東京五輪 学校が費やした時間

今日は土曜日なので、卒園児の小学生が登園します。9月に予定していた、林間学校が延期になったようです。何とか、世の中が落ち着いて、必ず、林間学校が実行できるように願いたいですね。

 

さて、昨年からずっと、学校現場は、多くの困難に時間を費やしてきました。先日閉幕した東京五輪でも、「もし・・・コロナがなくて普通通りに行われていたら・・・」

 

東京五輪に「たら・れば」を言ったところで、空しいだけかもしれませんが、世界の国々から多くの人たちが、東京や日本を訪れて、さらに世界に向けて、日本の文化や素晴らしい取組みを発信できていたのに・・・

 

私の大学時代の仲間の一人は、ソフトボール・野球など、多くの競技のチケットを購入していました。大げさですが、残りの人生を考えて、大切な時間を体験するつもりでした。それが、無観客試合となったことで、ただの紙切れになってしまったのです。(もちろん払い戻しはありますが・・・)オリンピックに反対の立場を取っていたマスメディアが、オリンピックが始まると、手のひらを返したように、選手たちの活躍を賞賛します。そこには、視聴率やスポンサーという利害関係が発生するので、やむないところですが、彼は火の玉のごとく怒りまくっています。その気持ちが、よくわかります。

 

学校現場も、同じようなことが起こっていました。何年も前から「オリンピック・パラリンピック教育」が行われていました。子どもたちにとっても一生に一度経験できるかどうかの貴重な機会、各学校が応援する国も決まっていて、普段なじみのない国旗を飾ったり、総合的な学習の時間を使って調べたり・・・用意は万端のはずだったのです。

 

学校の連携観戦が、のきなみ中止となったことは、知られていますが、もっと多くのことに、子どもたちは関わっていたのです。

 

今は、空しい気持ちが大きいかもしれませんが、知らない国のことを学んだことは、ずっと残りますね。いつか、その国を訪れたとしたら・・・ただの観光とは違った素敵な経験ができるはずです。

 

子どもたちが取組んだことを、私たち大人はしっかりと見守っていきたいですね。努力は、必ず報われないと・・・