学校の「なじむ」「なじまない」

今日は、2歳児から小学校3年生まで、7学年のタテの関係の中で、子どもたちは楽しく過ごしました。2歳児にとっては、小学生はかなり上の存在ですが、一緒に過ごし、小学生の遊びや会話を身近に感じるだけで、大きな影響を与えられるのです。

 

そんな小学生の会話に聞き耳を立てます。1年生は、すっかり小学校生活に慣れたようで、「今日は○○ちゃんと友だちになった」などと、毎日のようにママに報告しているようです。そして、2年生、3年生は新しい担任の先生の話をしています。まだ、小学校低学年ですので、判断基準は「怖い先生」か「優しい先生」か・・・単純です。(笑)

 

小学校では、しばしば「なじむ」という言葉が使われます。1年生は、右も左の分からない学校だったのに、人や環境に慣れて、親しむ・違和感がなくなるという意味で使われるのが「学校になじんできた」です。これは、肯定的な言葉ですが、反対の言葉「なじまない」は、否定的な意味で使われます。

 

例えば、若手教員が「昨年度の反省や子どもたちの意見を反映させて、新たな提案をしたいと思います」と言おうものなら「気持ちは分かるけど、それはこの学校にはなじまない」とベテラン教員から反対を食らう。

 

生徒のいたずらで先生の車が傷つけられた時も「生徒のやったことだから弁償とかを求めるのはなじまないでしょう」という校長の話。学校に法はなじまないという考えです。

 

今はないでしょうが、「学校教育でお金の話はなじまない」という時代も、私が中学高校時代にはあったような気がします。

 

学校は、「優しさ」「思いやり」「夢」というような、キラキラした言葉を好みます。でも、起きてしまった不都合を隠すために「なじまない」という曖昧な言葉を使っていることもありますね。いじめもそうです。「うちの学校にとって、この出来事はなじまないことですね」などは、学校の隠蔽につながる救いのない言葉ですね。

 

学校だけでなく、あなたの会社でも組織でも「うちにはなじまない」ということがあるのなら、一度メスを入れた方がいいですね。