天、共に在り

屋上遊びは、野球・ドッジボール・テニスとスポーツに取り組む園児がいっぱいです。屋上は様々なスポーツに取り組める環境にあるので、子どもたちは好きなことに熱中しながら楽しんでいます。

 

さて、今日は「天、共に在り」の著者、中村哲さんの話です。皆さんもよく知っているように、2019年にアフガニスタンで武装集団の銃撃で命を落としました。

 

「道で倒れている人がいたら手を差し伸べるーそれは普通のことです」と中村さんは言いますが、彼の人生は、最初から「医者になって世界の人々を救おう」という高潔な精神に燃えて突き進んだというわけではありません。

 

少年時代は昆虫少年だったそうです。夢は虫の観察研究をすることです。しかし、それは厳格な父が許しません。昆虫学がある農学部へ転学が可能な医学部に目を付け、父の許可を得ます。これが、医学の道に進む経緯です。

 

しかし、昆虫への思いは熱く、山岳会の遠征隊に参加するなどして虫を追いかけます。そして、美しいチョウが生息するアフガニスタンへ行き、そこから不思議な縁がつながっていくのです。その後、国際医療協力に参加し、ペシャワールの病院に勤務することとなるのです。

 

内戦が続くアフガニスタンでは、十分な医療器具もありません。ここを様々なアイデアで突破します。ハンセン病患者の足がすぐに傷だらけになるのを防ぐために、病院内にサンダルの工房を設けたりするのです。ところが、2000年に大干ばつに見舞われ、病気治療どころではなくなります。村人を集めて、井戸を掘り始め、地域のかんがい事業へ発展するのです。

 

中村さんは、医師であると同時に、井戸を掘り続け、アフガニスタンの人々に清潔な水をもたらしたのです。そして、自らも重機を操り、20キロもの用水路を建設し、7年の歳月をかけて広大な砂漠を緑地化していきました。

 

彼はこう言います。「様々な出来事との出会い、そしてそれに自分がどう応えるかで、行く末が定められてゆきます。この広大な縁(えにし)の世界で、誰であっても、無意味な生命や人生は、決してありません」

 

どうですか・・・中村さんは、偉大な方ですが、人生のその時々の自分の興味や関心に正直に生き、巡り合った人や地域との出会いを大切にしながら一つずつ作り上げたという、中村さんに言わせれば、普通の人生だったのかもしれません。

 

私たちは、こんな大きなことはできませんが、人生で出会った場所や人との巡り合いの中で、それを「自分が任された任務」まで高めてみることならできるのかもしれませんね。

 

今もなお、「中村哲」は、私たちの心の中で生き続けているのです。