いいね疲れ

今日の朝の会では、土曜日に卒園児の男の子が持ってきてくれた「カタツムリ」の観察会となりました。梅雨時に、アジサイの花などにどこでも見られたのは過去の話で、最近では、カタツムリの姿を見ることが少なくなりました。初めてカタツムリに出合う子どもたちも多いです。殻から頭を出して、角を出す姿に見入っていました。

 

さて、インスタグラムに写真をあげて、ツイッターで気の利いた一言。いまや生活の一部になったSNSですが、「いいね!」を期待しすぎて疲れる人が、多いようです。

 

「いいね!がたくさんつくのは、やはりうれしい。私にとっては、自分が考えていることに対して承認される喜び。そこが大きいのだと思います」とある人は言います。

 

「人間は何かに承認されないと生きていけません。それは社会的動物たるゆえんでもある。何かに承認されることで、昔から心の安定を保ってきたのです」と社会学者の土井隆義さんは指摘します。

 

しかし、SNSでは社長も学生も対等で等価な存在です。皆がフラットな、自分からいつでもその関係を「切れる」場合が多いです。そういう人からの承認は、仕事の成果や努力に対する承認と比べて重みがなく、「いいね」をもらっても心の安定につながりにくいのです。そこで、承認の質の劣化を何でカバーするか。数しかありません。たくさんの「いいね」を求めないと安心できず、でも一個一個の「いいね」は承認として軽い。どこまでいっても自分の安心感につながらない。常に「いいね」をもらうことにあおられ、疲れていくのです。

 

また、「いいね」をもらったら、ちゃんとお返ししないと、その人から排除され、仲間外れにされるかも。その不安を解消するために「いいね」を返す。この行為も単に安心するためだけに続ける努力なので、非常に疲れるわけです。

 

ひとりキャンプ、ひとりカラオケなど「ソロ活動の充実」を求める人たちも、一人でキャンプする様子を動画に撮って、インスタグラムにあげたりしますね。これも、「人と群れなくても1人でこんなに充実している私なんだよ」ということを、まわりに認めてもらいたいという、承認の構図と言えます。

 

「承認の構図」から逃れられずに「いいね!には、もううんざりだ」と思っているのなら、ちょっとスタンスを変えないといけないかもしれませんね。いいね!に疲れてないなら、今まで通りで続けてください。