年まで勤める」と思っている人は、どれだけいるのか。もちろん、仕事をしてみないことには、まったく先のことは分かりませんが、転職や副業が当たり前の環境の中で、若者たちのこれからの時代の「イノベーション」を期待したいですね。

 

私からのアドバスは、「どんな仕事であっても、『ど真ん中』に自分を置いて仕事をしなさい!」です。そうすれば、苦しいこともたくさん出てきますが、最後は、楽しく笑える仕事に必ずなります。頑張ってほしいですね。

2024年

4月

01日

令和6年度がスタートしました

今年は、曜日周りの影響で、一昨日の卒園式から、日曜日を挟んで、4月1日が月曜日です。保育園だけでなく、民間企業も公務員も今日が新年度スタートですね。今日は、近くの養福寺の境内で、「お花見」を予定していたのですが、桜は、ほとんど咲いていません。満開が過ぎて、桜吹雪の頃が、保育園では見ごろになります。子どもたちは、花びらを拾うのが楽しいからです。花見は来週になりそうです。(笑)

 

朝の会では、新年長(寺子屋1番)・新年中(寺子屋2番)・新年少(寺子屋3番)園児たちに、恒例のインタビューです。「今の気持ちは?何をがんばりますか?」に、寺子屋3番さんは、???ですが、まぁ~最初は、こんなもんです。(笑)

 

しばらくは、「寺子屋1番になったんだから」「寺子屋さんになったんだから」と言われ続けるのでしょう。その言葉を励みに、少しずつでいいので、成長を期待します。

 

朝降っていた雨も上がって、新年度は屋上遊びからスタートできました。いきなり、菜の花の黄色がまぶしいです。昨日迄の夏日で、一気に黄色が濃くなりました。菜の花だけではありません。小さいけど、紫色がとっても可愛らしい「ムスカリ」もたくさん咲いていました。そして、大根の花もです。大根は白い花を咲かせますが、よく見ると、うっすらとピンクが混じっています。これに気がついた年長園児は、「きれいだね~」と大根の花を好きになったようです。

 

そして、ついにカメたちが完全に冬眠から目覚めたようです。子どもたちがカメ池を覗くと、いっせいに10匹以上のカメが「エサをくれ!」と寄ってきました。お腹が減っていたのか、バクバクエサを食べます。カメの頭をなでなでする新人園児・・・ミドリガメだけは、噛まれるかもしれないので、急いでやめさせます。でも、たくましい新人園児です。メダカも冬を越して元気に泳ぎまわっていました。

 

子どもたちが、「わっ~!スゴイ、見て!」と大歓声を上げて驚いたのは、全く動じないでじっとしている「ウシガエル」です。ウシガエルも冬眠から目覚めたようです。ここにきて、ようやく春らしくなり、屋上での楽しみが増えてきました。

 

さぁ~寺子屋3番さんの自転車練習も、ボチボチ始めようかなぁ~と思いますね。新年度も、こどもたちのワクワクがいっぱい詰まった、屋上遊びを充実させることにします。ナナツボシてんとう虫も、私の指に止まりました。(笑)

2024年

3月

31日

令和5年度 ありがとうございました

年度末が日曜日となりました。昨日から急に暖かくなって、桜の花が少しずつですが、開いてきました。過去は、入学式に合わせて桜が満開というイメージでしたが、今年は、数十年ぶりに、4月8日の入学式に、桜吹雪が子どもたちを迎えてくれるかもしれませんね。

 

さて、昨日は卒園式でした。保育園ホワイトきゃんばすは、これで、2012年に開園してから61名の卒園児を送り出したことになります。卒園証書第1号の女の子は、4月からは高校生です。今年度は、最多の11名が卒園となりましたが、それでも、他の幼稚園や大型保育園と比べると、人数は少ないので、いつの間にか、卒園後も付き合いが長く続くことが多いです。その、居場所が、保育園ホワイトきゃんばすになります。大宮西小学校の1年生の担任から「ホワイトきゃんばすを卒園した子どもたちは、学年を超えて仲がいいですね」と言ってもらった通り、小学生になっても「タテの関係」が続きます。

 

昨日の11名も、西区内の4つ小学校に分かれて入学しますが、保護者同士の交流も続いているので、長い付き合いになりそうです。うれしいことです。もちろん、園長も卒園した子どもたちの小学校生活を共有します。先日は、小2の卒園児が、あゆみ(成績表)を持ってきてくれました。私は「よく頑張った」としか言いませんが、子どもにとっては、学校の先生と親以外の大人に認められることも、成長につながることだと思っています。

 

今日で3月もおしまいですので、日本中のあらゆる学校の「卒業式」「卒園式」が終わったことになります。子どもたちは、未来に向かって新たなスタートを切ったわけですが、今までの思い出は、現在や未来の土台です。幸せな思い出は将来を幸せにする根拠になり、つらい思い出はそれを乗り越えた証拠となります。

 

人は変化し続けます。変化し続けるからこそ、不安とともに希望があります。卒業という節目は、「これまで培ってきた土台は何か」「何を卒業し、何を始めるか」など、自分の今までやってきたことと、これからどんな道を進むかを探究する機会となります。竹は節目があるから高く成長することができます。人も、卒業という「節目」をもつことで、成長するのかもしれませんね。

 

令和5年度もこの「おやじ園長のブログ」にお付き合いいただきありがとうございました。今日は「節目」をつけて、明日からの新年度に向かいます。明日から、仕事復帰の方や、人事異動で、新しい職場でスタートする保護者が、保育園にもたくさんいます。

 

頑張っていきましょう!

2024年

3月

30日

令和5年度 卒園式

埼玉県の荒川や、その支流の越辺川(おっぺがわ)には、毎年、白鳥が越冬にやってきます。今日は、多くの白鳥たちが、シベリアへの北帰行へ飛び立ったそうです。保育園の年長園児11名も、本日飛び立ちました。子どもたちは、「みにくいアヒルの子」の読み聞かせで、最初はいじめられてしまう、みにくいアヒルの子を悲しいそうな顔で聞いています。そして、白鳥の子であることがわかり、安堵の笑顔に変わるのです。何度も読んでいるのに、何度も、子どもたちの心はハラハラします。保育園生活では、楽しいことがいっぱいありましたが、悲しく、不安になったこともたくさんありました。それを乗り越えて、11名は旅立っていきました。

 

いよいよこの日がやってきました。本日は、令和5年度の卒園式です。

 

入園当時、保育園に行きたくない!と泣き叫ぶ娘を無理やり自転車に乗せて走った辛い日々から、保育園生活の中で、ここまで成長した姿にずっと涙しながら、先生一人一人へあたたかいメッセージをいただき、コロナ禍でも、子どもたちのために、多くの行事を続けてくれた保育園への取り組みの中で、子どもたちが、楽しい保育園生活を過ごせたこと・・・保護者を代表して、ご挨拶いただいたママのスピーチは、卒園式を、涙・涙の空間にしてしまいました。素敵なお話に感謝いっぱいです。

 

卒園児11名が、白いイスに並んで座っているだけで、保護者の涙腺は崩壊寸前です。卒園証書授与では、ママたち全員が泣いていました。我が子の成長をそれぞれ感じていたのだと思っています。かけがえのないタカラモノとして、生まれてきてくれた我が子が、人生の一つの区切りである、卒園式を迎えることができた・・・誕生から、今日までの出来事が、よみがえったに違いありません。我が子を想う、親の心が伝わってきました。

 

卒園児11名の保護者は、パパもママも全員働いています。送り迎えも、ママだけでなく、パパが当たり前に行います。今の時代、働くママは当たり前かもしれませんが、育児休暇が終わり、保育園に預ける時に、ママの葛藤がありました。「本当に、我が子を保育園に残して、働くことがいいの?間違っていない?」しかし、保育園での集団生活の中で、我が子の成長を感じることで、子育ても、仕事も頑張ることができたママたち。今日の卒園式は、子どもたちの成長の確認とともに、ママパパたちの心の葛藤や乗り越えた気持ちまでも感じることができました。

 

私は、民間企業に勤めていましたので、パパママと仕事の話をよくさせていただきます。年齢的にも、中堅もしくは管理職というポジションで活躍されている保護者も多いです。子育てと、仕事の両立を見事にやり遂げたことに、私は敬意を表します。そして、毎日の送り迎え、本当にお疲れさまでした。朝、子どもを預けるとダッシュで仕事に向かうママ、そしてお迎えの時間に間に合わせるために、夕方の仕事効率を上げて頑張ったママ。そして、多くのパパが、当たり前に保育園にかかわっていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

卒園児11名は、一人一人個性が輝き、自分で好きなことを見つけられる素晴らしい子に成長しました。保護者の皆様・・・今日は、そんな我が子を誇らしく思ってください。そして、私も11名の園児が誇らしいです。子どもたちに読み上げた手紙には、「頑張れ!」という言葉を使いました。この11名は、全員頑張ることができます。

 

卒園おめでとう。そして、ありがとう。

2024年

3月

29日

令和5年度 最後の保育

いよいよ、本日は令和5年度の最後の保育となりました。11名の卒園児にとっては、最後の保育となります。連絡ノートには、卒園児11名全員の保護者から、あたたかい感謝のメッセージが綴られていました。もう、涙が出そうです。すべてを紹介したいですが、すごい量になるので、何人かのママパパのメッセージを読まさせていただきます。

 

「昨夜、保育園のノートを見返していました。入園した頃のノートは『いい親でなければならない!』と必死にまじめなフリをして書いていました。(笑)でも、ホワイトきゃんばすで過ごす間に、『良い親』でいることはあきらめ、先生方と一緒に子どもの成長をただただ楽しめるようになってきました。先生方の温かくて大きな愛情にたくさん救われました。このノートは、私の宝物です」

 

「感謝の気持ちを書こうと意気込んだものの、今までのノートを読み始めると止まらなくなってしまいました。11冊・・・1週間かけて読んでいました。私は、日記をつける習慣がないので、この11冊が育児ノートで幼少期の記録です。宝物として大切にします。子どもが大きくなったら一緒に読みたいですね。夜眠る前の絵本代わりに読んでいる『おやじ園長のブログ』も、今後も続けますので、こちらもよろしくお願いいたします」

 

「兄・妹と7年間、長い間子どもたちを導いていただき、本当にありがとうございました。今朝、『3月1日に時間が戻ったらいいなぁ~あと1か月保育園で過ごせるね』という、娘の言葉が、楽しかった園での様子を想像させてくれます」

 

「私は幼稚園でしたが、卒園後に遊びに行ったことはありません。兄と妹と『卒園しても行きたい!』というような居場所を作っていただきありがとうございます。娘に楽しかったことを教えてもらいました。『夏の屋上プール』『屋上遊び』『秘密基地』そして、一番楽しかったのは『友だちと遊んだこと』だそうです。娘は、ケンカもせず、友だちに好かれ、幸せでした」

 

「私の仕事柄、たくさんの方々とお話をします。その中で、ホワイトきゃんばすのお話をさせていただくことが多くあります。そうすると、『どこにあるの?素敵な保育園だね。もっと早く知りたかった。今の時代にそんな素晴らしいとこがあるなんて』。お客様の中で小学校の先生をしている方がいます。その方が、『きっと、その保育園の卒園児の目はキラキラと輝いてて希望に満ちているのでしょうね。小学校生活が楽しみですね』と言っていました。決められたことを出来る児童はたくさんいるけど、自分で考え行動できる児童は少ないそうです」

 

「一番大きく成長したなーと感じたのは、やっぱりサマーキャンプ。不安が、楽しみや希望に変わっていきました。本当に貴重な経験でした。我が子の長所・短所を見抜いてここまで、体も心も大きく成長したのも先生方のおかげです。ありがとうございました」

 

「保育園に娘を預けた初日、私は車で一人泣いたことを今でも思い出します。保育園に子どもを預けて、仕事復帰して良いのか・・・と何度も悩みました。今ではホワイトきゃんばすに預けられて、本当に良かったと思っています。一度も、お迎えの呼び出しががない元気な娘を誇らしく思います」

 

今日は、ケ(日常)の保育園ですが、やはり、子どもたちの心の中は、ハレ(非日常)の、想い出に残る一日になったようです。年中園児も年少園児も、先輩たちに感謝と「小学校でも頑張れ!」の気持ちで、今日一日を過ごしていました。

 

いよいよ、明日は卒園式です。卒園児11名・・・素敵な式になることでしょう。

2024年

3月

28日

リビング学習を効果的に

明日の天気予報が雨なので、今日は、今年度最後の屋上遊びとなります。卒園児にとっては、ホントに最後の屋上遊びです。心を込めて、ジャガイモの植え付けをして、心を込めて、菜の花を摘みました。屋上ファームで、どれだけの野菜を育て収穫し、食べたのかを考えると、子どもたちは、いつも通りですが、私の方が、グッとくるものがありますね。

 

自転車、ストライダーに乗る園児、砂場で遊ぶ園児、ごっこ遊びでカレー屋さんを楽しむ園児たち、ムスカリのかわいい花を根こそぎ摘んでしまう園児、「カメは起きたかなぁ~」と池を覗く園児、秘密基地の補修をする園児・・・そして、最後はドッジボールで締めました。今年度は、年長園児中心にドッジボールブームとなったので、小学生になったら、さらに上達して欲しいですね。

 

さて、ここで質問です。「あなたの子どもは、どこで勉強をしていますか?」

 

まもなく新年度ですね。小学校に入学後は、親の目の届きやすいリビングで勉強をさせる「リビング学習」を取り入れる家庭が多くなっています。ベネッセが2019年に9189人を対象に行った調査(複数回答)によると、学校以外でよく勉強する場所として「家のリビング」を選んだのは、小学1~3年が95%(子ども部屋21%)、同4~6年が87%(同37%)だったそうです。

 

予想通りに、リビング学習の割合が高いですね。夫婦共働きで、子ども部屋で親がゆっくり付き添う時間はないですね。家事をしながら、子どもの様子も見ることができるので、リビング学習は親としても便利です。

 

専門家によると、子どもが部屋に一人こもって勉強をするのは難しい。思春期に入る14歳頃までは、リビング学習が向いていると言います。ただし、ほったらかしはいけません。学習習慣を付けるためには、勉強を始めてからの10分間、親が横についてあげると効果的だと言います。最初だけでも、一緒に宿題に取り組むと、子どものやる気も増すものです。

 

小学校高学年にもなれば、部屋でマンガを読んで息抜きするなどの、一人になれる時間も大切ですね。大人だって、一人の時間がないと、ストレスがたまります。(笑)

 

私は、中学生くらいから、試験勉強をする時は、「静かな環境」でないと、なかなか集中できませんでした。家に帰ると、テレビなどの誘惑が多いので、学校の図書館で放課後勉強してから、遅く家に帰る作戦を取っていました。ところが、私の3人の子どもたちは、テレビをつけていてもリビングで平気で勉強をしていました。「テレビついてるのに、よく集中できるな?」と聞くと、全く気にならないようです。親としては、うらやましい特技だと思っています。

 

リビング学習最高!と思ってしまいますが、問題は、部屋が散らかることです。食事をするテーブルの上が、筆記用具やノートやプリントでいっぱいになります。今は、タブレットもありますね。私も、家で保育園の仕事をする時は、テーブルの上がぐちゃぐちゃになり、かみさんからはブーイングですが、仕事ははかどります。

 

子どもにとって、学習が楽しくなるような仕掛けを考えるのも親の仕事ですね。絶対に効果的なのは、「勉強しなさい!」と決して言わないことです。できますか?

2024年

3月

27日

認知能力も非認知能力も伸ばす「そろばん」

今日は久々の晴天となって、子どもたちの屋上遊びがアクテイブです。4月から年長になる新人園児の男の子。幼稚園からホワイトきゃんばすに転園してきました。屋上の環境や異年齢保育など、ママパパがここを気に入ってくれたのです。うれしいですね。この1年は、密度の濃い想い出をつくってもらいます。今日は、さっそくヘルメットをかぶって、自転車に乗ります。すでに自転車に乗れる彼は、練習なしで自転車免許証交付です。(笑)

 

さて、今日は「非認知能力」の話です。この言葉は、ブログでも何度も取り上げていますが、一般社会にも深く浸透してきましたね。非認知能力は、もともとアメリカから生まれたものです。人工衛星の打ち上げでソ連に遅れを取ったアメリカは、どんどんエリートを輩出しようとします。当時のエリートは、認知能力(学力など点数にできる能力)に長けている人たちです。日本でも影響を受けて、1970年代以降には、詰め込み教育が行われましたが、同時に校内暴力が増え学校が荒れました。そこで、教育の方向性が見直されるようになったのです。

 

そんな経緯の中で、点数では測れない能力である「非認知能力」の重要性が深まっていったのです。OECDが2015年に発表したレポートで、非認知能力の3つの枠組みが示されました。①「自分を高める力」②「自分と向き合う力」③「他者とつながる力」です。よく、みんなと協力する力とか、我慢する力とか具体的な非認知能力を私たちは例として挙げますが、すべて、この3つの枠組みの中に入ります。

 

そこで、非認知能力を伸ばす取り組みの1つとして、注目を浴びているのが「そろばん」です。そろばんは、3つの枠組みの中で「自分と向き合う力」が磨かれます。私の少ない特技の1つがそろばんです。子どもの頃に1級に合格しました。(何度も自慢してすみません)・・・経験上、技術的な向上よりも、自発的に取り組み、継続的な練習がなければ上達しないのがそろばんなので、まさに「自分と向き合う力」と言えます。

 

でも、ちょっと待って!?と思う人が多いかもしれません。そろばんは、計算能力や暗算能力を磨くものなので、「認知能力」に分類されます。しかし、そろばんを上達させるには、我慢強さなどの非認知能力がないと、途中で投げ出してしまうでしょう。

 

そろばんの項目の一つに、「伝票」という計算があるのですが、左手で伝票になっている紙をめくり、右手でそろばんをはじきます。うまく紙がめくれなくて、ついついいらいらしてしまうのですが、こうなると、必ず計算ミスにつながります。いかに、冷静に我慢強く取り組みことができるかで、そろばんのスキルも上がっていくのです。

 

こう考えると、そろばんは、認知能力と非認知能力を一緒に伸ばしていける仕掛けがあるようです。非認知能力を伸ばす取り組みは、スポーツも含めてたくさんありますが、両方伸ばせる「そろばん」は、なかなかやりますね。

 

よくよく考えれば、そろばんは、江戸時代の寺子屋の頃から不変のものとして今日まで受け継がれてきました。長く続くということは、子どもたちの人間性を高め社会に送り出す人育てとしての役割をずっと担ってきたのです。最近になって、「非認知能力」という言葉が当てはめられましたが、ずっと昔から、大事なことだったのです。

 

以上、そろばんびいきの園長の、ほんの少し偏った意見でした。

2024年

3月

26日

47歳の現役力士

今日は、年長園児が「わくわく教室」を行いました。いよいよ、卒園式を前にして、最後のイベント・行事となりました。今回のわくわく教室は、パンとピザを作ります。米は稲穂からですが、パンは小麦を使うので、本物の小麦を観察してからスタートです。小麦粉・砂糖・塩・イーストを混ぜて水を加えてさらに混ぜる。こんな感じで、チーズを挟んだチーズパンと具材を園児自らトッピングしたピザが焼きあがりました。作っている途中から「お腹すいた!」とう子どもたち。あっという間に完食です。

 

講師からのお願いは、「今日の話をおうちの人にしっかりと伝えて下さいね」「おうちでも料理の手伝いや片付けをして下さいね」の2つです。自分で作り、自分で食べて大満足の子どもたちは、最後に一人ずつ感想を求めると、10人全員が、「イーストの力でパンが大きくなったのがすごかった」「ピザのトッピングが楽しかった」「コネコネした時に手にくっついて大変だった」など、自分の意見をしっかりと言えました。正直、ここまでちゃんと言えると思っていなかったので感動です。家庭での食育については、家族全体での取り組みが重要です。年長園児が経験した「わくわく教室」が、おうちで楽しく、体のことを考えた食習慣につながっていくとうれしいですね。

 

さて、今日はどうしても取り上げたい力士の話です。今場所優勝した、史上最速、初土俵から10場所目で達成した尊富士(たけるふじ)ではありません。47歳の現役力士「翔傑(しょうけつ)」です。

 

どうですか・・・びっくりしましたか。尊富士とは対極にある力士ですね。現在、三段目にいる翔傑は、1995年春場所が初土俵です。何と、30年間も現役を続けている計算になります。同じ部屋の力士がコロナ感染での休場以外は、一日も休まずに皆勤を続ける「鉄人力士」なのです。

 

翔傑の稽古を見守る芝田山親方(元横綱・大乃国)は、「いるだけで稽古場が引き締まる」と絶大な信頼を寄せています。「稽古場で相撲取ったら負ける相手はいないんだよ。この年齢になっても部屋の掃除や片付けも率先してやる。誰も彼の領域には入っていけない」と言います。

 

翔傑の最大のチャンスは、2004年初場所に幕下で6連勝し、優勝をかけた全勝対決で、当時「萩原」のしこ名だった、元横綱・稀勢の里でした。残念ながら敗れ優勝を逃します。翔傑の通算成績は、173場所で607勝597敗と、一応勝ち越しはしていますが、関取にはなったことはありません。大相撲で関取は、十両以上ですので、幕下が最高位となります。これを聞いて、私は、逆に「凄い!」と思いました。力士としての地位では、決して日の目を見ることなく、30年も現役を続けられるという精神力に驚きます。

 

「同世代や少し下の世代でも、あっちが痛いこっちが痛いとか、病気の話をよく耳にしますが、自分はそうじゃない。体調が悪いことがあっても糖尿病や内臓疾患もないですし、最年長だからって老いぼれた相撲を取っているとは思っていません。負けがこむことはあっても全敗したことはないんです。まだ勝てる、という気持ちがある限り辞める気にはなりません。あのおっさん、まだ相撲取ってるんだって呆れる人もいるでしょうけど、なかには励みになる、と言ってくれる人もいます。少しでも活力につなげてもらえるならうれしいです」と翔傑は言います。

 

華々しい成績を上げることも大事ですが、1つのことを継続させる事は、より難しいことだと私は思っています。翔傑の相撲は、まさに、継続の美学ですね。相撲中継には、ほとんど出ることはないでしょうが、「翔傑」という力士、覚えてくださいね。

2024年

3月

25日

日本人初のメジャーリーガー

今週は、あまり天気が良くないようです。今日も朝から雨でしたので、今週末の卒園式の練習をしっかりと行いました。「いちねんせいになったら」「さよならぼくたちのほいくえん」「みんなともだち」の3曲を子どもたちは歌いますが、歌詞もよく覚えています。卒園式は、想定外のハプニングも含めて、素敵な式にしたいですね。

 

さて、大谷翔平選手とドジャースの報道が、ここ数日にぎやかになっていますが、憶測はやめて、明日の大谷選手の発言を待つことにします。そんな、メジャーリーグのロサンゼルスドジャースに、入団した野茂英雄投手。多くの人が、メジャーリーグへの扉を開いた最大の功労者が彼だと思っています。確かに、野茂投手のおかげで、現在多くの日本人メジャーが活躍していると言っても過言ではありません。

 

しかし、日本人、いやアジア人初のメジャーリーガーは、村上雅則投手でした。村上さんが、どんな経緯でメジャーリーガーになり、どれだけの成績を残したのかは、あまり知られていませんね。

 

村上さんは、法政二校3年の夏の神奈川県大会では、エースとして準決勝で敗退します。しかし、村上さんの資質を見抜いた、南海ホークスの鶴岡監督が、村上さんの自宅を訪れて、「うちに来ればアメリカに行かせてやるよ」と言ったそうです。大学進学の予定が、その言葉で心が動き、村上さんは、1963年(昭和38年)に南海ホークスに入団し、翌春にサンフランシスコジャイアンツ傘下の1Aで野球留学生として派遣されたのです。マイナーリーグで抑え投手として活躍した村上さんは、シーズン終盤にメジャー昇格を果たすのです。20歳の村上さんは、ここにアジア人初のメジャーリーガーとなったのです。

 

メジャー1年目は、9試合登板し1勝1セーブ、防御率1.80の好成績を収めます。2年目も4勝1敗、防御率3.75の成績です。このままメジャーでプレーを続けられると思った矢先です。南海ホークスが村上さんの保有権を巡り、サンフランシスコ・ジャイアンツと対立します。結果、村上さんは南海に戻ることになり、わずか2シーズンでメジャーを去ることになったのです。

 

どうですか・・・私も、日本人最初のメジャーリーガーは村上投手であったことは聞いていましたが、こんな物語があったのは知らなかったですね。

 

村上さんは、あと5年は、アメリカでやりたかった・・・と言います。彼が、8回裏にリリーフで初登板した時、マウンドに向かう時に「リラックスしないと」と思わずハミングした曲が、当時アメリカでヒットしてた坂本九さんの「スキヤキ」(上を向いて歩こう)だったそうです。

 

もし、映像に残っているのなら、このシーンは正座して見たいですね。そして、私たちは、もう少し、日本人初のメジャーリーガー「村上雅則」をリスペクトするべきです。

2024年

3月

24日

パタンナーという仕事

世の中には、表にはなかなか出てこない仕事がありますね。「縁の下の力持ち」的な仕事です。そんな仕事の一つが「パタンナー」です。どんな仕事かわかりますか。

 

ファッション業界では、まず注目されるのが、ブランドですね。どこのブランドの服か。そして、その服をデザインしたデザイナーに脚光が浴びます。デザイナーの仕事は、自分のデザインを紙に描くことです。でも、それだけでは洋服は完成しません。

 

そこで重要な仕事を担う人が「パタンナー」です。パタンナーは洋服の型紙を作成し、洋服の制作を支える大切な仕事です。パタンナーの腕前1つで洋服の良し悪しが決定されるほどに、パタンナーの役割は洋服づくりにおいて重要なものです。パターンナーはデザイン画を基に正確にデザインを反映しながら、人々に求められる洋服を作る大事な仕事といえます。

 

今日は、マザーハウスのアパレル事業部でパタンナーとして活躍する後藤洋美(ひろみ)さんの活動を紹介します。

 

「平面を立体にする仕事」・・・後藤さんは、高校時代に、パタンナーという職業の説明文を見た時に、「めちゃめちゃかっこいい」と衝撃を受けたそうです。仕事として目指し始めたものの、ワンシーズンで捨てられる衣装を作り続ける日々に疑問を抱きます。いったん離職し、青年海外協力隊で洋服の先生としてタンザニアで活動します。

 

次の仕事先に選んだマザーハウスが、2018年にアパレル事業を立ち上げ、インド東部のコルカタに工房を新設します。パタンナーの仕事は、技術を見せたり、図解を使ったりと、言葉以外の伝達手段が多くあるそうで、後藤さんは、青年海外協力隊で培った語学力で、日本語、英語、ベンガル語をミックスした言葉と身ぶり手ぶり、表情で会話します。

コロナを機に帰国した現在も、日本とインドを行き来しながら、40人ほどの現地スタッフと家族同様の信頼関係を築き、パタンナーの若手育成にも活躍されているそうです。

 

アパレル業界において大切な役割を担うパタンナーですが、AIの登場で、需要が少なくなってきていると言われています。一方で、人にしかできないこととして、デザインしたり、パターンをオリジナルで考えられるパタンナーの需要は逆に高まっているようです。

 

どうですか・・・今あなたが着ている服には、「縁の下の力持ち」パタンナーの仕事がかかわっていることを思ってくださいね。

2024年

3月

23日

全国大会金賞の実力

今日の園長課外授業は、中学校の吹奏楽部のスプリングコンサートです。さいたま市西区にある、「さいたま市立土屋中学校」に行ってきました。はい。私の3人の子どもたちもこの中学校の卒業生です。

 

小3の男子と年長女子2名の3人は、4年後、6年後とまだ先の話ですが、この土屋中学校に入学するので、「よく見ておくんだぞ!」と言って、連れて行きました。土屋中学校は、ごく普通の公立校ですが、吹奏楽部の実績は凄いのです。

 

全国吹奏楽コンクールでは『2年連続全国大会出場!』です。しかも、昨年秋のコンクールでは、全国大会で金賞を受賞したのです。

 

土屋中学校の体育館には、地域の住民や、吹奏楽部のOBなど、用意したイスには座りきれないほど、多くの人が集まりました。立見席まで用意されました。まずは、部員が登場し、ピタゴラスイッチのパフォーマンスからスタートします。たぶん、和やかな雰囲気の中でコンサートをスタートさせようと、部員たちが考えたのでしょう。園児も一緒に踊ります。

 

そして、全国大会での課題曲など、今年度部員たちが力を入れて練習をしてきた曲を披露してくれました。私は、クラシック音楽に精通しているわけではありませんが、「さすが、全国大会の演奏!」です。そして、第一部のラストの演奏は、歌劇「トゥーランドット」よりです。この曲は、トリノオリンピックで荒川静香選手が金メダルを獲得した楽曲です。子どもたちは「なんか聴いたことあるかなぁ~?」といった感想ですが、私は、瞳を閉じると、荒川静香選手が得点にはならない「イナバウアー」のシーンを思い浮かべていました。それだけ、素晴らしい演奏だったのです。演奏が終わると、会場からは「ブラボー!」の歓声が上がりました。顧問の先生の指導と、目標に向かって練習を頑張った生徒たちの姿を私は見ていないにもかかわらず、強く伝わってきました。

 

全国大会への道のりは、まず地区予選を突破し、埼玉県大会へ。そこを勝ち抜いたわずか2校ほどが、西関東大会に出場します。そして、西関東大会で金賞を受賞した上位校が、全国大会への切符を手に入れることができるのです。実は、私の長女と次女は、吹奏楽部だったのですが、西関東大会の「ダメ金」まで頑張りました。ダメ金というのは、同じ金賞でも全国大会に行けない金賞です。私の娘たちは、西関東大会では、上位にランクインした金賞ではなかったのです。しかし、西関東大会金賞は、当時はそれでも「快挙!」と言われ、父親の私も親バカになって浮かれた記憶があります。(笑)

 

私の娘たちも、後輩たちの活躍を素直に喜んでいます。本日鑑賞に来ていた地域の住民たちは、まるで、自分のことのように、誇らしい気持ちで、演奏を見守っていました。こうして、子どもたちは、地域の大人たちに見守られ、育ててもらっているのですね。

 

今日は、本当に心あたたまるコンサートに感動した次第です。

2024年

3月

22日

癖がないから「オッケーブロッコリー」

今日は、今年度最後の体操教室です。年長園児にとっては、3年間続いた取り組みです。まさに、「継続は力なり」です。エアートランポリンで躍動し、とび箱・鉄棒など、様々な体操を経験した子どもたちです。本日は最後ということで、コーチの特別指導がありました。何と「バク転」にトライです。空中でコーチが支えるので、「なんちゃってバク転もどきの後ろまわり・・・」といった感じですが、年長園児は、最後の体操教室で、新しいことに挑戦できたのです。

 

さて、にわかに話題になっているのが、指定野菜に「昇格」した、ブロッコリーです。特に消費量が多い野菜として、キャベツや白菜などの14品目と並び、2026年度から適用されます。

 

生産者には、安定供給&価格が安定するように、国からの補償金が入ります。しかし、すべてのブロッコリー生産者が喜んでいるわけではないようです。実は、「指定産地」にならないといけないのです。むしろ、指定野菜になることで、新規参入が増え、供給過多になるかもしれないからです。

 

そこで、石川県白山市の「安井ファーム」では、SNSの活用で、ブロッコリーの魅力を発信しています。ブロッコリーの魅力は、その「癖のなさ」による、汎用性の高さと言えます。「ブロッコリーにマヨネーズをつけて食べると、ほぼほぼマヨネーズの味ですよね。和食、洋食、中華、スイーツ、離乳食、すべてに『寄せられる』・・・そこがいちばんの魅力です」とのことです。

 

私が子どもの頃は、ブロッコリーではなく、カリフラワーが主流でした。しかし、カリフラワーは、日差しで変色しやすく、栄養価でもブロッコリーが上回っているので、いつの間にか立場が逆転したのです。野菜の中では、比較的手のかからないブロッコリーは、こうして「指定野菜」のポジションを勝ち取ったのです。

 

安井ファームのSNSでは、レシピの紹介が人気だそうです。一番「バズった」のが、「めんつゆ漬け揚げ」です。「加熱済みのブロッコリーをめんつゆに一晩漬けて、片栗粉をつけて中温の油で揚げる・・・」安いファームの伝家の宝刀レシピだそうです。なんだか、想像するだけでも「絶対おいしい!」ですね。

 

保育園の給食でも、ブロッコリーはよく出されます。こうして考えると、ブロッコリーの可能性は無限大。その未来には明るさしかない。と言えるのかもしれませんね。

2024年

3月

21日

戦国武将 山中鹿之助

今日も子どもたちは強風との戦いです。屋上の「クサガメのおうち」の屋根が強風で飛ばされていました。まだ、カメは冬眠中ですが、屋根がないと、カラスに狙われます。そして、卒園式の練習も着々と進んでいます。年長園児が、ピアニカを立ったままで吹く練習が始まりました。11人の年長園児が、トランペットのようにピアニカを吹きます。

 

さて、今日は、織田信長の時代に活躍した戦国武将「山中鹿之助」の話です。諸説ありますが、山中鹿之助の言葉で有名なのは、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と自分が手柄を立てるために、三日月に向かって祈り続けたそうです。

 

「七難八苦」とは、文字通り、困難や苦しみがたくさんあることです。山中鹿之助は、困難や苦しみをたくさんくれと祈っているのです。おかしな話ですね。普通なら、成功や楽しいことがたくさんあることを望みますね。

 

神社などでお祈りする場合は、「家内安全」「合格祈願」など、たいてい幸せが来ることを望みます。人は、できるだけ、困難や苦しみを避けようとするものです。ところが、山中鹿之助はその逆を祈ったのです。

 

でも、少し考えて見てください。つらいからといって、困難や苦しみを避け続けていると人はどうなるでしょうか。「失敗すると嫌だな」という気持ちが強くなり、何もしないようになっていくものです。失敗したくないので、何も挑戦しない人になってしまいます。

 

かつて、保育園の保護者で、「自分の子どもには、保育園生活の中で、自分の思い通りにならないことをたくさん経験してほしい」と言ったママがいました。私は、えらく感心してその話を聞いていたのですが、彼女は、大人になった時の我が子の姿までを見通していたのです。困難や苦しみを乗り越えたときに、初めて力が付き、強く生きていけるようになるからです。

 

山中鹿之助が言う「七難八苦」は、一見、避けたいことに見えるかもしれませんが、実は、とても大切で必要なことなのです。たくさんの挑戦を重ね、失敗もたくさんして、困難や苦しみを乗り越えた上で、自分の力を高め、成功につながるのです。

 

ところで、多くの親は、「自分の子が、困難の壁にぶち当たった方がいいですか?」と聞くと、「もちろん、困難を経験させたいです」と答えます。しかし、私の子育ての経験上、我が子が、問題に直面する前に、手を打って助けてしまうことがあります。親心というのは、そんなもので、口で言うのと実際の行動が違うことが多いですね。

 

ここは、「心を鬼にして」とまでは言いませんが、我が子の困難を見守ってみませんか。そして、このままでは、どうにかなってしまうという状況になる前に、大きな愛情で手を差し伸べる、そんな親でありたいですね。

2024年

3月

20日

おはぎとぼたもち

今日は春分の日です。春のお彼岸に合わせてお墓参りに行く人も多いことかと思います。お供えの定番は、「おはぎ」「ぼたもち」どっち?・・・ここで問題です。

「おはぎとぼたもちの違いは何ですか?」

 

答えは、3つの違いがあります。

 

1つ目の違いは、おはぎとぼたもちのいただく時期です。「ぼたもち」は、春のお彼岸にいただき、「おはぎ」は秋にいただくのが一般的です。諸説ありますが、おはぎもぼたもちも名前の由来はどちらも「花」です。ぼたもちは春の花として知られる「牡丹(ぼたん)」に、おはぎは秋に花を咲かせる「萩(はぎ)」に見立てて作られたことから、この名前で呼ばれるようになったそうです。

 

2つ目の違いは、あんこの種類です。おはぎもぼたもちも、どちらも基本的な材料はもち米とあんこです。まったく同じ材料ですが、おはぎは「粒あん」で、ぼたもちは「こしあん」で作ることが多いようです。これには、あんこの主原料であるあずきが関係しています。あずきの旬は秋です。収穫したばかりのあずきは皮が柔らかいために豆の形を残した粒あんに。それ以外の季節のあずきは固く、口当たりが悪くなることから、こしあんになるまでしっかりと潰して、皮を取り除いたそうです。そんな理由で、秋のおはぎは、つぶあんで、春のぼたもちは、こしあんが使われるようになったと言われています。

 

3つ目は、形の違いです。おはぎとぼたもちは、モチーフとなる花が違うために、形やサイズが少し異なります。おはぎは「萩の花」に見立ててひし形に。ぼたもちは「牡丹の花」のように大きく、丸い形に仕上がっています。

 

こんな感じで、おはぎとぼたもちは、味など基本的には同じものですが、食べる時期やあんこの種類、形の違いなどによって、呼び方が異なるのです。もちろん、地域によって違うこともありますね。

 

どうですか・・・これは「ウンチク」として使えますね。今、スーパーに並んでるいるのは、「ぼたもち」と「おはぎ」が混在していますが、ウンチク通りに考えると「ぼたもち」を選択するのが正解のようです。

 

では、最後に、子ども俳句大賞に輝いた作品を紹介します。何と、小学校1年生の作品です。おはぎともぼたもちとも全く関係ありませんが。

 

くさもきも すずしくなあれ みずでっぽう

 

小1の作者が、夏休みの朝、近所の友だちと水鉄砲で遊んだそうです。ビショビショになったけれど、涼しくて気持ちいいなと思い、公園の草や木に水鉄砲をかけたそうです。こんな、楽しかった夏休みの思い出を俳句にしたのです。

 

なんだか、情景が浮かんでくるような素敵な句ですね。保育園の子どもたちの絵や工作でも、ドキッとする作品ばかりです。

2024年

3月

19日

シンガーソングライター 新沢としひこ

今日は、お別れピクニックです。年長園児11名で近くにある「三橋総合公園」へお弁当を持って出かけました。三橋公園までは、歩いて20分ぐらいですが、「ピクニック楽しみにしてたんだ。お弁当は○○」と、子どもたちの楽しい会話が聞こえてきます。公園に到着すると、まずは水辺の生き物観察です。「エビを捕まえたぞ!なんだ、この生き物は?この小さな貝はタニシ?ヤゴはトンボの幼虫だね」と、生き物には慣れた子どもたちです。6歳男の子は、ミミズも素手で触っていました。

 

「園長先生・・・おなかすいたよ~」で、お弁当タイムです。ニコニコ顔で完食すると、自由遊びタイムです。土手の草の上をゴロゴロと回転して降りる子どもたち。目が回っても楽しくてたまりません。アスレチックや遊具で体を動かして、メタセコイヤの木の実を集めます。防虫効果があるクスノキの葉の香りをかいで、楽しいピクニックとなりました。こどもたちの大切な時間になりました。

 

そんな、卒園児が、卒園式で歌う曲の一つは、「さよならぼくたちのほいくえん」です。全国の多くの保育園や幼稚園の卒園式で、この曲が歌われます。その歌詞に、姿に、親は涙するのです。

 

♪たくさんの毎日を ここですごしてきたね

 なんど笑って なんど泣いて なんどかぜをひいて

(略)さよなら ぼくたちのほいくえん(ようちえん)

 ぼくたちの 遊んだにわ(ホワイトきゃんばすでは「おくじょう」です)

 

この曲を作詞したのは、新沢(しんざわ)としひこさんです。多分知らない人が多いと思います。でも、次の曲は知っていると思います。

 

♪世界中のこどもたちが いちどに笑ったら 空も笑うだろう ラララ 海も笑うだろう

そう、「世界中の子どもたちが」です。知っていますよね。また、一昨年の保育園ホワイトきゃんばすのクリスマス発表会で歌った「虹」も、新沢さんの曲です。コロナ禍になった頃にテレビで毎日のように流れていました。

 

新沢さんは、「子どもの歌は、『詠み人知らず』の雰囲気が強くて、無名性が高いです。保育園に歌いに行くと、目の前に座った子どもたちに『おじさん、どうして僕たちの歌を知っているの?』と言われることがよくあります。子どもの歌は、僕の持ち歌じゃない。みんなが歌うもの。我ながら不思議な仕事だと思います(笑)」と言います。

 

新沢さんは、国際基督教大学(ICU)付属高校が開校した1期生で入学します。新設校だから、生徒会もない、部活もない、上級生もいない、夢のような3年間を過ごします。すべての選択が自由という環境で、新沢さんの感性が研ぎ澄まされていくのです。大学時代には、保育園でアルバイトをします。しかし、現実は甘くなかったようです。天使のような子どもたちが若いお兄さんを大歓迎してくれると思っていたら、目の前に現れたのは、超絶悪ガキ集団で、節分では、紙の棒でバンバンぶたれ、子ども同士のケンカも日常茶飯事です。「びっくりしたけど、すっごく面白かった。子どもだって人間で、大人と何ら変わらない。そのことに気づくことができたのは、大きかった」と振り返ります。

 

シンガーソングライターは、名前を憶えてもらって、ヒット曲を出すことが幸せなのかもしれませんが、新沢さんは、大スターではありません。子どもたちは、新沢さんの名前は知らなくても、全校児童が「虹」を歌い、卒園式で「さよならぼくたちのほいくえん」が大合唱され、式は涙で包まれます。なんだか、これって、すごく幸せで、豊かな人生だと思いませんか。

 

でも、せっかくですので、これを機に、「新沢としひこ」。覚えてくださいね。

2024年

3月

18日

19年破られなかった日本記録

せっかく春らしくなってきたと思ったものの、今日は一転して強風の寒い一日でした。桜の開花が、当初の予定よりも少し遅れるようですね。保育園のお花見は、3月末か、新年度4月になってからか・・・満開から桜の花が散り始めた頃を見はからって行います。

 

さて、ある女性アスリートのコメントです。「これまでの感謝を込めて、夢を追いかける

ことの素晴らしさを伝えていきたい。それと、美味しい酒を飲むためにも走り続けたい」と語る人。誰かわかりますか。現役を引退されているので、美味しい酒も許してください。(笑)

 

そうです。今日は、2004年のアテネ五輪女子マラソンで金メダルを獲得した、野口みずきさんの話です。野口さんは、翌2005年、ベルリンマラソンで2時間19分12秒の日本記録を樹立します。

 

この記録は、なかなか破られませんでした。そして、ついに、今年1月の大阪国際女子マラソンで、前田選手によって、2時間18分59秒のわずか13秒差ですが、日本記録が更新されました。この間、19年間、野口さんの記録は破られなかったのです。前田選手は、途中からペースメーカーを置き去りにする圧巻の走りでした。それを野口さんは、解説者として乗り込んだ中継車の中でワクワクしながら見届けたのです。

 

自分の記録が破られるのに、野口さんはワクワクしていたのです。そして、「日本記録が塗りかえられた、その現場に立ち会えたことが幸せだった」と言うのです。普通なら、自分の日本記録が抜かれてしまうので、残念な気持ちになるのが普通でしょうが、野口さんは、喜ぶのです。

 

実は、野口さんが高校卒業後にずっと指導を受けてきた岩谷産業陸上部の廣瀬監督のもとへ、日本記録を樹立した前田選手の武富監督が出向いて、野口さんの現役時代の練習メニューなどを参考にしていたようです。監督同士がリスペクトしあっていたようです。

 

最近の陸上界では、練習量が多すぎると故障につながるから、質を重視する傾向が強まっているようです。しかし、二人は、やっぱりマラソンには思い切った練習が必要と考える監督同士なのです。野口さんも前田選手も、圧倒的な練習量の中で、日本記録が生まれたのです。

 

野口さんが、陸上を始めたのは中学1年の時です。37歳で引退するまでの25年間の競技人生は、良いことばかりではありませんでした。金メダルを獲得した次の2008年北京五輪を欠場した時には、バッシングを受けます。そして、2016年3月、リオ五輪の選考レースに破れ、引退を決意します。その年に結婚し、「普通の生活」をする中で、異業種の仲間もできたそうです。

 

そして、ついに、自分の日本記録が破られ、「日本記録保持者」という重荷がはずれて、心から、普通に走ることが楽しくなってきたようです。野口さんが、アテネ五輪で獲得した金メダルは、全国各地を一緒に走っていて、日焼けしているようです。(笑)

 

これからも、野口さんは、解説者として活躍をしながら、明日の日本を背負うアスリートたちを育てていくのです。

2024年

3月

17日

宇宙は「宝の山」

昨夜は、保育園が終わって、前の会社仲間と「おやじ3人」で飲んでいました。世代としては、「不適切にもほどがある」のドラマの主人公とかぶる、バリバリの昭和世代です。昨年4月に入社した新入社員への対応は、令和を意識して、プライベートなことへの介入はしないスタンス・・・でも、辞めてしまう若者が多いとのこと。「会社が合わない」という理由よりも、「同じ会社で長く働く気持ちなどさらさらない」という感じのようです。こうなると、採用の段階での人材の見極めと、採用してからの育成ビジョンが課題になります。う~ん・・・難しい世の中ですね。

 

さて、今日は「宇宙」の話です。壮大です。先日、日本の民間企業「スペースワン」の小型ロケット打ち上げが失敗する映像を見たばかりですが、宇宙開発には、失敗が伴うのが常です。失敗原因を分析し、次につなげてもらいたいですね。

 

昨年10月にNASAの新型探査機が打ち上げられました。目的地は、「プシケ」と呼ばれる小惑星です。約36億キロメートルの旅を経て、2029年に到着予定です。まだ、5年もかかりますね。このプシケは、小惑星の中でもひときわ変わった星で、金属だらけだそうです。全体体積の半分以上は、鉄やニッケルなどで占められていて、あくまでも単純計算ですが、このプシケの資源価値は、日本円にして、ゼロが20個並ぶ15垓(がい)円(1兆の15億倍)です。全世界のGDPを優に上回るという天文学的な数字です。

 

宇宙にある小惑星はこれまでに、ざっと130万個見つかっているそうです。日本でも「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」から持ち帰った土は、炭素でできた有機物を含む「C型」と言われるもので、水も豊富に含まれていると見られています。

 

月への移住計画なんて、一昔前なら夢物語だったでしょうが、今では、本気に考えている宇宙開発者が多く出てきました。ただし、ロケットで地球から月に水を運ぶには、水1リットルあたり1億円ほどの費用がかかると言われています。水は日常生活で使うほか、電気分解して水素燃料や酸素を生み出せます。月面開発で、世界各国が水資源の探査を急いでいるのも、水の確保が重要課題の一つだからです。

 

専門家の試算では、リュウグウに含まれる水は、月で1000人が500年暮らせるほど大量にあるそうです。

 

このように、宇宙は「宝の山」ですね。ただし、宇宙資源利用の最大のハードルとなるのが輸送コストです。また、現実的には、その資源をめぐっての争いも起きることは間違いないですね。

 

保育園のサマーキャンプでは、夜に天体観測を行います。かつては、土星の輪を見ることもできました。そんな、夢がたくさんつまった宇宙開発・・・子どもたちの世代が、平和的に進めてもらうことを期待したいですね。

2024年

3月

16日

親は名脇役

昨日は、さいたま市内の公立中学校の卒業式でした。保育園ホワイトきゃんばすの卒園児第一号が、4月から高校生になります。なんだか、うれしい気持ちになってきますね。

 

そして、本日3月16日は、JRの全国ダイヤ改正です。北陸新幹線の金沢ー敦賀間が開業しました。ということで、今日の園長課外授業は、大宮駅で新幹線を見よう!です。小学生と年長園児を連れて、電車で大宮駅に到着。入場券を購入して、賑わっている新幹線ホームへGO!・・・いきなり、はつかり号の細長い先頭車両に子どもたちは大興奮です。小4男子が「あれは、カモノハシからヒントを得て、風の抵抗を受けないようにしたんだよ」と知識を出してきます。こまち号、つばさ号が続々と入線し、いよいよ「敦賀行きのはくたか号」がやってきました。ま新しい「敦賀」の文字が光ります。

 

能登半島地震からの復興に向けて、富山県・石川県・福井県に元気になってもらいたいですね。大宮駅のコンコースには、福井県の象徴でもある「恐竜」がにらみをきかせていました。(笑) 

 

さて、受験シーズンが終わり、4月に向けての入学準備が始まっていますね。ある大学受験の親子のやりとりです。「試験当日、息子は『やらかした』と笑いながら帰宅。夕食を食べながら、息子の笑顔はいつしか引きつり笑いになり、気づけば必死で涙をこらえていた。そんな息子を前に、どう対応しようか悩んだ。息子が自分で失敗を悟り、悔やみきれない渦中にいる。とっさに口をついて出たのは、『大丈夫、これで終わりじゃないから。また次があるよ』後に、息子から『あの言葉で救われた』とお礼を言われた」と母親は、うれしい気持ちで話します。そして、こう言います。「どれだけ不安で頭がいっぱいでも、受験で親ができることは本当に限られている。あの時、ぐっと感情を飲み込んで、息子に『大丈夫』と言えた時が、私にとって受験の最大のハイライトだった」

 

中学受験は、「親の受験」と言われるくらい、親が関わることが多くなりますが、高校受験、大学受験と進んでいくと、主体は、あくまでも子どもです。このように、親のかかわりが上手にいけばいいのですが、受験をする子どもと同じくらい、親も緊張しプレッシャーを感じるのが現実です。

 

昭和のシーンでは、3食栄養バランスのとれた食事を作り、夜食も用意するのが受験生の母親の役割とされてきたのでしょうが、令和では、働く母親が当たり前ですので、こうはいきません。まさに、時代に合わせて変えないといけませんね。

 

そう考えると、令和の支え方は、あえて働く親の姿を子どもに見せることが大事なような気がします。子どもにとって、受験の目的は「○○大学に合格すること」で止まってしまうことが多いですが、実際は、「○○大学に合格し、そこで何をして、どんな将来を作っていくか」まで考えることが大切です。そこで、親の背中とか役割が発生するのです。

 

親子の絆はとても深いですが、親子の価値観は違うものですし、子どもには「子どもの世界がある」ことを心得て、親の仕事は、主役を支える『名脇役』でありたいですね。

2024年

3月

15日

エビフライのしっぽ食べますか?

今年度の夕方の寺子屋時間は、本日で終了です。年長園児にとっては、3年間、「寺子屋なんだから・・・」と言われ続け、夕方の異年齢での学び合いや体操教室の経験。そして、配膳や手洗い、寝かしつけなど、小さな園児の世話までずっと頑張ってきました。子どもたちは、毎日の活動の中で、気がつかないうちに色々なことができるようになったのです。

 

さて、突然ですが、あなたはエビフライのしっぽを食べますか。今日は、「エビフライのしっぽ 食べよう クラブ」という本を紹介します。

 

主人公のともちゃんは、さくさくで香ばしくて、スナック菓子みたいなエビフライのしっぽが大好きです。給食の時間に「エビフライのしっぽが一番おいしい」と言うと、隣の席の子に、「ともちゃんはなぜ、しっぽも食べるの?」と驚かれてしまいます。

 

ともちゃんは、しっぽを食べないなんて信じられない。でも、他の子に聞いても食べないと言われます。そして、仲良しの友だちにも笑われてしまうのです。家で、その出来事をおうちの人に話すと、エビフライのしっぽのおいしさを伝えればいいと言われます。そこで、考えたともちゃんは、「エビフライのしっぽたべようクラブ」をつくり、会員を募ります。

 

こんなストーリーですが、この童話は、「多様性」と「エビフライのしっぽ」を結びつけて、多様性を考える童話です。ともちゃんは、自分が大好きなエビフライのしっぽなんだから、自分が属する2班の仲間もみんな大好きだと思い込んでいたのです。しかし、聞いてみると、「そんなの食べないよ」という人ばかり・・・ともちゃんは、こうして、自分の考えとは違う人が多くいることを知るのです。

 

今の世の中では、会社でも学校でも、あらゆる組織で「多様性」という言葉が、「優先順位ナンバーワン!」のごとく輝いています。昨日、札幌高裁は、同性婚を認めていない現行制度の違憲性が問われた訴訟で、2審として初めて違憲であるとの判断を示しました。原告らは「思いに正面から応えてくれた。待ちに待った判決だ。あとは国会。明日にでも結婚できるようになってほしい」と、涙ながらにコメントする姿をニュースで見ました。

 

また、最近のテレビドラマや映画は、同性の恋愛や結婚に踏み込むストーリーが多いですね。まさに、「多様性を認めよう!」を訴えているかのようです。今は、「多様性キャンペーン」のような世の中になっていますが、あと数年たてば、「多様性」は当たり前で、議論する余地もなくなっているかもしれませんね。

 

本日、年長の女の子同士が抱き合って「○○ちゃんと結婚するんだ!」と言っていました。6歳の子どもたちが、18歳になった時には、たぶん日本でも同性婚が法律で認められる世の中になっているのでしょう。

 

保育園の子どもたちには、「自分の考えと違う人がいるけど、それは悪いことではなくて、世の中には様々な考えがあるんだよ」を分かりやすく伝えていきたいですね。

2024年

3月

14日

農業で未来をひらくプレーヤー育成

今日は、風もなく、ようやく「あったか屋上遊び」ができました。キタアカリという人気品種のジャガイモの植え付けをし、ビートルハウス横の木に、カマキリのたまごを発見しました。チビちゃんたちは、「えっこれがカマキリなの?」という顔をしますが、寺子屋園児になると、このたまごの中から、赤ちゃんカマキリが続々と生まれてくることを知っています。今まで、何度も保育園で観察してきました。

 

さて、今日は広島県立庄原(しょうばら)実業高校の話です。この高校のキャッチフレーズは、「農業で、未来を拓(ひら)くプレーヤーを創出しよう」です。文科省のマイスター・ハイスクールの指定校でもあります。

 

入学すると、最初に「10年後どんな農業を創りたいか」を問い、3年間を通して、フィールドリサーチやプロジェクト課題などに取り組んでいきます。特色的な活動の一つは、先進的な取り組みをしてる人物による授業です。通常の教員以外に「産業実務家客員」として任命し、より専門的な授業を行っているそうです。

 

例えば、「ドローンでの農薬散布」「GPSを活用して田植えを自動化する」「農業でもテレワーク導入」など、かつての「農業=3Kのイメージを払拭させる」ことも、これからの農業の大きなテーマと捉えています。生徒たちに、農業の世界は大きく進歩しており、多様な能力を持った人が集まって成立していることを伝えます。

 

生徒たちは、こうして最先端の技術を学びながらも、伝統的な農業もきちんと体験するそうです。それぞれの長所と短所を知り、視野を広げ、総合的に物事を考えられるようにしています。

 

3年生の生物生産学科の今年度のテーマでは、「牛舎の暑熱対策」「和牛の調教」「ホタルを増やし、人を集め、庄原のことを知ってもらおう」「激辛トウガラシで庄原をアツくする」などがあがりました。ホタルのグループでは、人が増えるとホタルが住みにくくなるという矛盾も経験します。失敗もまた、生徒たちにとっては大きな財産となるのです。

 

庄原実業高校の生徒たちの多くは、このような環境で学ぶことによって「自分の力で未来を創ることができる」と本気で考える生徒が多いそうです。最近は、就農する若者を取り上げるテレビ番組も多くなり、「自分の生き方」として、他の仕事を経験したうえで、就農を選択する人が多くなりました。過疎化という日本が抱える大きな問題も、「農業」を通じて、打開策が見つかるかもしれませんね。

2024年

3月

13日

フェアトレード拡大

卒園式の練習が進んでいます。卒園児の中には、「泣きそうになっちゃうよ」と言う園児もあれば、年中園児の男の子は、お世話になった先輩との別れがカウントダウンになってきたので、気持ちは複雑のようです。

 

さて、「フェアトレード」という言葉をご存じですか。保育園のあるショッピングセンターのコーヒー売場には、フェアトレード商品が並んでいます。先進国の企業や消費者が、発展途上国の生産者に適正な対価を払って商品を購入する仕組みです。かつては、途上国からの買い付け金額を叩いて、労働者を搾取するようなことが多くの国や企業で行われていました。コーヒー豆はその代表的な商品です。

 

日本のフェアトレードの草分け的な店舗は、1998年に開店した「ピープルツリー自由が丘店」です。店内には、バングラデシュの籠や、ボリビアのカカオのチョコレートなど約1000点が並びます。現在は、18か国の145の生産団体と取引しているそうです。

 

「『収益は、子どもの就学支援に使われます』など、1つ1つの商品にストーリーがあるのが、フェアトレード商品の魅力です」と店主の鈴木さんは語ります。私たちは、買い物で「モノ」を買うわけですが、そこに、購買意欲がそそられるような「コト」があると、買い物が楽しくなりますね。理由もなく(コトがなく)安いだけでは、モノは売れません。

 

フェアトレードの歴史は意外と古くて、1946年、アメリカのキリスト教系のNGOが、プエルトリコの貧しい女性が作る刺しゅう製品を購入し、教会で販売したことが始まりと言われています。途上国の生産者と家族が人間らしい生活を送れるように、公正な対価を支払うのが基本です。

 

日本でのフェアトレードの市場規模は、2022年は196億円です。「少ない!」と思った人が多いと思いますが、それでも、前年比124%で、2015年の倍になったようです。SDGs(持続可能な開発目標)や、環境や社会に配慮した商品を選ぶ「エシカル消費」への消費者や企業の関心の高まりが要因です。

 

しかし、国際フェアトレード機構の本部があるドイツの市場規模は日本の17倍です。欧米でフェアトレードが盛んな背景について「植民地にしていた途上国へのしょく罪意識もあるのでは」と言われていますが、まだまだ日本の市場規模は、大きくなることは間違いなさそうです。

 

名古屋市では、毎月5月に、全小学校で、フェアトレード食材を使った給食を提供しているそうです。神奈川県逗子市も5月に、飲食店約30店と協力してフェアトレード食材と地元の野菜や豚肉を使ったランチを出したそうです。

 

意識の高い人が、少しずつ増えているようですね。フェアトレード商品は、安い価格ではないことが多いです。でも、10回に1回の買い物でもいいので、無理のない範囲で、フェアトレード商品を買ってみてほしいと、関係者は語ります。

 

私が買うのは、コーヒー豆ぐらいですが、さらに意識を高めようと思います。

2024年

3月

12日

断食宿泊体験

今日の寺子屋では、卒園児一人一人の「いいところ・すごいところ・かっこいいところ」をみんなで答えてもらいました。年少園児の中にも、積極的に意見できる子がいました。「スポーツが得意で足が速いところ」「いつも優しくて、助けてくれるところ」「電車のことをよく知っているところ」「三つ編みの髪がかわいいところ」「足が長いところ」「こびとのことが一番詳しいところ」「女優さんみたいにかわいいところ」「着ている洋服がいつもカワイイところ」「お片付けをいつもちゃんとしているところ」「イケメンなところ」「お絵描きがとても上手なところ」…などなど、たくさんの意見が出てきました。子どもたちが、他の園児のいいところをちゃんと見ていることに、うれしい気持ちになりました。ステージに立つ卒園児に対して、「フレーフレー!」とエールを送って、素敵な「ほめちぎり」時間となりました。

 

さて、みなさんなら、「旅行」での楽しみは何ですか。多くの人が、その土地の料理と酒と答えるのでしょう。しかし、少し理解に苦しむところではありますが、今、断食を組み込んだ宿泊プランが人気のようです。

 

静岡県伊東市にある「ファスティングホテル海の杜」のオーナー吉田さんは、約20年間市内の断食道場に勤務し、多くの人の体が改善されるのを見て効果を確信し、満を持して2020年にこのホテルを開業しました。「東京から適度に離れ、仕事のストレスを忘れられる。近くに飲食店やコンビニもなく、断食に集中できる」環境だそうです。ファスティングの意味は、一定の固形物をとらずに断食することです。水などの水分はOKという考えだそうです。

 

断食中は、食事の代わりに1日3回、インド原産の植物・モリンガの粉末が入ったリンゴジュース2杯と梅干し、レモンを口にします。モリンガは栄養素を多く含む「スーパーフード」だそうです。意外においしいとのこと。

 

ある会社員は、年に4回ほど、3泊4日滞在するそうです。外で飲むことが好きで、食生活が乱れたらリセットしに来るそうです。「胃が小さくなり、少量で満足できるようになる。空腹になると神経も研ぎ澄まされ、脳が若返る感覚になる」と言います。

 

「イスラム教などの宗教的な断食を除けば、一昔前の断食は、やせるために行うことが多かった。しかし、今はデトックス(体の中の老廃物を出す)したい、ストレスを解消したいなど、心を整える目的で行う人が増えている」と専門家は解説します。「現代人は何を作るか、誰と食べに行こうか考えるなど、1日のうちに食に費やす時間が長い。たまに断食し、余った時間で自分に向き合えば、ビジネス上のひらめきにつながることもある」とも言います。

 

どうですか・・・ちなみに、ファスティングホテルの1泊料金は、1万5000円~とのこと。断食明けには、重湯と具なしみそ汁、大根おろし・梅干しの朝食が出るそうです。

 

私の辞書には、今のところ「断食」の文字はありませんが、体も心も良くなるのであれば、一度やってみようかなぁ~と、思えたらいいですね・・・みなさんはいかがですか。

2024年

3月

11日

イエナプラン学習会

今日は、3・11です。2011年3月11日に東日本大震災が発生し、13年が過ぎました。いまだに故郷に帰れず、県外含めて避難生活を送ってる人も多くいます。元日の能登半島地震を受けての交流も見られますね。

 

朝の会では、子どもたちに「2011・3・11 14:46」というタイトルのスライドショーを見せました。ただ数字が並んでいるだけなのに、3月11日がわかった園児が何人かいました。続けて、津波・被災した街や家・レスキュー隊での救助シーン・避難所生活・コンビニの棚が空っぽ・駅で電車を待つ会社員・復興シーン・・・などの画像を観ながら、子どもたちとのやり取りが続きます。子どもたちには、「お家に帰ったら、ママパパに、3・11の時は、何をしていたか聞いてごらん」と話します。戦争と違って、すべてのママパパが経験した3・11です。それぞれの家庭で、親子の会話をすることが大切ですね。

 

さて、昨日は、コロナ禍でずっとできていなかった、イエナプラン学習会に参加し、約4年ぶりに、学習会のメンバーと会うことができました。イエナプランとは、オランダで行われている「学習スタイル」の一つです。このブログで何度も話をしていますので、詳細は、ネットで調べてください。

 

日本イエナプラン教育協会さいたま学習会の取りまとめ役が、何と、長野県にある日本初のイエナプラン校の「大日向(おおひなた)小中学校」で、教員として勤務しているとのこと。男の子3人のママですが、大宮から新幹線通勤でがんばっているそうです。彼女のオランダでのイエナプラン校の視察ビデオを観ながら、「あーだこーだ」語り合います。

 

オランダのイエナプラン校は、日本の学校とは全く違うイメージで、学校内のいたるところに「アート作品」があり、いつでも子どもたちが話し合える、ソファーがたくさんあります。日本の保育園や幼稚園にあたる、幼児クラスの教室は、まるでテーマパークのように、遊べる環境が整っています。日本との大きな違いは、「すべて、子どもたち本人に選択をさせる」という環境です。

 

幼児クラスのには、ボードがあり、自分の名前をそれぞれの遊びのところにセットします。「今日私は、○○で遊ぶ」と、自分で選択するのです。小学生になれば、1週間の時間割は、自分で決めることになります。もちろん、日本の学校で行っていることでいいこともたくさんありますが、オランダでの「自分で決める」という習慣は、小さなころからの積み重ねですので、社会に出て大いに役立つことになります。

 

今回は、小学校教員、高校教員、そして世田谷区の区議会議員が新たに参加されました。議員さんは、教育改革の柱に「イエナプラン」を考えているようです。結局は、教育委員会のトップである教育長のやる気次第のようなので、いかに、教育長に「イエス!」と言わせるプランが出せるかですね。広島県や愛知県では、公立のイエナプラン校がありますので、上手に、他県を参考にすればいいのでしょう。

 

子どもをど真ん中にした話し合いができ、有意義な時間を昨日は過ごすことができました。

2024年

3月

10日

福井県坂井市

いよいよ、3月16日に北陸新幹線が「金沢ー敦賀間」開業となります。能登半島地震で、石川県を中心に復興もままならない地域が多いですが、少しでも明るい方向へ進んで欲しいですね。

 

今日は、そんな福井県にある「坂井市」の話です。福井市のとなり、東尋坊があるところです。人口では、福井市に次いで、福井県第2の都市です。そこには、小玉さんというスーパー公務員がいます。

 

坂井市も「人口減」に直面する地方自治体です。全国の多くの自治体は人口減を食い止めようと、移住者の募集に注力するところが多いですね。住宅や雇用に対する支援を積極的にアピールし、地方への移住を後押しするといったイメージです。

 

しかし、小玉さんは、「地域に定住してもらえる施策を打ち出すのも行政の仕事だ」として、自分たちが暮らす地域の魅力を認識することで、地域への愛着を持ってもらうプロジェクトを提案し、進めています。今年度は、福井県坂井市の魅力を言語化するブランディング推進事業を手がけています。市内に暮らす高校生や大学生など計40人で、地元の魅力についてワークショップ形式で語り合うことから始めます。初回は、一人20個の坂井市の魅力をリストアップすることです。

 

40人×20個で、合計800個の魅力から、もっと深掘りしたい「ヒト」や「モノ」を選び出します。例えば、「竹田地区のキャンプ場の管理人さんが面白いから会いに行ってみよう!」といった具合に、地元の人でも知らないことばかりが出てきます。

 

市民の投票も経て、ブランドメッセージは「らしさ、かがやく。」に決まりました。小玉さんは、坂井市には、自分らしさを大切にして、生き生きと暮らしている人が多い。そんな思いが、この言葉に込められていると言います。そして、ブランドメッセージから派生したロゴマークや公式キャラクター(名探偵をめざす探偵犬のかわいいイラスト)もできあがりました。

 

玉井さんは、入庁4年目でふるさと納税の担当になり、特産品を製造する企業を取材するうちに、地元の魅力を肌で感じるようになったそうです。「坂井市には何もないという人もいるが、それは違う。何でもある。ただ、価値が言語化されていないだけだと気づいたんです。若者が集まり、地元のことを知る機会をどんどん作っていきたい。少なくとも魅力を知らないまま都会に出ていく若者は減らせるはずです」

 

どうですか・・・こんな「まちおこし」もありですね。私たちは、自分が住んでいる町の良さをもっと深掘りできるかもしれません。そして、人口減の最大要因の「若者が都市に出ていく」を食い止めることにつながるのです。

2024年

3月

09日

四国アイランドリーグ

笑わないで聞いてください。卒園児の中には、小学校で「トイレの花子さん」が出るんじゃないかと、心配する園児が数名います。本日登園した小学3年生の卒園児は、何と「3階にある3年3組」です。女子トイレの入口から3番目のトイレに、花子さんが出るというのが物語のストーリーです。卒園児が、「何度も3番目のトイレを使っているけど、今まで一度も花子さんには会ったことがないよ」と言うと、年長園児に笑顔が広がりました。「何だ!トイレの花子さんなんかいないじゃないか!」となったのです。月曜日に、本日登園した年長園児が、伝言ゲームで伝えてくれるでしょう。(笑)

 

さて、連日報道される野球の話題といったら、大谷翔平選手ですが、日本野球機構(NPB)にも属さず、独立リーグという形で、四国4県で4チームが所属するのが、「四国アイランドリーグ」です。3月30日の開幕で、20年目を迎えます。このリーグは、元西武ライオンズの「ミスターレオ」こと石毛宏典さんが主導して発足したので、覚えている人も多いと思います。

 

四国アイランドリーグからは、昨年秋のドラフト会議で、過去最多の9名が指名されました。プロ野球のドラフト会議は、高卒・大卒・社会人という枠がメインでしたが、最近では、育成枠で獲得する制度ができたことにより、四国アイランドリーグに限らず、各地域の独立リーグからドラフトにかかることが多くなったのです。千葉ロッテマリーンズで首位打者になった角中外野手や読売巨人軍の増田内野手も四国アイランドリーグの出身です。

 

しかし、四国アイランドリーグの選手が食べていくには、厳しい現実が待っています。月給は約10万円でオフシーズンは無給です。選手は、大半は2年で入れ替わる厳しさだそうです。それでも、NPBのプロを目指して努力を続けるのです。

 

地域の支えあっての四国アイランドリーグですが、2023年の1試合平均の来場者数は314人です。当然、入場料を柱としての経営は成り立たず、スポンサー費が球団収入の多くを占めることになります。選手は、野球教室やイベントに参加し、オフには飲食店や農家などのアルバイトで人手不足の解消に一役買っているようです。この地道な営業や地域密着で、各球団のスポンサー数は、数百にもなるそうです。

 

高知の選手に寮を提供する高知県佐川町の片岡町長は、「年に40人ほどしか子どもが誕生しない町に、30人の若い選手がおり、大いに活気をもらっている」といいます。また、「応援が生きがいになっている」とう町民も多いそうです。まさに、地域に健全な娯楽として、「野球」が根付いていることがわかりますね。

 

しかし、コロナ禍で、解散せざるを得ないリーグもあり、独立リーグを維持していくことは、資金面では、かなり苦しい環境にあることは間違いありません。それでも、2021年には「九州アジアリーグ」が4チームで開幕し、2022年には北海道フロンティアリーグも設立されました。3チームでのスタートですが、地域に賑わいと与えているそうです。

 

私が小学校6年の時の担任だった星野先生は、大の広島カープファンでした。広島出身ではありません。星野先生はいつも、「いいか。日本のプロ野球球団は、必ずチーム名の最初に会社の名前が付くだろ。でも、広島カープだけは、球団名が『広島』から始まるんだよ。広島の人たちがみんなでカープを応援するのがわかるだろう」と言っていました。

 

どうですか・・・たまには、大リーグのドジャースの話題ではなく、日本のプロ野球でもなく、独立リーグに目を向けてみませんか。きっと、人間臭い、感動の物語があるはずです。

2024年

3月

08日

女性と社会の変化 つづき

今日は天気予報通り、深夜から雪が降りました。火曜日の雪は「聞いてないよ!?」でしたが、今日は「予報通りだな」ですね。1週間で2回も雪が降り、春のような気候だった2月と違って、3月に入ると、春がなかなか来ませんね。

 

さて、昨日の「女性と社会の変化」のつづきです。

 

2003年に、酒井順子さんの著書「負け犬の遠吠え」がベストセラーになりました。「30代以上・未婚・子ナシ」の女性の生き方が肯定的に書かれた本です。一方、少しずつですが、大手企業を中心に、産休・育休制度が充実し、時短勤務の導入も始まってきました。そんな世の中の環境の変化で、女性が働き続けることのハードルは下がり、ワーキングママが多数派になってきました。2015年には、女性活躍推進法が成立し、政府もメディアも待機児童問題、ワンオペ育児問題など「子どもを産んだ女性をどう支えるか」ばかりを取り扱うようになります。

 

保育園ホワイトきゃんばすは、2012年に開園しましたが、まさに、待機児童問題がこれから大きくなっていくというタイミングでした。私は、「子どもに関わる仕事で社会貢献をしていきたい」という気持ちで、保育園ホワイトきゃんばすを立ち上げましたが、現実的なモノサシでは、需要が見込めるという判断がありました。

 

「仕事と子育てを両立させる女性を守る!」に報道が偏ると、その結果、独身や子どものいない女性たちが居場所を失います。「働くママはそんなに偉いですか?」「子なしハラスメント」「子ども=幸せの図式が息苦しい」という意見も出てきました。

 

もうこうなると、産んだ女性も産んでいない女性も、独身も既婚も、すべての女性たちが苦しむような感じになっていたのかもしれません。ただし、この段階では、男性側の意識は、ほとんど変わっていなかったのです。

 

そんな中、2015年に「資生堂ショック」と言われる事件が起きます。女性が働く理想の会社と言われた資生堂が、育児中の女性にも夜間や土日の出勤を促すよう方針転換したことをNHKが報じたことで大きな話題となりました。

 

実は、資生堂はキャリア支援の意義があると考えたのです。「過剰な配慮よりも、働きに対する評価が欲しい」と考える女性が多かったからです。潜在的に、働きながらキャリアを積みたいと考えていた女性たちの支持を得るのです。

 

そして、ようやく、家事育児に男性が主体的に参画すれば、女性はもっと自由に働くことも生きることもできるという、当たり前のことに気づく契機となったのです。保育園ホワイトきゃんばすでは、ここ2年で出産した家庭のパパの多くは、長期育児休暇を取得しています。「子どもが生まれたから、父親も休むのが当然」という意識からです。

 

多様化の時代と簡単に言ってしまえばそれまでですが、女性といってもひとくくりではありません。子育てする人も、シングルを選ぶ人も、働く人も、いまはプライベートを重視したいという人も、いろいろな『自分らしい』選択が柔軟にできるようになれる社会。そして、それは、男性を含めたすべての人が働きやすく、生きやすい社会であるのです。

 

「そんなの理想だよ」と笑うなかれです。私たちは、時代の流れの中で、良い社会を作り続けることが必ずできるのです。

2024年

3月

07日

女性と社会の変化

屋上遊びでは、ドッジボールブームが続いていますが、小学生になっても休み時間には、よく遊ぶスポーツですので、園長は、熱く指導しています。といっても、保育園児のドッジボールですので、逃げ回っている子がほとんどです。きちんとボールをキャッチできる園児は、年長男子の一部だけです。しかし、今日は女子が初めて、男子が投げるボールをキャッチすることができました。試合を中断して、皆で「拍手!」です。こうして、自信を持って、さらに上達していくのです。

 

さて、明日3月8日は「国際女性デー」ですので、ここ、ざっと30年の、女性と社会の変化について、考えたいと思います。かなり深いテーマです。そして、男性である私の話ですので、女性が読むと「ちょっと違う」があるかもしれませんが、おつきあいください。

 

1996年に「インスタントラーメン離婚」が話題になったのを知っていますか。午後10時過ぎに、残業を終えて帰宅した会社員の女性(29歳)は、先に帰宅していた夫から「ラーメン作れ!」と言われ、口を一文字に結んだまま、買い置きのインスタントラーメンを一人分作って、どん、とテーブルの上に置いたのです。そして、「こんなことぐらい、やってくれて当然だ」と思っていた夫に、離婚届が付きつけられるのです。今の時代なら、「モラハラ夫」として、バッシングを浴びるのでしょうが、約30年前では、「インスタントラーメン離婚」という名前まで付くような事件となったのです。そして、この話題以降、「女性の生き方」が語られるようになったのです。今までは、働く女性は少数派で、結婚・出産で寿退社という路線が当たり前の選択肢だったからです。

 

そして、2000年代に入ると、女性の未婚率が上がり始めます。同時に、共働き世帯数が、専業主婦世帯数を上回り、その差がますます広がり、女性が働くことが当たり前になっていきます。

 

そうなると、「働く女性の出産」「働く女性の子育て」「専業主婦VS働くママ」といった、出産や子育てが、仕事をする女性に与える影響が大きく取り上げられます。まだ、保育園の数も今のように多くなかったので、仕事は続けたいけど、会社を辞めざるを得ない女性が出てきます。その後、「35歳以上の出産」など、働く女性に対して、「キャリアか子どもか」という二者択一が迫られるようなるのです。

 

今では、女性の第一子の平均出産年齢は30歳を超えていますが、つい、20年前までは、キャリアのために子どもを諦めるとか、育休が認められないとか、高齢出産で参観日におばあちゃんと間違えられることに怯えるといった、ウソのような本当の話もありました。働く女性の多くが、周囲の心無い言葉や対応に傷ついていました。

 

私が、新入社員研修を受けた時の話です。本社人事部に女性の課長がいました。独身だったので、「○○課長はオールドミスだ!」なんて、私は心無い発言をしていました。私は、1987年入社ですが、この時は、誰一人「おまえ!なんてこと言うんだ!言葉を慎め!」と私を説教する人がいませんでした。私の心ない発言で、女性課長の心に大きな傷を負わせてしまったのです。「白石課長・・・本当に申し訳ございませんでした」

 

ここまで、まだ2000年に入ったばかりです。この後も女性と社会はどんどん変化していきます。つづきは、「国際女性デー」のあした・・・

2024年

3月

06日

頼る者と頼られる者

「えっ!?雪が降るって言ってたっけ?」と、今朝は多くの人が思ったことでしょう。私も、起床して新聞を取りに行こうとすると、外がやけに明るく、玄関を開けると驚きの銀世界です。

 

こうなったら、保育園では、屋上で雪遊びだ!としたのですが、雨が降り続いて、雪はほとんど解けてしまいました。それでも、子どもたちは、畑や草むらから、雪を集めます。感動したのは、こんな天気の中で、菜の花がつぼみを広げて、まさに咲こうとしているではありませんか。植物の生きる力に魅せられました。

 

さて、私はそれなりに人生経験を積んでいますので、リーダー論にも持論があります。「リーダーシップ=影響力」が私の考えです。声が大きくて「俺についてこい!」タイプがリーダーとは限りませんね。リーダーは、周りの人にどれだけ影響力を与えることができるか・・・という考えです。もちろん、どんな行動が影響力につながるかは、その人なりに違いがあるものです。

 

人は、職場などの組織の中で、経験年数を重ねたからといって、すべての人がリーダーになれるというものではありません。どうしても、リーダーに向く人と向かない人がいます。では、その分岐点は何なのか。それは、いざという時に、人に頼るか、人から頼られるかの違いという考えがあります。あくまでも、リーダー論の一つと思ってください。

 

ある企業での中堅社員Aさんは、人の考えをよく聞いた上で、自分の考えをしっかり持って相手に伝えます。常に自分の考えを相手に分かりやすく伝える姿勢は、謙虚ながらも、頼りがいがある人として見られていました。おのずと、仕事やプライベートでも、彼はしばしば相談されたり、考えを聞かれたりしています。

 

それとは反対に、何か問題にぶつかると、その解決のために努力することなく、人に頼る人もいますね。どう考えても、このタイプは、いくら経験を重ねてもリーダーには不向きと言わざるを得ません。

 

どうですか・・・リーダーになることが、組織での存在価値を高めることに、直接つながるわけではありませんが、他人に頼ってばかりの人になるよりも、他人から頼られる人になりたいものですね。

 

このリーダー論・・・なかなか、的を得ていると思っています。保育園の子どもたちを見ていると、頼られる園児は、他人のことやチーム全体のことを見ることができる子です。この春、小学生になる年長園児たちには、「小学生になったら、人から頼られる人」になってもらうように、残り少ない時間を過ごしていきます。

2024年

3月

05日

さよならチェルシー

新年度の6月に予定している、1回目の社会科見学が決まりました。ロッテ「お菓子の学校」です。武蔵浦和にあるロッテの工場見学です。「お菓子の学校」は、とても人気があって、学校などの団体は、3月1日14:00から、令和6年度分の年間予定の受付となっていました。ネットではなく電話受付です。私も電話をかけまくったのですが、「ただいま電話が大変込み合っています。時間を置いてかけなおしてください」が続きます。でも、ようやく予約が取れました。年長と年中園児を連れて、お菓子工場見学です。今から楽しみですね。

 

さて、お菓子といえば、明治製菓から、チェルシーの販売を3月末で出荷終了するという発表がありました。昭和世代にとっては、懐かしいお菓子がまた消えてしまうと、悲しい気持ちになりますね。

 

「チェルシー」は、英スコットランドの伝統的なキャンディをヒントに、1971年にバタースカッチ味とヨーグルト味で発売されました。黒地に花柄の包装も親しまれましたね。そして、何といっても、小林亜星さんが作曲したCMソング「♬ホラ、チェルシー もひとつチェルシー♪」「あなたにも チェルシーあげたい」のフレーズは、広く世の中に浸透し、私も自然と口ずさんでいました。

 

しかし、販売が低迷します。データでは、売上のピークは2002年度の約25億円。しかし、2022年度は約5億円まで落ち込んだそうです。明治製菓は、これでキャンディ事業から撤退となります。時代の流れで、キャンディに代わって、現在売上を伸ばしているのが「グミ」だそうです。あと数年で、市場規模でもグミがキャンディを追い抜く見込みだそうです。

 

昨年6月に、明治製菓の坂戸工場へ工場見学に行ってきました。ここでは、主にアポロチョコレートなどのチョコレート菓子を製造していますが、つい数年前までは、あの「カール」を製造していたのです。坂戸工場には、まだ「カールおじさん」のオブジェが記念撮影用に残されています。

 

カールは、東日本エリアで販売が休止となりました。「何であのカールが!?」と思った人が多いと思いますが、カールもまた同様に売上低迷商品だったのです。1968年に発売が開始されたカールの売上の最盛期は1990年代で、年間190億円も売っていました。ところが、2017年には約60億円と、1/3以下になってしまったのです。特に、東日本エリアは、人口が少ない九州エリアよりも売上額が少なく、工場を四国の1か所に絞ることで、生産性と物流コストを下げ、西日本のみの販売としたそうです。

 

カールの売上低迷の一番の原因は何だと思いますか。

 

カールはトウモロコシから出来ていますが、ジャガイモから作る「ポテトチップス」に大きくシェアを取られてしまったのです。スーパーの棚には、ポテトチップスの種類が、数えきれないほどありますね。

 

菓子業界にとって、発売以来「ずっと愛され売上も落ちていない」商品は、ごくわずかです。ましてや、洋菓子は「ブーム」となって話題に上がることも多いですが、すぐに飽きられてしまうリスクが伴います。

 

ともあれ、昭和の懐かしいお菓子がなくなるのは、寂しいですね。カールは、まだ西日本やネットで購入できますが、チェルシーは、本当に「さよなら」です。私は、今日買って帰ることにします。(笑)

2024年

3月

04日

こどもの本総選挙

今日はあったか屋上でした。園長は久々にノックバットを振ります。外野からの返球を内野へ中継プレーができるようになってきました。ボールを後ろにそらし、返球も暴投ですが、夢中の子どもたちです。まだまだ、野球とは言えないレベルですが、昭和の野球部監督のように「ケツバット」はしません。(笑)

 

さて、先月「こどもの本総選挙」の発表がありました。NPO法人こどもの本総選挙事務局が主催し、全国14万人の小学生が選んだ本です。絵本も含むすべてのジャンルが対象です。見事、1位に輝いたのは、ヨシタケシンスケ作の絵本「りんごかもしれない」です。知っていますか。

 

ある日、男の子が学校から帰ってくると、テーブルのうえにリンゴが置いてありました。

しかし、そのりんごを見て、とある疑問を抱いてしまった男の子。

「もしかしたらこれは、りんごじゃないのかもしれない」

りんごがりんごであることを疑う男の子の想像は、とどまるところを知らずにどんどん大きくなっていきます。

これはりんご型のメカかもしれない!?機能満載、リンゴメカの解剖図!

らんご、るんご、れんご、ろんご!?奇妙キテレツな形のりんご兄弟たち!

ほんとはオシャレがしたかった!?いろんな髪形、りんごのファッションショー!

はたしてこれは本当にりんごなのか??

男の子が思い切って、ひとくちかじってみると……

 

たった一つのりんごなのに、男の子の発想が広がっていって、読んでいる子どもが、どんどん引き込まれていくような内容です。これは、作者のヨシタケシンスケさんが10年前に発表したデビュー作です。

 

ヨシタケさんが、「りんごかもしれない」の完成エピソードを語ります。「最初は、りんごをいろんな国の言葉で言いかえてみたり、だれがいつりんごを食べ始めたのか歴史をさかのぼってみたり、教科書みたいな絵本を考えていたんです。でも、それじゃ全然面白くなかった。で、思いついたんです。『りんごに見えているけど、そうじゃないかもしれない』っていろいろ考える話にすれば、面白いなぁ~って。頭のなかで想像するのは、自由ですからね」

 

私たちは、大人になればなるほど過去の先入観にとらわれて、決め込んだり、思い込んだりすることが多くなります。その点、子どもの発想は自由で、大人の想像を超えて、「はッ!」とさせられることが多いですね。

 

小学生14万人の総選挙で、見事に1位になった「りんごかもしれない」を、一度読んでみたらいかがですか。

2024年

3月

03日

お寺プロレス

今日は朝からいい天気です。何より風がないのがうれしいです。この1週間は、強風との戦いを子どもたちは強いられました。今年は暖冬でしたが、冬らしい寒さを今になって感じますね。

 

さて、寺の境内でプロレスラーが宙を舞い、激しい技を繰り出す「お寺プロレス」が、昨日、埼玉県越谷市の「安国寺」で開かれたそうです。主催は、安国寺の副住職で現役女子プロレスラーでもある「雫 有希(しずく あき)」さんです。

 

雫さんは、ある時は仏様の前で念仏を唱える僧侶。そしてある時は実力派の女子プロレスラーです。まるで、キューティーハニーのようですね。(笑)

 

実力派と言ったのは、彼女が大学時代に、全日本レスリング選手権大会67キロ級で銀メダルを獲得するという結果を残し、女子プロレスラーへの道を歩み出したからです。中学生の時にプロレス観戦をし、その魅力にはまり、母親に「プロレスラーになりたい」と訴えると、まずは「アマチュアレスリングに挑戦しなさい」と言われます。母親は、厳しい練習に音を上げて、プロレスへの道を断念すると考えたそうですが、結果は、実力派女子レスラーが誕生したのです。現在は、伝説の女子レスラー、長与千種さんの「マーベラス」に所属しています。

 

そして、もう一つの雫さんの顔は僧侶です。親の実家である安国寺はもともと親戚が継いでいたようですが、その方に子どもがなく、雫さんの父が住職を引き継ぐことに。それによって雫さんが18歳の時に寺の後継者となったのです。「仏教のことも知らないし、すごく反発しました。でも好きでもないお坊さんと結婚して継がされるくらいなら自分が僧侶になった方がいいと思って、僧侶の資格を取ったんです」と言います。月に1回行う「念仏会」や法要など、僧侶の務めにも力を注いでいます。

 

お寺プロレスは、チャリティーで行われ、集まった募金は、「きらきら太陽プロジェクト」という事業団体を通じて、乳児院に寄付されています。この慈善事業団体の主宰も雫さんが務めています。3足のわらじを履いているのです。

 

雫さんは、静と動という対極にも思える僧侶とプロレスラーには共通点があると言います。「僧侶は人の悩みや苦しみを受け止めて導くのが役割。プロレスは相手の技を受け止める中で勝機を見出すスポーツ。他者を受け入れるという姿勢は同じなので、私の中では

2つの仕事に違いは感じません」

 

一度、レスラー雫有希のラリアットを境内で観戦したいですね。

2024年

3月

02日

「うさぎや」のどら焼き

今日の昼時間、運動会を行う西文ひろばで、小学生と年長園児で「鬼ごっこ」などをして遊んでいました。すると、昨日卒業式だった高校3年生のサッカー女子が、一人で練習にやってきました。小学校4年の男の子が、中学生になったらサッカー部に入りたいというぐらいサッカーにハマっているので、指導してもらったのです。彼女に色々と話を聞いていくと、凄い選手であることが分かりました。さいたま市西区の宮前小学校の卒業です。新潟のサッカー強豪校で、高2の時に全国大会にスタメンで出場します。大学はサッカー推薦で、全国を狙う強豪大学に入学が決まったそうです。彼女のポジションは、センターバックです。全体の動きが良く見えるので、司令塔の役割を担っているようです。

 

将来は、指導者の道に進みたいというビジョンを持っていました。言葉遣いもとても礼儀正しく、将来設計もきちんとあって、とても感心しました。小4の男の子は、「ボールの回転がいつも同じで、まっすぐパスを返してくれる・・・凄い」と言っていました。大学でも、大いに活躍してもらいたいですね。

 

さて、今日は「どら焼き」の話です。私は、洋菓子も和菓子も大好きですが、どら焼きと言えば、すぐに思い浮かべるのが、「うさぎや」のどら焼きです。創業100年以上の上野にある和菓子屋さんです。看板商品のどら焼きを求めて、朝から行列ができるお店です。

 

うさぎやには、伝統の味を守る、餡一筋30年の橋本さんという職人がいます。どら焼きは、一日に7千~1万個を作るので、朝6時から4台の釜をフル稼働させ、前日から水に浸しておいた小豆を煮始めます。そこから3時間半、釜から目を離すことはないそうです。火加減、水加減、甘味を調整しながら、木べらから伝わる感覚だけで、ほど良い練り具合へと仕上げていきます。

 

橋本さんは、「すし職人が手袋をつけて、すしを握らないのと同じで、和菓子の味を決めるのは手」と言って、素手で蒸したての饅頭を触るそうです。「煮る時は、支度を万全にする。必要な道具を事前に用意していなければ、取りに行く間に煮詰まってしまう。作る目的を明確にしておかないと、正しい段取りで作れない。どのように煮たかで、正直に結果が出る」とも言います。

 

実は、15年ほど前に、誰でも作れるようにレシピを作ったそうです。しかし、完璧と思われたレシピは意味をなさず、味が変わってしまったそうです。「うさぎや」のどら焼きは、職人による手作業が、伝統の味を守っているのです。

 

1個240円・・・私は、決して高いとは思いません。どうですか・・・「うさぎゃ」のどら焼き、食べたくなりましたか。

2024年

3月

01日

血液型を知らない子

大谷選手の結婚報道で、世界中が大騒ぎですが、2月29日が入籍日なら、結婚記念日は4年に一度ということになりますね。はい、誰も話題にしませんね。(笑)

 

今年は、3月3日のひな祭りが日曜日なので、保育園のおやつの時間は「ひな祭りスイーッ」を楽しみました。ひし餅にちなんで、3層のババロアの上に、生クリームとイチゴをトッピングします。お昼の勉強タイムに、年長園児がパティシエになって、園児全員分のトッピングを行いました。おいしいだけでなく、「自分で作った」ことが、さらに強い思い出につながったようです。

 

さて、「あなたの血液型は何ですか?」に、答えられない子どもが多いのを知っていますか。保育園の入園手続きの際に、母子手帳の血液型の欄が空白の園児が多いです。かつて、病院が行っていた出生時の血液検査を現在は行っていないからです。私の次女も、しばらくは血液型が不明でした。献血をした時に、A型であることが判明し、私と同じということに、意味なくうれしかった記憶があります。(笑)

 

血液型を知らなくても、手術などが必要になった時には医療機関がちゃんと調べるので問題ないのだそうです。

 

ところで、私のような昭和世代は、血液型で性格が決まるとか、血液型占いなどが大好きです。A型は几帳面で、B型はズボラだけど天才肌。AB型は変人が多いと、初対面の人に血液型を聞いて、その話題で盛り上がることも多かったですね。元会社の先輩のSさんは、相手の血液型を当てるのが得意でした。並んだ順番に、次々とA型・B型・O型と当てていくのです。正解率は99%くらいで、ビックリするくらい凄かったです。

 

例えば、アナウンサー教育では、「血液型で性格が決まるという、いわゆる血液型占いには、科学的根拠がないにもかかわらず、広く信じられている。わかままとかおおらかとか血液型で性格を決めつけてかかったり、仲間はずれにすることもある。放送で誤った情報を拡散しないように」と教育されています。学校の先生なども、子ども同士で血液型の話になったら、耳を傾けないといけませんね。

 

それでも、血液型と性格は関連性があると信じる人は少なくないような気がしますね。こればっかりは、時代の流れの中で、今の子どもたちが大人になる頃には、「ねぇ、何型?」なんて言う会話は、死語になっていくのでしょう。

 

でも、やっぱり血液型が気になる、昭和世代の私です。(笑)

2024年

2月

29日

昭和がうらやましい

3日続いた台風並みの強風が落ち着いて、今日は思いっきり屋上で遊びました。畑仕事にも子どもたちは参加します。長ネギを植えました。「ネギ大好き!」という園児は、皆無ですが、6月ごろに、この長ネギが収穫となり、子どもたちへのお土産になると、おうちでバクバク食べてしまうのです。収穫体験などが、子どもの「食べたい」につながることは、ホワイトきゃんばすでは、日常茶飯事です。(笑) 

 

さて、「不適切にもほどがある!」のドラマの影響もあって、にわかに「昭和」にスポットが当たっているようです。体罰やセクハラを経験した人は、「昭和なんて嫌だ!」と思うかもしれませんが、いいところがたくさんあって、「懐かしく」思えてきたという人が増えています。私もその一人です。

 

困った時には助け合い、徹夜もいとわず仕事に打ち込む人がそこら中にいたあの頃の「昭和」・・・令和の現在は、コンプラコンプラと言うわりには、「勝ち負け」がすべて。格差も拡大し、ネットの世界では「自分がやられて嫌なことは人にはしない」という最低限のルールさえ守られない。

 

こう考えると、当時は少し窮屈と思った昭和社会の雰囲気も「むしろよかったかも」と感じるのは、私だけではないようです。

 

昭和と令和の違いが顕著なのが「大阪万博」に対する国民の反応です。来年2025年(令和7年)に予定されている大阪万博は、「パビリオンの建設が間に合わない」「インフレと円安で経費が膨れた」「アンバサダーの松本人志が活動休止」など悪い話ばかりで、国民の反応も鈍いままです。一方、1970年(昭和45年)の万博は違いました。日本国民の大勢が、万博に行きたいと夢を見ました。私も、記憶にないですが、新幹線に乗って大阪万博に行ったそうです。岡本太郎さんの「太陽の塔」が象徴的な存在で、政治家だけでなく、あらゆる職種の人が懸命に協力し合ったのです。

 

時代が流れ、当然、人にとって「良かれ」と思う方向に進んでいるはずですが、どうも、昭和は「困った人がいたら助ける」と心の底から多くの人が思っていたのに、令和では「人の役に立つ仕事に就きたい」と言っておきながら、どこまで本心なのか?と思ってしまいますね。

 

もう一度、昭和のいいところを探してみませんか。

2024年

2月

28日

保健室

3日連続で、屋上は強風です。しかし、多くの園児が「子どもは風の子」になって、風を切って走っている姿に、なんだか、うれしくなりますね。

 

先日、小学校1年生の授業参観に出席し、卒園児の男の子のクラスに行ってみると、「○○君は、給食の時に具合が悪くなって、保健室にいるよ」とクラスの子が教えてくれた。保健室を訪れると、男の子は、ベッドで静かに寝ていました。保健室には、3つベッドがあり、ソファでは、子どもの話を聞いている養護教諭の姿がありました。

 

学校の中で、保健室は子どもたちにとって、欠かせない「居場所」ですが、今日は、東京都足立区にある小台橋(おだいばし)高校の保健室の話です。保健室の役割は、心身の不調で駆け込む生徒の訴えに耳を傾け、校内で共有。教員らと一緒に、生徒の成長を話し合う場ともなっているようです。

 

小台橋高校の保健室には、毎月延べ約100人の生徒がやってきて、二人の養護教諭が対応します。「他の高校と比べて、人数は多くない。けれど、対応に時間が必要な生徒が多い」と言います。

 

「教室に入れなくて、話を聞いてもらえますか」と一人の生徒がソファにぐったり座り、小さな声で切り出します。「朝、どうしていいかわからなくなって。また朝からやっちゃった」・・・手首に、刃物で傷つけた痕があります。二人の養護教員は傷を確認し、包帯を巻きながら「それで、落ち着いたの?」と尋ねます。家族や友人との関係、将来への不安、など生徒の話を丁寧に聞いてから言葉をつなぎます。「しんどいのは分かるけど、下手すると取り返しがつかなくなることもあるからね。そのことだけは、わかってほしいな」と、否定せずに諭すように語ります。生徒は落ち着いて30分ほどで保健室を後にしました。

 

もはや、養護教諭の役割は、傷の手当にとどまらず、心理カウンセラーでもありますね。二人の教員は、「私たちの対応は、先回り過ぎでは」「面倒を見るだけでは学校として不十分ではないか」と生徒たちへの接し方を意識します。「少し休んでいく?」と生徒に提案するのではなく、「あなたはどうしたいの?」と聞いて、生徒が自分の考えをまとめて言葉にし、自発的に動くのを辛抱強く待つようにしているそうです。

 

保健室には、生徒だけでなく教員も相談にやってくるそうです。ある教員は、「何でもやってあげて『優しい先生』と思われたい気持ちはある。でも、そのまま社会に送り出すのは、教員として無責任かもしれない。だから生徒が成長できるよう、背中を押したい」と言います。

 

心に傷を負ってしまった生徒の対応は、とても難しいですね。一人一人、かける言葉も違います。しかし、最後は、「自分で考えて自分で答えを出す」ことにつながるような対応ができれば、生徒の前に立ちはだかる壁が、1枚かもしれませんが開かれたことになります。保健室の先生の役割は大きいですね。

2024年

2月

27日

火災報知器点検の仕事

昨日の寺子屋は書道だったのですが、年長園児の課題は「そつえん」です。保育園の壁面に、子どもたちの「そつえん」の作品が並ぶと、いよいよだなぁ~と思ってしまいます。特に、卒園児の保護者にとっては、卒園式迄の日々は、感慨深いものになると思います。

 

さて、保育園の教室内には、ちょうどキッチンの上の天井部分に、火災報知機が設置されています。幸い、保育園が開園してから、この火災報知機が反応して、天井にある複数のスプリンクラーから放水されたことはありません。保育園の火災報知機は、年に2回ほど、長い棒のような機器で定期点検が行われます。皆さまも、オフィスなどで見たことがある人も多いのかと思います。

 

火災報知機がきちんと作動するかどうかの定期点検は、消防法で義務付けられています。そして、定期点検ができるのは「消防設備士」の資格がある人です。私は、誰でもできると思っていましたが、資格がないといけないそうです。消防設備士は、建物の管理者の依頼を受けて、火災報知機だけでなく消火器などの設備もチェックします。マンションやオフィスのほか、劇場やごみ焼却施設なども対象だそうです。

 

保育園ホワイトきゃんばすが入る、ショッピングセンターのような施設は、当然、グループ内の関連業者できちんと行われていますが、その他の施設では、「火の気がないから大丈夫」と点検をしないところも多いそうです。少し古いデータですが、2010年度の全国の点検報告率は、わずか40%だったそうです。6割が定期点検を怠っていたのです。

 

実は、この消防設備の定期点検をする業界は、もともと、大手デベロッパーや管理会社の下請けとして点検をする、多重下請け構造だったのです。6割も定期点検されていないというのは、大手デベロッパーに属していないビルや企業が、定期点検をどこに頼めばいいのか、わからなかったのです。

 

これをビジネスチャンスにしたのが、テックビルケア社長の茶橋(ちゃばし)さんです。もともと父の経営する会社は、ビルクリーニングでしたが、メイン事業を防災インフラ事業に変えたのです。

 

業界のからくりと、どこに需要が眠っているのかが分かれば、行動は見えてきます。まずは、自社のホームページを充実させると、全国の法人や建物オーナーから依頼が舞い込みます。下請けではないので、中間マージンなどがカットできて適正価格を設定でいるようになります。そして、10年で利益を10倍にしたそうです。

 

2023年の全国点検報告率が、55%にアップしたのもテックビルケアの受注が増えたからです。でも、45%が定期点検をしていないので、まだまだ需要がありそうですね。

 

もし、あなたが「起業」を考えているのでしたら、一番は「やりたいこと」を追求すべきでしょうが、こうして、業界のすき間を調べるのもありですね。そう簡単ではありませんが、ふと身近なところにチャンスが転がっているかもしれません。

2024年

2月

26日

セルフレジ使っていますか?

今日は、昨日よりも間違いなく気温が上がっているはずですが、北風が強く、屋上遊びは、「寒~い」中で行われました。それでも、北風に向かって自転車を走らせる寺子屋園児やファームに咲いているホトケノザの花を摘むチビちゃんたち・・・本当に、子どもは風の子ですね。そして、今日は連休明けでしたが、体調を崩して欠席する園児は、一人もいませんでした。

 

さて、スーパーやコンビニ、100円ショップなどで導入が進むセルフレジですが、みなさんは、どのようにかかわっていますか。

 

私などは、昭和の古い人間ですので、「店が人員削減のために、客に作業をさせるのだから、値引きやポイントアップもなくて、有人レジと同じだなんて、納得いかないよ」と、セルフレジが登場した頃には、こんな風に思っていました。

 

しかし、人間はすぐに慣れてしまう生き物ですね。そして、2023年のスーパーマーケット統計調査によると、回答があった283社のうち、セルフレジを設置している店舗があると回答した企業は31.1%だそうです。私の感覚では、もっと多いような気がしますが、年々セルフレジが増加傾向にあるのは事実です。また、「スーパーでふだん使うレジの形式は?」の問いに、「セルフレジ」と答えた人が66%もあったそうです。

 

「並ばずに支払いが早くできて便利。導入はうれしいですね」「レジには近所の知り合いパートで入っていることも多い。買った商品を見られたくない気持ちもあるので、セルフレジはありがたいです」というのが、賛成派の意見です。

 

ある100円ショップでは、従業員4人でまわしていましたが、有人だとレジに3人とられてしまうそうです。忙しすぎて、品出しが追いつかず、倉庫に品物があるにもかかわらず、棚がスカスカでお客様にお叱りを受けることも。しかし、セルフレジ導入で、お客様の買いたいものが売り場にないという状況がなくなったといいます。

 

こう考えると、セルフレジ投入は、人件費削減や人員不足対応という、企業側の利点だけでなく、サービスアップに、少しはつながっているようです。

 

セルフサービス化に追いついていかないお客様は、高齢者だけでなく、それぞれの年代で一定数存在すると言います。苦手な人にとっては、買い物するのに、「努力」を求められるということになるのです。さっさと買い物を済ませたい人もいれば、ゆっくりしたい人もいます。どちらにしろ、買い物とは楽しくあるものだと思うのは、私だけではないでしょう。そう考えると、「複数の速度」に寛容な場所が理想なのでしょう。でも、そうすると、企業側の論理では、セルフ化のメリットがないということにもなるし・・・

 

セルフレジ問題・・・あなたならどう考えますか。

2024年

2月

25日

災害で消えるローカル線③

只見線の「下」部分、線路や駅舎の維持管理費の負担が、福島県や沿線自治体の負担になるのであれば、「上中下分離方式」がいいのではないかという専門家の意見があります。「上」はJRなどの鉄道事業者が行うのは変わりありませんが、「下」を二つに分け、「中」として車両の保有を地元の自治体が担い、「下」の線路や駅舎などの施設を国が引き受けるという考えです。

 

国に費用を押し付ければいいのか。と思われるかもしれませんが、鉄道は道路と同じで交通インフラと考えると、国に関与してもらおうという考えです。例えば、バス会社であれば、バス会社が買うのはバスだけで、道路をつくるお金を払うわけでも、信号機の維持費を払うわけでもありません。鉄道会社は、現状すべてを負担する構造なので、赤字、廃線に追い込まれることが多いのです。

 

2011年の東日本大震災で、燃料不足になった東北にガソリンや灯油などを運んだのは鉄道です。鉄道の優位性は、少ない人数で大量の輸送ができることです。貨物列車は最大26両編成で10トントラック65台分の貨物を運べます。トラックなら65人の運転手が必要のところ、鉄道なら運転手1人です。

 

2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた「三陸鉄道」は、NHKの連続ドラマ「あまちゃん」のモデルになったことで全国的に有名なローカル線です。しかし、あまちゃん効果がなくなってくると、再び危機に陥ります。「こたつ列車」「お座敷列車」そして、「震災学習列車」などを走らせ、何とか打開策を考えます。2021年からそのガイドを務めるのが2019年入社の若い社員千代田さんです。

 

彼女は、今月1月に、初めて企画から当日の運行までを手がけた「女子が楽しむ日本酒列車」を成功させます。三陸鉄道には、「三陸鉄道で仕事がしたい」という「若い力」が、毎年入社しているそうです。現在、三陸鉄道の「自慢」は、沿線で農作業中の人や歩いている人たちが、走る列車に向かって自然と手を振ってくれる日常の光景だそうです。なんだか、いいですね。

 

日本のローカル線は、これから、ますます高齢化や過疎化で苦境に追い込まれます。鉄道の在り方をどう考えるか?を見直さないと、経営困難という理由で、時刻表から鉄道路線がなくなっていきます。

 

国鉄が、民営化してまもなく40年を迎えようとしています。私が高校時代に使っていた「JTB国鉄時刻表」には、まるでクモの巣のように鉄道路線が日本中にありました。特に私がハマった北海道には、魅力ある路線がたくさんありました。でも、それは旅人にとっての魅力で、地域の人たちにとっては、どうだったのか・・・この問題は、私の頭の中でぐるぐるまわって、すっきりしません。三陸鉄道のように、若い力に頼るしかありません。

 

結局は、納得できるような結論は出ませんが、3日間ローカル線の話にお付き合いいただきありがとうございました。

2024年

2月

24日

災害で消えるローカル線②

今日のお昼の課外授業は、「演劇鑑賞」です。第18回東大宮演劇祭に子どもたちを連れて行きました。劇団レインボウ城!や演劇ワークショップの演劇2本を観ました。普段は、公務員・会社員などの仕事をしているメンバーが、大好きな演劇を通じて、「もうひ一人の私」を演じ、楽しんでいます。テレビドラマや映画に出演するような劇団ではありません。しかし、子どもたちにとっては、インパクトが大きかったようです。コメディ作品を2本観たのですが、子どもたちはストーリーは、なかなか理解できないものの、役者のセリフやリアクションが面白ければ、大笑いです。客席で、役者のセリフを真似して大声でオウム返しするので会場がどっと笑いに包まれました。いい経験になったようです。

 

さて、昨日の「災害で消えるローカル線」の続きです。只見線は、2011年の集中豪雨で、会津川口ー只見間でバス代行となったのですが、2022年、約11年ぶりに鉄道が再開したのです。俳優の六角精児さんはじめ、只見線を愛する全国の人たちのエールもありましたが、再生の切り札が、「上下分離方式」です。車両の運行を「上」、線路や駅舎などの施設管理を「下」とし、「上」はJRなどの鉄道会社が行い、「下」は自治体が引き受ける方式です。線路や鉄道施設などの維持管理がなくなる分、鉄道会社の経営負担が軽くなるという仕組みです。JR東日本は、この「上下分離方式」でなければ、只見線の廃線区間は、永遠にバス代行か廃線にしたことでしょう。ただし、福島県と沿線自治体が存続を主張し、「上下分離方式」が採用されたのです。

 

私は、バス代行区間も乗りましたが、今年1月の「おやじ旅」で、開通後の雪の只見線に乗車しました。只見ー会津川口間では、台風で流れた3つの橋を渡り、橋が流れた原因となった、ダム放流を行った本名(ほんな)ダムを通過しました。ダムの放流をしなかったなら、橋は流されずにすんだかもしれませんが、ダムが崩壊しもっと大きな被害につながっていたかもしれません。複雑な気持ちで、車窓を眺めていました。

 

この「上下分離方式」は、JR只見線の他にも、茨城県ひたちなか市を走る第三セクター「ひたちなか海浜鉄道」が導入して、経営を立て直しています。しかし、只見線の場合は、毎年3億円とされる「下」の施設維持管理費は、福島県と会津17市町村が負担することになります。鉄道ファンは、「只見線を残して!」と簡単に言えますが、地元住民はこれだけの負担が強いられるので、「只見線を復活させて良かった!」という存在意義が必要になるのです。

 

う~ん・・・なかなか難しいですね。何か、他にいい方法がないものか。つづきは明日です。

2024年

2月

23日

災害で消えるローカル線①

3連休初日は、冷たい雨が降っていますね。さて、元日の夕方、能登半島を襲った最大震度7の地震が、金沢と能登地域を結ぶ「JR七尾線」(金沢ー和倉温泉、全長約60キロ)を襲いました。列車や乗客は無事でしたが、線路や駅が大きな被害を受けました。しかし、ここは観光拠点でもあり、復旧作業が進み、2月15日には全線開通となりました。また、和倉温泉の先、穴水までの「のと鉄道」も4月中旬までには、全線開通する見通しだそうです。私が高校の時に、父が能登半島の工場長として単身赴任していて、夏休みに遊びに行った時に、フグの刺身をたらふく食べた記憶があり(フグ調理の免許を持っていない人が作ったので命がけでしたが・・・)、「良かった!」と素直に思っています。しかし、現在、台風や地震などの災害で不通となっている鉄道区間は、9か所もあります。太宰治で有名な「津軽鉄道」の一部やSLで有名な「大井川鉄道」の一部などです。

 

あの伝説のテレビドラマ「北の国から」を思い出してください。ドラマの初回で、東京から富良野に移住してきた黒板五郎と、兄の純・妹の蛍の3人を草太兄ちゃんが出迎えるシーンの駅が、「布部(ぬのべ)」駅です。富良野駅の隣の無人駅です。

 

私が高校の時に「北の国から」にはまり、この布部駅から黒板五郎さんが移住した「麓郷(ろくごう)」という集落まで歩き出しました。3月でしたので、まだ雪が多く、雪に慣れていない私が歩いていると、地元の人が麓郷村まで車で乗せてくれたのです。そして、五郎さんたちが最初に住んだ廃屋に行くと、たまたま北海道新聞の取材で来ていた、田中邦衛さんと純と蛍がいたのです。私は思わず「ほたる!」と、当時小学生だった中嶋朋子さんを抱きしめていました。(笑)

 

その「布部」駅がある、JR北海道・根室線の富良野ー新得(しんとく)の82キロが、この3月末に廃線となってしまいバスに転換します。ここも、東鹿越(ひがししかごえ)ー新得間の42キロが、2016年の台風で被災し、ずっと不通になっていました。結局、この路線は復旧することなく廃線となってしまうのです。

 

被災した鉄道がそのまま廃線への道をたどってしまうのは、ずばり、金と時間がかかるからです。状況によっては新設と変わらない時間と費用がかかり、利用客も見込めないことから、バス代行となるのです。

 

なんだか、話が重くなってしまいましたが、ここで、鉄道再生の「切り札」として、登場したのが「上下分離方式」です。福島県と新潟県を結び、秘境路線として知られるJR只見線は、2011年の集中豪雨で会津川口ー只見間の約28キロで、3か所の橋が流れてしまったのです。それが、2022年10月に11年ぶりに開通したのです。全国区のテレビニュースでも大きく取り上げられましたね。

 

つづきは、あした・・・

2024年

2月

22日

予習で見通し・安心感

今週は雨続きで、なかなか屋上で遊べません。今日は、マットやトランポリン、とび箱を使って、寺子屋以外の小さい園児も参加した、プチ体操教室を行いました。2歳児、1歳児にとっては、初めてのとび箱体験です。恐怖と勇気と心が揺れ動きます。「大丈夫・・思いきって飛ぶんだ!」が、勇気につながる園児もいれば、不安になってしまう園児もいます。あらためて、子どもたち一人一人の違いを感じました。逆立ち選手権は、別名「負けず嫌い」選手権です。体力よりも気持ちが強い方が勝利します。保護者の中でも、「やるからには勝ちにこだわって欲しい」と考える親もあれば、「楽しくできればそれでよし」の親もあります。もちろん、どちらかが正解ではありません。

 

さて、もう20年以上前の話ですが、私がサラリーマン時代に「ミドルマネジメント研修」に参加させてもらったことがあります。社内ではなく外部研修でした。「住友商事」「日本IBM」など、一流企業で管理職になったばかりのメンバーと一緒でした。

 

この研修は、過去に日産自動車でマーケティングを担当していたなど、実戦経験を持つ講師が、毎回のテーマに合わせて担当します。1コマ2時間の講義内容ですが、事前の予習を行わないと、まったくついていけないスキルの高さでした。講義内容は、グループ討議やテストなどがあり、講師は参加したメンバーの評価を行い、参加企業にフィードバックされました。私の評価は、下から数えた方が早かったようです。落ちこぼれでした。(笑)

 

このように、「予習」は、私たち大人の世界だったり、中学生以上ならば、見通しが立てられるし、何といっても安心して授業に打ち込めることができますね。予習をすることで理解度も高まります。

 

これを小学校で取り入れている先生がいます。たぶん「小学生で予習だなんて、考えられないよ!」と思う先生が多いかもしれません。しかし、この先生は、私たちが認識している予習(学習に先立って行う予備的な学習)だけでなく、答え(結論)も先に与えるそうです。どういうことかと言うと、明日の授業で展開する教科書のページの「まとめ」をノートに書き写させます。その内容を子どもたちは、事前に予習して頭に入れるのです。まずは、算数と理科から取り入れたそうです。

 

私も「小学生で予習なんて早いんじゃないの?」と思ったのですが、冷静に考えると、社会科見学などの校外学習では、見学する施設について事前に調べさせ、予備知識を持たせますね。目的は、見学を充実させるためです。

 

実際に予習を導入した先生たちからは、「子どもの反応がすごくよかった」「答えがわかっているところからスタートする授業っていいね」との意見が出たそうです。

 

もう少し深く考えて見ると、小学校の授業では、一斉授業かつ学力差がある子どもたちが集まっています。授業の入り口で、児童が思考停止してしまうリスクを少なくするには、一人でも多くの児童の「分かる」を保障しなければいけません。

 

予習で、保護者も我が子の授業に関わるかもしれません。そして、何より安心感を持って翌日の授業に入ることができるのです。「はい。教科書の○○ページを開けて!」で、思考停止してしまう児童が減ることは、間違いありませんね。

 

保育園ホワイトきゃんばすでは、年間最低2回は社会化見学を行っています。工場見学や、先月行ったのは造幣局です。今まで、事前の予習はやったことがなかったのですが、この話を聞いて、保育園の園児も「予習」の効果が期待できることを確信しました。

 

皆さんは、様々な立場でお仕事をされているでしょうが、「予習」を意識してみませんか。

2024年

2月

21日

サンリオ時間

今日の寺子屋園児は、久々に「階段レース」を楽しみました。ショッピングセンター3Fにある保育園ホワイトきゃんばすは、地震や火災などの災害に備えて、階段を利用して避難する訓練をするのですが、これをゲーム化したのが階段レースです。単純に、階段のぼりの競争です。不思議なもので、足が速い園児が必ずしも階段レースでも勝利するわけではありません。今日は、一段とばしにもチャレンジしました。子どもたちの体力強化にもつながったようです。

 

さて、今日は「サンリオ」の話です。保育園の子どもたちからは、ハローキティやマイメロディなどのメジャーなキャラクターはもちろんですが、クロミやこぎみゅんなど、私の知らないキャラクターの名前も出てきます。そんなサンリオですが、ディズニーのように、創業以来ずっと右肩上がりで成長してきたと思われるでしょうが、実は、山あり谷ありの経営を繰り返す会社でした。

 

1960年に創業し、ハローキティという最強キャラクターで、大きく成長しました。しかし、2003年には株式運用が失敗し、193億円もの赤字を出してしまったのです。私が、駆け出しの営業マンだった頃に、銀座松屋百貨店の隣に、サンリオのテーマパーク的なビルが建ったのですが、大赤字の経営で、すぐに撤退したのを覚えています。

 

創業者の息子が、副社長となり、経営を立て直しました。キャラクター販売が中心の売上構成を、「ロイヤリティ」ビジネスに変えていったのです。ハローキティのキャラクターを使ったグッズを作ってもいいけど、売上の〇〇%をロイヤリティとして徴収する仕組みです。私が働いていた洋菓子メーカーでも、ハローキティのチーズケーキを百貨店のサンリオイベントのタイアップで販売したことがありました。通常1000円のチーズケーキが、ハローキティのデザインでデコレーションされると、1200円になります。つまり、200円をロイヤリティとして、サンリオに支払うのです。こうして、サンリオは、自ら販売して売上を作らなくても、効率よくロイヤリティが徴収でき、直接営業利益につながったのです。

 

しかし、2013年に副社長が急死してしまうと、父親である創業社長は、ライセンスビジネスから再び販売重視の会社に戻すと宣言するのです。またまた、サンリオの迷走が続きます。そして、亡くなった副社長の息子(社長の孫)が、2020年に社長となったのです。当時32歳という若社長です。

 

創業者の孫に何ができるのか?という評判の中でのスタートでしたが、前社長の祖父との対話を続ける中で、強行ではなく、理解してもらいながら、改革を進めていったのです。キャラクターの開発には、ファンを巻き込みます。ファン投票でキャラクターのデビューを決める「ネクストカワイイプロジェクト」などを始めます。2022年に営業利益を黒字に転換させ、2023年も増収増益、2024年3月期では268億円の営業利益を見込んでいます。

 

今は、利益だけでなく「サンリオ時間」を増やそうという取り組みを行っているそうです。もちろん、非財務指標ですが、多くの人がサンリオに関わる時間を増やそうという目標です。

 

今まで、サンリオが開発したキャラクターは450種類になるそうです。保育園の子どもたちも大好きなキャラクターが多いので、サンリオが歩む道は、注目していきたいですね。

2024年

2月

20日

マインドセット

今日は、本当に暖かくて、屋上のカメ池を覗くと、何とクサガメが5匹も日向ぼっこをしていました。とても気持ちがよさそうです。ところが、また明日から寒くなる予報です。このまま春になることはないとは思っているものの、こうも寒暖差が大きいと、子どもたちの体調管理が大変です。

 

さて、私たち大人は子どもたちに対してこう言います。「これから君たちが生きる時代は、多様化、グローバル化、電子化、情報化が進み、非連続的で予測困難な世の中です。より良い自分になるために、今、何をしたらよいのかを思考し、道を選び、現状の自分に変化を起こしていく。それを繰り返して、人は成長していきます」

 

すると、賢い子どもがこう言うでしょう。「先生は、そう言うけど、先生だって、パパやママだって、大人たちだって、同じじゃないの?」

 

どうですか。図星ですね。私たち大人だって、固定化された概念や自分の信念に固執して新しいものを受け入れられないなら、これからの世の中を生きていくのは、しんどいかも知れませんね。

 

皆さんは「マインドセット」という言葉を知っていますか。その人の行動のベースとなる、物事の考え方、思い込みや先入観、思考パターンや価値観のようなものを表す言葉です。マインドセットには、ポジティブなものとネガティブなものがあります。よく、ビジネスの世界で使われることが多く、課題に直面した時に、解決策を模索し、即座に行動に移すような前向きなマインドセットを持った人であれば、未知の業務にも積極的に取り組むことができます。一方、新しいことに不安を持ち、失敗を恐れるようなマインドセットを持っている場合には、消極的な取り組みに留まってしまう可能性があるのです。

 

こう考えると、「失敗を恐れずに、どんどんチャレンジしていこう!」と相手を励ましたところで、相手が、ネガティブなマインドセットを持っているなら、効果が期待できないかもしれません。企業の採用では、「人のマインドセットはそう簡単に変えられない」と考え、ポジティブなマインドセットを持っている人を採用することを意識する会社もあるようです。

 

じゃ・・・ネガティブシンキングの人は、ダメなの?

 

とんでもありません。人生は、どう転んでも常に「選択と挑戦の連続」です。自分が、ネガティブなマインドセットであると思ったなら、ここは、自分を変えるチャンスと考えるのはいかがでしょうか。人間ですから、180度違うポジティブ人間に変わることはできません。少しだけでもいいのです。

2024年

2月

19日

日韓教育交流

今日は朝から雨でしたので、久しぶりに教室内で大ゲーム大会です。チームに分かれて、雑巾がけレースや玉入れなどで盛り上がりました。2歳児以上は、全員参加できました。1歳児園児は、今まではベビールームでおもちゃで遊んでいたのですが、今日は「やりたい園児」は参加させます。なんと2人が参加しました。ルールを覚えるのが難しいですが、先輩たちを見て頑張りました。

 

さて、先月、日韓の経済団体による共同事業として、「教育交流」が行われました。韓国の高校教師50人を日本に招き、日本の教師や生徒と交流を深めるプログラムが行われたそうです。韓国での参加希望者は定員の4倍の200人だったそうです。観光で日本に来たことがある先生も「日本の学校現場を見たい」と多くの希望があったようです。

 

韓国の先生たちは、都内の中学校や高校を訪問。授業を見学し、韓国でも加速する少子化などをテーマに生徒の討論に参加したり、教師や生徒と昼食を共にし交流を深めたそうです。

 

韓国のある教師は、「保護者への対応が難しいこともあり、教師の志望者が減っている。日本の先生たちと日頃抱える悩みを語り、どのように問題を克服したかを共有したい」と言います。そう、日本と韓国か抱える課題には、共通点が多いのです。

 

韓国では、受験時間に間に合うように、パトカーや白バイで、受験生が会場入りするシーンをよくテレビで見ますね。教育熱心な親が多く、高学歴志向も強い韓国では、学級担任になると受け持った生徒全員を大学へ合格させなければならないという大きな重圧がかかります。ただし、日本以上に、出欠管理や教科指導でデジタル化が進んでおり、授業では、それぞれの教科と社会のつながりを説明するので、「なんでこの授業が大事なのか」を理解して生徒は授業を受けてると言います。日本の教員が学ぶことも多いですね。

 

そして、日韓交流で、避けられないのが「歴史問題」の認識です。もう20年くらい前の話ですが、私は韓国からの留学生と話をしたことがあります。歴史問題については、「日韓のこれからのことを考えることが必要」と未来志向の考え方でした。

 

韓国の若者は、日本のアニメ文化に憧れ、韓国音楽界のレベルの高さに、素直にファンになる日本の若者も多く、文化面では、とっくにお互いをリスペクトする関係になっていますね。韓国の歴史教師は「日韓の歴史認識の差は、双方の努力が不足していたためだと思う。韓国の生徒が日本について正確に理解する機会は少なく、帰国したら、未来志向の日韓関係をあなた方が、日本の若者とつくるんだよ、と呼びかけたい」と言います。

 

一方で、日本の若者だって、日本史の授業は、せいぜい明治維新ぐらいまでで終わってしまい、近現代史を学ぶ機会が少ないのが実態です。

 

8月には、日本の教員が韓国へ訪問して教育交流を図るそうです。こういった、1つ1つの積み重ねで、隣の国同士、理解を深めることができればうれしいですね。

2024年

2月

18日

仲間と課題へ挑む

昨日登園した小学4年男子の母親から、7月に2泊3日で行われる林間学校の説明会の話を聞きました。さいたま市西区の小学校では、5年の林間学校に「舘岩(たていわ)少年自然の家」で宿泊体験を行います。福島県の山奥で、自然以外には何にもないと言っていいくらいの場所です。ここは、さいたま市の教育委員会が管轄しているので、人事異動では、教員が2年限定とかで赴任するのです。小学5年の林間学校と中学2年のスキー教室で、児童生徒を指導するのがメインの仕事になります。

 

全国には、このように教育委員会が管轄する「○○青少年自然の家」のような施設がありますが、今日は岐阜県高山市にある「乗鞍青少年交流の家」に赴任した教員の話です。先生は、愛知県内で20年間保健体育教員をしていました。「生徒の様子は、この20年間で大きく変わってきている。インターネットで欲しい情報を簡単に手に入れることができる一方で、実体験を通した学びの機会が減っているように感じる」と語ります。

 

先生は、ここで多くの体験活動を通じての子どもたちの成長を見てきたそうです。小学校5・6年のアドベンチャーキャンプで、滝つぼに飛び込む活動を実施したところ、はじめは、なかなか飛び込めない子が多かったようです。すると、友だち同士で話し合い、慣れるために低い岩場から飛び込んでいき、徐々に高い岩場から飛び込む工夫で、最後には全員が目標の高さから飛び込むことができたのです。「頑張れ!」と声を出し合いながら、目を輝かせて楽しんでいた姿に感動したそうです。

 

この話を聞いて、保育園ホワイトきゃんばすでのサマーキャンプのあるシーンが蘇ってきました。嵐山渓谷の岩の上から、川へ飛び下りるミッションが、3年位前から定着しているのですが、ここでは、まわりの園児たちが、挑戦する園児に「大丈夫・・・ライフジャケット来ているから、浮き上がってくるよ。俺にもできたから○○君も大丈夫」といったエールが飛び交います。そして、成功すると賞賛の拍手が待っています。水の中から顔を出した園児の達成感に満ちた笑顔は、本当に最高です。

 

土曜日に登園する小学生は、サマーキャンプのことは鮮明に覚えていて、これからサマーキャンプを経験する後輩たちに、目を輝かして体験談を話しています。岩の上から川への大ジャンプは、「怖かったけど・・・1回成功すれば、面白くなるよ」と。

 

自然を通した体験活動で、仲間と協力し、意見を出し合い、挑戦する経験は子どもたちの成長にかけがえのないものを残してくれます。大人になるまでに、積極的に挑戦する心や、仲間と協力して問題解決をしていくような人になっていくのです。

 

保育園でも、さらに体験活動を充実させて、子どもたちが自分で、豊かな未来を切り開いていけるような、そんな力になりたいですね。

2024年

2月

17日

電動キックスケーターは必要?

今日の昼時間は、川越美術館に行ってきました。市内の小中学生の作品展が開催されていたのですが、なんだか、見入ってしまいますね。ちぎり絵で、川越のシンボル「時の鐘」を描いた作品は、本当に素晴らしかったです。

 

さて、保育園の屋上には、電動ではありませんが、キックスケーターがあります。自転車に乗り飽きた園児が、スイスイ走らせたくなるようです。最近では、電動キックスケーターをよく街中でみるようになりました。日本では、昨年7月の改正道路交通法施行で、今までは、「原付バイク」に分類されていたのが、運転免許なしでの走行が可能になり、ますます身近な移動手段になっています。現在国内での保有台数は1万5400台で、2035年には43万台が見込まれているそうです。

 

実は、電動キックスケーターは、ヨーロッパで先駆けて普及しました。ドイツの首都ベルリンでは、欧州で電動キックスケーターの利用が最も多い都市です。2019年にシェアリングサービスが導入されると、瞬く間に普及しました。利用料金は、10分の利用で3.5ユーロ(約560円)で、同じ10分ならタクシー料金の1/4程度だそうです。また、地球温暖化対策にも優れていて、電気が動力なので、温室効果ガスの排出量は自動車の約40分の1とする試算もあるようです。利用者の多くは、20~25歳の若者ですが、今後利用年齢層は、どんどん高くなることが予想されています。

 

しかし、同じヨーロッパでも、フランスの首都パリでは、昨年9月にシェアリングサービスが廃止されました。4月の住民投票で、9割が禁止を支持したのです。理由は、交通マナーの悪さが引き起こす事故です。死亡事故が多発し、社会問題に発展したのです。

 

反対派は、急速な拡大にマナーが追いついていなかったとして、規制強化の必要性を訴えます。反対を訴えるほとんどは中高年で、賛否をめぐる論争は「新しい技術に対する世代間の論争」になっているようです。私も、自動キックスケーターに乗っている人を見ると、「かっこいい!」とは、これっぽっちも思いませんね。「危ないなぁ~」と感じてしまいます。

 

あなたは、電動キックスケーターをどう思いますか。少ない環境負荷で、短い距離では新たな交通手段となることが、メリットですが、交通マナーを守らない若者が多く、事故につながるというデメリットもあります。現実的には、今後増えていくのでしょうから、安全な乗り物にしていかないといけませんね。

 

そう言えば、今日の川越美術館での作品展で中学1年生が、「50年後の川越のまち」を描いていて、蔵の街並みの上空に、空飛ぶ車が描かれていました。電動キックスケーターどころではありません。空中で自動車が衝突したら・・・危険度はさらにアップですね。

 

夢を追いかけるには、安全が保障されないといけません。まさに、私たちの人生と同じで、アクセルを踏みながら、同時にブレーキを踏むことをやらないといけないようです。

2024年

2月

16日

知育玩具を選ぶ

昨日、例年よりも早い「春一番」を観測しましたが、その後夜になって、北風の暴風となりました。私も、夜中に風の音で起こされましたが、「風が凄くて、怖い夢を見たと思って起きちゃった」と言う園児もいました。

 

さて、将棋の藤井聡太さんが、幼少期に遊んだ知的玩具が話題になったことがありました。スイス製の「キュボロ」という木製の玩具です。玉の通る溝のついた5cm四方の立方体のパーツを積み上げて塔を作り、上から落とした玉が下まで落ちてくる道を工夫して作る玩具です。外からは見えない塔の内側に玉の道をつなぐことがキュボロの特徴で、遊びの中で3次元の考え方が自然と身につくということで、世界の多くの国に普及した玩具です。環境に配慮し、計画的に植林された高品質のスイス産ブナ材を使用するところは、スイスらしいですね。セットについている玉は、日本製のビー玉だそうです。

 

値段は、結構高くて39600円もします。それでも、この玩具で遊ばせたら、「藤井聡太のようになれるかも?」と親は、我が子に夢を託すのです。

 

おもちゃ売り場には、キャラクターなどのたくさんのおもちゃがありますが、知的発達を促すとされるものを、いつの間にか「知育玩具」と呼ぶようになりました。もちろん、明確な定義はありませんが、思考力や判断力、問題解決能力などを高めることを目的に開発されているものが多いですね。

 

あるある・・・なのは、親が我が子の知的発達のためによかれと買い与えたのに、子どもがすぐに飽きてしまって、おうちには使わなくなったおもちゃが増えていく。実際に確かめないで、ネットで買うとこうなることが多いですね。また、与えっぱなしにするのではなく、まずは大人が最初に遊び方を楽しそうに見せることが大事だと言われます。そうすれば、子どもに、自分でやってみようという気持ちが芽生えるのです。

 

専門家によると、親は子どもが上手にできたら「褒めないといけない」と思いがちですが、過剰にほめると遊び方がそれに限定されてしまう。「できたね」と認めるだけで十分だそうです。そうすれば、子どもの遊び方が広がり、自由に遊びようになるといいます。

 

これは、通常の子育てと全く同じですね。ただし、褒めると叱る(アメとムチ)のバランスは、子どもによって違ってくるので、親が考えないといけません。

 

おもちゃは、子どもが成長するうえで、欠かせないツールであることは間違いないです。ただし、大事なのは、おもちゃを介しての親子のやりとりだと思います。ゆえに、おもちゃ選びは、親も実際に使ってみることが大切ですね。

2024年

2月

15日

学校まるごと図書館

インフルエンザB型が広がっています。合計7名の感染となってしまいました。早く、元気になって登園できることを祈るばかりです。一方、屋上遊びでは、ドッジボールで汗だくになって盛り上がっています。ルールを覚えていくと、年長リーダー男子は円陣を組んで「作戦会議だよ」なんて言っています。いい感じです。

 

さて、全国の様々な小学校で、「どうすれば、子どもが本好きになるか」を実践しています。今日は、広島県府中町の府中小学校の取り組みを紹介します。全校児童871人のマンモス校です。

 

2時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ると、20分の休み時間に入ります。すると、児童たちが勢いよく教室から駆け出し、玄関前の図書コーナーに集まります。このコーナーには約6000冊の本が並び、設置されたソファやベンチ、畳の上など好きな場所で読書を楽しんでいます。ここは図書室ではありません。

 

府中小学校では、2018年から図書室とは別に、校舎内の計7か所に図書コーナーを整備したそうです。低学年向けには絵本を中心に用意し、高学年向けには伝記や小説、学習本をそろえるなど、子どもの読む力に合わせて本を配置しています。保護者や地域住民でつくる「図書ボランティア」が壁の装飾やブックカバーの取り付けなどで協力しています。学校予算で購入した図書に加え、保護者の協力を得て、これまでに約4000冊を購入したそうです。

 

校長は、「本に囲まれ、ページをめくりながら丁寧に思考を深める経験は、集中力や考える力を養える。スマートフォンやタブレット端末が普及する現代こそ、子どものうちに本を読む経験を積むべきだ」と話します。

 

週2回の「朝読書」や、児童同士で好きな本を紹介しあう取り組みなどを進めた結果、校内アンケートでは、1か月に3冊以上読む児童の割合が、19年度の59.6%から21年度は99.9%まで向上したそうです。児童一人当たりの平均読書冊数も月9.9冊になったそうです。

 

買い物では、目的購買の他に、ブラブラしているだけで、とんだ掘り出し物に出くわすことががありますが、校舎内にたくさん本があることで、思わぬ出会いが生まれ、読書習慣につながっていくのです。

 

本を読むことは、集中力・粘り強さ・積極性などの「非認知能力」を鍛えることにつながります。他の園児に、自分が読んだ本を紹介することは、まさにプレゼンテーションの練習にもなります。

 

この「学校まるごと図書館」作戦・・・他の小学校でもマネできますね。

2024年

2月

14日

富士山登山鉄道!?

今日は、久々にドッジボールで汗を流しました。あったかくて風もないので、子どもたちも汗だくです。そんな屋上からは、雪景色の美しい富士山を見ることができます。今日は、そんな富士山の話です。

 

富士山が2013年に世界遺産に登録されてから、10年が経ちました。コロナ前の2019年の来訪者数は、世界遺産登録前の2倍以上に増えています。テレビでは、大渋滞の登山道や、半そでなどの軽装で弾丸登山をする外国人の姿が、たまに放映されていますね。

 

「いま、富士山は悲鳴を上げています!」と、地元関係者は警鐘をならします。世界遺産登録のユネスコからの宿題は、①ひとが多すぎるのを何とかしなさい!②観光大型バスの排気ガス&ごみだらけで、環境負荷が大きすぎる!③信仰の場である富士山の景観が損なわれている!の3つですが、10年たって、解決どころか悪化しています。

 

世界の宝「富士山」を未来に引き継ぐために、「富士山登山鉄道」の構想が動き出しています。「えっ!電車なんか走らせたら、さらに環境破壊につながるんじゃないの?」と思ったあなた。イメージは、ヨーロッパのアルプス登山鉄道です。山梨県が中心になって進めています。

 

新たに鉄道を引く工事をするのではなく、現在、5合目まで、自家用車や大型バスが通行している、富士スバルラインを車両通行止めにして、次世代型路面電車(LRT)を走らせる構想です。宇都宮市内に開通した超モダンな路面電車のイメージです。登山鉄道なら、乗客数や運行本数を決められるので、来訪者数を確実にコントロールできます。冬場についても、悪天候でなければ運行ができ、現在は夏場のみに集中する来訪者を1年通して、魅力的な観光地にできるというわけです。もちろん、5合目から先は、徒歩になります。

 

世界の登山家たちが「いろんな山を登った中で、富士山が一番汚かった」と話すようになってから、富士山は、その美しい姿と裏腹に、「汚い山」の代名詞になっています。登山鉄道を走らせることで、電気と上下水道のライフラインも整えます。現在5合目には、電気と上下水道が整備されておらず、発電機用の重油やトイレの水は、麓(ふもと)からタンクローリーで運んでいるそうです。実現すれば、タンクローリーが不要になるだけでなく、処理が追いつかず不衛生になりがちだったトイレも気持ちよく使えるようになります。

 

山梨県は、昨年11月から富士山周辺の住民説明会を始めたそうです。この構想を進めるにあたっては、予算の問題だけでなく、現在商売などで、生計を成り立たせている人への対応など、クリアすべきことが山ほどあるでしょう。

 

どんな形にしろ、この美しい「富士山」を未来に残していくには、現状のやり方ではいけないことは明白です。屋上遊びの合間に見える富士山を愛でながら、日本人の一人として

考えないといけませんね。

2024年

2月

13日

修学旅行で企業訪問

連休中はバレンタインデーのチョコレート作りをしたという子どもたちが多かったですね。手作りチョコレートは、チョコレートメーカーが作るチョコレートに比べて、とびきりおいしいわけではありません、チョコレートを湯煎してからの温度管理や、トッピングする材料など、素人の域は出ませんね。しかし、「心がこもっている」ので、もらった方は、格段においしく感じるのです。(笑)

 

連休明けの火曜日ですが、体調不良の園児が増えてしまいました。インフルエンザB型に感染する園児もあり、保育園では、子どもたちの体調管理に十分注意しなければなりません。

 

さて、最近は、修学旅行に企業訪問を組み入れる中学校、高校が増えているそうです。都内のベンチャー企業のスパイスファクトリーでは、「企業が教育に参画することで社会全体で子どもを見守る新たな構造を作りたい」と考えます。この会社は、今まで約300人の生徒を受け入れたそうです。「働くとは何か」を生徒に語り、生徒からは「この仕事をやってよかったことは」「今まで一番大変だった仕事は」といった質問が相次ぎます。IT企業への就職を目指すという生徒からは、「高校生のうちにやっておくべきことは」などの具体的な質問もあったようです。

 

スパイスファクトリーは「子どもたちの働くことへのイメージを好転させたい。当社のありのままの姿を公開すれば、大変ながらも楽しくやりがいを持って働けることを伝えられる」と語ります。子どものキャリア形成につては、「今すぐ夢を決める必要はない。働きながら徐々に形づくる楽しさも伝えたい」と話します。企業訪問後のアンケートでは、「将来について明るい見通しを持ってるか」の質問に対し、「明るい・どちらかといえば明るい」と回答した生徒は、企業訪問の前後で44%から96%に上昇したそうです。

 

しかし、学校が直接企業と連携するには教員の業務負担が増えます。実際には、学校と企業をつなぐ、教育系事業を行う企業が間に入ることが多いようです。例えば、3泊4日の行程のうち半日をキャリア研修に充て、「IT・貿易・投資・環境・映像・精密機器・宇宙開発」など多岐にわたる企業との橋渡しが可能になります。

 

学校の先生の中で、民間企業で働いた経験を持つ人はわずかです。先生自身も企業訪問を通じて、子どもたちのキャリア教育に今まで以上に深くかかわることができますね。学校教育の中に、このように、社会を体験できる具体的な取り組みが加わることで、子どもたちの未来が開けることでしょう。

 

修学旅行の形も、時代と共に、多様化しているのです。

2024年

2月

12日

三崎のマグロ

突然ですが、まぐろのことを「マグロ」とカタカナで書くことが多いのはどうしてだか分かりますか。まるで、正解のないクイズのようですね。青森県大間のマグロが、初セリで正月の話題になりますが、実は、日本人が食べているほとんどマグロは、日本の近海で獲れたマグロではありません。地中海やオーストラリアで水揚げされて、冷凍されて日本の漁港に入ってきます。そんな外国から来る「MAGURO」ゆえに、いつの間にかマグロとカタカナ表記されるようになったとか。もちろん、これは、諸説ある中の一つです。

 

そんな、冷凍マグロが日本で最初にやってきた漁港が、神奈川県の三崎港です。「三崎のマグロ」で超有名ですが、三崎港は、マグロの水揚げ量が日本一ではありません。でも、冷凍マグロの扱い量は日本一です。三崎港には、世界中のマグロが集まるのです。

 

ウンチクはこれくらいにしまして・・・昨日は、「三崎のマグロ」を食べに行ってきました。かみさんのリクエストに応えてです。(笑)

 

アルコールは飲まない!として、車で三崎港へ向かったのですが、京急三崎口駅からずっと渋滞です。連休でもあり、コロナ禍の反動で、外国人も多く、とにかく大勢の人で、三崎港は賑わっていました。冬ということもあり、三崎港の海は澄んでいて、魚が泳ぐ姿にずっと見入ってします。生き物を見ていると、それだけで私は何時間でも大丈夫です。

 

人気店には、行列ができていましたが、路地裏の店に入り、マグロを堪能しました。赤身やトロも美味しくいただきましたが、三浦でしか食べられないような、希少部位を堪能しました。マグロの皮はコリコリしていて、たぶんコラーゲンもたっぷりのような気がしました。マグロの卵は、味はほとんどタラコですが、初めて食べました。ほお肉やカマの部位など、マグロは捨てるところがない魚ですね。

 

三崎港がある神奈川県三浦市は、「三浦大根」でも有名ですね。独特の形をした大根ですが、荷崩れしにくいので、煮物でおいしくいただけます。三浦市は、日本の市町村で全国1位の大根収穫量を誇ります。ただし、三浦大根は栽培が難しいので、全体の数パーセントしか作られていません。ゆえに、幻の大根といわれるのです。

 

道沿いに、農家直営の販売店があり、三浦大根・キャベツ・そして、赤大根を買いました。赤大根は、外の皮も中身も真っ赤な種類で、大根おろしにすると辛みがなくほんのり甘いのです。おうちで、真っ赤なからみ餅を食べました。そして、キャベツは獲れたてですので、そのまま食べます。ほのかな甘みが最高です。

 

三浦を走っていると、一面に「キャベツ畑」と「大根畑」が広がっています。キャベツは、収穫時期をずらしながら、この先5月くらいまで収穫されます。その後は、三浦で有名な「スイカ」にシフトするのです。

 

そんな、三崎のマグロと三浦市のキャベツ畑と大根畑に感動した、素敵な1日となったのです。

2024年

2月

11日

おにぎりの可能性

保育園の給食で食べている、地元の農家さんからの米を、昨日小学生と年長園児を連れて、精米しに行きました。30キロ袋には玄米が入っています。子どもたちは、精米を見るのが初めてだったようで、「わ~すごい。お米が白くなっている」と驚きます。給食で食べるコメは、完全白米ではなく7分で精米しているので、栄養を少し残しています。

 

そんなお米ですが、総務省の家計調査によると、2人以上の世帯が1年間に米にかけた金額の平均は、2000年は4万256円だったそうですが、2023年は2万397円とほぼ半減しているそうです。我が家の朝食も、長男以外は全員パン派です。米びつの米がなかなか減らない家庭が多くなっています。

 

ラーメンやパスタ・うどん・そばに目がない「麺派」が増え、ダイエットで炭水化物を取らない人も増えています。「日本人の主食はお米」であると、私たちは認識していますが、すでに平成22年には、パンの購入費がお米を上回っています。日本人のお米離れが加速するということは、日本の食糧自給率の低下や農業の衰退にも拍車がかかっていくことが明白です。農作放棄地も増えていきます。日本の未来にとっては、好ましい状況ではありませんね。

 

そんな「お米」が危機的な状況の中で、救世主が現れました。それは「おにぎり」です。近年、国内外でおにぎり専門店が一大ブームとなっています。保育園の近くにできた「おむすび屋」は大盛況ですし、駅構内には必ずパン屋さんがあるように、おにぎり専門店も欠かせない存在です。昔ながらの「しゃけ・うめぼし・たらこ」といったシンプルな具もおいしいですが、おにぎり専門店ブームのキーワードは「ごちそうおにぎり」です。ある家計調査では、「おにぎり」にかけた金額は2023年は5909円で増加傾向にあるようです。

 

私のサラリーマン時代の話です。新潟出張の夜は、古町(ふるまち)という、昔からある繁華街で飲んだ後に、必ず最後の締めで立ち寄るのが、ラーメンでなく、「おにぎり専門店」でした。米どころ新潟ですので、とにかく米がおいしかったですね。

 

保育園では、朝食が食べられなかった園児が、ママが握ったおにぎり持参で登園し、おいしそうに食べる姿がたまにあります。おにぎりにすると、なぜか食が進むのが不思議ですね。

 

農産物の中で、ほぼ100%の自給率を誇る「米」は、「組み合わせと味付けでの無限大の可能性」を持つ「おにぎり」で、復権をめざします。どんな具を入れるか?どんな味付けのごはんにするか?家族で、「今日の夕食はおにぎりパーティーにしよう!」という日がやってくるような予感です。

2024年

2月

10日

「普通の人」でいること

まだ先日の雪が、屋上に残っていました。砂場側の最後の雪を子どもたちは集めています。さいたまの子どもたちは、年に数回しか雪に触れることがないので、名残り惜しむように、最後まで雪遊びを楽しんでいますが、冬場、常に雪がある地域での子どもたちは、雪をどう思っているのだろうかぁ~なんて思ってしまいます。

 

さて、先日、定年退職を迎えた私の仲間の話をしましたが、彼は、61歳になったからといって、「若いやつらとは話が合わん」などと言って、一人でいることなどありません。常に、彼の周りには、様々な年齢の人たちが集まってきます。その理由は、彼が「普通の人」だからだと私は思っています。何のことだかわかりませんね。(笑)

 

定年間際のある男性の悩みを聞いてください。「あと3年で定年ですが、職場が嫌でたまりません。周囲は30~40代中心で興味のない話題で盛り上がっていて、入る気もしません。向こうもそんな私に距離を置いている感じです。散々身を粉にして働いてきて、バブル期も知っていますし、早く引退したいです。しかし、母の介護もあり、まだ頑張るしかありません。どうしたら平穏に暮らせるでしょうか」

 

どうですか・・・これに似たような経験をしたことはありませんか。相手の対応があまりにもクールで不愛想の時に、こちらから折れればいいものの、「そっちがそんな態度をとるんだったら、絶対にこっちからは話しかけないぞ!」的な感情です。なんだかのボタンの掛け違いから、「あいつとは分かり合えない!」と勝手に決めつけて、ギスギスしたままにすることは、よくあることかもしれません。私もしかりです。

 

こんな時には、「普通の人」でいることが大事だと思っています。普通とは、わからないことがあれば、年下だろうが素直に聞く。相手が困っていたら「どうされたんですか」と聞く。そんな、当たり前のことを普通にするように意識してみると、案外うまくいくのかもしれませんんね。

 

人間には、欲があるので「もっと感謝してほしい」とか「自分が苦労してきたことに気がついてほしい」という気持ちが出てしまうものです。あと3年で定年の男性も、そんな気持ちがあるので、素直になれないのです。

 

「普通の人になる」「普通のことをする」をもっと大事にしたいですね。

2024年

2月

09日

小学生になること

本日、さいたま市立指扇小学校の保幼小連絡協議会があり、これで、年長園児11名が通うすべての小学校への訪問が終了しました。

 

コロナが落ち着いたので、今年は、1年生の授業参観にも出席させてもらいました。保育園ホワイトきゃんばすを卒園した児童が、頑張っている姿を見るのも楽しみですし、授業内容そのものに興味がありますね。

 

コロナの前に、すでに児童一人1台のパソコン端末が与えられており、コロナ禍でのリモート授業でも活躍したのですが、今回の授業参観では、タブレットを活用した授業が目立ちました。あるクラスの授業は、「ワンワン・ニャンニャンなど、2回続く言葉と、それを絵に描いて」という課題が先生から与えられます。子どもたちは、タブレットを簡単に操って、色をつけたり、消しゴムを使ったりして完成させます。それを提出ボックスにドロップアウトすると、黒板横の大きなテレビ画面に30名分に分割された作品が映し出されるのです。子どもたちのタブレットからも、他の児童の作品を見ることができます。

 

ホワイトきゃんばす卒園児の女の子は、キラキラの文字と黄色で星の絵を描いていました。そして、先生から「今から3分間・・・他の友だちの作品を見て」と指示があると、子どもたちは、自分のタブレットで他の子の作品を見ています。

 

なんだか、授業スタイルも時代の流れで変わってきたなぁ~なんて思いながら、教頭先生に、「先生のパソコンスキルの違いで、授業スタイルには差が出てしまうものですか?」と聞きます。「いやいや・・・たいがいさいたま市の共通プログラムを使っているので、どんな先生でもできますよ」とのことでした。

 

また、1年生も3学期になれば、深い学びができるようになっており、「隣の席の子と答え合わせをして」とか「今からグループで話し合って、代表者を決めて発表して」などの、いわゆるアクティブラーニング形式の授業も行われていました。 先生たちは、様々な工夫をしながら、自分の授業スタイルを確立しているようです。 

 

そして、同時並行で、保護者出席の入学説明会が行われています。連絡ノートでの保護者のコメントでは、初めて我が子が就学することに、心配の種はつきません。しかし、昨年のクリスマス発表会で、小学校1年生の担任をしている保護者から話をしてもらったことで、安心して話を聞けたとあります。我が子に「目覚まし時計」を買って、自分で目覚ましをセットして起きる習慣ができた男の子もありました。今までは、ママが叩き起こしてもなかなか起きなかったのに、自分でやるようになるとできるのです。そんな感じで、保護者も我が子への生活習慣をアップデートしているようです。

 

小学校入学まで、あと少し・・・私たちの役割は、「小学生になるのが楽しみだね」と言って、背中を押すことです。小学生になってから起きた問題は、その都度解決すればいいのであって、今は、あらぬ心配をしてはいけませんね。

2024年

2月

08日

いまを生きるアイヌ文化

昨日、社会科見学で行った「造幣局さいたま支局」の話が、連絡ノートにびっしりと書かれていました。子どもなりに、貨幣工場見学の様子を親に伝えることができたようです。電車やバスに、友だちと乗ったことも大きな思い出ですね。

 

さて、今、アイヌ民族とその文化に対する関心が高まっているようです。映画化された「ゴールデンカムイ」が上映中ということもあります。映画は、明治時代の北海道を舞台に、元陸軍兵士とアイヌ民族の少女が金塊をめぐって争奪戦を繰り広げる壮大なストーリーです。映画では、どうしても俳優に注目が集まりますが、アイヌの民具や衣装、宗教儀礼に用いる道具などが、模様ひとつをとっても、かなりリアリティーをもって描かれていることで話題になっています。

 

アイヌという言葉は知っていても、アイヌ民族ってどんなものなの?今でもアイヌ民族は堂々と生活しているの?と、漠然と思っている人が多いと思います。2020年には、北海道白老町に国立アイヌ文化発信拠点「民族共生象徴空間(愛称:ウポポイ)」がオープンしました。

 

ウポポイとは、アイヌ語で「おおぜいで歌うこと」だそうです。国立アイヌ民族博物館や国立民族共生公園などからなり、歌や舞踊など、アイヌの伝統文化や宗教儀式、日常の食べ物等を体験することができるそうです。コロナがあったものの、入場者は延べ100万人を超えました。

 

日本は、様々な国籍の民族が共生する国ではないので、民族差別という実感は、少ないですが、アイヌに対する差別や偏見は今でもあります。「あ、犬(アイヌ)」と呼ばれるのが典型的な侮蔑語です。バスの中で、相手がアイヌだと知っている場合に「あ~犬が座っている~」と歌いながら通り過ぎたり、逆に「アイヌなんていまはもういない」と断言されることも、差別の1つです。

 

アイヌへの差別をやめよう!なんて、簡単には言えません。民族的にマイノリティーであるアイヌは、自分の属性を伏せてる人も多いのです。アイヌ文化への注目が集まる中で工芸や舞踊の分野でメディアに登場する人も増えています。でも、そういう人と、自分との距離を感じ、自身のアイデンティティーに自信を持てず「自分のことをアイヌと言ってもいいのだろうか」と感じる人も、現実的には多いのだそうです。

 

単純に少数民族への差別問題だけでなく、アイヌ民族同士でも「もやもや」を抱える裏の実態があるなんて、私は考えたことがありませんでした。

 

高校生の頃に、「北の国から」で北海道にハマり、アイヌのことも、にわか知識で学びながら、知床半島にある「カムイワッカの滝」の滝つぼにわく温泉につかりながら、「カムイとは神を意味するんだ。俺は今、神の滝につかっているのだ!」とあまりにも軽いセリフを吐いていました。

 

アイヌを語るには、まだまだ知識不足です。日本での少数民族は、アイヌ民族・琉球民族しか私は浮かびませんが、いまを生きている彼らの葛藤は、理解したいですね。

2024年

2月

07日

造幣局に行ってきました

今日は、年長・年中園児19名を連れて、社会科見学に行ってきました。さいたま新都心にある、「造幣局さいたま支局」です。前日まで休んでいた園児も、今日は19名全員元気に登園しました。イベントになると、元気になる子どもたちです。(笑)

 

保育園から西大宮駅まで、ざっと20分歩き、電車に乗ります。大宮駅で乗り換えて、さいたま新都心駅から徒歩10分で造幣局に到着です。今回、初めて電車に乗る子がいましたが、車窓からの景色を楽しむことができたようです。

 

造幣局では、お金を製造しているのですが、紙幣は作っていません。1円から500円までの貨幣と勲章、記念硬貨などを作っています。同じお金でも、紙幣には「日本銀行券」と印刷されており、下の方に小さく「国立印刷局製造」の文字が入っています。日本で発行されるすべてのお札は、用紙製造、印刷ともに国立印刷局が行っています。日本銀行は、国立印刷所から新しい銀行券受け取って、これを本店や地方の支店から世の中に払い出しているのです。

 

しかし、硬貨については、日本に3か所ある造幣局で作られています。「桜の通り抜け」で有名な、大阪の本局と広島支局、そして、今回訪問したさいたま支局です。地震などの天災の被害に遭っても、日本にある3か所のどこかが稼働できるように、東日本と西日本に配置されているそうです。さいたま支局では、通常の硬貨製造の他に、コレクターが集める「ブルーフ貨幣」と勲章の製造を中心に行っています。

 

説明はこれくらいにして、まずは、工場見学からスタートです。最初にビデオを見たのですが、「ニセモノを出さないようにする」というテロップが流れたものの、何がニセモノなのか?につながらないストーリーだったので、5歳男の子が「ビデオの途中で、ニセモノというセリフがあったけど、それがよくわからなかった」という質問をしました。鋭い洞察力にビックリです。

 

工場では、実際に職人さんたちが、ブルーフ硬貨を作っているシーンを見学します。初めて、お金を作っているところを見た子どもたちは、じっと見入っていました。また、勲章を作成する職人のところでは、ほぼ手作業なので、「こんなの作っちゃうんだ」と、思ったことを口に出す子どもたちです。

 

博物館では、子どもたちの興味をそそる展示がたくさんありました。ゲゲゲの鬼太郎やアンパンマン、ドラえもんなどの記念硬貨に目が釘付けになり、都道府県別の記念硬貨では、お正月に遊びに行った、おじいちゃんおばあちゃんの住む、新潟・山形・青森・宮城など、カラフルで美しい硬貨を発見します。

 

一番人気は「体験コーナー」です。千両箱は、子どもたちの力では上がりません。また、1円から500円までの硬貨がいっぱいに詰まった袋は、なかなか持ち上がりませんが、なんだか、大金持ちになった気分になるようです。

 

造幣局見学は、通常は小学生の社会科見学として行われる内容ですが、ガイドの方に、就学前の園児でも分かり易いように解説していただき、楽しく学ぶことができました。子どもたちの感想は「お金のことが勉強できてよかった」です。

 

今回の社会科見学のもう一つの狙いは、公共交通機関を使っての移動です。先回、プラネタリウム見学で、年長園児は経験しましたが、やんちゃ男子が揃う年中園児が、団体行動をきちんととれるか心配でした。しかし、問題なく、電車・乗り換え・バスと安全に行動ができました。年長園児の声がけも頼もしかったです。

 

お弁当は、青空の下、造幣局前の公園で食べました。弟の出産で里帰り中のママに代わって、パパがお弁当作りを頑張った5歳女の子は、パパの愛情を感じながら嬉しそうに完食です。園児たちが、丸くなって会話が弾んだ楽しい時間となりました。

 

来年度の「社会科見学」も子どもたちのワクワクドキドキ・・・好奇心をしっかりと引き出す企画を考えたいですね。今日は大成功です。

2024年

2月

06日

叱れない社会

今日は思う存分屋上で雪遊びをしました。昨夜は東京23区内でも大雪警報が出るくらいに降ったのですが、朝から雨まじりで、屋上は「ぐちゃぐちゃ白銀」です。それでも、雪だるまを作り、雪合戦で熱くなり、ソリも楽しみました。小さい園児は、ただただ雪の上を歩くだけでもテンションアップです。昨シーズンは、積もるほどの雪がなかったので、久々の雪遊びは、子どもたちのいい思い出になったようです。 

 

さて、宮藤官九郎脚本のドラマ「不適切にもほどがある」では、主演の阿部サダヲ演じる中学の野球部顧問が、ノックでしごき、ミスがあれば「連帯責任!」といって「ケツバット」が連発されます。笑ってしまうシーンですが、昭和の野球部では結構あるあるです。監督は「叱って、しごくからこそ、お前たちは競争を勝ち抜ける」と本気で思っていました。

 

令和の今、夏の甲子園で優勝した慶應高校の森林監督は、かなり違います。練習メニューを説明後に、当時の主将が「この練習は必要ないと思います」と言い、監督と対等に会話を交わします。森林監督は、選手の意見を一通り聞くと「試合でこの状況になる確率が低いなら、この練習はやめて、他のことをして構わない」と言うのです。「私はたまたま、慶應の先輩ということで野球の指導をしているだけです。生徒たちも野球に一生懸命ですから、しっかり話を聞くことは大前提です。あそこで、私が話を聞かなかったら、もう主将は提案してくることはないでしょうね」と語ります。

 

ここまで読んで、「やっぱり、令和のやり方が正しいじゃん!」と思いましたか。しかし、昭和の場合も令和のやり方もうまくいく時もあれば、失敗する事もあります。

 

子育てについても、親の悩みは尽きませんね。3歳児男児を育てるママ。外で棒を振り回す息子に穏やかに言い聞かせます。「目に入ると危ないからやめようね」しかし、息子にはまったく気持ちが届かないようで、やめません。コップを倒してママの服がずぶぬれになった時は、本人は楽しそうに笑っています。「床もびしょびしょになって、ママ悲しいなぁ~」と言ってみても伝わりません。外食先で子どもが騒いだ時には「ここはアリさんの声ね」と言っても騒いだままです。

 

子育てマニュアル本には、「頭ごなしにダメと叱っても、怖いという感情だけが残って効果がない」と書いています。しかし、ネットには「叱らない系の人たちが、遊戯施設で子どもを放置」という書き込みもあり、周りの視線が気になります。「放置しているわけじゃなくて、危険がない限りは自由に遊ばせたい。他の保護者と価値観の違いはあると思う」と、そのママは考えるのです。

 

まだ就学前の子ども3人を持つパパは、「叱らない子育てという理想はわかるけど、家事も仕事も育児も忙しい毎日。3人いると叱らないわけにはいかない。でも、感情的になってしまい、なかなか上手に叱れない」と言います。子育てママパパなら、誰もが経験することですね。

 

よく、「命の危険につながるような危険な行為に対しては、しっかりと叱り、そうでないときはできる限り見守るのがいい」と言われますね。多くの子育てマニュアルにも書かれている内容です。でも、子どもといる時間で、命の危険にかかわらない「悪さ」は、山ほどあります。そんな時に、ママパパは困ってしまうのです。現代社会は、子育てはもちろんのこと、学校や会社においても「叱りづらい風潮」が蔓延しています。「虐待」「パワハラ」と簡単に言われる世の中です。

 

このブログでは、マニュアルのように「○○したらいい」とう結論は出せません。叱られる側の性格や叱る側との信頼関係・・・様々な要素を考えると、一人一人違うからです。ただし、これだけは言えます。「相手に本気や必死さをどう伝えるかを実践する」が大切です。鬼のような形相で、大きな声で叱ることが必要な時もあるでしょうし、説得する叱り方だって、すべて、相手に本気が伝われば正解です。

 

そして、叱った時に、「相手が自分で考えられるようになるかどうか」も大切なことですね。「叱られちゃった!次は、叱られないようにしよう」で終わったら、次も同じことをするでしょう。「どうして叱られたのか?では、次はこうしよう」と思ってもらえるような叱り方を実践したいものです。

 

「叱らない子育て」という言い方は、今風で、カッコイイ響きがあるかもしれませんが、

「どうやって叱るかが大事」だと思っています。子どもに限らず、社会人の若者含めて、一人一人違うから難しいのです。

2024年

2月

05日

小さなまちの奇跡の図書館

天気予報通りに、お昼から雪が降り出しました。今日の寺子屋は、屋上で雪遊びです。まだ雪は、多くは積もっていませんが、子どもたちは、雪に触れて、その感触を味わっています。明日のことを考えると、大人たちは「積もらないでくれ!」ですが、子どもたちは「明日は大きな雪だるまを作ろうね!」となります。(笑)

 

さて、地方の小さな自治体で、駅前はさびれているように見えても、図書館に足を踏み入れたら、大人も子どももたくさんいて、それぞれが、読んだり書いたり、調べ物をしたり勉強している姿を見ることがります。今日は、そんな図書館の一つである、鹿児島県指宿(いぶすき)市立図書館の話です。保育園に指宿出身のママがいます。私も、指宿名物砂風呂に入り(砂をかけられて、地熱であたたまる)、「開聞(かいもん)岳」という美しい山に登り、イっシーという恐竜の目撃情報がある「池田湖」にも訪れました。とてもいいところですが、この指宿市立図書館は、数年前までは、すっかりさびれた危機的状況だったそうです。

 

そこで、NPO法人「そらまめの会」が指定管理者として名のりをあげます。そらまめの会が実践したことは、「図書館は、ただ本がある場所ではない。本や情報を介して、人と人をつなぎ、その人生を豊かにすること」でした。

 

図書館で様々なイベントを開催して、地元の小中学生の居場所になっていきます。ジェンダーギャップや地球環境問題など、子どもたちが自主的に学ぶような場所にもなっていきました。クラウドファンディングにより、移動図書館「ブックカフェ号」が誕生します。そんな、小さな取り組みの積み重ねから、大きな改革まで、熱い情熱で進めていくのです。そして、2021年のライブラリー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのです。

 

本来の公共図書館は、行政が運営するのが当たり前と考える人も多いでしょうが、こうして、外部委託することで、活性化される事業は多くあります。ここはどちらがいいという話ではありませんね。

 

4月からの新年度を前に、保幼小連絡協議会で、近隣の小学校を訪問することが多いのですが、学校の図書室も、図書館司書による熱い思いが伝わってきますね。「図書室は本がある場所」から、「本を通じて子どもたちの可能性を広げる場所」と考えれば、今以上に、魅力的な図書室に変えることもできますね。図書館や図書室が子どもたちの大好きな場所であって欲しいものです。

2024年

2月

04日

定年お疲れさまでした

私の元会社の仲間が、1月末を持って61歳の定年を迎えました。しばらくは、嘱託社員として仕事を続けるとのことですが、定年はサラリーマン人生の1つの区切りです。世の中の流れとしては、65歳もしくは70歳まで仕事は継続する時代となりましたが、学卒で定年まで1つの会社を全うすることは、本当に凄いことだと思っています。

 

私のまわりの同年代で、定年まで仕事を続けた人は、たった2人しかいません。今の若者が、定年まで1つの会社で務めることはほとんどないのかもしれませんね。生き方の多様性の中に、「仕事を選ぶ」という要素は大きいです。

 

定年を迎えた彼の話をします。保育園ホワイトきゃんばすにも何度も足を運んでくれ、酒を飲みかわす朋友です。(笑)

 

1986年4月に入社した彼は、配属先が神戸の本社となります。当時は、福利厚生が整っておらず、埼玉在住の彼は、会社都合の辞令にもかかわらず、引っ越し費用も家賃も自費となります。家賃38,000円のボロアパートでの生活がスタートしました。そして、初任給でSONYの当時の最上級のビデオデッキを購入します。しかし、ひと月後に空き巣に入られ、ビデオデッキを盗まれてしまいます。その後、阪神淡路大震災があったのですが、このボロアパートは跡形もなく残っていなかったようです。

 

入社4年後の1990年に東京支店配属となった彼は、ずっと事務職として勤務します。会社の制度として、管理職になるには、管理職試験に合格しなければなりません。40歳の時に、彼は管理職試験に合格します。しかし、当時管理部門には、管理職のポストが埋まっていて、「お前は管理職試験に合格したから事務職に置いておくわけにはいかねえんだ」と当時の支店長から、現場経験なしの営業職に異動させられます。

 

私は、ずっと営業の仕事をしていたのですが、この人事に「どうして?管理部門を仕切る人事にしないの?」と、社員の育成よりも、組織の都合による人事に、彼の仕事人生は180度変わってしまいます。次第に彼は、メンタル的に追い込まれてしまいます。

 

約3週間仕事を休むことになります。そして、4月に仕事を復帰した際に、会社が利益確保のためにショッピングセンター専任の営業部門を作りました。そこを私が任され、彼と同じチームとして働くことになったのです。

 

彼と同じ部署で仕事をするのは初めてだったのですが、すぐに自分の営業スタイルを作り上げていきました。彼が担当するグループの売上が、右肩上がりに増えていき、得意先の信頼を大きなものにしていったのです。百貨店と量販店の需要の違いもあり、同じものを販売していては、会社のブランド力も低下してしまうので、目玉になる新商品を作ったのですが、そのネーミング「ハッピーパーティー」は、彼が考えました。いまでも、量販店のロングセラー商品です。

 

そして、営業部門に異動してから14年後、事務職に復帰し、定年間近の昨年4月から再び営業部門に異動します。組織ですので、会社都合での人事異動はやむないところですが、彼の会社人生は、そんな会社都合人事に翻弄された38年間だったのです。

 

でも、仕事をしながら、彼は世界中を旅する趣味を実践してきました。人生を大いに楽しんできたのです。定年退職の日には、入社時の社員証の「若い自分」を眺めながら、ひとりウイスキーを傾けたそうです。

 

バレンタイン・ホワイトデーと今は、忙しい時期ですので、落ち着いたら、彼とじっくり酒を呑みかわします。「おもいで」を語ることは、人生の幸福の一つです。今は、心から、「お疲れさまでした。あなたは、立派な仕事をしてきました」と言いたいですね。

2024年

2月

03日

バレンタインは「自分へ」需要

お昼の園長の課外授業は、川越にある「埼玉県初のクラフトジン蒸留所」のマツザキに行ってきました。「お酒を造っている場所に行ってみるかい?」と誘ってみると、「行きた~い!」と言うのです。パパやママがお酒を飲むので、子どもなりに興味があるようです。マツザキは、もともと酒販店ですが、令和元年にクラフトジンの蒸留所が完成し、ジンを製造販売しています。ジンは、ストレートでもおいしいですが「ジントニック」「マティーニ」「シンガポールスリング」「ピンクレディ」「ブルームーン」など、誰もが耳にしたことがあるカクテルのベースのお酒です。メニューにはないけど「ジンバック」を注文すると、かっこよくて粋だと言われます。 マツザキのジンは、棘玉(とげだま)というブランド名で売られています。子どもたちには悪いですが、今日の晩食で、ストレートからのソーダ割りで楽しむことにします。もちろん、恵方巻がおつまみです。(笑) 

 

さて、今日はバレンタイン商戦の話です。かつては、女性から男性への「愛の告白」という、今の時代では、なんとも恥ずかしいキャッチフレーズが、まさにメインの需要でした。世の男性は、もらったチョコレート数を競い・・・男性自身も「お返しが大変だよ~」なんて言いながら、本音では、チョコレートをもらって大喜びだったのです。

 

今では、日本中に世界のチョコレートが集まるお祭りとなった、バレンタイン商戦ですが、実は、私が勤務していた会社が、このバレンタインデーを仕掛けたのです。戦前の昭和11年に、「バレンタインデーに、チョコレートを」日本で最初に新聞広告に出したのが始まりです。実際に百貨店などのイベントが広がっていったのは、昭和30年代です。

 

今年のバレンタイン商戦の大きな環境変化は、「新型コロナウイルスの5類移行」「円安による海外ブランドの縮小」です。そして、「需要」という点では、「自分へ」の需要が大きく増えているようです。

 

ある百貨店の調査によると、チョコレートを実店舗で購入する人の平均予算は、1万4157円だそうです。昨年よりも1361円も上回っています。実は、旦那さんや恋人へプレゼントするチョコレートの金額よりも自分への金額の方が上回っているとのことです。

 

バレンタインの楽しみ方も多様化の時代です。本命チョコ・義理チョコ・気配りチョコ・友チョコ・逆チョコ・・・そして、右肩上がりで売上が伸びているのが「自分チョコ」です。新たな需要が見つかれば、日本のバレンタイン商戦は、永遠に続くのでしょう。

2024年

2月

02日

「獣医病理学者」って?

明日の節分は土曜日ですので、本日屋上で豆まきを行いました。園児は、紙のボウルとカラーペーパーで作った1本角の鬼の帽子をかぶります。もちろん、手作りですので、色もテイストも微妙に違ってきます。そこに、先生が扮するリアル赤鬼が登場です。チビちゃんたちは号泣するものの、大きい園児は、「○○先生でしょ」とすぐにばれてしまいましたが、楽しい豆まきになりました。豆まきに参加したのは、子どもたちだけではありません。ハトやカラスも参戦です。(笑)

 

さて、獣医病理学者というのをご存じですか。獣医である動物のお医者さんであることが多いですが、それだけではありません。獣医病理学者とは、動物の遺体を預かって、解剖や顕微鏡検査を行い死因を突き止めるのが仕事です。

 

ある朝、ペットとして飼われていた10歳の犬の遺体が持ち込まれました。まずは、飼い主から事情を聞きます。「一年前から疲れることが多く、咳を繰り返していた。やがて散歩にも行きたがらくなった。もう年のせいだろうと思っていた。そして、昨日突然倒れて呼吸困難に陥り死亡した」

 

獣医病理学者が解剖による検査を行います。胸部と腹部を開き内臓を見ると、肺の半分が侵されていた。心臓には「そうめん」状の生物がひしめいていたのです。これはフィラリアです。飼い主には、ちゃんとフィラリアの予防をして、動物病院に連れて行ってさえいれば、苦しまずにもっと延命できたかもしれないことが伝えられます。

 

獣医病理学者は、動物だって、早期発見・早期対応が必要であること。飼い主にも問題があったことを伝える義務があると考えています。「年だからしかたがない」で終わってしまうのはむなしいと言います。生物の死を無駄にせず、そこから学ぶべき教訓を引き出し、同じ過ちが繰り返されないようにすることが獣医病理学者の使命なのです。

 

今度は、小学生から「みんなで有精卵から育てていた鶏が急死したので死因を調べてほしい」との依頼がありました。依頼を受けた、獣医病理学者は、出張解剖を行い、その様子を小学生に見せたそうです。すると、小腸にぎっしり小松菜が詰まっていたそうです。どうやら餌が偏っていて低栄養に陥っていたようでした。子どもたちは、真剣な眼差しで一部始終を見守ったそうです。

 

私たち大人は、子どもたちに、生き物の死をできるだけ感じさせないように、遠ざけることが多いですね。しかし、生があるかぎり死があり、死があるから生の意味がある。死から目をそむけてはいけないのです。

 

保育園では、犬や猫は飼っていませんが、カメをはじめ、多くの生き物を飼っています。今まで、子どもたちは、何度も生き物の死を見てきました。まだ「死があるから生がある」とう意味はわからないですが、生き物には必ず死があることは、ずっと教えていきたいですね。

2024年

2月

01日

藤井聡太の鉄道愛

今日の昼時間。年長園児と小学校についておしゃべりをしている中で、給食の話になりました。小2の兄をもつ女の子が、「園長先生知ってる?給食当番の給食は、自分で配膳すると思う?」と、細かいシチュエーションの問題です。「答えはね・・・当番でない、他の友だちが配膳するんだよ」だそうです。おうちでは、こんな、誰もが気にとめないような話をしているのですね。

 

さて、前人未到の将棋の「八冠」を達成した藤井聡太さんは、大の鉄道好きでも知られています。昨年11月に「ことでん」琴平駅を訪れ、制服に着替えて車掌体験をします。いつも、冷静で物静かなイメージのある藤井聡太さんですが、鉄道のことになると、目をキラキラさせて饒舌になるようです。

 

「ことでんは、レトロな車両が結構多く活躍してるので、最近の車両とは違う雰囲気があって、とても面白かったです」と語ります。「ことでん」とは、香川県内を走る地方鉄道「高松琴平電気鉄道」の愛称です。「お待たせしました。本日はことでんをご利用いただきありがとうございます・・・」と車内アナウンスまで行ったそうです。

 

昨年5月は、岩手県の三陸鉄道宮古駅で一日駅長に就任しました。宮古市で開催された対局に臨んだ際です。昨年12月には、竜王の防衛を祝う会に出席するために秋田県を訪れ、JR大曲駅で、白い駅長制服に着替えて「こまち」の出発合図を出したそうです。

 

藤井聡太さんの鉄道好きは有名で、自他ともに認める「乗り鉄」で、子どものころの夢は「電車の運転手」だそうです。棋士にならなければ鉄道の運転手になりたかったとあちこちで公言しています。5歳で将棋を覚える前から鉄道好きで、近所の踏切で電車を1時間見ていても飽きず、電車に乗れば先頭車両の最前部に立ち、運転士の気分になっていたそうです。小学校高学年になると、東海道新幹線や名古屋近辺の私鉄の時刻表をほとんど暗記していたそうです。高校生になると、友人と「青春18きっぷ」で旅に出ます。地元の愛知県から在来線を乗り継ぎ、中央線の小淵沢に向かいます。そこから小海線に乗るのです。八ヶ岳や南アルプスの雄大な峰々やのどかな高原の景色を車窓から眺めて楽しんだそうです。

 

将棋のタイトル戦では、わざわざ遠回りしてでも、乗りたい列車で会場入りすることもあるようです。こうして、藤井聡太さんが鉄道を楽しむ様子がメディアを通して紹介されることで、地方鉄道も盛り上がるというわけです。

 

藤井聡太さんは、若くして、自分は将棋界の『顔』という自覚を持っています。しかも、八冠という立場になれば、色々なところでファンサービスをするのは自分の義務で、それが将棋の普及につながるとも考えているのでしょう。

 

そして、「乗り鉄」を名乗り、岐路に立つ各地の地方鉄道が盛り上がるために、自分も力になれれば・・・と思っているに違いありませんね。藤井聡太さんは、将棋界の救世主であると同時に、地方鉄道の救世主になることを期待したいですね。

2024年

1月

31日

プロレス新時代へ

ここにきて、体調を崩す園児が多くなってきました。近隣の小学校では、インフルエンザやコロナの感染拡大で、学級閉鎖も目立ってきました。保育園では閉鎖はありません。しかし、集団生活ですので、感染リスクはどうしても高くなってしまいます。職員も含めて、感染対策をしっかりと行っていきます。

 

さて、今日はプロレスの話です。また私の趣味の世界ですみません。戦後、街頭テレビで、日本中が外国人レスラーを空手チョップでやっつけた「力道山」に夢中になりました。この時代は、私はよく知りません。その後、日本のプロレス団体と言えば、アントニオ猪木が旗揚げした「新日本プロレス」と、ジャイアント馬場の「全日本プロレス」の両団体が、長くライバル関係にありました。この時代は、両団体が歩み寄って、「プロレス界を盛り上げよう」なんて思う人はなく、外国人レスラーの引き抜き合戦を繰り広げていました。新日のタイガージェットシンが全日に、全日のアブドラザブッチャーが新日に。スタンハンセンとブルーザーブロディの大物外国人レスラーの引き抜きもありました。

 

新日本プロレスに、初代タイガーマスク(佐山聡)が登場した時は、プロレスブームとなりましたが、プロレス業界が盛り上がったのではなく、「新日本プロレスブーム」が実態でした。その後、総合格闘技に押され、プロレスはテレビのゴールデンタイムを外れます。この苦しい時代に、新日本プロレスを支えた一人が、昨年12月26日に社長に就任した、棚橋弘至(たなはしひろし)です。

 

そんな中、プロレス界では興味深い発表が行われました。新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノア、東京女子プロレスなど主要9団体が参加して、業界団体「日本プロレスリング連盟」が設立されたのです。初代会長には、新日本プロレス相談役の坂口征二が就任しました。

 

この団体が設立されたことにより、業界が抱える課題の解決に向けた意見や情報交換の場ができたのです。かつて、バチバチに対立していた新日本VS全日本のような図式は、時代とともになくなりました。

 

新日本プロレスの棚橋社長は、日本プロレスリング連盟の意義や役割について、こう答えます。「今はプロレス団体がたくさんありますが、ファンのためにはなるべく開催地が集中せず、全国の人が見られる方がいいですよね。また興行日程が重なるのもファンのためにはならないので、そういった部分も話し合っていきたいですね」と、お客様目線です。

 

各団体がそれぞれの個性を出し合って健全な競争を展開することは必要です。しかし、人々の娯楽に対する価値観も多様化しています。プロレス文化を継承していくために、業界全体で取り組むべき課題は山ほどあります。これからのプロレス界は、新たな時代をむかえようとしているのです。

 

まだまだ、言いたいことは山ほどありますが・・・コアな話は、これくらいにして、みなさんも趣味を深掘りする生活を大事にしましょう。(笑)

2024年

1月

30日

週1回・1日丸ごと「探究の日」

今日は、屋上で「何でも30メートル走」を行いました。別名を「多様性レース」です。参加は自由で、自転車・ストライダー・キックスケーター・三輪車・かけっこなど、何で参加してもかまいません。優勝は、どの乗り物だったでしょうか?

 

はい。かけっこです。30メートルの距離だと、自転車が加速する前に、かけっこはゴールです。園長は、自転車で一緒に走りましたが、本気でペダルをこがないと、かけっこには勝てません。(笑)

 

さて、今日は東京都中野区にある「新渡戸(にとべ)文化高校」の話です。そうです、1984年~2007年まで5千札になった、新渡戸稲造が初代校長だった学校です。この学校は、教員の事をデザイナーと呼び、教員は多様な経験がある方が生徒に還元できるものが大きいとの考えから、副業を認めています。教員の約半数が、他の肩書をもっているそうです。

 

注目すべきは、毎週水曜日に「1日まるごと探究の日」を設定しています。生徒の自律的な活動を目指しています。自ら考え、判断し、行動する学習者を育てるために、5年前にカリキュラムを一新し、他の学校では、なかなかできない革命的な取り組みを続けています。

 

これは、学年や教科と言った枠を取り払って、生徒自らが学ぶ内容を選択する時間となっています。現在、「空き家の再生」や「古着を利用した卒業証書制作」など、年間で100を超えるプロジェクトが同時進行しているようです。いずれも、生徒自らが立ち上げた内容です。

 

このプロジェクトで、学校が重視していることの一つに「100人の大人につながる」というコンセプトがあります。生徒がさまざまな現場の大人と出会うことを重視し、学校が意図的に機会を創出します。例えば、全国20か所から自分で行き先を選択する「スタディツアー」では、山村地域での森林管理や地方病院でのインターンを体験させ、現地の大人との交流を通じて、探究テーマを生徒が見つけます。

 

これも、教員畑一筋ではない、民間企業出身や副業を行う教員たちの多彩なバックグランドが生かされます。生徒の興味に応じて、外部の大人を直接紹介することもあるようです。そして、従来の期末テストに代わって、プレゼンテーション・小論文・動画作成などで、学んだ成果を発表するそうです。

 

どうですか・・・期末テストで高い点数を取ることよりも、社会に出るための実践的な学びが行われていると思いませんか。そして、何より、自分で決めたことなので、楽しい学びであることは想像できますね。

 

こんな学びが、ますます増えていけば、日本の学校が「社会に出る」ための、本質的な学びの場所になっていくことでしょう。

2024年

1月

29日

半世紀ぶりにブロッコリーが・・・

先週金曜日、5歳女の子に妹が誕生しました。まだママは病院にいるので、少しの間、パパと娘の二人きり生活を送っています。パパは育休をとっているので、楽しい娘との生活になっているようです。パパが育休を取って、姉とおうちで留守番する。今でこそ、保育園パパが育休を取得するのは普通になりましたが、これも時代の流れですね。

 

さて、今から14種類の野菜を挙げます。「キャベツ」「キュウリ」「サトイモ」「ダイコン」「タマネギ」「トマト」「ナス」「ニンジン」「ネギ」「ハクサイ」「ジャガイモ」「ピーマン」「ホウレンソウ」「レタス」・・・どれも、日常私たちがよく口にする野菜ばかりですね。これらの野菜を「指定野菜」と言います。指定野菜とは、農林水産省が、特に消費量の多い野菜として定めたもので、品目ごとに一定規模の産地を「指定産地」とし、価格が下落した場合に国が生産者に補給金を出して生産量を確保します。このたび、1974年のジャガイモ以来、約半世紀ぶりに、15品目目として「ブロッコリー」が国民生活に欠かせない野菜として「指定野菜」に追加されたのです。2026年度から適用されます。

 

指定野菜を作る農家は、国から守られる形になるので、参入農家も増えて、結果的には、市場に多く出回るようになり、消費者には安く提供されるようになります。

 

皆さんの「ブロッコリー」のイメージはどうですか。保育園の給食でも頻繁に登場します。日本の人口は、減少に転じているので、野菜の生産量もじわじわと右肩下がりになっています。しかし、ブロッコリーは、過去10年で3割も出荷量が増えているそうです。ちなみに、都道府県別生産量ベスト3は、1位北海道で、2位には、我らが埼玉県で、3位には愛知県と続きます。埼玉産のブロッコリーが全国に出荷されているようです。

 

私が小学生くらいの頃に、野菜では「ブロッコリー」、果物では「キウイフルーツ」が、珍しい野菜&果物として、登場した印象があります。母親からは、カリフラワーよりもブロッコリーのほうが、栄養があるので、どんどん食べなさいと、よく言われていましたね。カリフラワーのポジションは、ブロッコリーに取って代わったのです。

 

ブロッコリーは、茹でてマヨネーズで食べるだけでもおいしいですね。高タンパクで、低脂質・そして豊富な栄養素がいっぱいで、野菜の王様と言われています。みなさんは、どんなレシピでブロッコリーを食べていますが。我が家で飼っているネコも、ブロッコリーが大好きです。ダッシュで食べにきます。(笑)

2024年

1月

28日

不適切にもほどがある

宮藤官九郎脚本・阿部サダヲ主演で、史上最低の視聴率とうたわれた大河ドラマ「いだてん」と比較されて、今年の大河ドラマ「光る君へ」は、それに迫る勢いと揶揄されていますが、令和の時代に20%を超えるような高視聴率を求めること自体、無理な話ですね。モノサシが全く違います。まさに、現代は多様性の時代ですので、テレビを観ない若者が多くなりました。1人暮らしをしている私の次女の家にもテレビはありません。YouTubeなどオンラインの配信があれば十分なのです。

 

でも、私を含め、昭和バリバリ世代は、やっぱりテレビを観ます。新番組のドラマ「不適切にもほどがある」では、昭和の迷場面がたくさん出てくるようだったので、楽しみに初回の放送を観ました。100%娯楽作品として笑いに浸ろうと思っていたのですが、とんでもありません。令和の今を考える深い番組だったのです。

 

クドカン&阿部サダヲのコンビが、最も得意とするシチュエーションですね。

 

ファーストシーンから「おい!起きろブス!盛りのついたメスゴリラ」「うるっせいなあ!クソじじい!」「うるせいよ、クソチビ!」と、父と娘の不適切なセリフの応酬です。公共交通機関や学校の応接室で、プカプカとたばこを吸い、野球部のシーンでは、「ウサギ跳び1周」「水を飲むとバテル」「連帯責任のケツバット」と、今の科学的なトレーニング方法とは真逆のシーンに、私は「懐かしい!」と思ってしまいます。昭和のやり方からでも多くのプロ野球選手は生まれましたが、大リーグへの道を切り開いた野茂英雄や、世界の大谷翔平にはあり得ない光景です。

 

設定は1986年です。私は、大学生として就職活動をしていました。学生時代に、先輩に意味なく「個人面談」と呼び出され、意味なく「ケツバットだ!」とバットでケツを強打された恨みを、夏合宿最終日の夜の宴会で酔ったふりをして、その先輩をサソリ固めでやっつけたことは言うまでもありません。長州力の必殺技です。(笑)

 

喫煙については、今では「全車禁煙」が当たり前ですが、当時の電車は、禁煙車両が一両あったくらいです。タバコを吸わない人がカッコイイと言われるのは、まだまだ先の事でした。

 

こんな感じで、笑いながらドラマを見ていたのですが、最後の方で、考えさせるシーンが現れます。阿部サダヲのセリフですが、「頑張れって言われて、会社休んじゃう部下が同情されてさ、頑張れって言った彼が責められるって、何か間違ってないかい?だったら彼は、何て言えばよかったの?」「何だよ寄り添うって、ムツゴロウかよ。そんなんだから時給あがんねーし、景気悪いんじゃねーの?挙句の果てにロボットに仕事取られてさ」「こんな未来のために、こんな時代にするために俺たち頑張って働いてるわけじゃねぇよ!期待して、期待に応えてさ、叱られて励まされて頑張って、そうやって関わり合って強くなるんじゃねの?」

 

時代の流れというのは、過去をすべて否定して、新しいものを作り上げるのではありませんね。過去のいいところを残しながら、新たに変えなくてはいけない部分を作っていくような気がします。そう考えると、このドラマは、ざっと9割くらいは笑って楽しむのですが、1割は、昭和のいいところを令和でも引き継いでいかねば・・・を探す楽しみもありますね。

 

保育園ホワイトきゃんばすの園長は民間企業で働いていましたので保育園畑出身ではありません。でも、過去から続く保育園で決してなくしてはいけないことを保育園畑を経験した先生たちから学びます。でも、「これって本当に必要?」を変える決断をしやすいのは、保育園畑出身でないからです。

 

この「不適切にもほどがある」のドラマ・・・昭和って、本当に変だなぁ?と大いに笑いながら、「昭和から学ぶこともあるんじゃないの」という視点で観てみませんか。

2024年

1月

27日

ケンカは、子どもの成長のチャンス

今日の屋上は、強風です。小学生は、迷わず凧あげをチョイスします。走ることなく、簡単に大空を舞ったのはいいのですが、風が強すぎて、凧が崩壊してしまいました。(笑)

 

さて、2022年の国民生活基礎調査で、初めて全世帯に占める児童(18歳未満の未婚)のいる世帯の割合が20%を割り込み、18.3%となったそうです。今から38年前の、1986年には、児童のいる世帯の割合が、ほぼ半数だったことを考えると、少子化だけでなく、家族の在り方も大きく変わったと言えますね。

 

さらに、きょうだいのいる世帯も大きく減少しています。20年前の2004年までは、一人っ子より2人兄弟の世帯の方が多かったですが、現在は、2人、3人きょうだいを合わせても、一人っ子のいる世帯とほぼ同数の割合だそうです。ホワイトきゃんばすの場合は、一人っ子世帯の割合は44%です。

 

保育園、幼稚園、小学校では、生活空間や時間の共有により、葛藤や軋轢(あつれき)が多く、それがケンカへと発展していきます。同時にそれらの密な関係性の中で、仲直りや解決の方法が作られたり、ルール化されたりしていきます。ケンカをしながら対人関係や人との距離感、そしてケンカしなくても済む方法などが磨かれていくのです。AIなら、最初に「ケンカをしないためには」という結論を出してくれるでしょうが、人なら、まずはケンカを経験してから学んでいくのです。

 

保育園では、それらは承知の上ですので、子どもたちのケンカが始まると、「成長につながるだろう」と安心したりもします。ただし、0~2歳児と寺子屋園児では、ケンカの質が異なります。乳幼児は、おもちゃを取られたり、自分がいた場所に他の人がいたりした時に、自身の欲求や思いが満たされず、手が出るのです。

 

それが、年長クラスになると、自己の思いと相手の思いのズレや違いに対する対立や、正義を貫く戦いです。双方にそれなりの正義が存在することが多いですね。それを、当事者同士で折り合いが着けられるようになると、うれしいですね。保育園では、なかなかこのレベルにはたどり着きませんが、まずは、相手に「イヤ」と伝えることが大事です。

 

「自分が嫌と思ったら、イヤ!やめて!と言うんだよ」とよく子どもたちに言いますが、先日は、ちょっと前までは赤ちゃんだった1歳の女の子が、「やめて!」と叫んだときはビックリしました。

 

大人のケンカは、一歩間違えると取り返しのつかないことになりますが、子どものケンカは「成長のチャンス」と、私たち大人は、肯定的な視点を持つことも必要ですね。

2024年

1月

26日

秘密基地「らぼる」

昨日参加した、「小学校は楽しいよ の会」について、保護者からの反響が大きかったですね。「家に帰るまで、ずっと、小学校での話をしていた」「楽しかったと嬉しそうに話してくれた」「このような企画を考えてくださった宮前小学校に感謝したい」などなど、小学生になる年長園児と同じくらい、保護者も「小学校生活大丈夫かな?」と不安に思っているので、あらためて、有意義な時間となったようです。

 

さて、人間には、偏差値やテストの点数のように数値化できる力だけでなく、協調性やリーダーシップなど数値化しにくい力も備わっています。これらは、「非認知能力」と呼ばれ、他人と関わり合いながら生きていく上で大切な力とされています。

 

最近は、「非認知能力」という言葉が、ずいぶんと浸透されてきました。このブログでも、何度も話をしてきました。そんな非認知能力を伸ばそうと、独自の授業を行っている専修大付属高校の話です。

 

この高校では、非認知能力を高める選択科目があり、その科目の名前は「秘密基地『らぼる』」です。経験したことがないことを実験するという意味を込め、実験室を意味する「ラボラトリー」から名付けられたそうです。ある授業のテーマは「やりたいことを実現させるためには」です。

 

非認知能力の育成に関する著書がある岡山大の中山教授によると、非認知能力とは客観的数値では測定できない能力総称で、向上心や共感性、忍耐力などが含まれる。AI(人工知能)と人間が関わる社会では「人間だから求められる能力」として、幼児教育や学校教育などで関心が高まっていると言います。非認知能力は、AIでは対応できませんね。

 

専修大付属高校で、「らぼる」が始まったきっかけは、卒業生の言葉だったそうです。「高校で学んだことが大学で役に立たない」つまり、高校までは生徒は受け身でも通用するけど、大学生活やアルバイト、就職活動などでは、主体性やコミュニケーション力が求められる。「従順でまじめな『いい子』ほど、卒業後につまずくことが多い」のです。

 

「らぼる」の授業で大切にしてるのは、気兼ねなく意見を言い合える雰囲気だと言います。それがなければ、生徒は批判を恐れて発言しづらくなり、自発的に取り組む意欲がそふがれるのです。そして、その雰囲気作りに大きな役割を果たすのが、卒業生のサポートだそうです。大学生や社会人が参加し、生徒の議論の輪に加わります。教師と生徒は、どうしても上下関係が生じますが、年齢が近い卒業生とは、『斜めの関係』が築けて、発言しやすい雰囲気につながっているようです。

 

この「らぼる」を受けた生徒は、受けなかった生徒と比較して、「考えの違う人とうまく付き合う力」や「トラブル処理力」などで、差が出たという研究結果もあるようです。

 

「らぼる」の話は、高校生の話ですが、非認知能力を身に付けるためには、幼児教育からが大事になってきます。友だち同士でケンカをし、自分の思い通りにならないことをたくさん経験し、また、一緒に遊んで、考えて、協力して、励まし合う経験が大事になってきます。

 

保育園ホワイトきゃんばすでは、子どもたちに「自分で考えて自分で答えを出せる人」になって欲しいと願っていますが、それには「非認知能力」は欠かせません。そして、社会に出ても自分らしさを発揮し、他者の魅力も引き出せるような人を育てたいですね。

2024年

1月

25日

「小学校は楽しいよ」の会

年長園児が、朝からわくわくしています。「小学校ではどんなことをするんだろう!?」という気持ちでいっぱいです。今日は、さいたま市立宮前(みやまえ)小学校で、年長園児がお招きいただき、「小学校はたのしいよ の会」を開いてくれました。

 

保育園ホワイトきゃんばすを含む近隣の幼稚園、保育園6園の年長園児が集まりました。小学校の生活や学習について、現役の小学校1年生に教えてもらいながら、楽しい時間を過ごすという内容です。

 

ホワイトきゃんばすから宮前小学校までは、園児の足で20分くらいです。散歩にはもってこいの距離です。宮前小学校に到着すると、校庭にある「つきやま」というタイヤを使った遊び場や、ウサギ小屋を見ながら過ごします。すると、休み時間になった1年生が、校庭に出てきました。その中に、ホワイトきゃんばすの卒園児の男の子がいて、園児たちは、いきなり大盛り上がりです。

 

そして、いよいよ1年4組の教室に向かいます。1年生が使用している机に座って、その横には、机の持ち主である1年生が付いてくれました。マンツーマンでのフォローです。まずは、手作りのメダルが首にかけられました。ひまわりのデザインですが、「ひまわりの花びらの数をかぞえてみよう」となります。ここは算数です。そして、「小学校は楽しいよ の会」がスタートしました。

 

「はじめのあいさつ」は、1年生が掛け合いで年長園児たちの緊張をほどいてくれます。司会2名の自己紹介が終わり、「ランドセルを背負ってみよう!」「ランドセルの中の教科書を机の中にしまってみよう!」「体操着をたたんでみよう!」を実際にやってみます。隣の1年生にやり方を教えてもらいながら、園児たちは、とても楽しそうです。

 

1年生から、歌のプレゼントがありました。宮前小学校の校歌と「さいたま市のうた」です。市歌は、さいたま市在住の「タケカワユキヒデ」さんが作曲した曲です。

 

そして、1年生の感想がありました。「体操着をたたむのもしっかりできていて凄かったです」「小学校は楽しい所だから、待ってるね」・・・今度は、年長園児に感想を聞いてみます。何人かの園児が手を挙げます。4人ぐらい連続で「楽しかった!」という感想が続いたのですが、ホワイトきゃんばすの女の子が、「今日は、1年生に色々なことを教えてもらいました。ありがとうございました」と感謝の意を伝えたのです。素晴らしい発言に、私は、心の中でガッツポーズです。(笑)

 

この企画は、宮前小学校の1年生の担任の先生の発案で、昨年末に、わざわざ保育園ホワイトきゃんばすにお越しいただき、案内を承りました。素晴らしい企画に、即決で「是非とも参加させていただきます」となったのです。

 

保育園、幼稚園から小学校入学については、大きな環境の変化に、戸惑う子どもたちが毎年多く発生します。不安いっぱいの年長園児が、「小学校って楽しい所だね」と思うだけでも、今回の取り組みは大きな意義があります。この企画を校長先生にプレゼンした○○先生には、感謝ですね。

 

本日参加した、11名の年長園児たちは、おうちに帰って、マシンガントークのごとく、ママやパパに今日の出来事を話すことでしょう。小学生になる自覚が、ますます大きくなっているようです。

2024年

1月

24日

卵の力

屋上では「やった!○○ちゃんよく頑張った!」「凄いぞ!」「ずっと乗ってる・・・ビックリしたよ」「おめでとう!・・・」などの言葉が飛び交い、大きな拍手が起こりました。3歳の女の子が、自転車に乗れるようになったのです。これで、3・4・5歳児の寺子屋園児25名全員が自転車に乗れるようになりました。今年度末まで、あと2か月を残して、今年度も寺子屋園児全員が、自転車免許証交付という快挙です。今日は、園児全員、麦茶で乾杯です。(笑)

 

保育園ホワイトきゃんばすでは、異年齢でのかかわりの中で、年少でも自転車に乗れるようになるのが当たり前になっていますが、冷静に考えると、補助なし自転車に乗れるようになる平均は、小学校1年生ですので、いかに凄いことかおわかりいただけると思います。はい。これは、子ども同士の影響力による偉業です。

 

さて、今日の話は、私が子どもの頃から親しんだキューピー人形の、3分間クッキングは今でも続く長寿番組。そうです・・・キユーピーについて語ります。1925年に日本初のマヨネーズを作ったのがキユーピーです。マヨネーズで知られるキユーピーは、年間約42億個の卵を使って様々な商品を販売しています。でも、子どもたちにとって、卵アレルギーは避けられない問題ですね。保育園でも、今まで何人かの園児へ、卵を除去した給食を提供してきました。キユーピーは2013年にアレルギー低減卵の研究を始めたそうです。

 

ここまで読んで何か気がつきましたか。キユーピーのユの字が小文字ではないですね。知る人ぞ知るですが、正式名称は、キューピーではなく「キユーピー」です。デザイン上の理由だそうです。崎陽軒のしゅうまいを「シウマイ」と呼ぶのと似ていますね。

 

私たちの食卓に当たり前にある「卵」ですが、料理をする時に、たいがい殻は捨ててしまいますね。しかし、卵は捨てるところが一つもなく、キユーピーでは100パーセント有効活用しているそうです。黄身はマヨネーズに、卵白はお菓子やかまぼこ、膜は化粧品やサプリメントに使用し、年間2万8千トンも出る殻は、肥料やタイヤの滑り止め、壁などの建築資材に使われます。殻には多くのカルシウムが含まれているので、お米に混ぜて一緒に炊く商品も販売しています。卵の研究を追求するキユーピーでも、卵に含まれる未知なる素材の研究は、まだまだ続くようです。

 

昔、鶏は木の上で生活をしていて、巣から卵が落ちないように、あえて、あの卵形に産んでいると言います。どうですか・・・何だか、今まで以上に、卵を丁寧に扱わないと!と思いましたか。

 

物価安定の優等生として、よく卵が取り上げられますが、昨年は、鳥インフルエンザ問題で卵の値段が高騰しましたね。ここにきて、少し落ち着きましたが、私たちの食生活に欠かせないのが卵です。

 

私がかつて勤務していた菓子メーカーの看板商品の一つが、「カスタードプリン」です。原料は「卵・牛乳・砂糖」だけです。プリンが固まるのは卵の力です。日持ちをさせたり、原価を抑えるために、原材料表示に色々なものが入っているプリンはスーパーなどでは多く見られますね。

 

このシンプルな原料で、抜群においしいカスタードプリンは、全国津々浦々、かなりの数量に及びますので、工場ではライン化していますし、卵の殻を1つ1つ割って作っていません。パックに入ったキユーピーの卵黄を使用しています。この卵がおいしさの秘密でもあります。

 

今日の買い物では、「卵」を意識してくださいね。

2024年

1月

23日

進化するレトルトカレー

今日の年長お昼タイムは、お掃除の練習です。紙のちりくずを床にまいて、実際にほうきとちりとりを持って、ゴミを集めます。小学生になって、ほうきでゴミを散乱させないように、しっかり練習です。

 

さて、みなさんの昨日の夕食は何でしたか?我が家はカレーライスでした。たいがい鍋にいっぱい作るので、今日は2日目のおいしいカレーを食べることになりそうです。もちろん、スパイスにこだわって・・・ではなくて、市販のルーを使います「○○〇バーモンドカレー」ですが、とてもおいしいですよ。

 

お正月のお節料理に飽きたころに、無性に食べたくなるのがカレーライスですね。「おせちもいいけどカレーもね」と昭和の時代に西城秀樹さんがカレーCMで叫んでいました。そんなカレーですが、今ではレトルトカレーがかなり進化しているようです。

 

世界初の市販用レトルト食品、大塚食品の「ボンカレー」が誕生したのが1968年です。もう50年以上前になります。1972年に「3分待つのだぞ」という笑福亭仁鶴さんのCMで一気に食卓に広がりました。最近まで、レトルトカレーと言えば「なんだよ・・・レトルトかよ!」なんて思っていた人が多いかもしれませんが、今では、スーパーや食料品店の棚には、有名店とのコラボ、ご当地カレー、高級食材を使ったもの、エスニック風のものから、近年人気のスパイスカレーまでさまざまな種類のレトルトカレーが並んでいます。こうなると、これまでは保存食、非常食的存在だったレトルトカレーが、今は日常食になっている感覚です。ものによっては、高級カレーです。最近では500円を超えて1000円前後の物が人気で、「あのお店のカレーがレトルトに!?すごい!」という時代になっています。

 

我が家もそうですが、家族で食べるカレーは、鍋でたくさん作ったものをみんなで食べるものでした。それが、2017年にレトルトカレーの購入額とカレールーの購入額が逆転したのです。これは、ルーの需要が減ったのではなく、レトルトの購入額が増えたということです。カレーの孤食化もも進むのですが、家族がそれぞれ好きなカレーを選んでシェアしたり、最近流行のあいがけにしたり、新しい楽しみ方が出てきているようです。

 

やはり、日本人の多くが「カレー大好き」人間なので、これからも、さらにレトルト含めて、カレーの魅力が広がっていくような気がしますね。

2024年

1月

22日

「かるた」は遊んで学べる芸術品

保育園には、「こびとかるた」と「妖怪かるた」があって。子どもたちが自由に使っています。読み手も園児がやるので、読み手も含めて、楽しみながら、ひらがなを覚える、絶好のツールとなっています。

 

今日は、お昼の年長勉強タイムに、新たに「恐竜かるた」をデビューさせて、楽しみました。読み聞かせの絵本にも恐竜はたくさん登場するので、子どもたちは、恐竜の種類をよく知っています。白熱の戦いとなりました。見事優勝した年長女子に「どうしたら、かるたで勝てるようになれますか?」と質問すると、「少し離れたところから、全体をよく見ていれば、取れるようになる」とのことです。大人になると、ヤマを張らないと、すばやく手が動きませんが、子どもの反射神経は大したものです。

 

ある小学校の教員は、かるたが大好きで、気がついたら800種類も集めたそうです。集めたかるたは、小学校の授業などに取り入れ、百人一首以外にも昆虫や食育などの多様なテーマのかるたを教え子に触れさせています。「短くリズムの良い文章で、美しい日本語の響きや、さまざまな知識を楽しく吸収できる」と言います。例えば、歴史を学ぶときは、太平洋戦争中に作られたかるたを使い、戦時下の社会の様子を伝えます。「愛国いろはかるた」の「い」の読み札には、「イセノカミカゼ テキコク コウフク(伊勢の神風 敵国 降伏)」と戦意高揚の言葉が並びます。また、戦時下のかるたは紙質が悪く、厚みもないことも、子どもたちに気付いてほしいそうです。

 

日本のかるた文化は、平安時代からの上流階級の遊び「貝覆(かいおおい)」と、16世紀後半にポルトガルから伝来したトランプに近い「カルタ」が融合して生まれたと言われています。「貝覆」とは、二枚貝を別々に分けて、和歌の「上の句」と「下の句」や挿絵などを書き、ペアを探し出すという遊びです。平安時代末期から鎌倉時代頃に遊びとして始まり、後に「貝合わせ」と呼ばれるようになったそうです。

 

戦後は、復興を目指し、地元の文化などを学べる郷土カルタがブームとなりました。1947年に制作された「上毛かるた」はその代表例です。群馬県の人たちは、老若男女問わず、上毛かるたを暗記しています。

あ 浅間のいたづら・・・とくれば、下の句の「鬼の押し出し」がすぐに出てきます。

い 伊香保温泉・・・なら、下の句「日本の名湯」です。

こんな感じで、群馬県民は、郷土愛が強い県民となったのかもしれません。

 

保育園ホワイトきゃんばすでは、今後も「遊んで学べる芸術品」である「かるた」をしっかりと学びの手段として活用していきます。

2024年

1月

21日

さいたまヨーロッパ野菜研究会

自分が住んでいる街のいい所を見つけるのは、なかなかいいものですね。埼玉県は、一番ではないけど、讃岐うどんの香川県に次いで、全国2位のうどん県でもあります。そして、私が住んでいるさいたま市は、これまた一番ではないですが、パスタ・チーズ・ワインの一世帯あたりの購入量は、全国平均を大きく上回り、外食での洋食比率も高いのです。

 

そんなさいたま市の自慢の一つに、「さいたまヨーロッパ野菜研究会」があります。さいたま市内で、現在13軒の農家が、年間約70種類のヨーロッパ野菜を生産、出荷しています。さいたま市内のイタリアン・フレンチをはじめとする洋食レストランから「新鮮なヨーロッパ野菜が欲しい!」という声に応え、若手農家グループ、地元シェフ・トキタ種苗(株)、食料品卸会社などが協力して、ヨーロッパ野菜の地産地消を実現しています。2013年に発足したので、かれこれ10年になります。

 

ヨーロッパ野菜は思い浮かびますか。ビーツ・ズッキーニ・ケールなどは、一般のスーパーでも見ることができますね。やけに平らで大きい「平さやいんげん」やカリフラワーをステック状にした「カリフローレ」はよく見ますね。茎の部分はアスパラガスみたいな味がします。「白なす」は、ホワイトきゃんばすファームでもこの夏トライしました。猛暑で、5本ぐらいしか収穫できませんでしたが、『トロナス』と言われるように、とてもおいしかったです。

 

さいたまヨーロッパ野菜研究会の取り組みは、行政も巻き込んでいます。さいたま市内の小中学校では、ヨーロッパ野菜を使った給食が人気だそうです。ミネストローネが出ると完食です。学校菜園でもヨーロッパ野菜を栽培し、給食で食べる小学校もあるようです。また、小学校の社会科副読本にも「ヨーロッパ野菜」が登場します。毎月1月には「さいたま市長杯さいたまヨーロッパ野菜料理コンテスト」が開催され、県内の若手シェフたちの登竜門となっています。今年は、本日最終審査が行われるようです。

 

先日、岩月の人形会館に行った時に、同じ敷地内に「ヨロ研カフェ」というおしゃれなショップでランチを食べたのですが、そこで初めて「さいたまヨーロッパ野菜研究会」の存在を知りました。ヨーロッパ野菜研究会を「ヨロ研」と略すそうです。

 

みなさんが住んでいる街には、まだまだ知らない「自慢できるモノやコト」があるかもしれませんね。

2024年

1月

20日

だでうめぇ!!北のハンバーグ

本日登園した4歳&2歳の姉妹園児のママは、教員で小学校1年生の担任です。今日は、学校公開で授業参観があったそうです。子どもたちの発表会ということで、何と80人の保護者が集まり、教室は大人でギューギューです。土曜日ということで、両親そろってやおじいちゃんおばあちゃんまでも孫の姿を見に来ました。子どもたちの発表に、うるうるする保護者の姿もあったそうで、4月には「小学校生活は大丈夫かな?」で始まった我が子が、大勢の前で発表できるところまで成長した姿を見たのです。

 

私の経験上、1年生の授業参観が、もっともギャラリーが多くて、6年生になるとチラホラにまで数が減っていきます。是非とも、親には、我が子の6年間の成長を見守って欲しいと思いますね。

 

さて、商業高校の生徒らが、地域の特産品を使って企業と開発した商品の全国一を競う「商業高校フードグランプリ」で、昨年見事に最高賞の文部科学大臣賞に選ばれたのは、北海道函館商業高校の商品でした。「だてうめぇ!!北のハンバーグ」です。

 

第10回大会は、全国23校からの応募があったそうです。最高賞を受賞した函館商業高校は、幅広い世代に人気のハンバーグで商品開発を行いました。ジャガイモでボリュームを持たせ、柔らかい食感にするために豆腐を混ぜるなど、独自の工夫があったようです。

 

本選のプレゼンで、綿密な市場調査の結果を発表し、開発経緯を説明します。消費者のコストパフォーマンス重視の傾向などを踏まえて、価格を設定します。廃棄率の削減やフードロスの解消に向け、賞味期限を21日間にしたようです。

 

実は、この北のハンバーグは、先輩たちの代から3年かけて開発した商品で、すでに、1年間で3万7千パックを出荷したそうです。1パック270円です。パッケージはとてもインパクトがあり、写真はステーキのようなイメージです。「函商生コラボ」と明記されているので、何だか応援したくなるような気になりますね。

 

今回23校の商業高校がフードグランプリに参加したわけですが、商品開発には、民間企業の力を借りないといけません。マーケティング含め、高校生にとっては、1つの商品が発売されるまで、多くのことを学んだに違いありません。社会出て、すぐに役に立つスキルですね。

2024年

1月

19日

キャッチボール

今年もいただいた年賀状の「お年玉くじ」の当選番号があるかどうかを確認しました。いただいた年賀状は、お正月に一度読んで、お年玉くじの時にもう一回目を通します。そして、12月の年末に翌年の年賀状を書くときに、もう一度読むので、少なくとも3回年賀状には目を通すことになります。「年賀状じまい」は、今年は2通ありました。年賀状にある一言メッセージが、ずっと会っていない相手との言葉のキャッチボールです。「元気にしているようだな・・」と安心する時間です。

 

さて、昨年末から大谷翔平選手のグローブが届き始めました。3月末までには、全国の小学校に左利き用1個を含めて3個のグローブが届きます。合計約2万個です。各小学校では、この3つのグローブをどう使うかで、話し合いも始まったようです。この話し合いは、まさに言葉のキャッチボールになりますね。

 

大谷選手は、このグローブで「キャッチボールしようぜ!野球しようぜ!」のメッセージを送りますが、子どもたちの中には、初めてグローブをはめた子もいるかもしれません。キャッチボールが続くためには、ボールを相手の取りやすい所に投げることが必要です。とんでもない所に飛んだときは「ごめん」の言葉があると、うれしいですね。

 

昨日、保幼小の会議で訪問した小学校の「ボールクラブ」の顧問と話をしました。ホワイトきゃんばすの卒園児で、小4の男子が「先生・・・ドッジボールで、6年生の顔にボールを当てちゃったんだけど、謝っておいた方がいいかなぁ~」との話があったそうです。「もちろん、○○君の口でちゃんと謝った方がいいなぁ~」と答え、彼はきちんと「ごめんなさい」を伝えることができました。素敵な言葉のキャッチボールができたようです。

 

保育園の年長園児は、お昼の勉強タイム(勉強以外のことをやっている事が多いですが)に、耳を傾けると、様々な言葉のキャッチボールが行われています。勉強を教える声であったり、好きなキャラクターの話だったり、それは色々ですが、子どもたち同士で考えを深め、友だちとの考え方の違いも知ることになります。やがて、この子たちが大人に成長する過程で、SNSがどんな進化になっているかわかりませんが、誹謗中傷がなくなることはないでしょう。相手の顔を見ながら言葉のキャッチボールをする力を育てることが、必要だなぁ~とつくづく思う次第です。

 

子どもたちの会話に耳を傾けながら、その会話に介入しすぎないように、できるだけ子どもたち同士で話し合いを完結させるように見守りたいですね。大谷選手の豪快なプレゼントは、野球のキャッチボールだけでなく、「言葉のキャッチボールもたくさんやって!」というメッセージとして受け止めたいですね。

2024年

1月

18日

キャッシュレス募金

昨日、石川県輪島市の中学生258人が白山市内の県内施設に集団避難しました。また、21日には、珠洲市、能登町の中学生で、保護者が同意した生徒144人が、金沢市内の施設に集団避難するそうです。教員や職員が、施設内で授業を行います。予定は約2か月です。突然、今まで通っていた中学校に行けなくなり、大変な状況ですが、この経験をきっとプラスに活かせるよう、願うばかりです。

 

そして、保育園では、本日から保幼小連絡会議がスタートしました。4月に小学生になる年長園児が通う小学校に行き、1年生の授業参観に出席しました。あるクラスは「せいかつ」の時間で、「もうすぐ2年生になるけど、4月からやってくる新1年生にどうすれば喜んでもらえるか?」の授業でした。「パソコンを教えてあげる」「折り紙でパックンちょを作ってあげる」「学校探検をしてあげる」「一緒にお絵かきをする」「何かプレゼントをする」などの意見がありました。昨年4月に入学した1年生は立派に成長しています。

 

さて、「赤い羽根共同募金」をしたことがありますか。私のイメージでは、子どもたちが箱をもって街頭で募金活動をするイメージです。ところが、神奈川県共同募金会は、スイカなどの交通系ICカードで募金ができるそうです。

 

もともと、寄付金額については、日本と欧米との差は大きくて、2021年寄付白書によると、2020年のアメリカでの個人寄付は約34兆6000億円で、日本の1兆2126億円と比べると28倍です。人口数の違いを考えても、日本の個人寄付額は少ないのが現状です。

 

欧米では、キリスト教によるチャリティー活動が盛んで、幼少期から日常生活における寄付活動が根付いています。また、アメリカでは日本とは異なり、個人所得を個人の責任で確定申告する義務があり、そのための寄付控除制度も浸透しています。

 

日本人は、「寄付金がちゃんと使われているのか?」と疑っている人が多く、寄付が広がらない要因にもなっています。そこで、クラウドファンディングなど、寄付の「見える化」が、寄付金額の増加に効果を発揮しているようです。

 

今回の能登半島地震には、多くの芸能人やスポーツ選手からの寄付がありましたが、一般の人々もデジタル化によって寄付先の活動を手軽に確認できるようになってきたのです。

 

近年、個人寄付の後押しとなったのが、自治体に寄付をする「ふるさと納税」です。私の長女も長男もふるさと納税を活用しているので、「なんかカニが届いたぞ!」と私が大騒ぎすると、返礼品だったりします。現状は、返礼品目当てのふるさと納税が主流ですが、返礼品目当てではない寄付に積極的に取り組む自治体が現れているようです。

 

長野県では、原則として返礼品を送らない直営サイト「ガチなが」を開設したそうです。サイトには、山岳避難防止やライチョウの保護など、長野らしい事業が並び、開始から9か月半で約9000万円を集めたそうです。

 

どちらにしろ・・・時代はキャッシュレス募金にシフトしており、日本人の個人寄付活動も活発になっていくようですね。