不規則発言

今日のお昼の園長課外授業は、「スイミング」です。小学生3人を連れて、三橋公園室内プールへ行ってきました。プールは7レーンある25メートルプールです。遊ぶプールではなく、ちゃんと水泳の指導を行いました。

 

とはいえ、3人とも水泳はあまり得意ではありません。そして、昨年はコロナウイルスの影響で、小学校のプールの時間はほぼゼロでしたので、3人にとって、1年以上プールに入っていませんでした。でも大丈夫です。

 

水の中を歩く・・・顔を水につけるの基本から、プールの壁で足を蹴って進む「けのび」や「バタアシ」の練習へと、少しずつ進んでいきました。小5女子は、なんちゃってですが、クロールができるようになり、小3男子は、保育園時代は、水が苦手でいつも泣いていた子でしたが、ビート板でのバタアシ25メートルができるようになりました。小学校のプールは、6月中旬から始まります。「まだ寒いでしょ!」と思いますが、夏休みを考えての前倒しです。もちろん、シャワーは冷たい水です。ある小学校では、「地獄のシャワー」と呼ばれているそうです。(笑)

 

さて、「不規則発言」という言葉を聞いたことがありますか。授業中に児童生徒がおしゃべりする「私語」や、ヤジを飛ばすことではありません。簡単に言えば、授業の流れと直接関係のない、大きめのつぶやきのことです。つまり、教員の発問に対して、的外れや飛躍し過ぎた発言のことだそうです。

 

しかし、よく考えると、この不規則発言を切り捨てるような授業なら、アクティブラーニングは成立しませんね。脇道にそれることで、子どもたちの学びが広がっていくものだと思っています。

 

優れた教員は、少し的外れな発言もうまく拾って、ほかの生徒の思考を揺さぶったり、他の生徒に発言を促したりしながら本質に迫っていくのです。

 

最近よく言われる「違いを認める」は、肌の色などの外見的な違いだけでなく、考え方の違いも含まれます。その中に「不規則発言」だって、立派な違いとして、尊重されるようになれば、学びの質は、どんどんアップしていくのでしょう。

 

金子みすゞの「みんな違ってみんないい」を引用する人は多いですが、本当にそう思っているのなら、「不規則発言」に耳を傾けなければ・・・ですね。

 

保育園での子どもたちとの会話は、「不規則発言」だらけです。でも、その瞬間に感じたことを子どもは言葉にするのです。私も、ついつい「何言ってるんだかわからないよ」と一蹴してしまうことがあります。でも、その発言にも大きな意味があると感じながら、子どもたちとの会話を楽しんでいます。