サザエさんの「昭和図鑑」③ 社会

今日は、屋上遊びの時間になると、雨が上がりました。子どもたちには、屋上ファームの仕事を頑張ってもらいます。まずは、ようやくホームセンターで見つけた「白なす」の苗を植えました。昨年、この白なすを育てたのですが、とろけるように美味しくて、今年も挑戦です。黒いなすの苗は、多くの種類が売っていますが、白なすは、たまに見かけるだけです。急いでゲットしました。

 

そして、ついに菜の花をすべて引っこ抜きます。「俺は、力持ちだ!」という園児が集まって、あっという間です。長い間、この菜の花は、花摘みだけでなく、食べる方でも活躍しました。菜の花畑の後には、ミニトマトを植えます。寺子屋の時間では、サツマイモの苗を植えました。これは、夏をはさんで、しっかりと大きくなって秋に収穫です。芋ほりで、子どもたちと盛り上がります。

 

さて、今日は、昭和の社会では当たり前に行われていた「ストライキ」を思い出してもらいます。ストライキとは、労使交渉において、労働者が、賃金アップや労働環境の改善を求めて労働を行わずに抗議することです。

 

昭和の終わりには、「スト決行」のニュースを聞かなくなりましたが、昭和30年代後半から50年代までは、。春闘(春の賃上げや夏のボーナス交渉)の季節になると、メーカーや工場だけでなく、電車やバスもストライキを決行することが頻繁にありました。ピーク時は、全国で年間千件以上もあったそうです。

 

電車が止まれば、サラリーマンは通勤できず、会社を休むことになります。組合側は、「賃上げ要求をのまないと、ストライキをするぞ。そうなれば、社会は混乱し、鉄道会社の信頼を落とすことになるぞ!」と、会社側にゆさぶりをかけるのです。しかし、当時は、「やれるもんならやってみろ!」とばかりに、会社側も強気で、労使ともに、妥結への歩み寄りが、なかなかされなかったのです。

 

私も、高校大学時代、ストで電車が動かないので、休校となり「ラッキー!」と思ったものの、電車が動かないので、どこにも遊びに行けず・・・という記憶が残っています。しかし、現在は、働き方も様々で、正社員でも労働組合に加入していない人も増えています。労働組合の存在意義は、昭和と令和では大きく異なっているのが現実なので、今後ストライキなんかないだろうと、思っていました。

 

ところが、記憶に新しいところで、昨年8月31日に、西武百貨店池袋本店でストライキが行われ、お店は、まる一日定休日となりました。このストライキが行われた目的は、池袋西武で働く仲間を守る、お客様から愛されるブランドを守る戦いでしたので、他の百貨店の組合トップたちも応援に駆けつけました。世論も「よくがんばった!」とひいき目に受け止めたのです。

 

私は、サラリーマン時代に、東京支部の執行委員長をやったことがあります。労使交渉では、社長に対して、きちんとモノを言いました。業務では、なかなか言えませんが、組合のトップの立場で、「組合員の生活を守る」という大義のために戦ったのです。もちろん、殴り合いのケンカではありません。言葉による交渉ですので、勉強もしなければ、経営者相手に言い負かされてしまいます。

 

「要求通りの回答がなければ、スト決行!」という切羽詰まった状況を何度も経験しました。とても、熱かったですね。令和の時代だって、ストライキに変わる、熱い何かが、働く若者の中に必ずあるのでしょう。時代が変わっても、そこは変わらないで欲しいですね。