五輪が残したレガシー(遺産)

昨日のブログで「たら・れば」を考えると・・・の続きで、2019年のNHK大河ドラマは、「いだてん」でした。オリンピックに初めて日本選手が参加したのが、1912年のストックホルム大会です。私もその一人でしたが、多くの人が、大河ドラマでマラソンの金栗四三選手と短距離の三島弥彦選手を知りました。

 

金栗選手が使用した足袋のシューズや、三島選手が着用したユニホームが、今でもレガシーとして見ることができるそうです。現代人の目には、ひどく質素に映る用具です。今から100年以上前に、これらを携えて遠い北欧に赴き、初めて世界の壁にぶち当たるのです。ドラマの中で、三島選手が「短距離で日本人がメダルを獲得するには100年かかる」と言っていましたが、100年後も100メートル走でのメダリストは誕生していませんね。

 

1964年の東京オリンピックが残したものは、高度経済社会への加速化で、日本が経済大国として世界の列国と肩を並べるきっかけになりました。

 

そして、東京オリンピック2020が残したものは・・・選手や各国首脳は多くの賛辞を寄せました。選手は「オリンピックを開催していただき、ありがとう」と。政治家は「困難なタイミングでよくぞ開催につなげた日本は凄い」と。

 

気になるのは、利害関係のない普通の人々です。マスメディアでは、「オリンピックに無関心」のような報道もありましたが、SNSでは、様々な国の人々が日本への感謝を書いていました。

 

「困難な時期に開催してくれてありがとう」「五輪は暗い時代の光だった」「コロナのことを忘れてリラックスできた」「この時期に開催国だったのは、東京には不運だけど、世界にとっては幸運だった」

 

この五輪によって、日本に感謝と信頼を抱いた人が世界各地にいることも、ひとつのレガシーかもしれませんね。東京オリンピック2020が、「世界に何をもたらしたか」という視点で、パラリンピックが終わってから、じっくりと考えてみたいですね。