主体性とは?

卒園児の小学1年生・・・いよいよ、今日が通学班での「初登校」です。待ち合わせ場所に集合して、班長や先輩児童に連れられて登校です。新1年生は、少し不安な顔をして出発したようです。記念すべき、初登校の日ですね。

 

昨日今日と、さいたま市は夏日となりました。屋上のミドリガメのおうちには、赤ちゃんが2匹生まれていました。メスが土の中に卵を産むのですが、「ここから出てきた!」という穴が残っていました。上空には、クマバチがざっと5匹飛んでいます。いい季節になってきました。

 

さて、ふだん私たちが何気なく使っている言葉の中で、きちんと意味を考えずに当たり前に口にする言葉が、いくつかありますね。その一つが、「主体性」です。みなさんは、主体性という言葉をどのように考えますか。

 

小学生のアクティブラーニングは、「主体的・対話的で深い学び」という大きなテーマに沿った1つの手段です。ここでいう「主体性」は、「自分自身の考えで行動すること」と説明されることが多いです。私たちは、「主体性」というと、「望ましい積極性」と同じような意味で理解しています。

 

保育園では、この「主体性」をもっと大きな意味でとらえます。泣き叫んで登園を拒否する子どもの姿も、あるがままの主体性であると考えることができます。先日、ある保育園を訪問すると、ならし保育中の新入園児の泣き声が、保育園中に響きわたっていました。ホワイトきゃんばすでも、新人の男の子が、お昼寝時間になると、ママ恋しで、泣き始め止まらなくなります。今は、職員が交代で、ベビーカーで外の店の中を散歩しながら、寝かしつけています。

 

主体性とは、「自己の純粋な立場において行うさま」・・・つまり「私が私であること」と考えると、泣いている園児も、何かのきっかけで、保育園生活を楽しめるようになっていきます。電車がすき・・・車が好き・・・ブロック遊びが好きなど、子どものやりたいことを見つけることができると、涙の連鎖から解放されるのです。

 

子どもの主体性を引き出すという時の「主体性」の意味は、積極性や自分の考えを持つことですが、子どもの主体性を受け止める時の「主体性」の意味は、子どものありのままの姿と言えるのかもしれません。

 

保育園では、両方の「主体性」を大切にしていくのです。