ジミー大西さんの話

「やってる、やってる!」などの一発ギャグと、予測不能の天然キャラが印象的なお笑い芸人、ジミー大西さんのもう一つの顔は画家です。今年で、画業30年を迎えるそうです。

 

明石家さんまさんの付き人だった、ジミーさんは、IMALUちゃんがまだ小さい頃、よく一緒にお絵かきをして遊んでいたそうです。ある時、さんまさんがジミーさんの絵を見て「お前、変わった絵を描くなあ」と言って、あるテレビにその絵を推薦し、33万円の値がついたのです。そのご、あの岡本太郎さんから「四角い枠を気にせず、キャンバスからはみ出せ」とメッセージが届きます。

 

ジミーさんは「人生変わるんちゃうか?」って本気で思い、芸能活動を休止して、単身スペインへ向かうのです。岡本太郎さんが、ピカソの絵を見て泣いたという逸話を聞いたので、ピカソはどんな生き方をしていたのかを確かめに行ったのです。

 

その後、「キャンバスからはみ出せ」の言葉どおり、枠にとらわれない創作活動を展開します。しかし、すべてがうまくいったわけではなくて、画家になって15年が経ち、まったく絵が描けなくなった時もあったそうです。ある時、自分の収入を時給に換算すると380円にしかならなかったそうです。それで、急に嫌になってしまったようです。

 

それでも「もう一度、絵と向き合おう」と思えるようになり、今年で30年・・・東京銀座を皮切りに全国9都市を1年間かけて巡回する展覧会が開催されます。

 

ジミー大西さんは、小学生の時に校舎の屋上で写生大会をした時のことを話します。他の子は、煙突を描いたり、遠くの山を描いたりしていたのに、ジミーさんは象を描いたそうです。空の雲が象の形をしていたからです。それを見た周りの子たちは「また大西が違うことやってるぞ」とからかわれたそうですが、その様子を見ていた先生が、こう言ったそうです。「大西君はこれでいいんだよ」と。

 

ジミー大西さんが画家として30年やってこれたのは、この先生のおかげかもしれませんね。もし「大西君もみんなと同じように、山や煙突を描きなさい」と言われていたら、絵を描くことが嫌いになっていたことでしょう。

 

保育園の子どもたちの絵は、まさに個性いろいろです。「家族の絵」というタイトルで、寺子屋の園児が描いた絵が、ショッピングセンターの3階に展示されています。子どもたちが、ママだったり、家族みんなだったり、思うがままに描いた絵です。私たち大人は、自分のモノサシを子どもに当てはめることがあります。気をつけたいところですね。