歴史教育の転換期

今日は、屋上ファームでキュウリを4本収穫しました。子どもたちは、キュウリが大好きですので、すぐに行列ができます。園長がカットしたキュウリを配っていきます。塩を少しふって、とれたてのキュウリをいただきました。シャキシャキしています。マルベリーを食べて、次にキュウリを食べる子どもたちです。

 

さて、2年前から、高校の新学習指導要領で、必修科目として「歴史総合」が始まりました。私のような昭和世代の中学高校時代は、学校の教科書を絶対的に正しい歴史として暗記することが求められました。「鎌倉幕府はいつできた?」には、「1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府」と語呂合わせで覚えたものです。ちなみに、鎌倉幕府成立は、今は1185年ですが、昭和世代は1192年で暗記していました。

 

「歴史総合」は、そんな暗記教育の弊害をなくしていこうという目的があり、世界史と日本史を統合した科目です。かつて、高校での世界史は、覚えることが多くて、選択しない生徒が増えてしまいました。そこで世界史を学ぶ機会を作ること。もう一つは、日本史と世界史を切り分けたまま学んでしまうと、日本の特殊性や優位性ばかりが強調されてしまいます。でも、歴史を深く学ぶには、世界の大きな流れや共通性に着目し、国や個人の価値観の違いによる多様性を知ることが大事です。

 

最近は、歴史を扱うテレビ番組が面白いですね。「歴史探偵」「英雄たちの選択」などを私は毎回見ています。英雄たちの選択は、史実はあるものの、「あなたならどう選択するか?その理由は」まで、自分だったらどうする?の視点がいいですね。歴史が面白いのは、100人いれば100通りの歴史観があることです。「自分だったこうする」を考えることは、将来、困難に出くわした時に、その解決策を考える訓練にもなるでしょう。

 

歴史総合の原案作りに関わった、小川教諭はこう言います。「混沌とした21世紀で、歴史を学ぶ意義は大きく3つあります。1つは、過去の人々の営みを参考にして、現在の生き方を見つめ直し、未来をどのように創造するかを考えること。2つ目は、多様な人々の生き方、考え方を理解して、対立を乗り越える思考力を磨くこと。最後は、真実をないがしろにする、今の時代に、何が「ファクト(事実)」なのかを見抜く力を養うことです」

 

日本人が、どちらかというと苦手にしている分野かもしれません。しかし、新しい歴史教育によって、「自分だったらこうする」と考える力が、間違いなく育つことでしょう。もちろん、自分の主張を押し付けるのではなく、他者の価値観を尊重できるような若者が増えてほしいですね。