ウォーターボーイズ

誰もやってこなかったことを周囲の困難を克服してやり遂げるというストーリーは、たまらなく大好きな私です。埼玉県立川越高校の文化祭では、何万人もの観客を魅了する、今も続く「ウォーターボーイズ」は、1986年に初めて披露されました。

 

当時3年生で水泳部員だった、現在は55歳の北川さんは、引退した7月下旬に仲間に呼びかけます。「シンクロやろうぜ!」。3年生11人のうち、北川さんの他に5人が賛同しました。しかし、文化祭当日は、1・2年生が試合で、「水泳部は活動なし」と学校には伝えていたそうです。今からの申請は、通らないと諦め、6人は「ゲリラ的に決行するしかない」と決断したのです。

 

カーン、カーン、カーン・・・部員の一人が演技を告げる鐘を鳴らしました。「何が起きるんだ」来場者たちが、プールの横にある4階建ての校舎の窓から、一斉に顔を出します。それを合図に、北川さんは、仲間とプールサイドの真ん中に駆け出し、一列に並びます。女子の水着に似せようと、上半身はタンクトップ姿。「始めます」と叫ぶと、水中へと飛び込みます。

 

6人は水面に浮き、プールに円を描く。水中で声を出しながら足を上げ、手をそろえて踊った。最期は3段ピラミッドの一番上の部員が、後方宙返りで締めくくった。歓声がプールにも届く。「みんなで心を通わせて一つのことをやり遂げ、誰かに喜んでもらうことの素晴らしさを知った」と北川さんは語ります。

 

ゲリラ公演は大成功し、2年後には水泳部が正式な企画として始めた文化祭限定の「男のシンクロ」は、川越高の名物になっていったのです。それから10年が過ぎた1999年、当時の部長畠山さんは、「おれたちの代で大きなことをやろう」とテレビ番組に電話をかけると、報道番組「ニュースステーション」で取り上げてくれることになったのです。

 

そして、ついに「ウォーターボーイズ」は、2001年9月に映画化されました。そして、大ヒットしたのは、まだ記憶に新しいところですね。畠山さんは、俳優たちに演技指導をする大役を任されたのです。

 

ゲリラ公演を行って「男のシンクロ」を初めて行った北川さんは、大手出版社の「小学館」に入社し、「図鑑NEO」シリーズの編集を行い、大ヒット図鑑にしました。「新しいものを取り入れなければ意味がない」という気持ちだったそうです。

 

そして、映画化につながった畠山さんは、2浪して歯学部に入学します。現在は親知らずの抜歯に特化したクリニックを開いたそうです。2か月先まで予約が埋まっている人気だそうです。

 

どうも、この二人には、「新しいことを考え、誰もやっていないことに挑戦する精神は、水泳部で学んだ私の原点」という思いがあるようです。こんな話を聞くと、保育園の子どもたちには、こんな生き方をしてもらいたいなぁ~と、思ってしまう私です。