かき氷の起源

お盆休みが終わって、保育園がスタートしました。今日は年長・年中園児に「夏休みで楽しかったこと」を朝の会でインタビューすると、「じじばばのところに遊びに行って○○した」「ホテルに泊まっておいしい○○を食べた」「ウルトラマンショーに行ってきて、ウルトラマンに肩をたたかれた」など、はきはきと答えられました。パパママの実家をはしごして、親戚・友人あわせて50人くらいと交流した園児もいます。日常と違う人間関係を経験することで、また一つ成長する子どもたちです。

 

さて、今日は「かき氷」の話です。私が子どものころは、頭がキーンとするじゃりじゃり氷に、イチゴ・メロンの2種類程度しかなかったシロップをかけて食べたかき氷なのに、すごくおいしかった記憶が残っています。しかし、ここ数年で、かき氷はすごい進化をしています。まず、氷が「サラサラ」で、たくさん食べても頭がキーンとなりません。

 

今では、様々な種類のかき氷を食べることができますが、かき氷は、一体いつ頃から食べられるようになったのでしょうか。

 

「削り氷(ひ)にあまづら入れて、新しき金椀(かなまり)に入れたる」は、清少納言が記した「枕草子」の一節です。これが、国内で最も古いかき氷の記述ともいわれています。細かく削った氷に「甘葛(あまずら)」という古代の甘味料をかけて、新しい金属製のおわんに入れたと訳されます。これは、およそ1000年前の平安中期の話です。

 

この頃は、氷も甘味料も大変希少で、かき氷は貴族ぐらいしか口にできなかったようです。各地に製氷所ができたのは明治時代以降で、一般庶民がかき氷を食べられるようになったのは、安価なかき氷器が登場した戦後の話ですね。

 

では、平安時代、夏季に氷をどのようにして手に入れたのでしょうか。冬の厳冬期に凍った池から切り出したものを、夏でも涼しい山間部に保管していたようです。穴を掘って作った「氷室」と呼ばれる場所です。山城・大和・河内・近江・丹波の5国に10か所あったとのこと。貴族のもとには、氷を藁やおがくずで覆い、荷車で運ばれたそうです。

 

次は、シロップです。「甘葛(あまずら」の原料は諸説あるようですが、糖度の高い植物の樹液を採取して煮詰めたといわれています。奈良女子大では、2011年から幻のシロップの研究を進めており、渋柿にグラニュー糖などを加えることで、当時と同じような風味のシロップを安価で開発できたそうです。

 

奈良市の人気かき氷店「ほうせき箱」では、このシロップをかけたかき氷を今夏から提供しているそうです。

 

ちなみに、かき氷を無性に食べたくなる気温は何度かわかりますか。それは34度で。気温が34度を超えると、アイスクリームよりもかき氷が食べたくなるそうです。

 

日本の繊細で多種類でおいしいかき氷は、今や、立派な「食文化」として、世界に誇れるようになりました。この夏、日本に遊びに来た外国人の多くが、「かき氷」のおいしさにビックリしていることでしょう。

 

私の長女も、関東の有名かき氷店をはしごしています。(笑)