分類学

長期欠席を強いられるなど、病気療養中の児童・生徒の人数が、過去5年間で1.15倍に増えたそうです。特に、中学生に限ると1.56倍の伸びです。今回、文科省が令和4年度の状況を公表したのですが、前回は平成29年にこの調査を行っているので、平成29年度と令和4年度の比較です。

 

心身症や精神疾患を患う中学生が増えたのが大きな要因のようです。疾患を患うのは、様々な原因が考えられますが、コロナ禍がその大きな理由であることは間違いありませんね。子どもたちにとっても、私たち大人にとっても、コロナ禍での環境の変化が、日常生活に大きな影響を及ぼしました。人類の強みは、生存競争に負けない最強の肉体を持つことではなく、様々な知恵で、環境の変化に対応できることです。今後もコロナのような予測不能の事態が発生しても、人類はそれを乗り越えていくのでしょう。

 

人ごとのような言い方になってしまいましたが、今日は、そんな人類の「分類学」の話です。

 

「分類学」とは、簡単に言えば、「分ける」ことを通して、生物界を整理し、科学を発展させてきたのです。「分ける」ことで「分かる」ようにしたのです。分類学の父と言われた人が、「カール・フォン・リンネ」です。ちなみに、人間は分類学上では、「動物界 脊索動物門 哺乳網 サル目 ヒト科 ヒト属 ヒト種」となるようです。なんだか、長いですね。生き物を分類する作業は、なかなか複雑で大変そうです。そして、分類学の目的は、「分ける」ことで、生物の多様性を理解することです。

 

はい。ここ数年、ずっと言われている「多様性」とう言葉が出てきましたね。

 

一方、私たち人間社会では、「分ける」ことを通して、「単純化」や「画一化」を図り、心理的安定を保ってきました。しかし、そこには人間の弱さがあります。自分と他者を明確に分けることで、自らの優位性を示そうとしてしまいます。人種や国籍、宗教、性別などで単純に分け、時には差別をすることで精神的な安定を維持する。自分と同じ仲間で徒党を組み、他を排斥する動きを強めていく。こうして、少数派は社会的弱者となっていく。こんな歴史を繰り返してきました。「多様性」に目が向くことなどなかったのです。

 

「多様性」という言葉をよく私たちが使うようになりましたが、どこまで「多様性」を理解しているのか・・・私も、自信がありません。「自分とそれ以外」からスタートするのでしょうが、まだまだ、自分と異なる者を異質と捉え、排除しようとする考え方が強いですね。それが同調圧力となり、生きにくさを生んでいるのが、1.6倍に増えた中学生の精神疾患等にもつながっているのかもしれません。

 

私は「分類学」の専門家ではありませんが、あらためて「分けて分かる」という考えを持ちたいですね。「みな考え方も違うし、好きなことも嫌いなことも違う。でも、それを理解したうえで、自分との共通点を見いだして分かち合う、共感する」ですね。